閑話 鬼ヶ島の鬼 (前編)

◇◆◇




 草木も寝静まり、月明かりでさえ息をするのを忘れてしまったかのような真夜中。

 夜というのは、特別な時間だ。

 昼間は見えていたはずのものが、闇に飲み込まれ、その姿形を変えてしまう。

 

 それは、本当に幼いころから見慣れた木であったのか?

 それは、本当に自分の家の庭にある、壊れた荷車であったか?

 

 暗闇というのは不思議だ。

 光を失っただけで、見えなくなるだけで、人は自分の思考を疑いだすのだから。

 だから、夜になると人は家に閉じこもる。 


 カチャン・・・ガシャン・・・という、金属同士がぶつかり、こすれる音。

 この音が聞こえると、人々はいっせいに明かりを消す。

 そして、息をひそめるのだ。

 

 ―――さあ、今宵の獲物となるのは一体誰だ、と。




◇◆◇




 ―――デュラハン

 それが、人間たちにとっての俺の名前らしい。一般的には「死を予言する存在」として知られる人外だ。近いうちに死人の出る家の付近に現れ、そして戸口の前にとまり、家の人が戸を開けるとたらいにいっぱいの血を顔に浴びせかける。その姿は首と胴体が離れた、いわゆる首無し騎士の姿であり、その姿を見た者はデュラハンの持つ鞭で目を潰されるという。

 ただ、デュラハンというと普通は女の人外であるらしく、バリバリ男である俺は異端視されていた。また、デュラハンはコシュタ・バワーという首無し馬のひく馬車に乗っているというのだが、俺はひとりだ。

 片手には使い慣れた戦斧を、もう片方の腕には自分の頭を小脇に抱え、夜な夜な人の家を訪れる。


 死期の近い人間を、ほふるために。 


 ただ死期を知らせるだけの、精霊のような存在であるはずのデュラハン。しかし、俺の場合は恐ろしい怪物として村では伝えられていた。

 俺も最初は、普通のデュラハンのように死期を告げるような事をしていた。

 しかし、その行為につまらないと感じていたのだ。


 どうせ死ぬのなら、自分で殺してみようか。


 それが、すべての始まりだった。

 命を刈り取るという行為は、想像以上に楽しいものだった。

 己の身体を赤く染めゆく血といい、恐怖で泣き叫ぶ人の声といい、すべてが心地のよい快感だった。

 殺すという、ただ単純なことは、俺を心から楽しませた。


 共にいた首無し馬は、俺の変貌に怯え、どこかへ行ってしまった。

 馬の手綱を握っていた手には血濡れた戦斧を持ち、死の匂いを嗅ぎつけるたび、それをふるう。

 日に何十人も殺すこともあれば、今日は一人と決めてじっくりといたぶるようなこともした。

 人間というのは、不思議なもので、どんなに殺してもちゃんとある程度のラインを守っていれば勝手に増えてくれる。だから、物足りないことはなかった。

 こうして、俺はひとりの殺戮者としてその村を恐怖に貶めたのだった。




 しかし、俺の楽しい日々は長く続くことはなかった。

 村人の中の誰かの仕業だろうか、何者かが俺のことを退治しにやってきたのである。

 そいつはたしか、「魔女様」と呼ばれていた。

 魔女といえば、大陸で大々的な迫害行為にあったと風の噂で耳にしていたが、その生き残りなのだろうか。何にせよ、そんな忌み嫌うはずの魔女にすがらなければならないほど、俺のことを村人はなんとかしようとしていたらしい。

 俺とその魔女が対面したのは、青白く光を放つ満月の夜のことだった。

 月明かりで明らかとなった魔女は、驚くべきことに少女のいで立ちだった。色という存在を失ってしまったかのような真っ白な長い髪と、曇り硝子をはめ込んだような眼をよく覚えている。御伽噺に出てくるような、三角帽子に箒というふざけた姿ではなかったが、それでも彼女は人と似た姿であるにもかかわらず、十分人外としての存在感を持っていた。

 

「すまないが、君を処理させてもらいに来た。」


 魔女は以外なことに、俺に対して申し訳なさそうな表情をした。 

 その真意はわからなかったが、こっちだって殺されるわけにはいかない。

 この時、俺は恐怖を微塵も感じていなかった。それどころか、もしやこの魔女ならば、俺をもっと楽しませてくれるのではないだろうかという、淡い期待まで抱いていた。

 死闘という、人間が相手では成り立たない命の刈り取り合いを、俺は求めていたのである。


「好きなように生きて、何が悪い。邪魔をするんじゃねえよ。」


 真っ白な少女は、俺を寂しげに見つめる。

 それから、すっと手を俺に向かってかざした。

 俺の記憶に残っている映像は、そこで途切れた。



○●○



 結果から言うと、俺はその魔女に敗北したようだった。

 というのも、俺が斬りかかろうとした瞬間、俺の身体はどこか知らぬ場所に移動させられていたからだ。殺さなかった理由は想像もつかないが、魔女なりの同族に対する温情だったのかもしれない。


