父と子


◇◆◇



 秋空の下、海は穏やかに凪いでいる。

 昼間というのもあって、日光がさんさんと降り注ぎ、水面がきらきらと反射しているのだが、その風景に真夏のような活気はない。同じものであるはずなのに、不思議なものである。海とは、ここまで閑散とした、もの悲しさを帯びるものなのか。

 秋の海は夏の海とは全く別ものなのだと、いなりは初めて実感した。

 いなりがいるのは、海が一望できる岬である。

 旅館の裏からひっそりと続く小径こみちを辿ってみたら、ここに行きついたのだ。

 岬の先端には、小さな石とそれに寄りかかっている人影が見えた。

 人影は愁―――いなりが探していたそのひとである。


 愁が消えたと、旅館ではちょっとした騒ぎになっていた。

 大騒動の後、もうほとんど忘れられかけていたのだが、四大妖怪勢力の面々は筑後組とレジスタンスの始末に追われ、かたや羅刹と愁はノイマンの治療室に直送されたのだった。

 幸い、二人とも命に別状はなかった。羅刹は腹に大穴をあけていたのだが、急所をさけていたということと、頑丈な身体のおかげで大事に至ることはなかったのである。一方の愁は、目立った傷はもうほとんど残っていなかったものの、妖力の回復のためにしばらく絶対安静をノイマンから言いつけられていた・・・・・のだが、目を離したすきにいつの間にか抜け出してしまっていたらしい。いなりを含む四人で見舞いに行ったときのことであった。

 そのため、旅館あげての大捜索が始まったのが、ついさっきのことである。

 実を言えば、いなりは愁を探してここまでたどりついた。


「お墓参り、ですか?」


 愁が首だけ振り向いた。

 空色の瞳は、いつもよりも沈んだ色をしている。そのせいだろうか、彼が纏う雰囲気がいつもとは違う。

 子供のような無邪気な明るさはなりをひそめ、今はずいぶん落ち着いた様子をしている。


「なんでここが分かったんだ?」

「蓮司さんから聞きました。」


 愁は小さく舌打ちをうち、「余計なこと言いやがって。」と悪態をつく。

 いなりは構わず、愁から少し間をあけて、腰を下ろした。

 蓮司から聞いたというのは、実は嘘である。本当は、羅刹の口から直接聞いたのだ。


 愁の失踪に「どうせ散歩あたりだろう」と、たいして心配していなかったいなり。 

 八重や北斗が慌てて女将たちと一緒に大捜索に乗り出す間、いなりと黒羽は病室でくつろいでいたわけだが、どういう気持ちの動きがあったのか、そんな話を愁の隣のベッドに横たわっていた羅刹から聞いたのである。


「ここの旅館・・・もともとは羅刹様が持っていた御屋敷だったそうですね。」

「それも聞いたのか。」

「ええ。」

 

 山吹とは、旅館の女将の名前である。彼女はもともと、羅刹の配下のひとりであったという。

 10年前の災害で、愁たち家族が住んでいた屋敷は焼けてしまった。全焼は免れ、再建できるような状態ではあったのだが、羅刹がそれを拒否したのだ。妻を失い、さらに息子は関東へと旅立った。家族として再び集まることは、もうないだろう。そう、羅刹は考えたのだ。

 しかし、山吹はどうしても屋敷を手放せなかった。二度と家族が集まることはないかもしれない。それでも、秋穂との思い出の場所を、失ってしまってよいものだろうか。山吹は自ら羅刹の部下を辞し、この屋敷を旅館として改築することを羅刹に申し出た。羅刹は案外あっさりと許可を出し、屋敷は妖怪のための宿屋へと生まれ変わったのである。

