閑話 鬼ヶ島の鬼 (後編)


○●○


 

「ここが屋敷だ。」

「はあ・・・。」


 羅刹によって連れてこられたのは、立派な日本家屋だった。前庭の紅葉がすごく印象的だったのを覚えている。その時はまだ青く、紅葉こうようしていなかったが、きっと秋には見事に色づくのだろう。

 俺は配下こそ前にはたくさんいたが、拠点というのは名ばかりで屋敷なんていう大層なものは持っていなかった。

 今時の妖怪は、人間のように金を使って建物の中で暮らすのがフツウらしい。


「お前、名前は。」

「温羅童子。」

「ソイツは人間界での通称だろう。本当の名前は。」

「そしたらねえよ。今まで温羅としか呼ばれてこなかったし。」


 俺がそう答えると、羅刹は少し驚いたようだった。


「親は。」

「そんなもんいなかったな。知ってるだろ。童子なんて名前を付けられたが、鬼でも首無しでもねえんだよ。」


そもそも妖怪ですらないのだが。

しかし、それ以上は言わなかった。羅刹とて、分かっていて俺のことを拾ったのだろうから。


「そうなのか。」


 羅刹は少し首を傾げ、庭先に目を向ける。

 紅葉の木の傍には、大きくはないが池があった。三色の錦鯉が、蓮の花の下を通り過ぎようとしていた。

  

蓮司れんじなんてどうだ。」

「適当すぎるだろ。」

「俺に名付けのセンスを求めるな。」


 まさか庭の花から名前を取られるとは。だが、響きは嫌いではない。

 俺はそれから、“蓮司”という名で呼ばれるようになった。

 

 玄関から屋敷に上がると、羅刹を出迎えに来た配下の連中から、早速物珍し気な視線を向けられた。それは主に俺のことを警戒するようなものがほとんどだったが、中には明らかな敵意を込めている奴もいた。


「コイツが今日から俺の配下になる。顔を覚えておけ。」

「「はっ!」」


 しかし、羅刹は特に気にせず、ずんずんと廊下を進んでいく。

 気まずいという気持ちはあるが、そんなことを考えたってしょうがない。そう開き直ることにして、俺は後ろからついていく。

 廊下を突き進み、つきあたりの部屋に入る。

 10畳以上はあろうかという、広い部屋だ。その部屋に入ると、羅刹はぴたりと足を止めた。 


「数弥、いるか。」

「ここに。」

「うお、びっくりしたぁ!!?」


 音もなく羅刹の後ろに現れたのは、浅葱あさぎ色の袴をはいた、小柄な少年だった。

 羅刹よりも背の高い自分と比べると、50センチほども差があろうか。幼い顔に似合わず眼鏡をかけており、気難しそうに眉を顰めて、じっと、観察するように自分のことを見ている。


「こいつの教育係はお前に任せる。」


 眼鏡の奥の瞳が、ふいをつかれたように大きく見開かれた。

 驚いた顔は見た目相応、子供のような顔である。

 ・・・と、考えている場合ではない。

 羅刹の言葉をよくよく反芻はんすうしてみると、すなわち自分のお世話係がこの小僧になるということである。


「って、おいおいふざけるなよ!?なんでまたこんな餓鬼ガキに俺がお守りをされなきゃ」


 しかし、それから先に俺の言葉は続かなかった。

 というのは、気づいたときには俺の身体が床に叩きつけられていたからである。

 何がどうなったのか理解できず、俺はぱちぱちと目をしばたく。

 いや、本当になんで俺は倒れてんだ?


「無礼者が。羅刹様に対し不敬だぞ。」

 

 その声は、俺よりも頭上から聞こえてきた。

 気が付くと、数弥が俺の腕をひねりあげながら、鋭い目で見降ろしていた。


「この野郎・・・!」


 一体いつの間に技をかけやがったんだ。

 しかし、どういうわけか体が思うように動かない。まるで、何か強い力で上からおさえこまれているようである。


「よし、仲良くできそうだな。」

「できるわけねえだろ!!」


 「どこ見てんだ!」と羅刹に向かって怒鳴ると、さらに腕をひねられる。

 

「承知いたしました。この者の身柄は俺の方で預かります。」

「よろしく頼む。」

「はっ!」


 いやいや、本人おいてけぼりにして話を進めるなよ!

 俺はじたばたともがきながら抵抗を試みるが、それもむなしく、数弥の力は強くなる。羅刹はさっそうと廊下の向こうへと消えてしまった。


 羅刹の姿が消えた途端、俺の身体を抑える力がなくなった。

 数弥という名の小僧が手を離したのである。

 瞬俺は飛び上がってソイツと距離をとる。

 数弥は、つい先ほどまでは感じなかった、険悪な覇気オーラを今は放っていた。

 見た目で舐めていたが、とんでもなかった。この妖怪、普通に強い。


「貴様と話している暇はない。とっとと失せろ。」


 童顔から発せられたとは思えぬドスの聞いた声が発せられ、驚いた。だが、それ以上に、羅刹の前とでは態度が違いすぎることの方に俺は驚愕した。

 天と地どころか、神とゴミくらいの差があるんじゃないかと思う。あの従順さはどこにいったんだ。さっきお前、思いっきりYESって答えただろうが。


「馴れ馴れしく話しかけてくるんじゃねえぞ、新入り。殺されたくなかったらとっとと俺の視界から消えろ。」


 俺は悟った。

 絶対にこの教育係とは仲良くなれない、と。



○●○



 そんなこともあったのだが、数弥以外の他の構成員は、新参者である自分に対しても、比較的友好な姿勢をとってくれた。

 後から知ったのだが、羅刹が拾ってきたから、というのが理由らしい

 羅刹の配下の妖怪は、自ら志願して羅刹に付き従った者が大抵であった。それに対し、羅刹が自ら配下にスカウトしてきた者は本当に数えるほどしかいないのだという。そのため、そういう者はある程度の信頼を置かれるらしい。そりゃあね、トップお墨付きの奴なら変に疑う必要はないということである。 

