九州観光 (後編)


◇◆◇



 路地―――それは夜の都市のはざまの世界であり、そこはホームレスや野良猫、野良犬のたまり場である。

 しかし、今宵は変わったモノたちが集っていた。 

 カボチャ頭の人物に、蝙蝠こうもりの翼をもった女、トカゲのようなモノ、ぎらぎらと光る眼をもった小人たち・・・この国のあやしのモノとも明らかに違った異形のモノども。人外、海外妖怪、呼び名は多くあれど、彼らは怪物モンスターと呼ぶのがしっくりくるであろう。

 掃きだめのようなこの場所は、レジスタンスと呼ばれる彼らの集会場なのだ。

 

「エンプーサ、うまくやったようだな。」

「当然でしょ。」


 カボチャ頭の男―――はたして性別があるかどうかはわからないが声からして男性であろう―――は、ゴミ捨て場の山の上に座った少年を見上げた。


「いいのか。これ以上奴らのシマを荒らすと向こうも黙っちゃくれねぇぞ。」 

「いいんだよ、ジャック。」


 その少年は、間髪入れずに答えた。

 パーカーを頭からかぶっており、少年の顔色をうかがうことはできない。少年は手でカンをもてあそびながら話を続ける。


「これぐらいしないと、逆に俺たちが舐められるだろ。それに、あの人も言っていたじゃないか。」

「あんな胡散臭い男のことをすんなり信用しちまっていいのかよ。もしかしたら俺らを騙しているってことも」

「黙れよ〈松明持ちのウィリアムwill-o'-the-wisp〉。」


 乾いた音を立てて、カボチャ頭の男のすぐ横のビル壁に、カンがぶつかる。


「天国へも地獄へも行けない極悪人が、今更良心の呵責かしゃくとでも抜かすつもりか?」


 ナイフよりも鋭い少年の凍てついた眼が、カボチャ頭の男を見下ろした。カボチャ頭の男は黙ってその視線を受け止める。

 彼の頭部のカボチャは笑い顔にくりぬかれた目と口があるが、はたして本当にそれが目なのかはわからない。だが、カボチャにぽっかりと空いた黒い穴はしっかりと少年の姿を見ている。


「ちょっと。それは言い過ぎなんじゃ」 


 蝙蝠の翼をもった女が少年を非難する。

 しかし、カボチャ頭の男が女を制した。


「分かった分かった。黙って従おう。」

「ジャック!あんたそれで」


 女は非難のまなざしをカボチャ頭の男に向ける。しかし、カボチャ頭の男はきざっぽいそぶりで人指し指を左右にふるう。


「レジスタンスのルールその一!困っている同胞は必ず助ける!見て見ぬふりは許されない!我々は皆対等な関係だ!」


 突然、壊れた玩具のように叫び出した男に女は圧倒されていた。まるで返答になっていないその言葉に理解ができず、目を丸くすることしかできないようだ。


「ルールその二!一般の人間や妖怪には手を出さない!手を出した奴は逆に粛清の対象だ!フルボッコにしちゃうぞ!」


 カボチャ頭の男はくるくる回る。

 踊るようにステップを踏み、軽やかな動きでゴミ捨て場を駆け巡る。 

周りは奇怪な目で彼を見つめるが、誰も止めようとはしなかった。


「ルールその三!報復はしてもやられた以上のことはやり返さない!目には目を、歯には歯をは昔っからの制裁基準の超基本だ!」


 見守られる中、ぴたりとカボチャ頭の男の動きが止まった。

 カボチャ頭の男はゴミの山の前に立っていた。

 そこで胸に手を当て、優雅にお辞儀をする。


「ルールその四。たとえ対等な関係でも、リーダーの指示には絶対服従。どんなことにでもレジスタンスである限り、我々は従う・・・だろ? 」


 カボチャ頭の男のその言葉に、空気が揺らいだ。

 周りに集っていた他の怪物―――同胞たちが次々と平伏する。それはカボチャ頭の男が漂わせる空気に巻かれたか、それとも少年の持つ覇気にあてられたのか・・・とにかく、誰もが少年に対して畏怖の姿勢を示した。

