異界の学校

 最後の階段―――13段目を踏む。

 とたん、空気が変わった。

 いなりは周りを見回す。

 隣には黒羽と八重、少し後ろに北斗がいる。忘れかけていたが、愁もちゃんといた。愁は尻もちをつき、痛そうに腰をさすっていた。

 景色も変わっていない。

 だが。

 違っている。

 知っている、いつもの学校の景色とはどこか異なっている。

 例えば外の景色。

 窓からは校庭が見える。だが、今は塗りつぶしたような、真っ黒い闇しか広がっていない。まるで、外の世界から隔離された場所のよう。

 明らかにここは、異空間である。


「いったたた・・・・。急に落とすんじゃねえよ。」

「いやあ、愁って頑丈だしー。」

 

 黒羽はからからと笑いながら、廊下いうずくまっている愁の腕を引っ張って助け起こす。

 その一方で、八重は顎に手をやり、難しそうな顔をしている。


「なるほどなあ。」


 八重は「ふむ」とうなる。

 

「吉原と似てるな。ある場所を境界にして、別の空間につなげてる。吉原の場合は入口が鳥居やったけど、この学校はそれが階段になっとったってことかな。せやけど、なんのためにこんなとこに境界の入口があるんや・・・。」

「別の空間のわりに、景色は変わってないような気がするが・・・」

「いや、ここは確実にさっきまでの空間ちゃう。」

 

 八重は先ほどいなりたちが降りきた階段の方へ戻る。それから、一歩、階段を上がっていった。

 しかし、八重の身体は前に進まない。


 「何?お前パントマイムでもやってんのか?」

 

 何もない宙を手でかいているような仕草はふざけているように見えるが、彼女の顔は至極真面目である。

 

「なるほどなあ。どうやらここは、完全な亜空間ちゃうみたいや。」

「どういうことだ?」

「亜空間っちゅうのは、ある空間の中の、別の空間のこっちゃ。つまり、入れ子構造になってる。だから、空間から亜空間へ入ることは、基本的に術者以外は不可能。例外があるとしたら、その術者以上の空間干渉能力があるものやろうな。せやけど、今うちらのいるこの空間は、13段目の階段を踏むっちゅう条件つきのもと、侵入することできた。空間っちゅうよりも、結界に近いのかもしれへん。」


 「結界ねぇ・・・」と、黒羽はつぶやいてぐるりとあたりを見回した。


「というと、ここは意識空間・・・みたいなものなのかなー?」

「だな。」


 黒羽や愁が納得する横で、八重の分析に、いなりは少し違和感を覚える。

 別に八重が間違っていると感じたわけではない。それどころか、空間に関してはいなりよりも八重の方がずっと詳しいはずであり、仮に八重の仮定に誤りがあったとしても、それを指摘できるほどの知識は自分にはない。

 いなりの抱いた違和感というは、言葉にしがたいものだ。自分でも何に疑問を抱いているのか、よくわかっていないのである。

 だが、喉に詰まった魚の小骨ほど気になるようなものでもなく、いなりはすぐにそれを頭の片隅に追いやることにした。

 今やるべきことは、行方不明の同級生の捜索である。

 この異界の学校で、どう動こうかと話し合おうとする中、ふいに北斗が自分の足元を見る。


「陽光、影月。」

『『は―――』』

 

 北斗の召喚に応じ、黒い影の中から二体の狛狗が飛び出す。

 それを見て、いなりは北斗の意図が理解できた。

 捜索の定番といえば、“匂い”と“犬”である。


「追えるか?」


 誇り高き狛狗たちを、警察犬代わりににする主。だがしかし、強固な忠誠心を持つ二体が不満を持つことなどありえない。


「あ、でも匂いのするものなんて持ってねえぞ。」

『不用だ。この空間にいる、主以外の人間の匂いを追えばよい。』


 影月に、愁は「ほお」と感心する。

 さて、人間と妖怪の匂いで違いがあるのかというと、違う。

 人間が妖怪に近づいて気づけるようなものではないが、妖力の匂いというのであろうか、都会の匂いと森の匂いが異なっているのと似ている。

 だから、いなりや愁のような半妖怪は、分かる者には分かる、かなり異様な気配を漂わせているともいえる。もしかすると、彼ら狛狗たちがいなりたちの存在に気が付いたのも、“匂い”のせいだったのかもしれない。