 また、初日早々に数弥に締め上げられたことが大きな要因であった。

 算盤小僧・数弥はなんと配下の中でも一番の古株であるのだという。しかし、それを知らない新入りの多くは彼の見た目から舐めてかかる。かくいう俺もそうだったわけだ。だが、これがまあ返り討ちにされる。それが配下たちの間じゃ一種の通過儀礼のようなものになっているらしい。数弥にやられてた奴ら同士の謎の連帯感に、俺も含まれた、というわけだ。

 そんなこんなで羅刹の配下になってからというものの、俺が何か変わったとかいうことはない。


 南の四大妖怪の仕事は、海外妖怪の不法入国を防ぐこと、滞在している海外妖怪と国内妖怪の対立の阻止、加えて入国が認められた海外妖怪の支援、そのほか国内妖怪の独自の集団組織である“組”の監視・管理など・・・とにかくやることが多い。

 そのうちで、もっとも厄介なのは海外妖怪の不法入国である。これが、それまで西の地として一括されていた九州―――南の地が独立し、南の四大妖怪によって支配されるようになった理由にもなっている。

 これまで、江戸幕府は海外との交流の一切を表向きには断ってきた。しかし、黒船の来航によりその体制に亀裂が走る。今では人間界の情勢は幕府派の連中と打倒幕府派で真っ二つに分かれている。政治関係の話は興味がないからよくわからないが、重要なのは、ここ南の地はとくに打倒幕府派の傾向が強く、海外との交流を盛んに行っているということだ。

 この情勢を背景に、今、日本に入国しようとしている人外が激増しているのだ。

海外では魔女狩りの影響でたくさんの人外が迫害にあい、母国の都市部から追われ、あちこちに逃亡している。その新たな逃亡先として、日本が矛先が上がったのだ。

 日本はもともと妖怪という人外と似た存在が昔から蔓延っており、さらに人間側からはほとんど無視された状態で、さらには妖怪独自の社会体制を築いて生活している。これほど人ならざるモノたちにとって恵まれた地はない。

 しかし、妖怪たちとしても人外の入国を黙って見過ごすわけにはいかぬらしい。 

 必要に迫られて国から逃亡してきたという難民はともかく、中には良からぬことを考える連中もいる。日本を支配しようだの、妖怪にとって代わろうだの、そういうことを考える危ない奴らを取り締まるのが、俺が羅刹から与えられている主な役目だ。もっと簡単に言えば、GOサインが出たら殺すだけ。

 もともと、殺すことができればそれでいいと言ったつもりだが、まさか本当に殺すだけの役目を持たされるとは思ってもいなかった。もっとも、羅刹としても俺に頭の痛くなるような事務処理関連の仕事をやらせるつもりは毛頭なかったらしい。

 そんなわけで、俺は命令が出されるまでは特にやることもなく、のんびりと座敷で過ごすという悠々自適な生活を送っている。

 まあ、羅刹が俺に殺せと命じるのは、それなりに強い、殺しがいがある連中ばかりなので、退屈はしない。好き勝手暴れることはできなくなってしまったが、それでも衣食住完備の、今まででは考えられないような恵まれた生活をさせてもらっているわけだし、この生活に文句はない。

 ただ、唯一いただけないのは、俺の教育係があのチビであるということだ。羅刹は俺の性格を知ってか、基本的に俺を一人で行動させない。俺が他の構成員をついうっかり殺しちゃうことを恐れてとのことなのだろう。そういう考えなのは分かるが、それでも本当にアイツだけは駄目だ、俺の全細胞がアイツを拒否している。

 数弥は根本的に俺と性格が合わなかった。

 彼がかなり仕事ができる、配下の中でも優秀な奴であることは百歩、いや千歩くらい譲って認めよう。だが、真面目過ぎて融通が利かないし、神経質でいちいち小言がうるさく、時間にも厳しい。奔放に生きたい俺とはまるで正反対すぎて、いっそ同じ空間にいるだけでアレルギー反応を起こしそうだ。

 だから俺は、こういう暇な時はできるだけ一人の時間を堪能するために、数弥から逃げるようにしている。

 ちょうど今も、「訓練しろ」だのとガミガミと口うるさい数弥の追手をまき、ぶらぶらと屋敷内をうろついていたところである。


「よお新入り君。元気にやってるかい?」


 背後から突然、声をかけてくる者がいた。

 殺意を感じなかったせいで、全く気が付かず、すっかりふいをつかれてしまった。


「あんた、確か英彦山組の烏天狗だっけか・・・?」

「お、覚えててくれてのか?うれしい限りだね。あんたいかにも他人には興味ありませんって感じの奴だから、てっきり俺のこと忘れてるかと思ってたぜ。」


 英彦山組の組長・烏天狗の豊前坊である。豊前坊というのは、人につけられた名前であり、本当の名前は楽丸というらしい。しかし、どういうわけか本人はその名前があまり好きではないらしく、豊前坊と他の構成員たちも呼んでいる。

 俺が彼のことを覚えていたのは、正直偶然だ。

 英彦山組を含め、南の四大妖怪勢力に友好的な組の名前はすべて覚えておけと数弥に組長の顔写真つきでみっちり叩き込まれたからである。


「もしや、数弥から逃げてきたのかい?」

「大正解。」


 豊前坊は声をあげて笑った。さらにはお腹をかかえながら俺の背中をバシバシと叩いてくる。

 こうしていると、とても一介の構成員と一つの組を率いている長の会話とはとても思えない。

 英彦山組は九州を古くから守護してきた天狗衆たちの勢力だ。豊前坊はそんな組の頂点に立つ大物であるわけなのだが・・・どういうわけかその大物らしさは一ミリも感じない。それどころか、本人には悪いがむしろ小間使いなんじゃないかと疑ってしまうような小物感さえ感じてしまう。それくらい気安いのだ。今も俺がため口で話しかけているが、彼は怒るどころか、むしろ「敬語なんか使うなってー、堅苦しいだろ」と言うようなひとだ。俺は彼のこういうところは割と嫌いではない。むしろ、好きなタイプの性格をしている。