 少年はその様子をじっと見つめる。

 それから、ゆっくりと立ち上がった。


ヴァルプルギスの夜Walpurgisnachtの、始まりだ。」




◇◆◇




「やあみんなー、久々の外出は楽しめたー?」


 にこやかに三人の帰宅を出迎えてくれたのは、旅館の中居たち・・・

ではなく、黒羽だった。

 ひとりやけに元気な姿を見て、八重はあからさまにいやそうな顔をして彼をねめつけ、北斗は渋い顔をし、いなりは嘆息する。

 歓迎されていないのは明白だが、黒羽は全くそれを気にしていない。飄々ひょうひょうと受け流して、


「一緒に出掛けられなかったのは申し訳なかったよー。でも、まだ明日もあるし、それに今日は朗報があるんだー。」


 と言って、横に移動した。

 すると、その後ろからノイマンが現れた。


「やあ。」

「ノイマンさん・・・!?」


 思いがけぬ人物の登場に、三人は黒羽に対する恨めしい思いを一瞬忘れてしまうほど驚愕した。

 彼女の後ろにはヴォンダーがおり、彼女の車椅子を押している。従順な彼女の従者以外、彼女の周りには護衛と思えるようなものはいない。仮に彼女がそれなりに実力のある人外であったとしても、大使である彼女をこんな無防備でふらふらさせておいてよいものだろうか。


「あんた、あそこから出てきてええんか?」

「この旅館の敷地内から出なければ問題ない。それに、私がここから本気で脱出しようなど考えていないと、向こうはわかっているだろうからね。」


 そういって、ノイマンは首を少し回して横を見る。いなりはその方向から、かすかであるが誰かがいる気配を感じた。かなり距離を置いているが、明らかにその人物の注意はノイマンに向けられている。

 雰囲気からして、数弥や蓮司ではない。おそらく、護衛ではなく、監視役なのであろう。

 しかし、ノイマンはさして気にした様子もなく、いなり達の方へ向き直る。


「話を聞いていた限り、この烏天狗殿は友人との大切な休日を放り出して、私個人の会話に一日付き合っていたそうじゃないか。代わりといっては何だが、今日の夕食は私がご馳走しよう。」

「ご馳走って、別に宿泊代に食事代は組み込まれとるけど・・・」

「だが、この旅館の料亭の本格料理は、食べられないだろう?」

「食う。」


 それを聞いて、八重の目の色が変わった。


「まずい、八重が引き込まれた。」

堪忍かんにんな、二人とも。」


 さすがは大使様である。

 交渉はお手の物というわけだ。

 八重はあっという間にふらふら~とノイマンの方へ引き寄せられていく。


「影月殿と陽光殿も食べられるよう、板前長に話を通してある。」


 今度は北斗の背後の暗がりがそわそわし始めた。


「いつの間に二匹のことを・・・」


 北斗は額に手をやり、恨めしそうに自分の足元を見た。しかし、より一層切なそうな空気が彼の影から漂ってくる。


「ふふふ、君の忠犬達が今だ九州のグルメを味わっていないのはお見通しだよ。それに北斗殿、君は弓道部に所属しているらしいじゃないか。」

「誰からそれを・・・まあ、そうですが。」

 

 どうせばらしたのは黒羽あたりだろうと検討をつけ、北斗はノイマンの後ろにいる黒羽にジト目を向ける。


「実はこの旅館にはかの那須与一なすのよいちが使っていたという和弓が保管されているらしくてね。それが今日から特別に展示されるらしいのだが・・・」

「え。それはぜひ見」

「ならばどうだろうか?」

「ぐっ・・・」

 

 なんと。

 北斗まで欲望に逆らえなくなりつつある。


「すまん、いなり・・・!」


 先ほどから八重といい北斗といい、一体何に対しての謝罪をしているのだろうか。

 とにもかくにも、これで残されたのはいなりだけだ。

 ノイマンは挑戦的な表情をうかべている。夕食を巡ってここでちょっとしたバトルが繰り広げられたら一興ものであるが、生憎いなりにはそこまでこの日本一くだらない争いをするつもりは一切ない。


(別に変に意地を張る必要もないしな。)


 あっさりといなりが両手をあげると、ノイマンは勝ち誇ったように満足げにうなづいた。




 ◇◆◇




 

 案内されたのは昼にビュッフェを食べたフロアではない、料亭の奥にしつらえられた大人数用の食事の座敷だった。掘りごたつに明るさを抑えた照明、そして極めつけは机の中央に今日の主役とばかりに置かれた、つやつやと輝く肉。その横を色とりどりの野菜巻きや串巻き、焼き鳥が固めている。


「おお・・・・・」


 予想はすでにできていたが、ノイマンはずいぶん奮発してくれたらしい。


「これはもつ鍋・・・!」

「この料亭の名物料理らしい。」


(最近いいものばかり食べているような気がする。)

 