 二体はすんすんと鼻をならすし、その場でぐるるとうなり出す。

  

「どうだ?」


 北斗が心配そうに、二体の首元を撫でながら顔を覗き込む。

 二体は、牙をむき出し、渡り廊下の向こうを睨む。


『・・・・・これは、血の匂いです。』

「「え?」」


 その時。

 

 背後で、ずるりという音がした。


「え?」


 何かを引きずるような音である。


「お、おい、なんかいるぞ・・・。」


 廊下の向こう側。

 そこに、人影が見える。小さな人影―――高校生ではなさそうだ。

 ずるりと、またさっきのような音がする。

 その音とともに、人影が近づいてくる。

 どうやら、あの人影が音の正体らしい。

 ずるり、ずるりと、音をたててその人影はゆくりと近づいてくる。

 暗闇の向こうから現れたのは、赤いワンピースのような服を纏った、小さい子供だった。

 その子供は、うつむいている。

 顔の前は長い髪でおおわれているせいで、よく見えない。しかし、服装からして、少女のようである。

 少女の手には、何やら光るものが握られていた。

 

「おい・・・あれって、包丁じゃね?」


 愁の指摘する通り、少女の手にあるは、刃渡り30㎝はあろうかという包丁である。

 そんな物を持つとは、なんと物騒な子供であろう。

 いや、そもそも、あれは人間の子供なのだろうか。


 ゆらゆらとゆらめく狐火によって照らし出され、はっきりとしてきた少女の姿を見て、いなりは戦慄した。


 自他ともに認めることであるが、いなりは普段、あまり心を、―――感情をあらわにすることがない。

 それは喜びも、悲しみも、怒りも、驚きも―――そして恐れも、人に比べてあまり感じない。

 そんないなりが、珍しくも心の底から恐怖を覚えた。

 

 包丁を持つ手とは、別の手。

 白い、真っ白い、その生気のない手は、誰かの手を握っている。

 だが、その手の先にもう一人いるべきはずの人影は、ない。

 正確にいえば、人間と呼べるものではなくなっていた。


「・・・っは。そらあ、ガキの持つようなものじゃあらへんで。」


 ずるりという音の正体。

 それは。

 その先にあるのは、人の上半身。

 まるで、野獣にでもかじりつかれたかのように、ちぎり切られている。

 露わになった内臓が、廊下にこすれるたび、顔をひきつらせたくなる音が聞こえてくる。

 その体からは、赤黒い液体が廊下に流れ落ちている。

 その生臭い鉄の匂いを、間違えるはずがない。 

 あれは、人間の血だ。

 

 ピクリと、少女の肩が揺れる。

 いなりたちに気が付いたようだ。

 ゼンマイ仕掛けの人形のように、少女は体をゆっくりと起こす。

 顔前にカーテンのようにおろされている黒髪が二つに分かれ、顔が露わになる。

 黒穴のように落ちくぼんだ眼窩、こけたほほ。口が耳まで裂け、にんまりと笑みを浮かべる。

 子供の無邪気なはずの笑みは、邪悪なおぞましい笑みとなって目に映る。


「い・・・しょ・・に、あ・・そび・・・・ましょ?」


 金属同士をすり合わせるような、不快な音。

 それが彼女の声だと認識したときに、包丁を振り上げ、飛びかかってきた。


「うわああ!!」

「ぎゃああ!!いつからこの学校はホラーハウスになったんだバカヤロウ!!」


 北斗と愁が悲鳴を上げ、すっ飛んで逃げようとする。


「逃げ腰になってんじゃねえぞ、アホ。」


 しかし、突進してくる少女を八重がなんなく空間断絶で止める。

 さすがの絶対防御である。

 空間そのものを断絶する八重の妖術は、同じ空間系の妖術を除いて決して破ることができない―――――はずなのだが。


「これ・・・じゃま。」

「「!!?」」


 音を立てて、八重の空間が崩された。

 そして―――

 少女は、人間では絶対ありえない速度で突っ込んできた。

 いなりたちは紙一重でその突進を避ける。

 ガキンという音がして、壁に包丁が突き刺さる。

 ギギギ・・・というような音を鳴らして、くるりと少女が首をひねる。


「あー・・・そうきたか。よし、全員逃げるで!!」

「結局逃げるのかよおお!!?」


 

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