 豊前坊は自称・羅刹のマブダチであるらしく、よくこの屋敷に出入りしている。今日もまた、別に用事とかあるわけでもなく、ただ何かのついでに立ち寄ったのだろう。

 

「ぶっちゃけ、数弥のことどう思ってるよ?」


 豊前坊は俺の肩に腕を回すと、ひそひそと話しかけてくる。


「チビでいけすかねえガキだ。」


 俺は正直に答えた。ここでわざわざ作り笑いをして嘘を吐くことすらムカつくからだ。

 豊前坊はくっくっと喉を鳴らして笑う。予想通りだと言いたげだ。


「だろうなあ。あいつ、普段は綺麗に猫かぶってるけど、根は神経質で口が悪いし、怒りっぽいからな。」


 とくに神経質で怒りっぽいというのはよくよく知っている。

 つい先日も、会議に遅れたのなんのでガミガミと叱られたばっかである。一体どこのお局様だ。


「けどよ、別に味方をするわけじゃあねえが、ちょっとはあいつのことを見直してやってほしいもんだね。あいつ、たぶんここじゃあ羅刹の次くらいに強いんだぜ。」


 俺は思わず「はあ?」と言い返してしまった。

 あのアホみたいに強い羅刹の次くらいに?

 あの餓鬼みたいな見た目の奴が?


「いやいやいや、それは買いかぶりすぎだろ。」

「そうでもないぜ?」


 豊前坊は頭の後ろで腕を組み、柱に寄りかかる。


「数弥がなんていう妖怪か知ってるか?」

「算盤小僧だっけか?」


 算盤小僧―――算盤をはじく妖怪、ただそれだけの存在として人間の間では伝わっている。

 正直これを知ったときには驚いたと同時に、屈辱を覚えた。算盤をはじくことしか取り柄のない妖怪に、自分はあのときしめられたのかと。自分が信じられない気持ちになった。


「もともとアイツは夜叉―――酒呑童子様の配下だったんだ。けど、俺も詳しくは知らんが何の縁かで羅刹に助けられたことがあったんだと。以来、羅刹に付き従って幹部の座にのし上がったんだ。」


 よくあるお涙頂戴の主従関係である。

 俺は適当に相槌をうつ。

 さも興味なさそうに豊前の目には映ったことだろう。しかし、豊前坊は話しをやめなかった。


「もともと算盤小僧はそんなに強くない妖怪だ。けど、数弥は羅刹のために強くなろうとした。自分よりもはるかに強い妖怪相手に稽古をつけてくれるよう挑んだり、日も登っていないような早朝から修行したり、とにかく血反吐吐くような努力をしたんだ。俺の知る限り、あいつほどの努力家は見たことねえ。それに、あの見上げた忠誠心だ。たぶん、あいつにとっての優先順位は一に羅刹、二に羅刹、三に羅刹で、たぶん十くらいに睡眠と食事がくるんじゃないか?」

「ある意味狂ってんのな。」

「そうだよ。」


 軽口をたたいたつもりなのだが、あっさりと豊前坊は肯定した。

 拍子抜けして、思わず俺は豊前坊を見あげる。豊前坊は、まるで冗談など一度も口にしていないという真剣な面持ちをしていた。


「数弥は羅刹に絶対的な忠誠を誓ってる。たぶん、羅刹が腹を切れっつったらアイツは躊躇なく自分の腹を切る。そんぐらいにはちゃんと狂ってる。けどな、狂ったやつってーのは、強いのさ。」


 ふっと、豊前坊は不敵に笑った。

 その意図がわからず、俺はいぶかし気な目で見つめる。


「南の地は変動が激しい。他の地みたいに安定した古参の組が少なくて、新興勢力が多いせいだろうな。今日盃を交わした奴は、明日には刀を交わしているかもしれねえ・・・そういうとこだ。」


 その空気は蓮司もすでに感じていた。

 南の地を一言で言い表せば、殺伐としている。

 吉備国にいたときのような、人間から追われる同士という連帯感のようなものの上で成り立っていた仲間意識が、この地にはない。


「羅刹の配下の奴らだって、いつ羅刹のことを見限るかわからねえからな。まあ、彼奴の力を知ってる奴は滅多にそんな気起こさねえが・・・とにかく、誰も信用ができないっつー状況で、精神をまともに保っていられるヤツはほとんどいない。」


 「でもな」豊前坊は言葉を切る。

 

「数弥は違う。彼奴が信じているのは羅刹ただ一人。だから、羅刹の敵だと判断すれば、たとえ百年来の友だとしても、アイツは容赦なくソイツを殺す。こりゃ俺の勝手な想像だが、お前がかろうじて数弥に殺されてねえのは、たぶん羅刹が拾ってきたっていうその一点にすぎないからだろうな。」


 ぞっと、寒気がした。

 今まで数弥と共に行動していたが、それは監視だけではなかったのか。

 ―――いつでもお前を殺すことはできるんだぞ。

 そういう警告でもあったのだ。

 羅刹という男のことを、そして彼の配下たちのことを、自分は少し舐めていたかもしれない。


「まあ、何が言いたいかといえばな、あんまり数弥を怒らせるなよ。いつか死んじまうぞ。」

「・・・っは、おもしれえ。」


 俺はこの時はじめて、羅刹以外の者に興味を抱いた。




◇◆◇




「どうだ、蓮司は。」

「狂っています。」

 