 ついこの間は黒羽に連れられて吉原の上級遊郭に行き、今食べているのは料亭の高級懐石料理である。

 いなりとて、みずめに連れられてレストランや料亭にはそれなりに行き慣れているし、純粋に美味しい食べ物を食べられるのは嬉しい。だが、自分にはどこか敷居の高いものに感じて、緊張してしまう。

 しかし、それはあくまで自分の問題であり、今はノイマンの好意にはしっかりと甘えさせてもらおう。


「では、火を入れさせていただきます。」


 中居に火を入れてもらって少ししてから、野菜、もつの準で鍋に入れていく。


「そういや鍋やけど白菜やらはあらへんのやなあ。」

「白菜とかは水分が多くてスープが薄まってしまうからあまり入れないんだそうだ。博多もつ鍋のメインはキャベツとにらとささがきごぼうだよ。」

「へー、意外やわ。」

「それから、もつ鍋でもつはあまりに煮込みすぎない方が美味しく食べられるよ。」


 八重とノイマンがもつ鍋談義をする横では、ヴォンダーがてきぱきと鍋からもつや野菜を取り上げてお椀によそってくれている。もちろん、陽光や影月用によそうのも忘れていない。二体はすでに北斗の影から出てきてスタンバっていた。


「詳しいんですね。」

「はは、この旅館ではもう何年も世話になっているからね。さあ、私が作ったわけではないが、冷めないうちに召し上がれ。」


 そっと箸でつまんだだけで、ぷるぷると肉がふるえている。

 早速ほおばってみると、口いっぱいに甘い油がじゅわあっと広がった。


「すごい・・・滅茶苦茶うまい!!」


 歓声を上げて、八重ははぐはぐと夢中で肉を口に運ぶ。

 声をあげずにはいられない。それくらい本当に美味しいのだ。

 もつ鍋というと、内臓をくったくたに煮込んだ鍋料理というイメージがあったが、それとはまったく別物である。臭みの全くなく、油ののったもつなのに全然くどくない。


「焼肉とかしゃぶしゃぶとかとは全然別物の次元ですね。」

「確かに。」

「僕ももつ鍋を食べたのは初めてじゃないけど、ここのは本当に美味しいやー。」

「そう言ってくれるとこちらもおごったかいがあるよ。」


 もつ鍋の威力がすごすぎて、しばし沈黙してみなもくもくと箸を動かす。

 すっかり緊張もほぐれ、腹が膨れてしまう前に串焼きも味わおうかと、いなりは串を手に取ろうと顔をあげた。その時、たまたま偶然座ったままのノイマンの姿が目に入った。

 

「ノイマンさんは召し上がらないのですか?」

 

 ノイマンの傍に皿は置かれていない。

 食事をとり分けていたのは彼女の従者であり、それゆえ決して主人の分を忘れるなどということはないはずだ。であるならば、彼は意図的にそうしているということだ。

 いなりが問うと、ノイマンは「そういえば話してなかったか」とこぼす、説明を始めた。


「私はこの通り、四肢以外にも体のあちこちが思うように動かせないんだ。」


 ノイマン曰く、指先や首ならば少し動かせるらしい。しかし、下半身は完全に動かない。感覚器官も、触覚や味覚などが十分に機能しないという。


「だが、私は魔女だ。その力を存分に利用しているから生活に支障はそこまでない。」


 そういって、ノイマンが車椅子のひじ掛けを指で数回叩く。すると、ロボットアームが車椅子から出てきた。

 北斗や八重が「おお」という歓声をもらす。

 どうやらこれが彼女の“手足”らしい。まるで医療現場で見るようなロボットアームは、最新の機械工学もびっくりの精密な動きで、ノイマンの口元へ水の入ったコップを運ぶ。ノイマンはそれを一口飲んでから話をつづけた。


「手足が動かないこと自体はそこまで問題ではないのだが、内臓もいくつか使い物にならなくてね。水分をとることくらいならできるんだが、食事だけはどうしても難しいんだ。」

「えっ・・・あんた本当に生きてるのか?」

「ああ。生命維持活動にかかわる部分は人工臓器で補填しているし、食事を口から接種しなくとも点滴で栄養は取れる。」


 ロボットアームの他にも、車椅子からは点滴用の注射針や事件器具やらが飛び出してくる。

 ノイマンの車椅子は彼女の体形にそぐわず大きく、随分ごついものだと違和感を抱いてたのだが、“車椅子”以外の機能が搭載されていたのならば納得である。これでは車椅子というよりも、かのネコ型ロボットのポケットなのではなかろうか。

