妖魔抗争 ー終結- (中編)

「クソッ!」


 愁は拳銃を叩きつけた。


 どうして、撃たなかったのか。

 どうして、殺してしまわなかったのか。


(情報を吐かすため・・・?違うだろ!!)

  

 そんなもの、言い訳に過ぎない。

 そんなどこかの切れ者がのたまうような言葉セリフを、自分が正気で使うわけがない。


 あれは、自分が怖気ついたからだ。

 

 強くなるために生きてきた。

 母の仇をとるために、強くなろうとした。

 父に勝つために。

 あの男を、クロを、殺すために。


 でもここで、母の仇を殺すことができたら。


 この憎しみから解放される。

 “大江山愁”という復讐の鬼は、もういらない。

 

 そうなったら、自分はこの先、何を根拠に生きていけばいいのだろう。

 

 B級映画に出てくる、親や恋人の復讐に燃える登場人物とかが、あんなに殺そうとしてた敵を最後の最後で見逃す理由が分かった気がする。

 自分を今まで突き動かしてきたこの感情を失うのが、怖いのだ。

 殺すのはよくないという、馬鹿馬鹿しい倫理観からの行動ではない。

 殺さないのは、自分生者のエゴなのだ。



(俺は、本当に大馬鹿者だ・・・。) 



 愁は声にならない叫びを、宙を仰ぎ、吠える。 

 しかし、その声をかき消すように、耳を切り裂くような奇声が虚空にとどろいた。

 身構えて、愁はあたりを見回す。

 すると突然、立っている場所―――檮杌が、動き出したのだ。

 前に進行しているような動きではない。

 痙攣のような

 

「何が起こってんだ・・・?」


 やはり、クロが何かしたのか。

 とにかくこのままぼさあっと立っているのはまずい。

 愁は足を動かそうと、一歩踏みだす。

 だが、左足が出ることはない。

 日常的にやっている、とても自然な動作なはずなのに、うまくいかない。

 自分の体がいうことをきかないのだと、ようやく愁は理解した。

 しかし、今度はぐらりと視界が下がる。


(あれ?)


 どういうことだろうか。

 手足の感覚がなくなってきた。

 

(そういや、妖力を使いすぎると生命力まで影響があるって、確か・・・)


 羅刹が、親父が何か叫んでる。 

 不愛想な表情をいつも浮かべている顔は、今は変に血色がいい。

 目を見開き、こっちに駆け寄ってこようとしている。

 腹、撃たれているはずなのに。

 そんなに動いたら傷が開くぞ。

 馬鹿野郎。


(そういえば、今までまともに親父の顔を見たことがなかったな。) 


 

 そこで、愁の意識は途切れた。




◇◆◇




「さて、どうしたもんかなー。」

 

 黒羽は腕組をして、八重の亜空間の前に座りこんでいた。

 まるで、将棋の盤面を睨むような恰好である。

 しかし、彼が鋭い目でにらみつけているのは盤上遊戯ではなく、ひとりの妖狐の青年である。

 青年は黒い狐の面をかぶっており、その素顔はわからない。亜空間にとらわれ、最初こそ逃げ出そうと暴れていたが、逃げられないと判断したらしい。今はおとなしく、人形のように直立状態で静止していた。


「ふうん、彼がらくちゃんを追い込んだんだー。」 

「そうっすよ。つうか、さっきから名前で呼ぶのやめてくれませんか。」

「え、なんでー?」

「大の大人がちゃんづけとかこっぱずかしいんすよ!!」


 豊前坊は本名を、楽丸らくまるというらしい。

 しかし、どうやらあまり自分の名前を好いていないらしい。だから、部下からもできるだけ“豊前坊”という、人間につけられた妖怪としての名で呼ばせているようだ。

 いなりとしては豊前坊という固い名前よりも、お調子者のような節のある彼は、どちらかというと“楽丸”感があっていい名前じゃないかと思うのだが、ここは本人の意志を尊重して豊前坊で呼ばせてもらうことにした。無論、黒羽は呼び方を変える気はなさそうではあるが。


「とにかく、コイツ相当の手練れっすよ。正直、少なくとも数弥さんと蓮司さんと同格くらいには見積もっておいた方がいいでしょうね。」

 

