学校夜廻り (後編)

◇◆◇




『ここ。』

『ここだよ。』

『狸さん、この時間はここに来る。』


 案内されたのは、三階の渡り廊下だった。

 消灯し、薄暗い渡り廊下は、いかにも異界の入口のような不気味さを放っている。

 いなりたちは家鳴りたちに礼を言って、廊下の方へ向かって歩き出した。


「狸といえば・・・八重は何か知っているのか?」


 狸妖怪といえば、西の地―――つまり四国である。もとは西の地にいて、さらには自身も狸妖怪である八重ならば、何が知っているのではなかろうかと北斗が思うのもわからなくもない。

 だがしかし、狸妖怪が西にしかいない、というわけではないので―――。


「そらないわ。根っからの西育ちのうちが東の狸妖怪のことを知るはずがないやないか。」


 ということである。

 八重は手を顔の前で振った。

 それに、たとえいたとしても、彼女は西から追放された身である。いわば問題児の烙印らくいんが押されたに等しい。そんな問題妖怪と知っていながらも引き続きお付き合いをしたいという妖怪は、なかなかいない。まあ、その例外がいなりたちなわけであるが。

 

「それにしても・・・なんか、いかにも出そうだな。」


 愁は恐る恐るといった様子であたりを見回す。

 これを見て、いなりの中に少し、悪戯心が沸いてきた。

 いなりはパチンと指を鳴らして、狐火をともす。

 すると、面白いくらいに愁が飛び上がった。

 

「お、おま、びっくりさせるんじゃねえよ!!」

「すみません、明かりが欲しいかと思いまして。」

「そういう時は一声かけろや!!」


 愁のこの素晴らしい慌てっぷりを見て、黒羽は「おやおやー?」と手を口に当てる。


「あっれれー?もしかして愁ってば幽霊が怖いのー?」

「なわけねえだろ!!」

「自分だって妖怪の血が半分混ざってるやんけ。」

「それとこれとは別なんだよ!・・・・・・なんつーかな、ヒュードロドロ系とか呪い系は全く怖くねえんだけど、突然びっくりさせてくる系がダメなんだよ。ふ、普通に心臓に悪いじゃねえか。」


 黒羽に揶揄われ、いつも通り怒るかと思いきや、愁は罰の悪そうな顔をして唇を尖らせる。

 むしろ自分の方こそ人間を怖がらせる立場であるにもかかわらず、こういう類のものに苦手意識を持っていることを情けなく思っているかららしい。

 

「愁ってさー、割と健全な男子高校生だよねー。」

「う、うるせえんだよ。てか、いつまでここにいるんだよ。さすがにもう出てこないんじゃ・・・・・」

「何者だ。」

「うおっ、でたぁああ!!!」


 突如背後からした声に対し、芸人顔負けのリアクションで愁が飛び跳ねる。

 いなりは咄嗟に、現れたそのモノと距離を取った。


 そのモノは、カーキ色の兵隊服を纏った人間の姿をしていた。

 その姿はまるで、日本史の教科書で見たことのある、日本陸軍の下士官のそれである。

 精悍な顔つきをした、初老の男。その顔には、疲弊ひへいと哀愁が焼き付いている。


「真夜中に校内を歩く兵隊の幽霊・・・。」


 どうやら、思いがけず“七不思議”の六つめに出会えたようである。

 “幽霊”と言われる所以は、おそらく太平洋戦争だった時の日本兵と変わらぬ姿だからだろう。ただし、ソレからは明らかに人ではない、妖の類の気配がする。つまり、人の魂がこの世にこごった遺物である、幽霊ではない。

 それはさておき、家鳴りたちがいう「狸さん」要素が全くないのだが、いかがしたものか。


「・・・なあ、ここはうちに任せてくれへんか?」

 