 俺がたどり着いたのは、小さな島国だった。

 もともといた俺の国も島国であったが、そことはまったく環境が違っている。俺の故郷は、貧しい畑と寂しい農村風景ばかりであったが、この国は豊かな自然であふれていた。

 その地で、行く当てもない俺はふらふらと放浪していた。そして、人里に降り立ってはまた、衝動に従って好き勝手に暴れた。

 

 ある時だ。

 俺は、ソレに出会った。

 見るからに屈強そうな体。腕を六本もはやし、さらに額には角が生えている。濁った黄色い目玉が、ぎょろりと俺のことを眺めまわす。腰にはじゃらじゃらと、腕の数と同じ本数の刀を引っ提げていた。

 ソレは、人とは明らかに違った。

 見慣れない姿。雰囲気といい、見た目といい、この国の人間とは違う。


 何者だ。


「お前見ない顔だな・・・つうか、首がねえのか。どこの妖怪だ?」


 ソレは俺を見るなり、問うてきた。


 ―――妖怪。

 ここでは人外のことをそう呼ぶのか。


 まあいい。

 コイツを殺そう。

 

 急に斬りかかってきた俺に対し、その妖怪はかなり驚愕したようだが、妙に手慣れた様子だった。まるで、戦うことを当たり前のようにしているようだ。

 その妖怪は思った以上に抵抗した。人間のようにあっさりと殺されないというところは、戦いごたえがあっていいのだが、妙な術を使ってくるのには少々手を焼いた。 

 だが、それでも俺の方が強かった。何しろ、俺は暇さえあれば動物だろうと人だろうと目にするものすべてを殺す戦闘狂である。自分の腕がかなりのものであることは自覚しているつもりだ。


「おい、降参だぁ。俺はお前の配下になる。」


 妖怪の刀をはね飛ばした直後のことであった。

 その妖怪は、言うなり両腕を宙に挙げた。


「降参?」


 俺はぴたりと手を止め、首を傾げた。

 なんだよ、面倒だな。殺させてくれよ。

 そんなことを思いながらも、妖怪が何をしようとしているのか興味が湧いた。うずく腕を制し、俺はその妖怪がしゃべるのを止めなかった。そうしたのは、いつでもこの妖怪を屠ることは可能だと理解していたからでもある。


「これまで俺はこのあたりじゃ負けなしだったんだがな。お前は俺よりもずっと強いらしい。お前の配下になってやるよ。」


 配下?

 そんなものいらねえし。


「俺は鬼だ。悪羅あくら童子って人からは呼ばれる。お前はそうさな、温羅うら童子なんてどうだ。首無しって呼ぶのはさすがにひねりがねえ。」


 しかし、そんな俺の考えなんざおかまいなしに、その妖怪は勝手に話を進めていく。

 けど、デュラハンなんていう古い呼び名をこの国でも使うのはなんとなく嫌だったから、甘んじて俺はその名前を使うことにした。

 

 それから、俺はなぜか妖怪の配下をたくさん持つようになった。

 別に仲間なんかほしくなかったし、まして部下なんかいらないのに、勝手にへこへこと頭を下げてきては、配下に入れてくれと懇願してくるのである。

 どうやら、この国の人外たちにとって、強さがすべてであり、正義も悪も関係ないらしい。強い者の庇護を求めて、弱い者は集う。そして、敗者は勝者に従う。それが妖怪の世界の理のようだった。

 そんな連中を面倒だからと放っておくと、彼らは勝手に俺の配下を名乗った。俺は別に来るものを拒む性格じゃなかったから、放っておいたのだが、そしたらそれなりの勢力になっていたのだから驚きだ。鬼ノ城きのじょうと名付けられた拠点は、吉備国―――俺が流れ着いた国で最も巨大な妖怪勢力となっていたのである。

 俺みたいな戦闘狂が、とんでもない戦力を持ってしまったわけのだから、実力主義の社会というのは末恐ろしいものだ。

 ただ、ある意味でそうした世界は俺に合っていた。好きなように生きていても、強ければ認められる。俺が村を壊滅させても、付き従おうとした妖怪を屠っても、そいつらは俺が強いから何も言わない。なんて楽なんだろうと思った。

