妖魔抗争 ー終結ー (前編)

◇◆◇




(ヤバイ、これ俺死ぬわ。)


 ところ変わって、同じく檮杌の背の上―――クロや鬼の親子がいる箇所と反対側では、豊前坊と妖狐の青年の勝負が先ほどから繰り広げられていたわけなのだが・・・・・豊前坊は、今すぐに逃げ出したかった。


 英彦山豊前坊―――彼は、英彦山の烏天狗衆の頭目であり、人間からは八天狗に数えられるほど、南の地でも五本の指には入るほどの強者だ。

 豊前坊の妖力系統は“音”であり、自身の奏でる“音”を聞いたものの精神操作をすることができる。操れる範囲はかなり広く、催眠状態にすることもできるし、

 戦闘特化型ではないが、広範囲に及ぶ群衆支配を可能にする、非常に強力な系統なのである。

 しかし、その発動条件は「相手が妖音を」であり、「妖音を」ではない。そのため、相手が耳で音を聞いて認識して初めて、精神に干渉することができる。

 つまり、相手が聞かなければ妖術を発動することはできない。

 にもかかわらずである。 


(よりにもよってコイツ、鼓膜を自分で破りやがった!!)


 戦闘に入る直前、豊前坊が懐から横笛を取り出した瞬間だった。

 その青年は、自身の耳を勢いよくはたいたのである。

 その意味に気が付いたときにはぞっとした。

 この青年は、たった一目笛という道具を見ただけで豊前坊の妖術が音によるものだと判断し、躊躇なく己の鼓膜を破いたのである。震えるほどの分析力と判断力である。

 妖術の系統で、最もメジャーなのは自然操作系の力である。“雷”や“水”など、特定の物質を操作できるものはシンプルであるがゆえに汎用性が高く、非常に強力だ。たいして、豊前坊の“音”のような干渉系の妖力系統は発動さえしてしまえば強力だが、条件を満たさなければ発動できないのがネックだ。なにより、対策されてしまったら妖術を仕掛けることさえ難しくなってしまう。豊前坊はまさに今、己の最大の手が封じられていた。 

 さらに戦慄ものなのは、聴覚を失っているにも関わらず、青年の戦闘力は異常なほど高かったことだ。豊前坊とて決して弱いほうではない。羅刹にはさすがに及ばないが、彼の配下である算盤小僧と張り合える程には動ける。それにもかかわらず、今この戦況でおされているのは豊前坊だった。

 炎を纏った短刀―――それが青年の武器だ。それも一本ではない。数十本はあろうかという短刀が、まるで意思を持っているかのように襲い掛かってくる。

 おそらく、雰囲気からして青年の妖力系統は“炎”であり、短刀は炎を凝縮して生成したものなのだろう。青年自身も両の手に刀を持ち、豊前坊に斬りかかってくる。その動きは非常に機敏で無駄がない。隙を全く作らないコンビネーションで襲い掛かってくる無数の刃と青年の攻撃を受け流すのが精いっぱいの状況だ。

 今までそれなりに修羅場をくぐってきた自信があった豊前坊であったが、その過去を更新する勢いで今まさに、彼は最大級の命の危機ピンチにあった。


(つうかそもそも、こんな強い妖怪なら噂の一つや二つあるはずだろうが。) 


 妖狐の尾は妖狐の妖力が強くなる、あるいは年を経ると増えるという。豊前坊が相手をしている青年の尾の数は、五本だ。面をしているせいで顔は分からないが、体つきから勝手に“青年”だと思い込んでいるが、五つの尾ともなれば実年齢は軽く100年は超えているだろう。

 そんな強敵の相手を術なしで相手しなくてはならないという無理ゲーのこの状況。できることならば今すぐにでも撤退したいのだが、空に逃げようとすると、すぐに撤退ルートを短刀でおさえられてしまい、全く逃げさせてくれる気配がない。


(マジで泣いていいかな?)


 顔めがけて突き出された刀をのところで首を横にそらせてよけ、さらに背後から飛んできた刀を弾き飛ばす。

 しかし、その豊前坊の動きを読んでいたかのように、青年のもう一方の手にある刀が、喉元に迫る。

 

「ぬおおお!!」


 しかし、その短刀は豊前坊に届かなかった。

 刀が喉を突かんとするまさにその瞬間。急に青年が空中で体を横にひねって豊前坊から離れたのである。

 それは、まるで何かをよけたよう―――そう思った瞬間だ。

 豊前坊の目の前を、炎の矢が横切った。

 敵の増援かと肝を冷やしたが、すぐにそうではないと分かる。

 その炎の矢の狙いが、青年の方であったからだ。

 青年は機敏な動きで矢を避ける。しかし、矢は追尾式なのか、青年のことをしつこく追いかける。避けても無駄だと早々に判断したのか、青年は矢と向き合い、己の炎刀で切り裂いた。炎と炎がぶつかりあって、火の粉が爆ぜる。


(一体誰が・・・?)