 首から下げたお守りに手を伸ばそうとした愁を制し、八重が前に出た。

 八重に気づき、兵隊は問いかけてくる。


「同胞の者とお見受けいたす。この老害めに、一体いかなる用か。」


 低いしわがれた声は、背筋を伸ばさせるような緊張感を持たせてくる。声音こそ重々しいが、敵対意思は感じられない。 


「うちは神楽狸の八重や。訳あって今は東の地におるけど、昔は西の地におってん。」


 八重はそういうと、妖の本性を現した。

 若草色に瞳が輝き、狸の尾が出現する。耳も人のものから、狸の丸みのある耳へと変化した。

 その姿を見て、兵隊は息をのむ。


「。」


 兵隊はそういうと、その姿を一頭の老狸へと変える。

 やはり、狸だったようだ。


「わたくしは、軍隊狸ぐんたいたぬき一族の生き残り、名を喜左衛門きざえもんと申します。」

「やっぱりか・・・。」

「軍隊狸?」


 八重は複雑そうな表情をして、その狸の前にひざまずいた。

 その様子を見て、いなりは目を見開いてしまった。

 どんな相手に対しても―――それがたとえ自分よりも上の者だとしてもだ―――決しておくしない八重が、このような態度をとるのは非常に稀なことである。


「明治時代、日清・日露戦争が起きたやろ。それに参加した妖怪もおったんや。」

「でも、あの時僕を含め、他の四大妖怪たちも戦争に対しては完全な不干渉を決め込んだはずだ。」

「表向きはな。けど、西の地の狸衆はちがった。」


 そう答えた、八重の表情はかたい。


「日本ちゅう国に、下手な手出しがでけへんよう海外を牽制するええ機会やと、狸衆の頭はそう判断した。ほんで、戦地で戦う部隊として編制されたのが軍隊狸たちや。彼らは変化の術を得意とし、戦場で次々と活躍した。日本が戦争に勝ち続けることできたのも、うちから言わせったら軍隊狸たちのおかげや。」


 歴史というのは、後の時代における人たちの解釈に過ぎない。過去における真実なんてものは存在せず、その当時起こったとされる出来事を、社会一般に受け入れられやすい事実として、無理やりつないだものだ。だからこそ、妖怪という存在は、歴史という人々の信じたい過去の事実譚の影に隠された。社会にとっては受け入れられがたい存在は消されるのである。

 戦争も、その文脈で考えれば似たようなものである。

 戦争において、事実として残されるのはどちらが勝ったか、負けたかという結果だけであり、その過程における数々の事実は歴史という巨大な波の中に埋もれる。

 どうして戦争が起こったのか。

 なぜあの国は勝ったのか。

 なぜあの国は負けたのか。

 過程を問いただそうと歴史学者は奮闘しているようだが、答えなぞ初めからでるはずもない。

 過去の、その時点における事実を、今の我々が知る術はどうしたって得られないのだから。ただ、推測することしかできないのである。

 そうして、一般的とされる事実が歴史として残される。

 

 軍隊狸たちは、まさにそうした影に埋もれた戦士たちなのである。 

 八重は、その戦士たちの存在を、彼らがいたという事実を、知っていたのだ。


 「我々はただ、頭目とうもくからいただいた役目を果たしたまでです。」と、老狸―――喜左衛門は謙遜するが、八重の言葉にはいなりたちを納得させるだけの重みがあった。


「せやけど、戦争は終わらんかった。無謀な戦いに、さすがのかしらもようやく呆れたんか、軍隊狸たちに撤退命令を出した・・・はずやったんや。」

「はずだった?」


 八重の言葉を、喜左衛門がつなぐ。

 八重は、いなりたちよりも少しだけ前に立っている。だから、彼女の表情を見ることはできない。

 それでも、普段よりも暗い彼女の言葉は、戦争で散っていった軍隊狸たちのことを、しのんでいるように思えた。

 今の八重は、普段の八重と異なる―――いなりの知らない、大妖怪としての八重の姿を垣間見たようだ。

 

「我々はこの国を戦火から守ること。ならば、その役目を最後まで果たすまで。太平洋戦争の最中、軍隊狸一門は空襲からこの国を守ろうと奔走しました。中には、身を挺して防空壕を焼夷弾から守ろうとした者もいました。結果、同胞の多くを失ってしまいましたが・・・。」


 過去を回想しているのか、喜左衛門は白濁した眼を、うっすらと細める。 


「戦争はやはり、この国の敗北でした。わたくしは運よく生き残りましたが、本土を守り切るという使命を果たすことはできなかった・・・・・」


 喜左衛門は狸の姿から兵隊の、人の姿へと変化する。


「戦後、わたくしは西の地へ帰ることもできず、役目も失い、途方に暮れ、流れ着いたこの地に身を寄せました。以来、役目を果たせなかったせめてもの償いとばかりに、この学校の守衛まがいのことをやっているです。・・・・・自己満足以外の何物でもありませんがな。」