 そういって、豊前坊はちらりと八重の方を見る。

 先ほどから青年を拘束している亜空間が彼女の術である。豊前坊はついさっき、「こんな小娘の術で大丈夫なのか?」みたいな事をうっかり八重の前でこぼしてしまい、手ひどく懲らしめられたばかりである。

 八重の実力は黒羽から聞いているが、それでもやはり不安がぬぐえない、というところだろうか。


「八重、ちなみにこの中ってこっちからの声って向こうには聞こえるのー?」

「いや、光は通すようにしてはるけど、音は遮断してんで。」

「じゃあひとまず盗聴の心配はなさそうだねー。」


 黒羽はそういうと、ぴょんと飛んでと立ち上がる。


「どうするおつもりですか。」

「とりあえず、僕の部下に頼んでフルコース。」

 

 なんの、とは敢えて聞かない。

 黒羽の部下はまだひとりしか会ったことがないが、あの穏やかそうな老執事がえげつない事をするところは、なかなか想像できない。いや、それは黒羽も同じような気もする。

 

「そういえば、陰陽寮の方に回さなくていいのですか?」

「んー、後回し。だって信用できないもん。」

「信用でけへんって、どういう」


 八重が怪訝そうに眉をひそめた、その時だった。

 青年を閉じ込めている亜空間の中に、突如幾何学文様が浮かびあがる。

 いなりはその模様に見覚えがあった。

 ―――の、転移術である。

 青年の足元に浮き上がり、図像がカチカチと時計の針のように動き出す。


「まずい、連れてかれる!」


 しかし、時すでに遅し。

 その一瞬をついて、青年の姿は空間内から消え失せていた。 


「これは・・・」

「糞っ!!あの野郎、空間内に転移してそのまま逃げやがった・・・!!!」


 八重が歯ぎしりをして悔しがった、その時だった。

 突然、グラグラと地面が揺れ動く。


「おい、今度は何事だ!?」


 否、地面ではない。檮杌だ。

 檮杌が、海岸に向けて再び動き始めたのだ。

 いなりたちの立っている体表面が大きく傾く。

 まるで、今にも転覆する船の上のようである。

 このままでは、海に落ちる。

 すんでのところで、いなり達の体が宙にふわりと宙に浮いた。それはまるで、抱きかかえられたような錯覚を覚える。

 黒羽が気流操作によって皆を救出してくれたのだ。


「サンキュー、黒羽!」

 

 助かったと、ひとまずいなりはほっと息をついた。

 だが、あの二人の姿がない。


「羅刹様と愁は!?」

「今、全力で探してる!!」

「俺もあっちの方に飛んで見てきます!」


 しかし、上空見渡せど、二人の気配はない。

 ふと、いなりは自分の下―――海を見た。青黒い水面に、ぞっと背筋が凍る。

 

(いや、それはない。)


 大丈夫だ。あの二人はまだどこかにいる。

 いなりはすうっと、深く呼吸をする。

 そして、そっと目をつむった。


 あまり使いたくない手段であるが、今は緊急である。

 自分かわいさにしぶっている場合ではない。

 

 視界を閉ざす 代わりに、聴覚に全神経を集中させる。 

 そうすると、まるで水の中に放り込まれたような感覚になる。

 深い、深い水の底に落ちていくように、知覚できる範囲が広がっていく。

 水の中を泳ぐように、いなりは二人の気配を探る。


 狐は耳が良い。

 彼らは目に見えない雪の下にいる鼠を見つけることもできるし、数十メートル先の木の葉が落ちる音を聞き分ける。

 立体聴覚とも呼ばれるその驚異的な感覚機能は、耳に到達するまでの時間の差、音の強さや位相の差などから音源を割り出すことのできる。妖狐ともなれば、妖力によってさらにその聴力は強化され、知覚範囲は数キロ先に及ぶ。

