妖魔抗争 ー終結ー (後編)



「なんちゅう奴や・・・。」


 八重が唖然あぜんとした様子でつぶやいた。

 いなりもまた、彼女とほとんど同じような気持ちでいた。

 理由は簡単である。

 信じられぬ光景を、目撃してしまったからだ。


 檮杌が己の消滅とともに最後の最後に残した、九州の地を飲み込まんとする超大型の高波。それを防ぐ術もなく、絶望を抱いていたいなりたちが見たのは、金色こんじきに輝く光の壁が荒波を押し返す、神話のごとき瞬間だった。

 その壁を築き上げた張本人は、彼らが空から見下ろす先にいる。

 奇跡を生んだその少年―――北斗は、砂浜に大の字に身を投げ出していた。そして、不安そうに影月や陽光が彼の顔を覗き込み、蓮司や数弥も一緒くたになって彼の周囲で何やら騒いでいるのも見えた。


(あれが、神獣の力か・・・。)


 いなりは、背筋に寒気が走るような畏れを感じた。

 四大妖怪である羅刹や黒羽でさえどうにもできなかった、天災ともいうべきあの脅威に対抗しうる力。

 妖怪の妖力はあくまで自然に干渉するための力である。つまり、自然という巨大な機械システム操作コントロールするための燃料だ。しかし、神獣の場合、存在そのものが自然システムの一部であるため、機械システムに無条件で干渉することができる。言い換えれば、神獣の持つ強大な力は、自然の持つ強大なチカラそのものなのである。だから、神獣がその力を行使することイコール自然の脈動と言える。

 その強大な力を、人の身でありながら行使する。

 それが意味するところは、彼の意志一つで世界を変えられるということ。彼がその気になれば、この国すらも海の底に沈めることすらできるであろう。

 今まで分かっているつもりだったが、今、その事実を身をもって理解した。

 彼が持つ力は、あまりにも大きすぎるということを。

 いなりは一度、その力によって救われている。だが、北斗の気分一つでこの力の矛先が自分に向くことがあるかもしれないのだ。そうなれば、抵抗することもなく自分は灰塵に帰すだろう。


 いなりたちは黒羽の風にのり、ようやく地上へと降り立つ。

 八重は歓声をあげながら早速北斗のもとに駆け寄っていった。一方で、顔を涙でぐしゃぐしゃにした数弥が弾丸のような速度で羅刹の懐に飛びつき、それに蓮司が乗じて一緒に飛びつく。

 羅刹は意識こそはっきりしていれど、力の大半を使い果たし、黒羽の肩を借りてようやく立っているというありさまであり、二人分(大人)の抱擁に吹き飛ばされる。しかし、地面に転げながらも、その仏頂面は嬉しそうだった。

 砂浜でぐったりと寝っ転がりながら、北斗がこちらを向いた。

 疲れ切っていながらも、くしゃりとゆがめて笑った顔は、ただの少年の顔である。いなりの姿を見止めると、北斗は投げ出した手を握って見せた。


 それを見たとき、それまで恐怖で微かに震えていたはずの手がとまった。


 本能的に、ヒトは己よりもはるかに強い力を持つ者に対して恐怖を抱く。力を前に、あるものはひれ伏し、またあるものは、必死にあらがおうとする。

 いなりは今、まさにその力に恐怖を感じていた。己を脅かしかねない、その力に。

 だが、その対象を取り違えたらいけない。

 力に対して恐怖を覚えるのと、のことを恐れることは別物だ。

 間違えてはいけないのは、自分があくまで今恐れたのは彼の中にいる存在だということ。

 

(北斗は、北斗だ。) 


 今は、このひと時を喜ぼう。

 いなりは宙を見上げた。

 さっきまで、暗雲立ち込めていたはずの空は、今は雲間から朝日が差し込んでいる。

 

(やっと、朝が来る。)


 長い、長い夜が、もうじき明けようとしていた。 




◇◆◇




 羅刹はそのころ、おうおうと声をあげて泣きながら数弥がしがみつき、おそらく面白半分でやってきたであろう蓮司に押し倒されていた。

 普段ならばいざ知らず、今の羅刹に大の男二人分を支える力は残っていない。

 羅刹はまるで他人事のように自分を覗き込んでくる黒羽を見上げた。


「やあやあ、人気者は違うねー。」


 ついさっきまで、日本地図が変わるかもしれぬ危機であったのに、この男は何事もなかったかのような―――否、それどころか結果をすでに知っていたかのような涼し気な表情をしている。


