監視
◇◆◇
「お前ら、授業中じゃねえのかよ。」
着任したてほやほやの新米教師は額に手をやり、宙を仰いでいた。
彼の目の前にはいかにも保健室とは縁遠そうな生徒が四人。並んでベットの上に腰かけ、さらに図々しくも茶の要求までしていた。
「持病の喘息が発作を起こしたので。」
「急に頭と腹と心臓が痛くなった。」
「付き添いや。」
「付き添いの付き添いでーす。」
「明らかに残り二人いらねえだろうが!」
相変わらず打てば響くツッコミっぷりである。
新米教師こと久遠虎徹は、「ぶっ殺してえ・・・」とつぶやきながら拳を握りしめた。
いなり達妖怪四人組は集会後、示し合わすこともなく全員で保健室へと直行した。そして今に至るわけなのだが・・・・・虎徹はあからさまに不機嫌そうな顔で四人の顔を睨みつける。
「大丈夫ですよ。熱だってあります。」
そういって、いなりは体温計を差し出して見せる。
「60度9分とか、人間の体温じゃねえだろうが!」
無論、狐火で温度を上げたのだ。
虎徹は先が少し溶けかけた体温計を床にたたきつける。
「冗談はこれくらいにしますが」
「おい、冗談のつもりだったのかよ。」
「なぜこの学校に?」
虎徹は質問にはすぐに答えず、押し黙る。それから深くため息をつき、足を組みなおした。
「別にわざわざ言わなくても、察しはついているだろ。」
「やはり、北斗の監視ですか。」
「護衛と言え、半妖狐。」
いなりの指摘に虎徹はぶっきらぼうに答えた。
やはり、というのがいなりの正直な感想である。
吉原・浅草において、人も妖怪も巻き込んだ大規模な騒動を起こした渾沌。彼の狙いは“カミ”の復活とやらで、それには神獣の力を必要とするらしい。仮想怨霊騒動はそのために仕組まれた、神巫のあぶり出しであった。
渾沌はいなりが自ら葬ったが、新たな脅威として出現したのがクロという人間の男。九州では彼によって暴虐の権化たる四凶・
それに、何もクロだけではない。クロとともに行動していた妖狐の青年のように、彼ら以外にもまだ協力者が潜んでいると考えるべきである。
そして、その協力者がどれほどの規模で存在するのか、そして誰なのかを、いなりたちは全く知らない。
いなりは愁から、クロが陰陽術を使っていたという話を聞いた。それはつまり、クロが陰陽師、あるいはその関係者である可能性が高いということだ。陰陽寮ですら、信用がおけない状況に置かれつつあるのである。
「陰陽寮も必死になるわけだー。わざわざ教師に偽装してまでもぐりこんでくるとはねー。」
「黙れ烏天狗。教員免許なら持ってる。つうか、だから俺がよこされたんだ。」
証拠とばかりに虎徹は教員免許を水戸黄門よろしくかざしてくる。
一体どんな手を使って免許を取得したのかは知らないが、養護教諭として最低限の知識があることを願いたい。
虎徹は免許をしまい、四人の顔をぐるりと見回す。
「俺は納得いかねえが、室咲北斗の周囲で今のところ一番信用ができて動けるのは手前らっつーのが陰陽寮の総意だ。残念だが、俺は神巫の堅守のためにお前らに全面的に協力する。」
信用だの協力だのという言葉を口にしている割に、虎徹は相変わらず嫌悪に満ちた表情で四人を見ている。
「とにかく、俺が言いてえことは学校で妙な動きをするな。何かおかしいと感じたらすぐに俺に知らせろ。」
「随分と上から目線ですね。」
「俺の中では最大限腰を下げているんだがな。」
もう同じ空間にいることさえ苦痛だと言いたげである。
「それから、一つだけ忠告しておく。俺が与えられている仕事は室咲の監視だけじゃねえ。ここで何かお前たちが問題を起こした場合、速やかに処分することもできる。それを忘れるな。」
四人と虎徹の間に、なんともいえぬピリピリとした空気が流れ始めたところで、ちょうど1限の終了を知らせる鐘が鳴り響いた。
「時間だ。さっさと授業に戻れ。」
