狩る者の信念

◇◆◇




 夜―――まさに、人ならざるモノ共が動き始める時である。

 

 だから、自分はこの時間が好きではない。

 

 虎徹は屋上から校庭を見下ろし、ひっそりとうごめく存在たちを見て、忌々しげに眉を顰めた。

 闇に沈んだ校舎は、昼間とはまるで違う表情をみせる。特に年季の入っているこの学校の校舎は、昼間はただ黄ばんでいるようにしか見えない壁も、陰翳いんえいのよううに目に映り、まるで脈をうっているかのようだ。ビルや普通の住宅では決して感じることができないような違いである。

 これだから、学校という場所は怪談という人々の噂の温床となりやすい。

 そして、その仄暗ほのぐらい環境に妖怪たちもまた、引き寄せられるのだ。。

 


○●○



 ―――さかのぼること一週間ほど前


 吉原・浅草の騒動の始末がようやく落ち着きを見せたかと思いきや、九州で起きた襲撃事件に陰陽寮内はてんやわんやだった。

 事件自体はすでに終息しているとはいえ、妖怪という存在がただの“空想”とされる社会の仕組み上、彼らの痕跡をどうにかこうにか隠す必要を迫られる。

 鬼が暴れたので港が大破しました、妖狐と伝説上の邪神が戦ったのでスカイツリーが半壊しました、というのは世間様にはふざけた冗談としか受け取ってもらえない。それっぽい理由をつけて、処理をしなくてはならないのだ。さらに、今回の事件は地続きのようなものであり、関連性を調査したりする必要が出てくる。そこに通常業務―――すなわち日常的に妖怪が起こす事件の処理や討伐も重なってくるのだから、激務である。

 そんな折に、虎徹は急に晴に呼び出された。

 陰陽寮内では当たり前となっていることであるが、サボり魔である晴が自分の執務室にいることは一年を通して数えるほどしかない。だから、よっぽどの大事件が起きない限り、彼が自ら動くということはなく、彼自身が部下に何かを命ずるということもほとんどない。

 そういうわけで、晴の執務室に呼び出されるということが、どれほどの珍事であるかは、陰陽師であればだれでもわかることなのだ。

 一体何事かと、不安や緊張、困惑で胸をいっぱいにしながら入室したわけだが・・・・・


「虎徹にはしばらく八坂高校に潜入してもらうね~。」


 とんでもないことを言い渡されたものである。

 しばしの間、虎徹は晴の言っていることの意味をうまく頭で理解できず、固まってしまった。


「すんません、潜入任務って・・・俺の聞き間違いじゃないですよね?」

「うん。潜入任務だよ。まあ、正確には監視兼護衛役かな。」


 使われていないせいでほとんど新品同然の紫檀の高級机の上で、書類の上で指をせわしなく動かしながら晴が答える。どうやら、折り紙を折っているらしい。

 折り紙にはツッコまずに、虎徹は少しの間思案した。


 都立八坂高校といえば確か、あの妖怪四人組が通っている高校である。虎徹が現在もっとも苦手とする奴らである。

 それはさておき、問題は神巫の少年―――室咲北斗が通っている高校であるということだ。

 そこに虎徹を行かせる、それも監視と護衛ということは、間違いなく対象は彼のことだ。今回起きている謎の事件の中心にいるのは間違いなく神巫であり、彼は狙われているのだから。

 室咲北斗のことを守ることの重要性は理解できる。

 しかし、問題はそこではない。


「なんで俺なんすか。」

「だってテツは教員免許持ってるじゃん。」

「あんたの職権なら別に陰陽師の一人や二人送り込むことはできるでしょうが。」


 秘密組織とはいえ、一応警察組織の一部なのである。

 捜査という名目ならばいくらでもやりようがあるはずだ。

 何より、虎徹がその高校にあまり積極的に行きたくない。


「そりゃあそうだけど、それはそれで私が上に交渉しなきゃじゃないか。そんなの面倒くさい。」

「・・・・・」

「よし、できた。」


 会話をしている間に、晴はどうやら折り紙を完成させたようである。

 随分長い時間追っていると思ったが、複雑なものを作っていたらしい。四本足の動物と思しき折り紙作品が机の上に完成していた。書類でできているため色はわからないが、猛獣のようである。