「・・・愁は?」


 やっとのことで開いた口から出たのは、息子を心配する言葉だった。

 黒羽はちょっと驚いたように目をしばたいてから、にぃっと口元をゆがめる。


「安心しなよ。ただ寝てるだけさー。ほんと、バケモノじみた回復力だよねー。」


 自分のすぐ隣に、愁は寝ていた。案外気が付かないものである。

 そっと口元に耳をかざすと、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。本当に、ただ寝こけているだけらしい。実際、愁の腹の傷は、すでにふさがっていた。

 鬼という頑丈な身体を持つ種族でも、類まれな自然治癒能力を持つ愁。その力の根源が、亡き彼女のものであることを、羅刹は何となく予感していた。


(愁を守ってくれて、ありがとう。秋穂。)


 羅刹は己の額をそっと、まだ眠っている息子の額にこつんとくっつけた。

 それはまるで、獅子の親子のたわむれれのようにも見えた。


「羅刹もさ、もっと息子にくらい素直になればー?本当は、ずっと愁のこと心配してたんでしょ。」

「・・・・・・」

「夜叉から僕もいろいろと聞いているんだよねー。毎月仕送り金が送り主不明で送られてくるだの、実は愁の伸縮する刀を作ったのは蘭じゃないどこかの誰かんなんだの。」

「少し黙ってくれ。」


(これだから、この男には頭が上がらないのだ。)


 父である酒吞童子・夜叉の右腕である黒羽。自分にとっては叔父のような存在だ。

 どういう風の吹き回しか、黒羽は今は自分の息子のクラスメイトという立場であるから、まるで羅刹の方が彼よりも年上のような印象を与えるのだが、それは間違っている。黒羽の方が紛れもなく羅刹よりも年上であり、それどころかいろいろと世話になった過去がある。羅刹が南の四大妖怪になることができたのも、その時代の情勢とは別に黒羽の後押しがあったおかげでもある。

 羅刹の目から見ても、いつも硬い表情をした自分とは別の意味で、黒羽は何を考えているのかよくわからない。飄々とした笑みをその顔に浮かべ、絶対にその思考を他者に読み取らせない。

 その底知れなさに不気味さを覚えていた時期もあったのだが、父がこれ以上もなく彼のことを信頼していたから、羅刹は自然と黒羽のことを受け入れるようになった。とはいえ、それでも黒羽が考えていることがわかるようになったわけではない。


「黒羽。」

「うん?」

「なぜあの男を逃がしたんだ。」


 羅刹は数弥と蓮司を押しのけながら、黒羽に問いかけた。

 これはずっと羅刹が聞きたかったことだった。

 愁があの男を逃してしまったことを責めるわけではない。あれは怒りに駆られて戦況分析ができていなかった自分のせいでもある。

 しかし、そうした自分たちの失敗ですら織り込み済みで動くのが黒羽という男である。ただ純粋に疑問に思ったのは、そんな彼がクロに逃亡を許したことだった。

 今回は最悪の事態を切り抜けることができたとはいえ、それでもあの男を逃がしてしまったら、まだどこかで同じようなことが起きかねない。

 黒羽は不機嫌そうに顔を思いっきりしかめた。そして、「ええー。」と、ため息をつくのと同時に声をもらす。


「君がそんな状態でどうやってあのすばしっこいのを捕まえるっていうのさー?」

「あんたは絶好調じゃないか。」

「僕とあれじゃあ相性が悪い。転移系の術が使えるとなれば遠距離攻撃型で頭脳派の僕じゃあ厳しいでしょー?何より、愁と君の怪我の手当てが最優先だ。」


 思わぬ黒羽の言葉に、羅刹は拍子抜けした。

 そんな羅刹をそっちのけに、黒羽はぺらぺらとしゃべり続ける。


「さすが単細胞一家なだけあってさ、セツも大概なんだよねー。もしあと少しでも戦闘が長引いていた、もしくは檮杌が粘っていたら、たぶん妖力切れで死んでたよー?」

「怖いことを言うなよ。」

「いやほんとのことだから。」


 「これだから夜叉の血は馬鹿だから困るねー。せっかく蘭の血が混ざってもまったく中和できてない。」と、しれっと夜叉のことも馬鹿にしながら黒羽は「困った困った」と首を左右にふる。