 羅刹に問われ、数弥は即答した。

 数弥が思うに、あの男は脳の機能が先天的にどこか欠けているか、もしくは感情というものの何かがぶっ壊れている。

 妖怪の世界は実力主義。ゆえに、戦うことを好む者は確かにいる。

 しかし、蓮司ほどの戦闘狂は見たことない。 相手を殺すことを楽しみ、あまつさえ自らが死の淵に立つことを、まるで遊園地に来た子供のように楽しむ。とんでもない狂人だ。

 狂人であることは三千歩くらい譲ってまだ許せるがしかし、羅刹に対する数々の不敬だけでなく、怠惰極まりない蓮司の性格が気にくわなかった。

 時間を守らない、字が汚い、朝の訓練はサボるし、敬語は使ったためしがない。報告・連絡・相談の基本のキの字も知らないのではないだろうか。

 だがしかし、教育係と指名されたからには、あの狂人にいろいろと教え込まないといけない。自分のイラつく気持ちを押しとどめ、数弥は蓮司に仕事内容を教え込もうとした・・・のだが、最近は蓮司が数弥に叱られる前に逃げるので、まずは蓮司を捕まえなければならない。

 今日も今日とて、羅刹が数弥に話しかけてきたとき、彼は蓮司との鬼ごっこ中なのであった。 


「そうか。」

「それだけですか!!?」


 思わず数弥は敬愛する主に向かって声を荒げてしまう。

 慌てて数弥は無礼を詫びる。

 しかし、羅刹はとくに気にした様子もない。 


「お前は、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかと思ってな。」


 ポンと数弥の肩を軽くたたき、羅刹は執務室の方へ行ってしまった。 

 本当に、相変わらず考えが読めない方である。

 

 数弥はかつて、酒吞童子・夜叉の配下のひとりであった。

 配下といっても、雑務処理や家事を行うだけ。戦闘要員ではない。要するにただの雑用係である。

 なぜなら、数弥は“算盤小僧”だったから。

 算盤をはじく、ただそれだけの妖怪。自分には強い腕力も、素早い剣術も、たぐいまれな妖力系統も持っていない。ただ、正確に計算ができるというだけの能しかなかった。

 どれほど“三鬼人”を羨んだことか。

 実力主義の世界で、力がないことは底辺を意味する。

 しかしながら、酒呑童子は力のないものでも、自らを慕うものには居場所を与えてくれた。数弥もその一人である。

 戦闘には出向くことはできなくとも、やることは現代化のおかげでたくさんあった。

 “組”が存続するためには、力の誇示以外に盤石な経済力が必要だ。そのためには人間の真似事だってする。ちょっとした町のなんかが、ビジネスである。こうしたビジネスの裏方の仕事が、非戦闘員たちに回ってくるのである。

 数弥は主に経理のような仕事をしていた。うってつけの仕事である。

 しかし、こういう仕事こそ他の者と衝突を起こすものだ。

 そのときはまさにそうだった。書類上の計算と実際のお金の動きが合わなくて、戦闘員たちと言い争いを起こしたときがあった。口論の内容が現実問題から目をそらし、非戦闘員を見下す暴言に変わるのは必然だった。数弥は何も言い返すことができなかった。無力であることは、ゆるぎない真実であるから。

 しかし、そんな自分のことを、羅刹はかばってくれた。


「コイツがいるから俺たちが暴れられるんだぞ。脳筋がぐちぐち文句を言うな。」


 たったそれだけ。

 けど、数弥にとってはその一言が、どれほどの救いだったか。

 それから、数弥は夜叉に土下座し、彼との主従関係を解消してもらった。一介の非戦闘員が抜けるくらい、多くの配下を持つ夜叉からすれば大した問題でもない。しかし、けじめはつけるべきだと考えたのである。

 それから、数弥は羅刹に付き従った。

 その時の羅刹はまだ夜叉の庇護下にあり、三大妖怪の息子という立場で配下を一人も持っていなかった。本人も配下を持つ気などなさそうだったが、数弥は羅刹の配下を自ら名乗った。周りからは白い目で見られたが、羅刹は否定も拒否もしなかった。きっと、暗黙に認めてくれていたのだろう。その証拠に、羅刹が南の四大妖怪に就任が決まったときに、「お前も来るんだろ?」と言ってくれた。その時、どれほど狂喜したことか。

 

 数弥は羅刹の役に立つために、強くなろうとした。

 腕っぷしではかなわないから、相手の力を利用する武道を学んだ。修行に励み、妖力を鍛えた。

 羅刹の仕事を少しでも減らせるよう、雑務処理を全て自分が担えるように演算能力と処理能力をあげた。

 すべては、敬愛する羅刹のために。


 なのに。

 なんなんだあのちゃらんぽらんは。

 なぜ羅刹があれを拾ってきたのか理由は分からないが、数弥は気にくわなかった。

 生まれながらに不平等なこの世において、奴の持つ力を羨むことなどするのは見当違いということは分かってはいる。それでも、受け入れがたい気持ちは変わらない。あの頭のイカれた奴を、自分は認めるわけにはいかなかったのだ。 


 数弥は眼鏡をかけなおし、また蓮司を探しに戻るのだった。




◇◆◇




 俺が羅刹の配下に入ってから、かなりの年月が経った。

 俺はすっかり構成員たちと馴染み、今じゃ幹部扱いである。

 いやあ時間というのは経つのが早い。俺にしたら数年くらいの感覚だが、人間の世界では、空にでかい金属の塊が飛び交い、道には馬ではなく車というものが走り回る時代である。