 とはいっても、別に俺は何か大きなことを成そうだなんてこれっぽっちも考えて居なかったし、でかい勢力ができても俺自身はなんとも思わなかったわけだが、人間からすれば無視できない事態であったようだ。

 



「人間が攻めてきたぞお!!」


 吉備国の人々は、妖怪の集団がいると都に訴え出たらしい。そしてたくさんの軍が、俺らを討伐するために派遣されてきた。

 その人間どもは、非常に強かった。

 名前は吉備なんちゃらと言ったか。よく覚えていない。

 とにかく彼らは、大義だの正義だのを叫びながら、俺らのことを猛攻撃してきた。俺の配下を名乗る妖怪たちは、必死になって抵抗した。 


 俺は歓喜した。 

 ああ、これだと。

 これを俺は求めていたのだ。


 血沸き、肉躍る、命をかけた戦い。

 互いに血を流し、その命が果てるまで武器を振るう。

 なんてすばらしい。

 楽しくて、楽しくて仕方がない。


 俺は味方も敵も関係なしに暴れた。

 目の前に立った奴を切り捨て、背後に立ったものは蹴り殺した。

 敵の、仲間だったものの血を浴び、飲み干し、戦禍の中でひとり狂い踊る。


 それから一体どれほどの時間が、日が過ぎ去っただろうか。

 ふと、我に返って気が付いたとき。

 拠点は陥落していた。

 周りには誰も残っていなかった。


「もうあんたにはついていけねえよ。」


 誰だろうか。

 そんな言葉を俺にかけた奴がいた。

 本来ならば六本あったであろう腕のうち、三本は戦闘で失われている。

 こんなヤツいただろうか。

 いや、それよりも

 

「それじゃあ殺してもいい?」


 せっかく目の前にいるのだから、殺そう。

 俺はその妖怪を殺した。



○●○



 はたしてあの戦いで、人間が勝ったのか、それとも俺らが勝ったのかはわからない。 

 ただわかることは、俺がもうあの国にはいれなくなったということだ。

 吉備国から俺は追われるように、隠れひそみながら海を渡り、別の国に渡った。

 そして、やはり衝動に駆られたときにはその心のままに何かしらをこの手にかけた。動物も、人も、妖怪も関係ない。ちょうど、自分が殺りたくなったとき、その場にいたモノの命を奪った。

 いったい幾年の月日が流れたのだろうか。

 足行くままにたどり着いたのが、筑前国である。

 ここでもやはり、俺は自分の好きなような生きた。

 

 その日も、俺はやはり戦斧を片手に町を出歩いていた。

 確かその時はちょうど目についた妖怪がいたので、殺そうと追っていた時である。


「何しているんだ。」


 低い声だった。

 普段ならまるで見向きもしないだろう。しかし、その声は妙に重々しく、俺にソイツを無視させなかった。

 足を止め、振り返ると、そこにはひとりの男が立っていた。

 強面、というわけではないが、感情のよみにくい不愛想そうな男である。その額には黒曜石のような角が二本生えており、男が妖怪であることを物語っていた。

 また、その佇まいはやけに目を惹いた。これをカリスマ性というのだろうか、否、むしろ目を離すことを許さぬ、大海のような静かな圧を放っていたというべきか。


「あんた誰?」

「南の四大妖怪、修羅童子の羅刹という。」


 ―――南の四大妖怪。

 その呼び名は聞き覚えがある。

 他の妖怪たちが口にしていたと思うが、確か九州全土、すなわち南の地を支配する大妖怪だったか。そんな大物妖怪とこんなところで会うとは。

 戦ってみたい。そんな思いを俺が抱くのは当然といえば当然だった。

 なにせ、四大妖怪に数えられる妖怪はすなわち、今の日本で最強の一角なのだ。

 一体、どれほど強いのか。


「この地は俺の管轄下だ。勝手な真似をすれば処罰する。」

「はん、じゃまだね。死んじまいなよ。」


 俺は戦斧を構え、その鬼に飛びかかった。


 

 しかし、俺の身体がそれ以上動くことはなかった。


「!?」


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 ようやく動き出した脳みそをフル回転させて、置かれた状況を把握するに、どうやら俺は四肢の関節を打ち砕かれたようである。その証拠に、肩や膝には巨大な鉛玉が撃ち込まれていた。