 秋穂のために羅刹が作った、あの秋桜コスモスが咲き誇る庭と、彼女の墓を残して。


「未練たらしいよな。」

「山吹さんのことを、恨んでいるのですか。」

「違えよ。親父のことさ。」


 愁はそういうと、おもむろに墓石に手を置く。

 秋穂の墓は、いわゆる一般的に墓場に並んでいるようなきれいな直方体の墓石ではない。ごつごつとしたいびつな楕円形をした岩をその場に置いただけの、よほど注意してみなければ墓とはわからないものである。しかし、石の前には白いコスモスの花が手向けられ、線香まできちんとあげられている。墓というよりも、小さな祠のようだ。


「母さん、海を見たがってたんだ。けど、体が弱かったせいで外に全然出歩けなくて、結局生きてる間にその夢をかなえてやることはできなかったんだけど。・・・こんな場所に墓建てられちゃあ、さすがに見飽きるだろ。」


 愁の目は、遠くの海原を眺めている。

 その口元にはかすかに笑みがこぼれる。


「色々、言ってなくて、悪かった。」


 なんの前触れもなく、愁はそう切り出した。

 独り言のようにつぶやかれるその言葉を、いなりは黙って聞いている。

 

「もう分かってると思うんだけどよ、俺の家族関係って、けっこー複雑だからさ、あんまり言いたくなかったってのもある。けど、それ以上に俺が実の父親を殺そうとしてるとか、お前らに知られたくなかった。」


 少しずつだが、愁はぽつりぽつりと語る。

 ずっと、ずーっと彼が抱え込んできたものが、今になってようやく打ち明けられようとしていた。


「本当は親父が母さんを殺したわけじゃないのなんて、ずっと前から知ってる。でも、それでも俺は親父がやっぱり許せねえし、許すこともできねえ。だから、俺はとにかく親父を殺すために強くなろうとして、爺ちゃんについてったんだ。けど、周りにそんなヤバい奴だなんて思われたくなかったから、出来るだけ普通に生活しようとした。とにかく笑って、馬鹿なことばっか言って、フツーの男子高校生になろうとしたんだ。」


 愁はぼんやりと己の手を見つめる。


「俺は・・・お前らが思っている以上に卑怯者で、臆病な奴だ。だから、無理やり明るくふるまって、強がるんだ。」


「めんどくせぇヤツだろ?」そう言って振りむいた愁は、泣き笑いのような表情をうかべていた。


「そういうところをひっくるめて、愁なんだと思いますよ。」


 明るくて、単純で素直で馬鹿。それでいて、妙なところで気遣いができる。それは決して、強がりなんかではない。普通の高校生でいるために作った、道化の側面なんかではない。彼は、心の底からきっとそういうひとなのだ。

 ひとにはたくさんの側面がある。あの人は優しいとか、あの人は怖いとか、大抵の場合一言で済ませてしまうけれど、ひとりをとってもたくさんの“顔”を持っていて何もおかしくはないのだから。


「臆病者であろうが、馬鹿であろうが、結局あなたはあなたで、大江山愁に変わりありません。」


 慰めとかではなく、ただ純粋にそう思う。きっと、愁は自分と向き合うのが、へたくそなのだ。

 人のことを思いやるやさしさがあるから、自分の気持ちを押し隠してしまう。そして、自分自身がそれに気が付かない。


(こういう不器用なところが、親子なんだろうな。)


 いなりはふと思った。


「今でもまだ、あなたが羅刹様を殺そうとする意志があったとしても、それはそれです。私にとってのあなたは、明るくて馬鹿で素直な半妖怪の大江山愁です。それで

、いいじゃないですか。」


 いなりを見る、愁の瞳に光が戻る。

 空色の瞳が揺れたかと思えば、愁はくしゃりと破顔した。

 

「そうか・・・・・!」


 その声には、先ほどからの弱弱しさはない。何か決心したような強さがあった。

 「いよっし!!」と声に出して、愁は急に立ち上がった。


「俺は絶対に親父を超えてやる!!」


 岬から、遠く向こうへと吠える。

 愁の声は天高く響きわたり、それにこたえるかのように、一迅の風がぶわあっと正面から吹いてきた。

 