「護衛任務ならわざわざ高校に潜入するような面倒なことをしなくても、本人から了承をとって日中張り込めばよくないですか?」

「彼には契約を結んだ狛狗たちがいる。彼の家は神社で狛狗たちの領域だ。よっぽどのことがない限り、大丈夫だろうからね。」


 付喪神はその依代となる物体から離れるほど力が弱くなってしまう。しかし、その代わりに依り代の周囲であれば強い力を発揮する。

 また、付喪神は依代となる物体に対する人々の“思い”の強さが強いほど、強力な力を得る。例えば、ただの草履の付喪神であるよりも、50年以上はかれ、愛着を持たれた草履ほど強くなるのだ。

 神社などで人々の信仰を集める狛狗たちの場合、その石像に宿る念は相当強いものとなる。

 狛狗たちのことを完全に信用するならば、晴の言うことは間違っていない。

 

「それに、何も仕事は潜入だけじゃないよ。」


 虎徹は、ハッとして晴の顔を見つめる。


「と言いますと?」

「実は先週、行方不明者の捜索届が二件、こちらに回されてきてね。」


「行方不明者は花守香菜16歳と湊川みなかわはやと18歳。どちらも都立八坂高校の生徒であり、花守香菜は一年、湊川隼は三年だ。」


 あの高校は一体どこまで問題を抱え込めば気がすむのだろうか。

 虎徹は頭を抱えたくなった。

 

「ってわけで、ついでにこの捜査も頼むよ。」


 それでも虎徹が変に動き出さないのは、晴があの妖怪たちと敵対することを避けているからだ。それどころか、好きに動かさせているような節さえある。

 どういうつもりでそうさせているのかは、凡人である虎徹にはわかりかねるが、晴の判断に疑いを持つつもりはない。たとえ放浪癖のある困ったサボり魔の上司でも、晴のことを―――正確には彼の判断を信頼しているからである。


「でも、俺の担当分の仕事はどうなるんですか?」

「だぁーいじょうぶ。刀岐が全部やってくれるってさ~。後輩のフォローをするのが先輩の役目だからねえ。」


 しかし、かくいう先輩刀岐は確か、このところ業務増加により、一か月は家に帰れていないんじゃなかったか。つい先ほどの会議でも、両目にどす黒い隈を抱え、エナジードリンクの空缶の山に埋もれそうになっていた刀岐の姿を発見したばかりである。

 もし本当に虎徹が潜入任務につくことになったら、持ち場を離れることが難しくなるため、虎徹は簡単な仕事が書類仕事ぐらいしか手が付けられなくなる。一人分の欠けた穴の埋め合わせが、期間不明でどっと刀岐に押し寄せることになるのである。

 虎徹は心の中で刀岐に手を合わせた。



○●○



 そういう経緯があって、赴任してきたわけである。

 紹介されながら壇上から件の妖怪四人組を見下ろしたときは、ため息の一つや二つつきたくなったものだ。これから先この連中と顔を合わせる機会が増えるのかと思うと、胸糞悪くなる。

 しかし、そんなことを考えたってどうしようもない。

 自分はやるべきことをやるまでだ。


 一度事件を整理しよう。

 虎徹は渡された書類を頭からざっと斜め読みする。


 花守香菜は秋休みに行われていた部活の合宿中に行方不明となった。その時、部活内の生徒たちと肝試しのようなことをやっていたらしい。学校妖怪が何らかの干渉をしたと考えられる。