 

その問いに答えるかのように、音もなく、豊前坊の目の前に1人の少女が現れた。

それは、二尾を持つ、月の光を紡いだような白銀髪の少女だった。炎よりもずっと紅く燃える、硝子玉のように透き通っており、それでいてこの世を憂うかのような深い色合いをしている。

 女神とか天女とか、そういう神々しい、静謐せいひつとした天上の美しさではない。

 闇夜に咲く曼殊沙華のように、まるで内に毒をひそめたような怪しさと、夢か現か迷わせる 儚さを併せ持った、彼岸の美しさ。

 

「あなたが、豊前坊さんですか?」

「え?お、おう、そうだ。」 


 思わず彼女に見入ってしまい、返答が遅れる。

 豊前坊は無駄に大きくかぶりをふって羞恥で赤くなった顔を隠す。

 ついさっきまで死にかけていたにもかかわらず、明らかに自分よりもずっと若い彼女に、ぽおっとなってしまった自分を殴りたくなる。いくら天狗の男社会に染まりきって女性慣れしていない自分が憎い。 

 しかし、少女はそんなマヌケな烏天狗のことなどどうでもいいらしく、ちらりと一瞥をくれると、すぐに目の前の敵の方を向いた。


「妖狐、ですか。」

「おい嬢ちゃん、炎が系統ならやめといたほうがいいぞ。相手も炎だ。」


 少女に気を取られすぎて自分の置かれていた状況を忘れるところだった。

 青年は態勢を立て直し、じいっとこちらをうかがっている。表情を読ませない狐の面が、一段と不気味に見える。

 まさか、この可憐な少女はあの青年の相手をする気なのだろうか。

 自惚れるわけではないが、そこそこ強い自分でも勝てなかった相手である。

 しかし、少女は平然とした表情でいる。


「ご心配にはお呼びません。」


 それどころか、涼しい声で豊前坊の警告を一蹴する。彼女が冷静である反面、横にいる自分があわてふためく様子はさぞ滑稽に違いない。

 そんなことを豊前坊が考えている間に、青年が動きだした。

 無数の短刀が輪を描くように宙を踊り、少女めがけて飛んでいく。

 しかし、少女は微動だにしない。


(嘘だろおい・・・!?)


 豊前坊は咄嗟に少女の前に飛び出した。

 この少女のことは何もしらないが、ここで自分より若い命が失われるのはごめんである。他者をかばって死ぬとか、なかなか自分も男前な死に方をするようだ。

 豊前坊は置いていく部下に詫びながら、そっと目を閉じた―――


(・・・・・ん?)


 はずだった。

 がしかし、いつまでたっても短刀が豊前坊たちに到達することはなかった。

 短刀が消えたわけではない。 

 空中で、時を止められてしまったかのように静止している。

 さらに、少女は少女で豊前坊を気まずそうな表情で見ている。


(な、何が起きたんだ?つか、俺、何間違えた?)


「捕まえたで。」


 突如青年の背後から現れる、槍をもった美女。

 高く結い上げた茶髪をなびかせながら、彼女はその口元をニヤリとあげてみせる。


「残念やったな。うちの亜空間はあんたの術じゃこわせへんで。」


(空間干渉系か!)


 謎の美女の腰で揺れている、狸の尾。狸といえば、四国の八百八狸衆である。彼らは確か、一族で空間系統の妖術の使い手である。

 西の地にいるはずの狸妖怪が、何故こんなところに。いや、それよりも彼女はこの少女の仲間であるらしい。


「いなり、囮役ご苦労さん。」

「別に囮なんて必要なかったような気がしましたが。」

「いやいや、あの妖狐とこのおっさんを一端引き離せへんかったら、まとめて隔離しとったとこやで?」


 豊前坊はその場にぽかんと立ちすくむ。

 とにかく、自分は助かったのだろうか。

 

「おい、おっさん無事か?」

「あ、ああ。嬢ちゃんたち、感謝するぜ。」 


 一体、彼女たちは何者なんだ。

 豊前坊は目の前で起こった出来事を受けとめきれず、ただ目を白黒させる。


 しかし、豊前坊はまだこの先を知らない。

 

 まさに彼女たちを自分の下に助っ人によこした者こそ、羅刹と並ぶ大妖怪たる、僧正坊こと鞍馬の烏天狗であったことを。

 さらに、彼が見呆けていた少女が九尾の狐の娘であることに。


 豊前坊は後に黒羽から今日の出来事を一生いじられる運命にあることを、まだ知らない。




◇◆◇



 

 交錯する銃撃と剣戟の響き。

 タイムラグなしの転移を繰り返し、瞬間移動ともいえる動きでクロは距離を取ろうとするが、愁はその動きにぴったりと張り付いていた。

 年齢的にそれほど戦闘経験を積まない愁は羅刹よりも妖力の力や質で圧倒的に劣る。それにもかかわらず、愁がクロについていけるのは、彼が転移する場所を、先読みしているからだ。それがなせるのは、天賦の才ともいうべき卓越した戦闘に対するである。洞察力とか、分析力とか、そういった小難しいものではない。ほぼ直観で、愁はクロの動きを読んでいる。

