鬼ごっこ (後編)
少女は教室の前扉を破って入ってきた。それと同時に、八重と北斗は後ろの扉から脱出する。
その一瞬の間に、ちらりと八重がこちらに目くばせをよこす。
三人の身のことを心配するようなものでもなく、「信じている」と、武運を願うようなものではない。
『しくじんなよ。』
そう、聞こえてきそうな目だった。
どこかした脅迫めいている、そんな鋭い目つきである。
(言ってくれるじゃないか。)
いなりは思わず、内心で笑みを浮かべる。
今、自分たちが相手をしているのは、正体不明の、まるでホラーゲームのラスボスのような存在である。
ホラーゲームといえば、奇妙な空間に迷い込んだ主人公たちが、立ちふさがる敵を相手になんとかして逃げきるものが定番であろう。
その立ちふさがるような存在というのは、まさに
(この場所で、逃げるのは私たちじゃない。)
ホラーゲームにおける、ホラーたちの真向勝負である。
「おら、こっちこいやぁ!!」
愁が手を叩いて少女を誘き寄せる。
ぐるんと少女の首が真後ろを向き、ニタリと口角が裂ける。白い牙には、赤黒いものがこびりついていた。
恐怖を掻き立てられるより先に、嫌悪感の方が先にこみあげてくる。
一体、彼女は何を口にしたのだろうか。
「みぃつけ・・たぁ・・・」
少女は包丁を振りかざし、愁めがけて突進していく。
「いなり、こっちだ!」
少女の注意が愁に向いている隙に、いなりと黒羽は教室の扉近くへ移動する。
愁は教室の窓側の通路を走っていた。対し、少女は、少女あるまじき力で並んでいる机を押しのけ、愁に今にも飛びかかろうとしていた。
押しのけられて吹っ飛んでくる机も避けながら走っている分、明らかに愁の方が移動速度が遅いのである。
「っ・・・ぶね!」
少女が愁の腕をつかまんとした瞬間。
愁の身体が、ふっと少女の前から消えた。
人体消失が起きたわけではない。
愁が体勢を下げて、少女をかわしたのである。見事な緩急である。
愁はそのまま勢いを殺さず、体を机と床の間に滑り込ませる。そして、机の下をスライディングで抜けていった。
アクロバティックすぎるというのか、さすがの身体能力である。
愁は少女の魔の手を逃れ、いなりたちのいるところまで移動する。
「おし、抜けたぁ!」
「閉めますよ!」
愁が廊下に転がり出た瞬間、間髪入れずにいなりは扉を閉める。
直後、ドンと扉にぶつかる音がした。少女がぶつかった音である。
「よーし、上手いこと閉じ込めることができたねー。」
しかし、安心とは言えそうにはない。
扉の向こうから伝わってくる振動で、少女が暴れているのが分かる。
「隣の教室から机とか持ってきてバリケードでも築きますか?」
「この勢いだと、バリケードの方が先に壊されちまうよ。」
「ひとまずは三人がかりで抑え込んでおいた方が良さそうかもねー。」
扉を背にし、三人は「はあ」と息をつく。
「ほんっとうに何なんだ?あの怪物。黒羽、心あたりとかねえのかよ?一応この中で一番年上だろ。」
「やだなー、今は君達と同じ平凡な高校生だよー?」
愁がジト目を向けると、黒羽は軽い笑い声をあげる。
「ま、それはさておき、真面目な話をするとねー、僕もよくわからないんだ。」
「お前でもか?」
「僕でもっていうけどさ、別に僕だって生き字引じゃないんだからねー。君達よりも少ーし、長い年月分の記憶があるだけで、なんでも知っているわけじゃあない。ああいう妖怪でも人間でもない存在なんて、見たことも聞いたこともないよー。」
その時である。
扉の向こうにいるはずの、少女の気配が消えた。
「・・・止まったのか?」
いなりは、そっと扉の窓から教室の中をのぞく。
「・・・・いなくなっています。」
「は?」
「どう・・・・・して・・・ひとりに・・・する・・・の?」
少女の舌足らずな声が、正面から聞こえてきた。
もう少し、頭によくよくおいておくべきだったのかもしれない。
ここは、少女の意識空間。
ならば、この少女の思うままに彼女は動ける。
―――その空間が出ようと思えば、簡単に出ることはできる。そう、扉から出ずとも。
「おいおい、転移とかありなのかよ。」
少女は、瞳があるべき場所の黒い空洞から、黒い液体を流している。それはまるで、涙のよう。
今、少女の手に刃物はない。
少女が両手をあげると、何もないはずの空間に、机がいくつも出現する。
「あそんでよ!」