 一方で、湊川隼の場合は少々事情が込み入っている。彼は一応、真夜中の学校で行方知れずとなった、と考えられれている。というのは、湊川はどうやらあまり素行がよろしくない学生だったらしい。深夜の公園で騒いだり、酔っ払いにカツアゲしたりと、たびたび交番のお世話になっていたという。彼が消えた日も、彼は仲間内で真夜中の学校に不法侵入し、どんちゃん騒ぎをしていたらしい。湊川の仲間たちは彼のことを探したらしいが、きっと勝手に家に帰ったのだろうと思い、そのまま気にも留めなかった。しかし、後日数週間も学校に湊川が登校してこなくて不信に思い、彼の両親に尋ねて、彼がずっと行方知れずとなってしまっているということが分かった。ヤンチャ少年たちも、さすがに事の重大性に気づいたようで、警察に事情を話してくれたというわけである。

 湊川の場合は、彼が消えた瞬間を見た者がいなく、また本人の性格もあって人間による事件性の方が疑われていたため、すぐに陰陽寮に回されることはなかった。しかし、花守の事件の報告があり、その関連が疑われて陰陽寮に遅れて回されてきたのである。 


 この二つの事件の共通点は大きくわけて二つだ。

 一つ、事件は真夜中の八坂高校で起きていること。

 二つ、消えたのはいずれも八坂高校の生徒であること。

 そして、有力な情報として花守の友人の証言によると、“学校の七不思議”を試している最中に彼女は消え失せたという。

 2人の失踪事件から人的な要因を排除できると考えれば、これはおそらく妖怪の仕業である。

 “学校の七不思議”と呼ばれる存在は、ぶっちゃけてしまえばいない。

 学校にある不思議なモノゴトの正体の大半は、学校妖怪である。彼らの妖力の残滓が怪奇現象として噂され、“七不思議”と今では呼ばれるようになっているのだ。

 歩く二宮金次郎も調べてみれば付喪神であったり、トイレの花子さんもたまたまトイレのところを散歩していた座敷童であった、なんてことはしょっちゅうなのだ。

 学校妖怪というのはあくまでこのように“七不思議”として噂される程度であり、人間に直接的な干渉を及ぼすことはほとんどない。裏社会から距離をとって生活しているだけのことはあり、基本的に穏やかである。

 しかし、人が集まる場所であるからこそ、力を求めてさまよう妖怪もいる。力―――すなわち、人を喰らい、糧とするのだ。

 めったにいないが、そういう奴らこそ手強い。虎徹も一度だけ、生徒を喰らい、狂暴化した妖怪の討伐に参加したことがあるが、かなり苦戦したことを覚えてる。ただの妖怪と、人間を喰った妖怪とでは、それほど差があるのだ。

 行方不明となってしまった彼らが、無事であるかどうかは分からない。


 妖怪という人の世界の道理が通じない相手を前にしたとき、人間は無力である。

 だから、陰陽師という人々は数百年も前から存在し、人々を守ろうとしてきた。その力をもって、人々の平穏を守るために。

 今回の被害者の二人とて、これまでどういう生活をしてきたのかは知らぬが、きっと平穏な日々を過ごしていたに違いない。それが、非日常の世界に引きずり込まれ、失われようとしている。

 それだけは、あってはならぬのだ。

 虎徹は唇をかみしめた。

 

 夜風が虎徹の髪を振り乱す。

 秋も終わりを迎え、冬が到来しようとしている。肌を突きさすような夜の寒さだが、虎徹はこの空気が存外嫌いではない。

 生暖かい環境にいる中で、己の過去を忘れさせないから。


 『・・・き、・・・咲希さき!!』

 

 理不尽に奪われる悲しみ。

 妖怪などという、意味の分からない存在のせいで崩壊した日々の幸せ。


 すべて、奴らがいるせいだ。

 良いも悪いも関係ない。

 彼らの存在そのものが、人々の生活の傍らにある限り、“怪異”という恐怖は消えないのだから。


 ―――この思いを、もう誰にも感じてほしくない。


 妖怪は、人に仇を成す存在である。

 陰陽師として、自分は人に害を及ぼす奴らを狩るのが仕事であり、己の生きる意味である。


(そこに例外はない。)

 


 虎徹は一人、夜の学校へと踏み込んだ。


 今宵、人に仇なす妖怪を狩るために。

 己の意志を、貫くために。




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