 そして、時代が変われば周囲にも変化は起こる。

 ちょうど、南の四大妖怪の勢力の間では大事件が起きていた。


 羅刹が人間の女を連れ帰ったのである。

 それも、嫁にするらしい。 


「お前は反対なんだっけか?」


 仕事の合間にその話をふると、あからさまに数弥は嫌そうな顔をした。


「反対なのではない。不安なだけだ。秋穂様は羅刹様がお選びになった方だ。それに反対するなど、言語道断だ。」


 そこで、数弥は少し顔を曇らせて「しかし・・・」と言葉をつなげる。


「お体が弱いというところがどうもな・・・お前も知っているだろうが、南の四大妖怪は配下内部ですら油断ならない。あまりこのような言い方はしたくないのだが、羅刹様の妻ともなる方ともなれば、利用価値は相当高いし、羅刹様の弱みともなる。」

「つまり、腕っぷしがないと瞬殺されると。」

「不敬だぞ!」


 しかし、俺をしかるいつものような覇気が、その時の数弥にはなかった。それは、数弥自身、少なからずとも俺が考えていることと同じようなことを考えたということだ。

 数弥は盲目的に羅刹のことを信奉しているわけではない。確かに彼は羅刹の命令とあらば必ず是と答えるであろうが、万が一羅刹が道を誤ろうとしたときには、それを否と言って引き留めることもする。だからこそ、羅刹の数弥に対する信頼が厚いのもうなづけるのだ。

 しかし、そんな数弥が珍しく今回は悩んでいる。その気持ちはわからなくもないが、正直俺はどうでもいいというのが率直な感想である。


「俺は驚いたっちゃ驚いたけどさー、そもそも興味がないかなー。ていうか、羅刹サマに恋愛感情があったことに俺は驚いてるし、あの堅物が恋愛感情を抱くこと自体が、そもそも奇跡なんじゃないかね。」


 「お前もそれはよく分かってんだろ。」俺がそういうと、数弥は「ぬう」とうなる。

 散々な言い方であるが、それ以前から、羅刹は本当に色恋に関する興味がゼロだった。

 別に羅刹の顔が悪いわけではない。むしろ色男よりの美男子なのであるが、普段から日本全土が沈没してしまったかのような仏頂面をしているので、あまり女が好んで寄りつかないのである。かといって、その立場から縁談が全くないわけではなかった。羅刹がまだ本州にいたころは、彼の父である酒呑童子の配下が自分の娘をぜひと縁談を持ち込んだことが多々あったのだが、羅刹自身がまるで興味ゼロであり、さらに娘自身も羅刹に怯えてまともに会話すらできないという事態だったのである。俺はそのあたりの話を詳しくは知らないが、数弥が遠い目をして語るので、それはそれは

大変だったのであろう。

 そんな難攻不落の堅物を、秋穂という人間の女はあっさりと開城させてしまったのだから、たまげたものだ。むしろ俺としては、羅刹がベタぼれならそれでいいんじゃないかと思っていたりする。


「俺らが頭こねくりまわしたところで別に羅刹様 サマが考え直すとかねえんだろ?なら、ほっとけよ。」

「ほっとくわけにはいかねえだろ。」


 俺のようなちゃらんぽらんではない、真面目な数弥はどうしても主の先々を案じなければ気が済まないようである。

 主とはいえ、他人である。そんな他人にたいして自分以上に悩むなど、呆れるほどの忠実な部下である。


「あら、数弥さんと蓮司さんではありませんか?」


 その時だった。

 廊下の向こうから、俺らに声をかける人がいた。


「秋穂様。」


 この国のひとでは珍しい、金色こんじきの髪と瞳の女性。優し気な面立ちであるが、どことなく幸薄そうな、線の細い美人であった。しかし、強い色を宿した瞳は、底知れぬ精神の強さをうかがわせ、路傍でしたたかに育った花を思わせる。

 この人が、修羅童子が寵愛した人間の女・大江山秋穂。

 

「いけませぬ、お体に障ります。このような雑務は我々がやりますから、どうか寝室で休んでいてください。」


 秋穂の手には箒が握られている。どうやら廊下の掃き掃除をしていたらしく、それを察した数弥が慌てて彼女の手から箒を取ろうとした。 

 しかし、秋穂はそれを丁重に断る。


「いいえ、私があえてやろうとしているんです。」

「ですが・・・」

「私だって、羅刹様のお役に立ちたいのです。人間の上に、他よりもさらに弱い私ができることといえば、これくらいですから。それに、こうして仕事をしていると、配下の皆さんとお話する機会も増えるので楽しいんです。」


 きっぱりと秋穂は数弥にそういって、またすたすたと廊下の向こうへ行ってしまった。


「おお・・・なんかすげえ人だな。」

「蘭様とはまた違う意味で、手ごわい方だ。」


 数弥に二の句を告げさせないとは、なかなか芯が強いお方らしい。見た目にひとはよらないとはよくいったものである。

 以前の河童抗争事件でも秋穂が構成員たちに対して一喝したという話は聞いていたが、なかなか骨のある女ではないか。顔は怖いが口下手な羅刹には、これぐらい物をはっきりと言ってくれる人は、もしかしたらちょうどいいのかもしれない。

 

「案外、うまくいかもしれないぜ?」

「そうだといいな。」


 とはいえ、俺は別に彼女を助けようとは思わない。

 自分で自分の立場を築く。それぐらいの気概がなけりゃ、数弥の言う通り、ここでやっていくのは不可能だ。

 まあ、奥方様のお手並み拝見ということである。



○●○


 

 まあ、そんな冗談はさておき。

 本当に本当の大事件ももちろん起きていた。


「「抗争の鎮静化に失敗した!?」」

「任せた奴らで十分だと思っていたんだがな。俺の采配ミスだ。」


 羅刹の話によると、どうやら事の発端は河童たちの縄張り争いであったらしい。

 南の地にはもともと河童が多く、各地域で小規模な共同体を形成していた。それが、川の汚染などで住処を追われ、暮らせる環境を取り合う、大きな抗争に発展してしまったのである。