虎徹は教室後方のドアを開ける。
虎徹がいなりたちと話している間、決して手の平を見せることはなかった。
◇◆◇
「それで、お前たち早速衝突してきたのかよ・・・。」
北斗はそういって、苦笑いを顔に浮かべながらおかずを口に運んだ。
朝は天気であったのだが、雨が降り出したので、今日の昼休みは珍しく五人で四組の教室で食事をしている。
北斗は虎徹の来訪に驚きこそはしたものの、むしろ納得してしまったらしい。北斗のところに虎徹がやってきたかどうかを確認したが、教室まで彼が来ることはなかったという。それが虎徹個人の意思なのか陰陽寮の指針なのかどちらかはわからないが、直接かかわるというよりも、本当に影ながらひっそりと監視するつもりらしい。
「あんのチビ陰陽師・・・、なーにが『速やかに処分することもできる』だよ!アイツ絶対本来の目的じゃなくて俺らのことを殺そうとしてんだろ!」
愁はさも腹正しそうにぎりぎりとストローをかみしめる。強く握りしめられ、紙パックの中身のジュースが今にも噴き出しそうだ。
「まあぶっちゃけ本当にそうかもしれないよー?」
菓子パンをかじりながら黒羽が答える。
「どういうことだ?」
「あのまっ黒くろすけなんかより、北斗に最も近いのは僕ら4人、それも妖怪や半妖怪だ。愁やいなりはともかくとして、僕や八重が北斗のことを取って喰う可能性だってゼロじゃないからねー。」
「もちろん、その影の従者たちも。」黒羽はそういって顎で北斗の足元を指す。
『我らが主のことを喰おうとしていると言いたいのか?』
ぶわりと、北斗の影が揺らいで形を変える。
怒気をはらんだその声は、黒羽のことを威嚇する。
黒羽は笑ってそれを一蹴した。
「あはは、あくまで可能性の話だよー。もちろん僕は北斗のことを食べるつもりはさらさらないし、何よりそれは“約束”を破ることになっちゃうからねー。」
北斗といなり、愁、黒羽の三人は体育祭のときに、ある“約束”をした。
それが、「北斗のことを脅威から守る」というもの。当初はただ寄ってくる妖怪の露払い程度だと思っていたのだが、まさかその脅威がここまで巨大なものになるとは思わなかった。今思い返せば、あの時の“約束”は決して無駄ではなかったといえる。
この“約束”がある限り、いなりたちは北斗を襲わない。妖怪にとって、“約束”は“契約”であり、決して破ってはならないものだからである。
よく、昔話なんかで妖怪と“約束”をした人間が、なんとかその“約束”を破棄しようとするが、大抵は失敗に終わる。中には成功したというオチのものもあるが、それは後世の改変に過ぎない。交わした“約束”は破れない―――それが、妖怪界でのもう一つの暗黙の了解でもある。
―――
「うちだって食べるつもりあれへんで。人間喰うまでして強なろうとか思えへんし。そもそも人間を食べる妖怪なんて今時いないやろ。」
周りの視線を一斉に浴び、八重は不服そうに答える。
確かに、八重の場合、事の問題が北斗ではなく他の人間であった場合でも、おそらく彼女は食べない。人間を食べて強くなるというのは、武人肌である彼女から言わせれば「卑怯」である。
疑った自分が愚かだったと、いなりは反省した。詫びにとばかりに、いなりは自分の弁当にい添えられていたみかんを一つ、八重に差し出した。いなりの心中を知らぬ八重は思わぬ贈呈品に、目を輝かせて受け取った。
「だが、気を付けようにもどう気を付けたらいいのか分からないな。」
「確かになあ・・・。」
できることといえば登下校で一人にならないとか、常に周囲に気を配っておくとかぐらいであろうか。
しかし、その大半は優秀な狛狗によって解決済みである。陽光と影月ほどの実力者であれば、相手にもよるが早々簡単には蹴散らせまい。
「最悪のケースはクロが直接出向いてきて転移で北斗ののことをかっさらっていくとかかな。」