 しかし、切りつけようとするたびクロはすばしっこく転移によって逃げる。このままではいたちごっこで終わってしまう。

 それに、何も愁がクロを追い込んでいるわけではない。

 愁がクロと同じ土俵で戦っていられるのは羅刹のおかげだった。檮杌の放つ、当たれば即死確定の死の光線は全方位どこからでも前兆なしに降り注いでくる。それを、愁に変わって羅刹がすべて相殺しているのである。

 羅刹も愁も無限の体力と妖力を持っているわけではない。先に倒れるのは、どう考えてもこちら側なのである。

 じわりと、手汗が柄にしみこむ。

 焦るなと、愁は自分の頭に言い聞かせる。無理にでも気持ちを落ち着けなければ、焦燥に駆られて思考が乱される。 

 戦場では、焦った方が負けるのだ。

 それは祖父から耳にタコができるくらい聞かされた言葉である。

 

(考えろ。ただ動くだけじゃだめだ。)

 

 相手は自分より格上、妖術は一切利かない。

 羅刹は手負いで術は使えるが近接戦は無理。

 自由に動ける自分が直接攻撃してたたくしかない。

 

(どうする?)


 クロが発砲する銃弾をよけ、愁が距離を置いたその時だった。

 愁の背中に、ひたりと暖かなぬくもりが触れる。

 羅刹だ。

 自分の背中を、愁の背中に寄せているのである。

 

「使え。」


 たった一言。

 ぼそりとつぶやいて、羅刹は愁にそれを手渡す。

 その感触だけで、愁は何をすればいいのかすぐに悟った。


「!どこに隠し持ってやがった・・・!」

「俺の妖力を忘れたのか?」 


 背中越しの羅刹の顔は見えない。

 だが、その声はかすかに笑っているようだった。


「安心して突っ込め。」

「分かってら!」


 愁は刀を構え、再びクロめがけて斬りかかる。

 

「ふうん。何かこそこそやっていたようだけど、結局肉弾戦だよりなのか。似た者親子だな。」

「誰と誰が似てるってぇ!!?」

 

 クロの眉間目掛けて羅刹の刀を振り下ろすが、刀が届く直前、クロは瞬時に転移する。

 ちょこまかと本当にすばしっこい。しかし、追えないわけではない。

 愁が動き、刀を振るのと同時に、クロが姿を現す。

 ドンピシャだ。

 だが、クロの方がわずかに早かった。銃口でその刀を受け止める。そして、クロが刀をはじき、愁の顔めがけて弾丸を放つ。


「この際、お前も先に始末しておこうか。」


 弾丸は愁のこめかみをかする。

 熱い。

 しかし、愁はクロを視界にとらえて逃さない。


 人間が一発目を撃ってから次の弾を撃つまでに、最低おおよそ0.3秒を要する。

 0.3秒―――動きだすのに、それは十分すぎる時間だ。


 愁の左手には、別のものが握られていた。


「!?」


 乾いた発砲音。

 クロの肩口から、血が滴り落ちた。

 かしゃんと、彼の手から銃が滑り落ちる。 

 

「一体、どこに隠し持っていた・・・!」

「お返しだ、バーカ。」


 愁の手には、黒光りする拳銃が握られていた。


 羅刹の金属操作の緻密性は蘭をはるかに上回り、構造を理解した鉄製品は完全に複製することができる。羅刹が愁に渡したのは、妖術により生成した、拳銃だったのだ。


「妖怪サマは拳銃なんて使わねえと思ってたか?残念だけど、俺は誰かさんのせいでこっちも得意でな。」 


 愁は続けて二発、さらにクロに撃ち込む。

 両肩、左膝。

 クロがうなり声をあげるが、それを愁は無感動な目でそれを見つめる。

 ためらうことなく、今度は右手を穿つ。

 強い敵を倒したという高揚感は全く生まれない。

 それ以上に、緊張感によって抑えられていた憎しみがふつふつと湧き出してきた。


(こいつが、母さんの、仇―――)


 引き金を引こうとしたが、すんでのところで思いとどまった。

 この男はまだ殺してはダメだ。

 今すぐにでもぶっ殺してやりたいが、これまでの事件の黒幕候補である。聞きたいことは山ほどある。

 殺すのは、それからだ。

 

 クロは両膝をつき、だらりと腕を垂れる。

 関節を破壊されているので、身動きは取れない。


「まさかこんなところで追い込まれるとはね。私も少し今回は急ぎすぎたようだ。」 


(今回は?)


 逃げることなどできないはずなのに、やけに余裕をもった口ぶりだ。その一方的なしゃべり口は、何か仕掛けてくるようでいて、よけいに不気味である。

 愁は警戒を解くことなく、銃をクロに向けたまま、ゆっくりと近づく。


「何が言いたい。」

「次会うときが楽しみだね。」


 突如、クロの周囲に幾何学文様が浮かび出す。

 さっきまでの転移とは明らかに様式が異なる。 


(まさか、時限式の転移術か!!?)


「逃がすか!」


 愁はすかさず引き金をひくが、弾丸はむなしく宙を貫いた。



 

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