 ただし、その強感覚は脳に膨大な情報量をもたらし、非常に負荷がかかる。

 たらりと、いなりの鼻から血が垂れた。

 まだいなりはこの良すぎる己の耳を使いこなせていない。もって数十秒だ。

 その限界を、すでに今は超えている。 

 いなりの尋常ではない様子に八重が気づき、「大丈夫か」と声をかけてくれるが、その声ですら、爆音で聞こえ、鈍器のように脳を揺さぶる。

 しかし、いなりは集中を切らない。

 もっと、もっと深く感覚の海へもぐりこみ、ふたりを探す。

 そして―――何も見えない水の中で、形をもった二つの影に触れた。


 いなりはカッと目を開き、自分の耳がとらえた方向を見る。

 檮杌は水上で体を大きくのけぞらせている。その巨体の脇の部分。波と巨体の影で、ちょうど死角になっているところだ。


(見つけた。)


 確かにそこには、羅刹と愁の姿があった。

 羅刹は、悶え打つ怪獣の背に刀をつきたてていた。その腕には、ぐったりとした愁が抱え込まれている。

 めちゃくちゃに動く檮杌に、今にも振り落とされてしまいそうだ。


「あそこです!!」


 いなりの言葉に、真っ先に豊前坊が反応した。

 いなりは八重の腕に抱えらえながら、朦朧とする意識を何とか逃すまいと二人のいる先を指差す。

 その方向へ、豊前坊が弾丸のごとく飛んで行く。

 

「羅刹!無事だったか!!」 

 

 豊前坊がしゃべるのを遮って、羅刹は愁を引き渡す。


「豊前坊、馬鹿息子を頼む。」

「頼むって、お前も逃げるんだよ!」

「まだ、後始末が終わってねえんだ。」

 

 羅刹の身体はボロボロだった。

 服は擦り切れ、火傷に似た奇妙な傷があちこちにある。極めつけは、腹にまるで蓋のようにされた鉄板から、にじみ出る大量の血である。とても大丈夫には見えない。

 そんな体で、何をしようというのか。


「おい、羅刹!!」

「必ず帰る。死なねえって、約束したからな。」

 

 止める豊前坊を、羅刹は振り切った。

 羅刹は突き立てていた刀を檮杌から抜くなり、その体の上をひょいひょいと飛んで上っていく。ボロボロのはずなのに、それを感じさせない機敏な動きである。

 空中でぎょろり、ぎょろりと動く目玉を羅刹は切りつけ、その視界を奪う。

 痛みで檮杌は悶え、奇声が耳をつんざく。

 その声を、封じるかのように雷鳴が天でとどろいた。

 檮杌のちょうど頭の部分に立った羅刹が手を宙に掲げると、鋼に輝く、巨大な槌が形成される。槌は雷電を纏い、バチバチと放電している。

 

「終わりだ。」


 羅刹が腕を降ろす。




 雷鋼術――――霹靂神はたたがみ雷霆らいてい




 いかづちまとう鉄槌が、檮杌の脳髄に突き刺さった。

 巨大な鋼のつちはさらに樹木の根のように檮杌の体内に浸食し、雷撃を流す。

 これを食らってなおも平然としていられるわけもなく、檮杌の断末魔が周囲に響き渡る。檮杌はもだえうち、滅茶苦茶に光線を放つが、羅刹はその光線を空いている左手の刀でいなす。

 硝子が割れるように、びしびしと檮杌の黒い巨体にひびが走った。

 そして―――



 激しい衝撃音とともに、蘇った怪物は砕け散った。

 


「やった、のか・・・!?」


 力を使い果たし、海に落下しそうになった羅刹を黒羽が受け止める。

 豊前坊は歓声を上げたが、黒羽の顔は曇っている。


「これはまずい。」


 檮杌の、最後の置土産。

 消滅した時の爆風によって、高波がひき起こされたのだ。


「八重、空間を切って波を止められる!?」

「んなのとっくにやっとるわ!」


 しかし、高波は八重の造った空間断絶による防壁を軽々と飲み込む。


「あかん、うちの干渉範囲を超えとる・・・。」


 八重の絶望に染まった声がポツリとその場につぶやかれる。

 このままでは、南の地―――九州が波に飲み込まれる。この高さでは、おそらく相当高い山にまで逃げ込まないと助からない。

 だが、波の進行速度が速すぎる。


(このままでは、間に合わない。) 