 そんなときである。

 ざわざわと外の方から騒がしい声が聞こえてきた。


「ちょっと、何よあれ」

「海外妖怪だ。気持ち悪ぃ、近づかないでおこうぜ。」

「なんであいつら海外妖怪なんかと飯を食ってるんだ。」

「気をつけろよ、怪我でもさせちまったらこっちに責任が負わせられる。」


 若い男女のグループだろうか。いなりたちの座敷の様子を横目に見ていきながら、すぐに通り過ぎて行った。しかし、その話声はしっかりとこちらには聞こえている。


「ノイマンさん、その」

「気にしないでくれ。には慣れている。」

 

 ノイマンはそういって肩をすくめて見せる。

 その姿が、いなりは昼間に出会った青年と重なった。

 せっかくの宴会が、急速に冷めたものになる。それはノイマンも望まないことであるのは推し量れることだが、気にしないではいられない。


「誰のおかげでこの国が保ってる思ってるんやろうな。」


 八重の表情が曇り、背後でゆらゆらと怒気が揺らめいている。

 美人は怒らせると怖いというが、八重はまさにその典型例だ。もし彼女の機嫌が悪かったら、今頃彼らは地面にはり倒されていたところだろう。


「ずいぶんあからさまに溝が深まってきているんだねー。」


 黒羽のいう溝とは、海外妖怪と日本妖怪の仲のことである。


「本当に昔からこのような感じなんですか?」


 いなりが問うと、「話すと長くなるよー。」と黒羽は苦々しそうな顔をする。


「そもそも事の発端は開国時に遡るんだ。」


 幕末期、日本の人間社会の方は開国という大きな転換をしていた。一方で、妖怪社会で海外妖怪に対して比較的穏健な受容派と過激な排除派に分かれ、日本妖怪分断の危機にまで陥りかけたのだという。


「そこまで話が大きくなっていたのか!?」

「大きくなるんだよ、これがさー。北斗は人間だからあんまり実感わかないんだろうけどねー、妖怪にとって“土地”っていうのは大切なアイデンティティみたいなものなんだよー。例えばだけど、北斗の家の庭に不審者が急にきて住み始めて、挙句の果てに自分の苗字を名乗りだしたらどうするー?」

「叩き出すな。」

「簡単にいうとそういうこと。だから、事の問題はがかかわるまで大きくなったんだよー。」


 海外妖怪の扱いは三大妖怪の間でも話し合われ、そして対応の仕方で意見が割れた。


「確か最後まで海外妖怪の受け入れに難色を示していたのが西の四大妖怪じゃなかったかな?」


 ノイマンの言葉に黒羽が「そーそー。」とうなづく。

 

「とはいっても、それは早蕨自身の意思というよりも、西の地が全体的にがっちがちの保守勢力だからそれを考慮しての意見だったんだろうけどねー。」


 その言葉に「あー。」と八重はうなる。どうやら心当たりがあるらしい。彼女も四大妖怪という立場であったからそれも当然である。


「まあ結局は西の保守勢力の住む範囲とは分ける形で南の地を設けることで一応は解決に持ち込んだんだけど・・・切り捨てられる形になった南の地の妖怪は納得していないだろうねー。」


 そうして、南の地はいまや他の地域の日本妖怪の裏社会とは少し毛色の違う、海外妖怪と日本妖怪がぎりぎりのところで均衡を保った、火薬庫的な様相を持つこととなったのだ。


「そこに火種を落としたのが十年前の噴火事件だったんだよ。」

「なんでそこで十年前の事件がかかわってくるんだ?」


 そこから黒羽に変わり、ノイマンが北斗の問いに答える。


「あの事件の真相・・・つまり神巫の暴走は一般妖怪には隠されているんだ。混乱を招きかねないし、何より神巫の人権にかかわってくる。そうなると、必然的に犯人扱いされるのは海外妖怪なんだ。」


 真相は違うのに、海外妖怪陰謀説がもはや常識と化して南の地には蔓延しているということだ。


「だが、それだと海外妖怪が黙っているわけないんじゃないのか?」

「鋭いな。まさにその通りだよ。」


 ノイマンはそういって、レジスタンスについての説明をし始めた。

 いなりはこれについてすでに蓮司から聞いていたので改めて聞く必要もなかったのだが、それを八重や北斗は知らない。蓮司からの口止めの約束もあるため、あえて初めて聞いたようなそぶりで軽く聞き流すことにした。とはいっても、普段から表情筋が仕事をしないいなりがどのように聞いても、さとりでない限り彼女の思考はほとんど読み取れないためそこまで心配する必要はない。