「転移ってそんなほいほいできるもんなのか?」
「そりゃあ、術者の力量によるで。」
空間と空間を移動する転移は、便利でありかつ強力な術であるゆえに制約が多い。
まず、転移する人数。術者自身のみであれば簡単だが、複数人を移動させる場合、その一人一人の立ち位置を把握し、転移先の空間に結びつける必要があるため、人数が多くなれば多くなるほど負担は大きくなる。
さらに、転移先の地点も術者がすでに知っている場所、あるいは目視できる場所でないと無理だ。あらかじめ物質へマーキングしておくという方法もあるが、それでは他者にばれるリスクがでかい。あからさまに「ここに飛んできますよ」と主張しているようなものだからである。ただし、空間把握能力が高い者だと、座標から大まかな空間的な位置を割り出して知らない地へも転移を行えたりもするのだという。
「ただ、あくまでこれは妖術の場合や。陰陽師共の使う術とは多少ちゃうさかい、あくまで参考やけどな。」
「それでも参考にはなった。少なくとも、今ここで俺が急にかっさらわれることはないな。」
「せやな。」
ひとまずは安心だ。
肩の力が抜けたとばかりに、北斗は椅子に深くもたれる。
「この頃色々なことが起きすぎて、学校生活がもう懐かしいな。」
「確かにな。」
仮想怨霊騒動は文化祭真っ最中に起きたし、さらにそのせいで秋休みが大幅な延長、その間には九州での襲撃事件に巻き込まれた。
久々の学校生活を新鮮に感じるのはうなづける。
いつ、どこでクロが動きだすのかわからないが、それでも学校生活というしばしの平穏を、いなりはようやく過ごせそうである。
昼食もすっかり食べ終え、いなりたちは他愛のない話に花を咲かせる。
ちょうど、そのときだった。
五人の輪に向かって、歩み寄ってくる女子生徒がいた。
「あの・・・、すみません。二組の室咲君ですか?」
上履きの色からして、同学年の生徒である。
同学年なのだからもっと砕けた調子でも構わないと思うのだが、怯えた子供のような表情をして、いなりたちの輪の中に入ってくる。
「?そうだが・・・。」
「ちょっと、お時間いいですか?」
その答えに、まず反応したのが、そういうことに敏い二人―――八重と黒羽の間であった。
だてに数百年生きているわけではない。大妖怪同士、言葉の掛け合いなぞ不要。二人の間で、アイコンタクトによるやり取りが行われる。
「これ、もしかしてあれかい?」
「ありよりのありや。」
「でも北斗って・・・」
「ここはボブカットちゃんの気持ちが最優先やで。せめて思いを伝えなきゃあかん。」
「了解。」
この間0.1秒。
八重と黒羽は互いにうなづきあった。
「あーっと。ごめーん、僕そういえばこの後本返しに行かなきゃいけないんだったー。ちょーっと図書館に行ってくるねー。あ、そうだー。愁もちょっと付き合ってよー。」
「はあ?お前そもそも図書館なんて行ったことねえ」
「うん、行こうか!!」
「いなりー、すまんがうちとしたことが音楽室に忘れ物してきてもうた~。とりにいくの付き合うてくれへん?」
「あの、さっきの移動教室科学実験室では?」
「ええからええから!」
さっきまで北斗の身の安全について云々言っていたはずが、早速孤立させようとしているのはいかがなものか。しかし、ツッコむことのできる者はひとりもいない。
黒羽と八重に追い立てられるようにしていなりと愁は教室の外へと行かされる。
「あ、あの!すみません、できたら他の方々にも聞いていてほしくて・・・。」
まさかの公開希望。
とんでもない鋼のメンタルの持ち主ではないか。
八重、さらにあろうことか黒羽まで、共に思考が一時停止する。
「その、折り入ってご相談があるんです。」
その言葉を聞いて、深いため息が二つ、教室中に響いた。
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