悲鳴のような声をあげて、少女が手を振る。まるで、玩具を取り上げられて駄々をこねる、幼子のようだ。
少女は滅茶苦茶に腕を振り回し、それに合わせて、机が三人めがけて襲いかかってきた。
いなりは床を蹴って斜め右横に跳躍して机を避ける。そして、壁に着地したと同時に、さらに壁を蹴って後ろへよける。
机はまだ降ってくる。それも、めちゃくちゃな軌道をえがいて。
三角飛びのようにしてなんとか避けているが、狭い廊下で、この机の雨を全て避けるのはかなり難儀だ。
愁はすでに避けるのをあきらめたのか、その場で片っ端から切り落としてる。
「2人とも、少し息を止めていてねー・・・窒息するよ。」
黒羽の声が聞こえた時である。
羽ばたき音がして、突風が廊下を吹きすさぶ。肺が圧迫されるほどの風圧だ。
いなりはぐっと息をつめ、姿勢を低くする。でないと、自分まで巻き添えをくらいそうだ。
風は机を吹き上げ、逆に少女にめがけて机を降らせた。
少女にぶつかりそうになった途端、机は消失した。
「さすが意識空間。なんでもありだねー。」
黒い翼を折りたたみながら、黒羽が降りてくる。
それを見て、愁は廊下に突きたてていた刀を抜いて、悠然としている黒羽に向かって怒鳴りつける。
「っておい、俺らまで巻き込むんじゃねえよ!」
「同感ですね。」
あの少女ではなく、むしろ黒羽に殺されかけたような気がしなくもない。
とはいえ、死因が机による圧死にならずにすんだことには感謝だ。
「これで鬼ごっこから、正面からのぶつかり合いになりましたね。」
「だな。」
再び、三人は怪物少女と向き合った。
◇◆◇
いなりたちが怪物少女と対峙する一方で、探索班の八重と北斗は、教室から飛び出し、できる限り距離をかせいでいた。
いなりたちは気づいていなかったが、先ほど五人が駆けこんだ教室は二年生の教室。2人はそこから出て階段を降り、一年の教室の前にやってきていた。
「ここまでくれば大丈夫やろ。」
「そうだな。」
北斗が影月と陽光に声をかける。
二体はそれにうなづき、すんすんと鼻を鳴らす。
『・・・血の匂いが濃くわかりづらいですが、確かに主以外の人間の匂いがいたします。』
「場所は分かるか。」
『こちらのようです。』
「よし、行くぞ。」
陽光が、北斗と八重を扇動する。
真っ暗な廊下は、洞窟のようだ。前を行く、白い陽光の姿がぼんやりと浮き上がっている。
あの少女のことを三人が惹きつけてくれている間、幾分か穏やかな心持で探索には挑める。それでも、油断はできない。あの少女以外にも、似たような存在がこの空間にいる可能性が否定できないからだ。
「なあ、八重」
「うん?」
押し黙ったままの空気が気まずくて、北斗は八重に問いかける。
「あの女の子の正体なんだが・・・見当つくか?」
しかし、状況が状況であるせいで、明るい気の利いた会話をすることもできない。これでは会話で気を紛らわせるどころか、さらに神経を使ってしまう。
我ながら、随分とつまらぬ性格だと心の中で自嘲する。
「あの嬢ちゃんは妖怪じゃああらへん。言うたら、なんもわからんってことやな。」
「なるほど・・って、おい!わからないのかよ。」
八重のあまりに淡泊な回答に、柄にもないノリツッコミをしてしまった。
北斗の反応を見て、八重は不服そうに頬を膨らませる。
「しょうがねえやろ。ほんまになんも見当がつかんのやで。」
「幽霊とか、そういう選択肢はないのか?」
「だぁから、幽霊はいないって言ってんだろ。」
八重は面倒くさそうに頭をかいた。
そんな表情をしてはいるが、案外世話焼き気質の八重はちゃんと答えてくれる。
北斗も八重と話す機会が増えて、だんだん彼女との付き合い方が分かってきていた。
「受け売りになってまうねんけど・・・まず前提として、人は死んだら魂になって、あの世へ行くんや。その先はどないなるのかうちはよう知れへんけど、特殊な状況に縛られてへん限り、大抵の魂は一定の年月を経て転生するんやと。これがいわゆる“世界の
愁に対し、「幽霊なんかいない」と言った言葉は、そういう意味だったのである。
てっきり親が子供をなだめる、「幽霊なんて非現実的なもの存在するわけないでしょ。」という、非常に現代的な文句だと思っていた。だが、そうではなく、本当にそんなものは存在しないという、事実だったのである。