 喜左衛門は、窓の外を向く。

 だが、老兵の目は外の景色を見ているようではなかった。 

 いなりは少し、喜左衛門に共感を覚えた。


「・・・随分話し相手に恵まれなかったものですから、ついつい長々と話過ぎてしまいましたかな。さて、聞きたいことというのは、どのようなことなのでしょうか?」


 喜左衛門は、ふっと目じりに皺をよせて微笑む。その表情は、最初の時よりも幾分か和らいだものだった。

 これまでひとりで抱え込んできたものを吐露し、重い荷を、ようやく下ろすことができたのかもしれない。


「実は・・・」


 喜左衛門に事の成り行きを簡単に説明すると、難しそうに顔をしかめた。


「心当たりと言えば心当たりがあるのですが・・・・・旧校舎の物理室前の階段に、どうも奇妙な力を感じまして。わたくしごときでは、それがどういう類の力であるのかまでは分からぬのですが、それでもあまり良い気配には感じられぬので、気にかけていたところです。」

「階段・・・か。」


 これはかなり有力な情報なのではなかろうか。

 八重はいなりたちに目くばせをする。


「おおきに。それだけでも十分な情報やで。」


 八重がそういうと、喜左衛門はの姿勢を正す。

 

「お役に立つことができ、喜ばしい限りです。」

「・・・そう堅苦しゅうせんといて。」 


 八重が苦笑して、喜左衛門の肩を叩いた。


「喜左衛門、帰りたかったら西の地に帰りな。あんたはもう、十分ようやった。」

「ありがとうございます。しかし、わたくしはこの地に随分と馴染んでしまった。この学校も、わたくしの大切な居場所のようなものなのです。」

「そうか・・・・。」


 八重はほんの一瞬だが、寂し気な表情を見せる。だが、すぐにぱあっと、豪快な笑顔を浮かべた。


「せっかく同じ学校におる狸妖怪同士やねん、今度また、腰を据えてゆっくりしゃべろか!」

「おお、せっかくだしな。何なら家鳴りや小太刀も呼ぼうぜ!」

「それは楽しそうだな。」

「ですね。ちょっとした宴ができそうです。」


 みなの言葉を聞きて、喜左衛門は感極まったかのように、最敬礼をして、五人の姿を見送った。


 


◇◆◇




 さて、喜左衛門の助言を頼りに、いなりたちは旧校舎の物理室前の階段にやってきた。

 

「うーん、階段なんて普段全く気にしないからなー。」

「増えているかどうかは分かりませんが、一応13段はありますね。」

 

 踊り場から数えると、確かに階段は13段ある。しかし、はたして増えて13段なのか、元から13段なのかはわからない。


「いや、確かにここに何かある。」


 八重の視線は、どこか定まらぬ虚空を見ている。

 半目はんめとなって、何かを必死見ているようだ。 


「相当気をつけなわからんけど・・・階段をさかいにして異空間の入口があるな。」

「分かるのか?」


 八重の妖術は空間系統である。

 いなりは何も感じつことができないが、おそらく彼女にはいなりには見えない何かが見えているのだ。


「かすかだけど、空間の切れ目がそこにあるな。ただ・・・結界とはちょい、ちゃうような気もするけど・・・」

「まあ、行ってみればわかるでしょー!って、わけで愁頼んだ!」

「いや、もっと心の準備を。」

「何ぼさぼさしとんねん。さっさと行くで。」


 深呼吸しようとした愁を、無情にも八重が付き落とす。

 「ぎゃあああ」と哀れな声をあげながら、愁はたたらを踏む。そして、そのまま十三段目へと到達し―――


「お、噂は本当だったぽいねー?」

「そのようですね。」


 愁の姿が吸い込まれるようにして、消えてしまった。

 八重が睨んだ通り、十三段目で別の空間へと通じているようだ。


「では、早速行きましょうか。」


 この空間の先には、何が待ち受けているのやら。

 いなりは十三段目を踏む。

 そして―――

 校内から、五人の気配が消えた。

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