 いつの間に。俺が飛びかかろうとした、その一瞬で発砲したというのか。

 だが、銃なんて持っていなかったはずである。

 俺は地面に転がったまま、その鬼を仰ぎ見た。

 鬼は、指を三本、俺めがけて狙い撃つように掲げていた。

 人差し指と中指の間には、どこから出したのか、銀色に輝く弾丸が宙に浮かび、放電しながら高速回転をしている。 

 

「・・・・はっ、面白れぇ。どうなってやがる?」


 どういう術を使えば、そんなじゃんけんするみたく片手一本で発砲できるのだろう。

 俺はこの時に覚悟を決めた。

 この鬼には勝てないと。


「いいぜ。さっさと殺せよ。俺はあんたに負けたんだ。」


 多くの者の命を屠ってきた身だ、ロクな死に方しないと思っていたが、最強の鬼に殺されたというのであれば、本望である。

 しかし、どういうわけか鬼はいつまでも俺にとどめを刺さない。


「お前、もとは異国の妖怪か。」 


 それどころか、鬼は唐突にそんなことをきいてきた。

 何を考えて居るのか、生憎仏頂面で全く読めない。ただ、何か思案をしているようではあった。 


「そうだけど。何か?」

「俺の部下になれ。」

「はあ?」


 何を言ってるのだ。

 いや、本当に何を考えて居るのかわからない。

 

「急になんだ。」

「お前、なんで俺と戦おうとした。」

「そりゃあ、強そうだからに決まってるだろ。俺は殺し合いが大好きでね。」


 そうだ。俺は殺し合いが好きなのだ。

 自分が狂ってることなんて百も承知だ。

 怪物、化物、異常者・・・・・いろいろと呼ばれたが、でもそれの何が悪い。

 俺は俺の好きなように生きたいのだ。


「戦って殺し合いができるなら俺はそれでいい。戦いの結果、自分が死ぬのなんて当たり前のことだろ?だからとっとと殺してくんねえかな?見逃されるとか、つまらなすぎる。」


 俺がそういうと、鬼はなぜか考えこむように顎に手をやる。

 いや、何を考えてるのか知らねえけど、さっさと殺してくれねえかな。 


「お前、俺の部下になれ。」

「・・・・・・はあ?」


 今コイツ、なんて言った?

 部下になれ?

 どういう文脈でそんな言葉が出てきたんだ。


「戦闘が好きなんだろう?なら、絶好の場を設けてやる。その代わり、俺の部下になれ。」


 鬼は地面から俺の頭を持ち上げ、そういった。

 深海のように暗い青色をした瞳が、じいっとこちらを見据える。


「・・・断る。」

「なぜだ。」


 鬼は意外そうな顔をした。

 まさか断られるとは思ってもいなかったらしい。


「俺は自分の好きなように暴れたいんでね。誰かの道具にされるのはごめんだ。」

「なるほど。だが、俺はお前を道具として扱うつもりはないぞ。」

「いや、じゃあなんで部下にするんだよ。」

「俺は部下を道具だと思ったことは一度もない。」

 

 なんだろうか。

 話が平行線をたどっているような気がする。

 おそらくだが、このままだと何も事は進まないような気がしてきた。

 いっそ自分で舌を嚙みちぎって死んでしまおうか。

 そんなことを俺が考え出していると、鬼が先に口を開いた。


「俺は、お前を強いと感じた。だから部下として迎え入れたい。それに、ただ死に場所を求めるよりも、ずっと楽しいと思うぞ。」


 ―――死に場所を求める。

 この鬼には、俺が死に場所を求めているように感じたのだろうか。

 正直そんなこと、これっぽっちも考えたこともなかった。 だが、言われてなんとなくだが、わからなくもない。


 俺は殺し合いが好きだ。

 命を懸けた戦いに身を置き、死線を間近に感じるのが好きだ。

 それは、心のどこかで死を求めていたのかもしれない。 

 デュラハンという存在が負った使命は、人の死を告げること。

 だから、他者が死ぬことは分かっても、己の死は分からない。

 そもそも、死というものが存在するのかどうかさえも。

 もしかしたら、俺は死というものに焦がれていたのかもしれない。


「・・・・はっはっは!あんた、面白い奴だな。」


 この鬼とは、たった一戦交えただけだ。

 なのに、この鬼は俺でも知らない俺の底を垣間見た。 

 この時、俺は戦いよりも、この鬼―――羅刹に対し興味を抱いた。

 面白いものは大好きだ。

 そして、それを手放すわけにはいかない。 


「いいぜ、そこまで言われちゃあ部下でもなんでもなってやるよ。」


 そうして、俺―――温羅童子は羅刹の配下になった。





                      

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