妖怪が視える北斗にとって、妖怪は当たり前のような存在である。だが、ただ視えるだけであり、それ以上に彼らについて何も知らない。そちらの世界についての知識は、普通の人間と同レベルと言ってもいいだろう。だから、妖怪も幽霊も似たようなものだと思ってしまう。
しかし、そっち側の世界の住人である八重からすれば、とんでもない。話を聞いている限り、彼らからすればそれこそ幽霊だなんて御伽話の中の存在なのだ。
こういう話を聞いていると、不思議な感覚になる。自分が無知であることを改めて実感させられると同時に、人間がいかに好き勝手妄想ともいえるような理論を彼らに対して抱いていたということを気づかされる。
―――
ぶっちゃけ、黒羽の考えた作戦において、探索班が花守を見つけられるかどうかは重要ではない。あの少女を倒すことで、本当にこの異空間から抜け出せるかどうかが肝なのだ。
たとえ花守を無事見つけ出せたとしても、最悪仲良くまとめて異空間に取り残されましたなんていうオチになりかねない。
百面相でもしていたのか、八重がころころと笑い声をあげる。
「そんな心配すんなや。案外、うまくいくかもしれへんよ?」
「そう・・・だな。」
自分の考えすぎだといいのだが。
どうも、あの少女のことがひっかかってしょうがない。
(まさか、神様とか・・・)
いや、そんな馬鹿なことはない。
自分で考えておきながらだが、北斗はその考えを切り捨てる。
あんな禍々しい神様が、いてたまるものか。
暗い話は切り上げられ、八重は目につく教室の扉を手あたり次第開けていく。
陽光が追える範囲ではこのあたりである。
まだ彼女が生きているのであれば、見つけることができるかもしれない。
「教室の中に隠れてるんか?」
「かもしれないな。」
北斗と八重は、とりあえず目についた教室に入る。
少女に感ずかれることを考慮して明かりはつけず、夜目を頼りに花守の姿を探す。
「一応クラスが同じらしいんやけど・・・顔覚えてへんぞ。」
ぼそっと八重がそんなことをつぶやいたような気がしたが、気のせいだろうか。
そんなんだったら、クラスまで違う北斗では、見つけるのがさらに困難なことになるのだが。
「だが、教室だってそんなに隠れられるような場所がないと思うが―――」
と、そう言いながら、北斗は教団の下をのぞきこむ。
そこで、ばちりと誰かと目があった。
「いやぁあ!!!こ、こないでぇ!!」
その者は、北斗を見た途端、金切り声をあげ、頭を抱える。
「陽光、影月、彼女は・・・」
『人間のようです。』
少女は、小さな体をさらに縮こめ、嗚咽をあげている。
「花守・・・香菜か?」
「え?」
名前を呼ぶと、少女ははっとして、顔をあげた。それまで恐怖でひきつっていた表情が、驚きで塗り替えられる。
そこにちょうど、八重がやってきて、見上げた少女の顔を、そっと引き寄せ、覗き込んだ。
「ビンゴ、やな。確かにこんな顔、同じクラスにおったで。」
「じゃあ、彼女が花守香菜か。」
◇◆◇
図書室というのは、独特な匂いがする。
本と埃の匂いが混ざり、かび臭いような、古臭いような匂いが部屋に充満しているのだ。
虎徹はこの匂いが嫌いではない。が、好きでもない。
特に読書家でもない虎徹にとって、この匂いはただの背景に溶け込んだ小石のようなものにすぎない。つまり、彼の感傷を呼び覚ますようなものではないということだ。
虎徹が図書館にいる理由は、八坂高校の歴史を知るためであった。
失踪事件を探るにあたって、まず虎徹が目をつけたのは、学校の存在するこの“場”だ。
八坂高校の創立は戦後すぐ。
つまりざっと百年ものの歴史を抱えている。その長い年月の間に多くの妖怪が居つき、“怪異”を残している。
それは今も同じ。
だから、この学校の歴史を一度あらっておこうと考えたのである。
虎徹の前には、分厚い学校史や何十年ものの卒業アルバムが積み重なっている。本棚に収まっているものだけでなく、中には準備室から引っ張り出してきたようなものまである。
東京都立八坂高校。
偏差値的には平均の平均。だが、東京都いえど片田舎の立地と古すぎる校舎のせいで生徒数が不足し、数年前から部活動に力を入れ始め、学寮を導入、全国から人材を集め出す。それが功をせいし、公立高校にも関わらず、私立高校と張り合えるレベルで強豪校に成長した。
これが一般的な、八坂高校に対する評価である。
その一方で、陰陽師である自分が下したこの高校に対する評価は―――
(最悪の温床だな。)
というわけである。
この学校は、どういうわけか“怪異”の色が強い。