 理由が理由なので、直接四大妖怪が介入して無理やり力でねじ伏せるよりも、できれば交渉による解決が望ましかった。そのため、何名か向かわせたのだが、無力なことに血で血を洗う争いに発展してしまったのである。

 河童は普段は穏やかで気さくな妖怪であるが、ひとたび怒らせれば非常に狂暴な本性を現す。

 さらに彼らは主に集団で動く。ひとりではたいして脅威にならないが、集団同士のぶつかりあいになれば、巨大な戦禍を生み出す。


「現場は相当荒れているらしい。」

「てことは現在進行形というわけか。」

 

 羅刹の表情はいつも以上硬かった。


「最初に向かった連中は無事だったのですか?」

「生きて帰ってきた。だが、そのあと責任を感じて特攻しようとしたんで、秋穂が怒鳴りつけてめさせたがな。」

「ひゅう、奥さんやるなあ。」

「黙れ。」


 そんなこんなで、俺たちにお鉢が回ってきたということである。

 

「頼みたいことは二つ。河童共の抗争を止めること。そして、九千坊とコンタクトをとってくることだ。」

「それは、実力行使でいいってことか?」

「手段は問わん。」

 

 これはつまり、OKサインということだ。

 数弥は深いため息をつき、一方で俺は喜々として「「御意」」と答えた。



○●○



「で?どうすんの?」


 俺と数弥は住宅街の上から戦場を見下ろす。

 雄大な筑後川の河川敷では河童たちの壮絶な抗争繰り広げられていた。

 これは確かに、交渉の余地はなさそうである。話し合おうとして手を指し伸ばしたら、その手を切り落とされるのがオチである。

 よくぞ前任の者たちは生きて帰ってこれたものだ。


「河童共を黙らせて、九千坊を知っている奴を探してきて九千坊と会う。」

「OK。河童共をボコしていっちゃん強い河童を確保だな。」


 とりあえず、いつものように邪魔者は殺せばいいわけだ。

 俺は愛用の戦斧を回しながら、河川敷へと降り立つ。

 数弥もそれに続く。

 彼は、巨大な風呂敷を背負っていた。小柄な彼の体格に合わない、何か分厚い板のようなものである。はたしてあれは武器なのだろうか。それにしては随分と使い勝手が悪そうなものだ。

 そういえば、俺は数弥が戦っているところを見たことがない。

 俺と組んで仕事に向かわされるが、基本処理するのは俺一人で事足りる。というか、俺が先にみんなってしまうからだ。そのせいか、数弥は現場監督のようなことしかしていない。普段だって、彼は主に机で何か難しそうな書類の山を片しているのがほとんどだ。

 豊前坊は羅刹の次くらいに数弥が強いとか言っていたが、本当なのだろうか。

 案外、気を遣ってそんなお世辞を言っていたりとか。


 だが、俺のそんな考えは一蹴された。


「雑魚は散れ。」


 数弥が背負っていたものは、巨大な算盤だった。

 それを器用に鈍器として振り回し、河童共を蹴散らしている。

 なんつーもんを使うんだ。

 一見使いにくそうだが、算盤の弾によって攻撃を受け流したりするところを見るに、どうやら一応利便性はあるようだ。

 にしても、数弥の動きには少し違和感があった。なんというか、戦っている奴の動きじゃない。決まりきったような動きだった。まるで、線を指でなぞるみたいに。

 とにかく、数弥が瞬殺されるやもしれぬという俺の考えは杞憂に終わった。

 おっと、数弥に気を取られていたら俺がやられてしまう。

 俺は戦斧をふるい、片っ端から河童たちを切り裂いていった。

 誰が悪いも糞もない。

 そもそも、こんなくだらない領地争いに身を砕くこと自体ばかばかしいのではなかろうか。だから、そういう奴らを俺がばっさばっさと切っても問題ないわけだ。むしろ抗争を止めようとしているのだし、悪いことをは一つもない。

 逃げる奴は逃げ、立ち向かってくる奴は立ち向かってくる。

 俺は向かってくる奴を殺すだけだ。


「何者だ!」

「どーもども、とりま死んでくれる?」

 

 俺は妖力を通して触れたものを腐らせ、浸蝕することができる。

 だから、俺の妖力に触れたものはその時点で終わりだ。致命傷でなくとも、傷を腐らせ、死へと至らせる。

 あたりには腐敗臭が立ち込める。俺はこの死の匂いが嫌いではない。

 死の匂いを纏いながら、俺は死体を水中から蹴り上げる。物言わぬ物体となった死体はうめき声ひとつもあけず、ただばしゃりと水しぶきをあげる。

 その音は決して大きいものではなかった。

 それでも、その音をきっかけにあたりの空気が変わった。

 俺に対する視線が、闖入者ちんにゅうしゃから領地を侵す破壊者に対するものに変わったのだ。

 河童たちの敵意が俺に集中した。

 いや、俺だけではない。

 その視線は数弥にも向けられている。


「お前ら、何者だ。」


 誰ともなく問いかけた。

 無論、その質問の矛先は俺らに向けてである。


「南の四大妖怪、大江山羅刹が配下。算盤小僧・数弥だ。」

「同じく、温羅童子の蓮司でーす。」


 南の四大妖怪。その言葉に河童たちは反応した。 

 そして、ひそひそと何やら互いにささやきあう。何を話しているのかは聞こえない。

 俺と数弥は目くばせしあう。


「お前たちに聞きたいことがある。」


 数弥は声を張り上げた。


「九千坊を知っているか。」


 さらに空気がとがる。

 針のむしろにいるような感じだ。

 だが、俺も数弥も涼しい顔でそれを受け止める。

 そんなの、羅刹を前にしたときに比べたらかわいいもんだ。


「俺が九千坊だ。」


 河童たちの群れを割り、その声の主は現れた。

 