「あ、いたいたー!」


 その宣言を聞きつけたのだろうか、遠くから二人の名前を呼ぶ声がした。

 小径の向こうから姿を現したのは、黒羽であった。

 黒羽が「見つけたー!」と叫ぶと、後から八重と北斗が駆けてくる。


「おいコラ脱走犯!!布団でおとなしゅう寝ときって言われとったやろうが!!」


 般若のような形相で八重が愁につめよるが、愁は逃げるどころか笑っていた。


「お、ちょうどいいタイミングで来たな。」


 傍にいたいなりを含め、ふいに愁が三人に向かって腕を広げる。

 そして、その大きな腕に四人を抱えこんだと思ったら、そのまま岬から飛び降りた。


「何してんだお前ぇええええ!!」


 ぎゃあああと悲鳴をあげながら、一行は真っ逆さまに落下する。黒羽は翼があるため一人逃げることはできるだろうが、愁にがっちりホールドされているのでそれはかなわない。というよりも、叫び声が上がる中、彼はむしろ歓声をあげている。

 なお、叫んでいるのは北斗と八重である。


「心中に巻き込むんじゃあらへんよアホ!!ほんまにアホや!!」

「だーいじょうぶだって!下は海だから!!」

 

 確かに下は海である。死ぬことはないだろうが、おそらく全身びしょ濡れになることは間違いない。


「服どうすんだボケ!」

「つうかスマホ!今スマホ俺持ってるんだけど!」

「んなもん気にするな!」

「なんで今海に落とされなきゃいけないんですか・・・・!」

「いいじゃねえか、飛び込んでみたくなったんだからさ。」


 わーきゃー叫びながら、五人はいっしょくたに海へと突っ込んだ。

 秋の海で、水しぶきが勢いよくはじけた。




○●○



・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・

・・





 母さん、ごめん。


 今までちゃんと墓参りしていなかったのもそうだけど、俺、ずっとあなたを言い訳にしていました。


 俺はただ、自分のために強くなりたかっただけなんじゃねえかって、今は思う。


 けど、絶対にいつか親父のことは超えてみせるから。


 その時には、ちゃんと母さんの分まであいつのこと、ぶん殴ってやるから。


 だから、どうか今はそこから見守っていて欲しい。


 俺は、元気にやれてるよ。





・・

・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・



○●○




 旅行の最終日、駅までは数弥と蓮司、さらに羅刹までもが見送りに来てくれた。

 とはいえ、別れ際にしゃべっていたのはほぼほぼ数弥であり、あれから筑後組の組長が変わったこと、レジスタンスは解体され、今はノイマンの指揮下で海外妖怪の支援をする団体に組み入れられたこと、諸々について教えてくれたのだ。

 後は雑談をしたり、駅で最後のお土産選びをしたり、そんなこんなをして、時間を潰していた。


「愁、こっちで暮らすつもりはねえのか?」


 その言葉は、本当に突然もたらされた。

 終始黙っていたのに、最後の最後で羅刹が口を開いたのだ。その言葉に、周りの空気が固まったのは言わずもがなである。

 「なんてことをここで言い出すんですか。」と数弥が羅刹にどつき、蓮司が「あちゃー」と額に手をやる。

 またあの親子喧嘩が始まるのではないかと、皆がはらはらとした気持ちで愁の様子をうかがう。

 しかし、愁は鼻で笑って答えた。 


「やだね。」


 愁はつかつかと羅刹の前に歩み出る。

 頭一つ分違う身長差だ。改めて並んでみると、髪の色と瞳の色以外、見た目は本当に似ていない親子である。


「あんたはいつか俺が必ず殺してやる。それまではせいぜい長生きするんだな。」

「そうか。」


 羅刹はどこか、嬉しそうにうなづいたのだった。

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