「それにねえ、僕だって別にタダで逃がしたわけじゃないからねー。」


 「ちょっと現代文明の利器に頼ってみたんだ。」そういって黒羽は自分の耳をから何かを取る。それまで彼の長い髪に隠されていて見えなかったが、どうやら今までずっとソレを彼は耳につけながら自分と会話をしていたらしい。

 一見するとイヤフォンに見えるソレ。しかし、よく見るとそれではないと分かる。―――盗聴器だ。

 羅刹は目を見開いた。


「つくづく思うが、あんたが敵じゃなくてよかったよ。」

「はは、それは恐縮だねー。」


 掌でその小さな凶器をもてあそびながら、黒羽はころころと笑う。

 

「それで、何か収穫はあったのか?」

「ん-、ところがどっこい、早々に気が付かれたっぽくってさ、あんまり収穫はのぞめそうにないかなー。」


 だとしても、よくそんなものをつけることができたものだ。

 羅刹は素直に黒羽の手腕関心するのを通り越し、呆れてため息をつく。


「黒羽。」

「なんだいー?」

「愁を、頼んだ。」

「・・・・・柄にもないことを頼むなよ。それじゃあ遺言みたいじゃないか。」

「本音なんだがな。」

 

 羅刹は寝返りをうって愁の方へ体を傾ける。

 何も知らずに隣で眠る、愁の頭を羅刹は愛おしそうに撫でたのだった。




◇◆◇


・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・




 そこは光の届かぬ、暗い空間だった。 

 部屋にしては物がなさすぎるし、かといって洞窟にしては人工的な空間だ。

 そもそも、空間という表現すら怪しい。

 そこにただ、とある“場”が生まれている。

 現実世界に出現した、歪んだ“ひずみ”というのが、最も近い。

 世界と世界の間である。

 そこには、光もないし、影も無い。

 ただ歪んだ闇が広がっている。

 闇の中で、ぷつりと空間に切れ目が走る。

 まるで瞳のように裂けたその切れ目から、呪いを束ねた怨鎖おんさのような声がした。


『また失敗したのか。』

「あれはダメですね。知性がないから制御もできない。」


 闇を凝縮したような声にこたえるのは、男の声である。

 どろどろとした音を放つソレに対し、怖気づくこともなく淡々と答える男の声は、その空間では異物のようだった。


『知性を持たせた結果が、饕餮や渾沌だったであろうが。』

「知性はあったがどちらも己の“欲”にまみれた愚か者だった、というのが正確でしょう。」

 

 男が言うと、空間に見えない圧力がかかる。

 気を抜けば、全身をひねりつぶされてしまうような覇気オーラ。しかし、それを前にしてなお、男は平然とした態度を崩さない。


『おぬし、本気で私に協力する気があるのか?』

「もちろん。」


 男は動じない。


「私があなたと契約を結んだ理由を、お忘れですか?」


 ソレは答えない。


「それにですね、愚か者でも渾沌が残した爪痕はまだ大きい。そちらの方が、利用しがいがある。それに、窮奇きゅうきは他と違ってうまく潜りこめている。」

『ふん、勝手にするがいい。だが、我との約束を、決してたがえるでないぞ。』

「分かっていますよ。」


 男が最後に答えて、会話は終わった。

 空間が収束するように閉じる。


 男が残されたのは、壁と壁に挟まれた現実世界の“空間”だ。 

 真夜の路地。

 そこにふたりの人影が、取り残されているだけだった。


 クロは自分の隣に立つ青年に声をかけた。

 黒い狐面をしたその青年は、置物のように微動だにしない。主体性がないというよりも、そもそも自我すらあるのか怪しい。


「修羅童子を始末できなかったのは痛かったが、収穫はあったな。」


 クロは己の口元に手を当て、独り言をつぶやく。

 それから、青年の方を見て問いかけた。


双空そら、お前の兄妹いもうとには会えたか?」

「はい。」

「そうか。」


 面の奥には、瑠璃るりの双眸がどことない、虚空を見つめていた。




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