 緑色の皮膚。

 濁った黄色い目が、俺たちのことを睨みつける。

 羅刹が名指しするだけはある。九千坊という河童は、見るからに強者の気配を纏っていた。先ほどまでこんな明らかにヤバそうな奴いなかったはずなのに。

 どうやらこの河童は、うまいこと争いから遠ざかり、傍観を決め込んでいたようである。それを引っ張りだそうというのだから、羅刹もなかなか大胆なことをする。


「羅刹様がお前に会いたいそうだ。」

「断る、と言えば?」

「力づくで連れていくまでだな。」


 九千坊が構える。

 ぼこりと音をたてて、川の水がうごめく。そして、水の弾が空中に浮かびあがった。

 九千坊が腕を振り下ろす。

 その瞬間、背後でパンと何かがはじける音がした。

 後ろを振り返ると、不法投棄されたと思われるドラム缶の残骸が転がっていた。無論、自然と破裂したわけではない。

 今のでなんとなく分かった。


「次はあてる。」


 河童たちがざわめき、蜘蛛の子のように一目散に散っていく。


「かず」

「動くな。」


 今度は俺の左側で石がはじけた。

 これは一歩でも動いたらお腹に穴が開くやつである。

 さて、どうしたものか。



「お前はそこに立ってろ。あとは俺がやる。」



 しかし、数弥にその水弾は当たらなかった。どういうわけか、数弥のすぐ真横をかすめていっただけだった。

 九千坊は明らかに数弥のことを撃とうとしていた。わざと外したとしか思えない。


「なぜ当たらない。」


 九千坊は水弾を次々と数弥めがけて飛ばす。

 しかし、数弥はただまっすぐに九千坊の下へ歩いて行った。

 避けもせず、防ぐこともせず。

 ただ歩いていただけだった。

 まるで、弾が自分にあたることはとでもいうように。


「攻撃したところで無駄だぞ。」

「お前の妖術か。」

「俺は“確率”を操ることができる。“俺が撃たれない”という可能性がある限り、俺はその可能性を選択し続ける。だから、お前の射撃の腕がいくら良かろうと外す確率が0じゃない限り、俺は死なない。」


 ―――確率の操作だって?

 つまり、数弥は自分に弾が当たらないという可能性を選択し、100%にその確率を上昇させたのだ。

 もし数弥の言っていることをうのみにすれば、彼はたとえその可能性が1%だとしても、0%でない限り、数弥はそれを選択することはできるのである。

 ・・・これ、数弥無敵じゃね?

 だってつまり、俺がいくらアイツのことを殺そうとしても俺が数弥に負けるっていうことが0%じゃない限り、数弥は俺に勝てるってことだよね?

 反則すぎない?

 

「・・・はは、とんだ奴をよこしてきやがったな。あの鬼め。」

 

 九千坊は、俺と同じ結論に至ったらしい。

 宙を仰ぎ、呵呵大笑かかたいしょうする。


「俺たちは決してあなた方と対立しにきたわけじゃない。どうかご協力を。」

「いいだろう。お前に免じてついてってやる。」


 その後、すぐに羅刹と九千坊の交渉の場は設けられた。

 内容はいたってシンプルだ。

 ひっくるめると、今後九千坊の下に筑後一帯の河童たちの統率権を与えられ、筑後組という新たな組が設けられることとなったのだ。

 いきなり組の長なんかをもうけて勝手に河童たちの統べる者を決めて大丈夫なのかと思ったが、そこは妖怪である。南の四大妖怪の名に逆らう者はまずいなかった。

 それにもともと、九千坊は関東でそれなりに名のある河童であったのだという。のしかし、勢力争いに敗北し、南の地へと隠居していた。それでも九千坊が強者であることに変わりなく、この地において彼を慕う妖怪は多い。九千坊本人も仁義を重んじる義理堅い性格であり、先の河童たちの抗争でも、最後まで動かなかったのは無謀な争いを避けるためだったようである。

 こうした彼の性格を鑑みて、羅刹が隠居爺の腰を持ち上げたということだ。

 めでたしめでたし。

 俺も大仕事からようやく解放されました。

 ・・・・・と、いきたいところだが、派手な大立ち回りの後には面倒くさい書類報告義務が待ち受けている。

 そんなわけで、俺と数弥は後処理のために筑後川を再び訪れていた。

 後処理といっても、主にその後の河童たちの動向調査である。多くの河童たちは九千坊に従ったが、それでも反対派が出ないわけではない。反対派を地道に潰し、争いの火種をなくしていくことまでをしなくてはならないのだ。

 とはいえ、俺は基本戦闘要員なので、この手の面倒な仕事はすべて数弥に任せている。俺はぶらぶらと後ろからついていくだけである。


「何してんの?」 


 その日は筑後川を訪れていた。

 数弥は川の傍にしゃがみこみ、目を閉じ、手を合わせていた。


「少し静かにしてろ。」


 いつものガミガミとした怒鳴り方ではない。真剣な声だった。

 俺は思わず押し黙った。

 それから数秒で、数弥は顔をあげた。


「墓参りってやつか?」


 ここでは多くの河童たちが死んだ。

 数弥は彼らに対し、黙祷をささげていたのだろうか。

 だが、俺にはその意味が理解できなかった。


「死んだらもう何もねえじゃん。」


 “死”は“生”終わりを意味する。

 その先を考える、願うということは、ただの現実逃避であり、ただの夢想である。

 天国も地獄も存在しない。

 死後の世界なんてものは空想の世界の産物にすぎず、“死”にそんな多くの意味を持たせることはナンセンスだと、元“死を告げる”精霊の俺は思っている。

 まあ、合理的な数弥が死後の世界なんかを考えていたら、それはそれで面白いのだが。


「俺は別に死者の冥福なんかを祈ってるわけじゃない。」


 数弥は立ち上がり、振り返る。


「ここで戦い、散っていった連中に敬意を示していたんだ。」

「敬意?」


 普段ならば仕事関係か説教以外、俺らは会話をしない。

 なのに、この時は珍しく俺は数弥と長話をした。


「力ですべてか決まる世界はシンプルだが、理不尽だ。勝った方が正しくて、負けた方が間違っている。それに対して俺は別に『おかしい』とかいうつもりはない。けどな、忘れちゃいけねえのは俺たちが、ただ勝った方にすぎねえってことだ。だから、絶対にこいつらを殺したことが正しいってことにならない。」