 


◇◆◇




「おいおい・・・これ、俺ら逃げた方がよかと?」


 北斗と数弥、蓮司の三人が海岸にたどり着いたとき、すでに数十メートル先に巨大な高波が押し寄せていた。

 朝日を遮り、ちっぽけな自分たちを今にも飲み込まんとする巨大な波の塊。数年前に日本を襲った、大震災とは比べ物にならないほどの大きさの波である。もしこれが到達すれば、深い山地にでも逃げ込まない限り助からないだろう。

 高波を前にして、北斗は自分の足がすくむのを感じた。

 怖い。逃げたい。叫びたい。次々と押し寄せる感情に脅迫されるように、心臓がドクンドクンと激しく波打つ。

 だが、これをなんとかできるのは自分しかいない。

 北斗はそう直感していた。

 前回、北斗は麒麟に力を求めた。その時は麒麟に体の主導権を明け渡すことで、その力を行使することができたが、それは半ば無意識化で行ったことであり、正直どうやったのかわからない。しかし、できた以上できないということはない。 

 しかし、北斗はここで麒麟と交代することは危ない予感を感じていた。

 麒麟の思考を北斗が知ることはできない。ただし、何となく麒麟が何を感じているのかはわかるのだ。それは感情というよりも、思念といった方がいいかもしれない。思考回路を共有しているというよりも、麒麟が一方的に伝達してくるものを受信している、といったらよいだろうか。

 その伝達が、今は危険信号のようなものだった。これが意味するところはつまり、今、麒麟は力を貸してくれない、ということか。


(自分で何とかしろってことかよ・・・!)


 自分で麒麟の力を操作する。そんなこと、やったこともなければ、できるのかどうかわからない。

 だが、今はそんなことをうだうだ考えている場合ではない。


(できるかどうかじゃない。やらなきゃダメだ。)


 北斗は、己の腹をくくる。


「数弥さん、お願いがあります!」


 北斗の顔を見て、数弥と蓮司が息をのむ気配がした。


「何をすれば!?」

「時間がないので説明は省略させてもらいま!。とにかく、俺が今からやることの成功率をあげてください!」

「承知しました!」


 数弥の術はこれから起こる事象の確率の操作。

 それは術者自身だけでなく、他人に対しても有効である。

 ただし、彼が操ることができるのはあくまで確率であり、未来を決めることはできない。もし北斗の成功率が0%であり、決して起こることがありえないのだとしたら、それを数弥の力で100%に引き上げることはできない。

 だから、これは半ば賭けに近い。

 

(こっちはカミサマ背負ってんだ。九州全人口背負うくらい今更過ぎるんだよ・・・!)


 北斗は両手を地面に叩きつける。

 イメージするのは、高い壁。

 高く、分厚く、強い壁を。

 なにものも跳ね返す、頑丈な壁を・・・!

 北斗の掌から光の粒子が地面に流れこみ、巨大な壁が地面からそびえ立つ。


(できた・・・!)


 だが、少しでも気を緩めたら壊れてしまう。

 集中しなければ、

 北斗の瞳が輝きを増し、壁がさらに高くせりあがる。 

 そして、光りを放つ壁と高波とがぶつかり合った。


「っぁぁぁああああああ!!」

「北斗君!?大丈夫か!?」


 全然大丈夫ではない。

 北斗の身体に、耐えきれないほどの負荷がかかる。

 自分の体重が、まるで数十倍に膨れ上がったようだ。体中の筋肉が悲鳴を上げている。脳が、今にもひしゃげそうだ。 

 天を支えるアトラスは、きっとこんな気持ちなのではなかろうか。 

 

 だが、負けるわけにはいかない。


「とぉぉおおまあああれえええええ!!」


 その想いに応えるかのように光の粒子が輝きを増す。

 そして、黒い北斗の髪が、黄金色を帯び、その瞳もまた黄金の輝きを放ちだす。それは、かつての神巫―――大江山秋穂と同じよう。

 


 そして―――



 跳ね返された、高波が、徐々に後退を始めた。


「終わった・・・のか。」


 北斗の力が、勝利したのだ。

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