七不思議などという、現代にしてはちょっとふるくさい、高校生たちの間で語られる不思議な噂。そんなものが生まれるくらい、この学校は妖怪たちに染まっている。何しろ、生徒にまで妖怪が何匹も混ざりこんでいるほどにだ。
このように妖怪が集まりやすい場所というのは、何かしらの土壌がある。土壌というのは例えば、人気のない闇の深い場であったり、かつて大妖怪同士がぶつかりあって強力な妖気を残した場などだ。
少し引っかかったのが、八坂高校の創立前、この地には小さな神社が立っていた。しかし、学校の創建にあたり、その神社は別の場所に遷宮され、今の八坂神社となった。
神社や寺には人が多くやってきては、多くの“念”を残す。その“念”に引き寄せられる妖怪は多い。もしかすると、この学校にはそうして引き寄せられてきた妖怪たちが残っているのかもしれない。
同時に、その中には悪意を持った何ものかも共に・・・
(そろそろいい時間か。)
虎徹は白衣下につけていつホルダーから、愛用の銃・
陰陽術は、人間が妖怪に対抗するために編み出された特殊な術である。霊力を消費し、妖力を無効化させる。簡単に言えば、霊力と術は電気と家電製品のような関係だ。
かつて、陰陽師たちは祝詞や呪符を媒介にして、霊力から術の構築をしていた。しかし、現代にいたるまで陰陽師たちは技術を取り入れ、術の改良を重ねてきた。より、速く、より強い術を求めて。
今、主流となっているのは、弾丸に言霊を刻み、霊力を銃火器を通して術に変換させて陰陽術を構築させることだ。だから、今時の陰陽師は怪しげな札をまいたり、印を結ぶようなことはしない。退魔のための長々しい祝詞やみょうちくりんな巨大陣は、今やたった一つの弾丸に収まるようになってしまったのだから、科学技術の恩恵は凄まじいものだ。
虎徹はホルダーに小銃をしまい、白衣の両方のポケットに忍ばせていた手榴弾を忍確認する。さすがにロケット弾を校内に持ち込むことはできなかったので、これが代用品なのだ。
図書室から虎徹が向かったのは、家庭科室である。
一人目の行方不明者である湊川隼は、友人の証言によると旧校舎の一階で消えたという。
旧校舎の一階―――これには心当たりがある。
四つ目の七不思議―――4時44分に家庭科室の鏡に触ると鏡の世界に引きずり込まれる
家庭科室には、確かに大きな姿見がある。縦長で2メートルはある、大きな鏡だ。縁はシンプルであるが、上品で繊細な細工が施されており、骨董品に詳しくない虎徹でも、それがかなりの年季が入ったものだと分かる。
長い間、多くの人々の“気”に触れてきた物は妖に化けたり、不思議な力を持つことがある。
それが、“意志”を持つようなことあがれば、付喪神という妖怪へと成る。
この鏡は、まさにそうした条件に当てはまる。
妖怪の気配はしないが、虎徹は妙な気配をその鏡から感じ取っていた。
この鏡が何かの鍵となりそうなのはほぼ確実であろう。
湊川がこの鏡に吸い込まれていった可能性は多いにある。
腕時計を確認すると、針は四時四十三分を指そうとしていた。
虎徹は、ためらうことなく鏡へ手を伸ばす。しかし、鏡の面から手に返ってくるはずの、冷たい感触はない。
その変わりに、鏡面は水面のように波紋を描いて、虎徹の手を飲み込んでいた。
やはり、この鏡が原因のようである。
しかし、引っかかるのは、この鏡は意志を持っていないということ。つまり、まだ鏡は付喪神化していないのだ。
だから、この鏡自体が悪意あって湊川を吸い込んだとは考えにくい。
何かもっと別の存在が、奥深くにいそうな・・・・・
(いいや、深く考えるな。すべてが終わってからでいい。)
虎徹はさらに鏡の奥へと、歩を進める。
水面に触れるような感覚は、妙な浮遊感へと変わる。
妖力の気配は感じられない。その代わりに、嫌な予感が頭をよぎる。
この先にある異空間に、少なくとも湊川はいるだろう。そして、運が良ければ、もう一人の行方不明者、花守香菜もいるはずだ。
虎徹の与えられた任務は、二人の保護と、この先に巣食うであろう存在の殲滅である。
虎徹は両手に小銃を構える。
引き金は、いつでもひける。
(さあ、出て来いよ。)
化け物ども。
みな、俺がこの世界から排除してやる。
鏡の前から、虎徹は姿を消した。
◇◆◇
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