「俺らがやってることが、実は間違ってるとかか?」

「たとえの話だ。俺は別に間違っているとは思わない。現に、羅刹様が南の四大妖怪になられてから、海外妖怪の不法入国や海外妖怪と日本妖怪の衝突も減ってきているからな。むしろ間違っていると言い出す奴は俺が殺す。けど、そういうことを忘れないようにするために、俺は死んだヤツが信じてやってきたことに対しては、それなりの敬意を払うことにしてるんだよ。」


 理屈っぽくて難しい話だ。


「ふうん、めんどくさいヤツ。」

 

 俺は興味なさそうに適当に返事した。

 

「勝手に言ってろ。それよりも、さっさと帰るぞ。」


 数弥の言っていた内容は、やはり俺には理解できない。

 それでも、俺はちょっとだけ、本当に少しだけ、その日数弥のことを見直した。



○●○



 河童騒動後から、南の地は随分と穏やかになった。

 しかし、羅刹の近辺は相変わらず忙しい日々である。

 俺は仕事を数弥に押し付けてなんとか暇な時間を確保しているが、それでもやっぱりちょっと面倒な仕事は俺らに回ってくる。


「カズくーん、やっぱ断ろうやー。ぜったいあれ俺らが出張らんくてよか案件だって。別にお守り役くらい他ん奴でようね??」

「だっからその呼び方をやめろと言ってるだろ!それに、羅刹様直々の指名だぞ。断れるはずもない。」


 俺は数弥に捕まり、ずるずると引きずられながら新たな仕事に向かわされていた。

 なんとめでたいことに、羅刹と秋穂の間に息子が誕生したのである。

 鬼と人間のハーフなんて聞いたことがないが、元気にすくすくと成長し、ちょうど今年でもう一歳を迎えようとしていた。

 羅刹はすっかり我が愛息子に夢中なのだが、忙しい職務に追われているせいでろくに奥さんにも息子にも会えない日々を送っている。

 それではダメだということで、息子の教育係―――すなわち遊び相手に俺らが選ばれたということだ。

 ・・・・・まさか教育係を俺がやることになるとは、なかなか世の中何があるかわからないものである。


「というか、お前はいつの間にお前は博多弁になったんだ?」

「この間の飲みの席の罰ゲームで一日博多弁ん刑にされた。ばってん、なんか妙になじんでしもうて、そんまんまなんやっちゃんね。変?」

「イカれた奴っぽさが減ってチャラさが増えた。」

「えー、どっちにしろマイナスん印象ばい。」

「安心しろ。お前の印象が良いほうに転じることは一生ない。」

「そげんこといいなしゃんなぁ、カズ君のいじわるー。」

「黙れ。まずはその呼び方やめろ。喉に算盤詰めるぞ。」

「よかろうもん。こっちん方が親しみやすかて思うばってんなあ。」

「親しみやすさなんかいらん。」

「じゃあ俺が勝手にそう呼ぼーっと。」


 俺はけだるげに床から体を起こし、数弥の肩にのしかかりながら、羅刹の下へと出向く。

 相変わらず身長の低い数弥と目線を合わせようとすると、俺は随分腰を落とさなくてはならない。

 

「息子君、なんて名前だっけ?」

「愁様だ。」


 この時の俺は知る由もなかっただろう。

 彼を中心に、南の地は、決して消えることのない大きな過去を背負うことになることを。





 閑話 鬼ヶ島の鬼 

 終































作者のあとがきのようなもの

気の向いたかただけどうぞ。


今回取り上げたのは、温羅童子こと蓮司と算盤小僧の数弥。

裏話なのですが、実は蓮司が一番作者が苦戦したキャラです。正直、彼は性格も何の妖怪にするかも、九州旅行編を書きだす直前まで決まっていませんでした。

蓮司の元ネタは、温羅童子というかつて吉備国で吉備津彦によって退治された“鬼”です。彼をあえて鬼ではなく、デュラハンというとんでも設定にしたのは、温羅童子が海外からやってきた説を作者が取り上げようとしたからです。だってそっちの方が、面白そうだから(なんて適当な理由・・・!)。そこに、ふと、そういえば、この作品、妖怪を扱っておきながら、“死”と“生”についてあんまり語ってこなかったなあと感じ、彼に語ってもらうことにしたのです。彼は本作品においては「妖怪」ではなく「人外」という扱いです。そのため、なんといいますか、外側に立って「妖怪」を見れる存在となっています。(させようとしました。)

そんな蓮司をもっと本編内に出したかったのですが、ストーリー進行上難しかったため、閑話という形で登場し、ついでに数弥にも活躍していただきました。


閑話ですが、作者自身も結構楽しんで書いていたので、もし評価がよければまた挑戦しようかと思います。


最期に、初めて挑戦した閑話ですが、まさかここまで長くなるとは思わずびっくりしてしまいました。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

ストーリー自体はまだまだ続きますので、今後とも楽しんで読んでくだされば幸いです。



 


 



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