 一通りノイマンが話し終えたところで、北斗は頭を抱えてうなる。


「・・・なるほどなあ。」


 そして、ようやく一言だけ発した。


「余計混乱させたかな?」

「いや、聞こうとしたのは俺なんで気にしないでください。ただ、なんというか、自分の知らないところでこんな風に世界は動いていたんだなと、改めて驚かされたといいますか、許容量が限界に近付いていいますか・・・。」


 それなりに妖怪社会に通じているいなりですら情報量に消化不全をおこしかけているのに、予備知識がほぼゼロの状態で話を聞いていた北斗が混乱するのは当然だ。


「人間の世界だけで、この世のことわりは成り立っていない。これから先、君がの世界と関係を持つならば、いくらでもこうした混乱は起こるさ。だが、それを受け入れようと悩む姿は実に好ましい限りだ。」


 そういわれて、北斗はぽかんとノイマンを見返す。遠まわしに褒められたことに、時間差で気が付いたようである。


「えっと・・・ありがとうございます?」

「礼を言うところじゃないさ。」

 

 ノイマンはそういうと、ヴォンダーの方をちらりと見た。すると、ヴォンダーはノイマンの車いすの傍にやってくる。


「さて、いい時間になってきた。私はこれくらいでお暇させていただくよ。」


 気が付けば、すっかり夜遅い時間である。

 慌てていなり達は改めて夕食の礼を言う。ノイマンは終始、「気にしないでくれ。」の一点張りだった。

 後に残されたいなり達も、また食事をするような気分にもならなかったので、それぞれの部屋に戻ることにした。


「なあ。」

「どうしましたか?」


 帰り際、ふいに北斗が問いかけてきた。

 

「ノイマンさんって、どこか佐助さんに似ていないか?」


 それはいなりに対してではなかったかもしれない、ただの独り言かもしれなかった。それくらい、北斗は本当に何気なく言ったつもりのようだった。


(言われてみれば・・・)


 ノイマンは少女のような外見に反し、まるで偉人のような威厳を纏っている。一方の佐助もまた、まだ四十路に入ったばかりのわりに妙に爺臭いところがあるというか、一体いつの時代の人だと思わされるようなときがある。見た目と雰囲気が合わないという点で、確かに両者は似ているような気がする。

 

「確かにどちらも外見に対し中身は老成ろうせいしていますね。」

「お、おう。まあそれもそうなんだが・・・うまく言えないな、なんというか人生を二周とか三周してそうじゃないか?」

「はあ・・・。」


 確かに人生二回も三回もめぐっていたら精神年齢という概念を飛び越えて達観的にもなるだろう。しかし、ノイマンは人生を周回しているというよりも長く生きているのであり、佐助は佐助で単純に爺臭いだけではなかろうか。実際、彼の伴侶は云千年生きた妖狐の婆である。


「気のせいではないでしょうか。」

「そうか。」

「それに、それを言ったら黒羽と八重はどうなりますか?」

「あいつらは・・・むしろ精神年齢が低すぎるよな。」


 北斗はそういってくすりと笑う。

 そうこう話しているうちに、部屋の前までやってきた。 


「では、おやすみなさい。」

「ああ、おやすみ。」


 明日はどうか平穏であるように。

 いなりは扉を閉じながらこっそり心の中で祈るのだった。

 



◆◇◆




「これで何人目だ?」


 男の目の前には、ブルーシートをかけられた物体が三つ並んでいた。

 不揃いに並べられたそれらのうち、一つの横にしゃがみ込んで男はブルーシートをめくる。そして、目を細めてすぐにシートを戻した。

 

「8人目です。」


 男の問いかけに対し、その隣に控えている者が簡潔に答える。その答え方に感情はこもっていない。

 瞬間、がしゃあんという凄まじい音が室内に響き渡った。

 男が壁を殴ったのである。

 壁に放射状に亀裂が走り、ぱらぱらと破片が床に零れ落ちる。

 ここが廃ビルでなければ、すぐにでも警察が飛んできたことだろう。しかし、もちろん警察が来ることはない。それどころか、人間さえも訪れないだろう。


 この廃ビルは筑後組の拠点である。筑後組は現在九州で最も勢力のある組だ。その証拠に、一目で実力者とわかるような妖怪たちが大勢この場にいる。

 そんな彼らに囲まれるようにして、男はソファに腰かけた。水かきのある手がぐしゃりと壁の破片を握りつぶす。

 その男の外見は、深緑の肌をしている点と、口元が嘴のように尖っている点を除けば、他は至って普通の人間と同じだ。まるで爬虫類と人間のあいのこのような見た目をしている。


「組長、どういたしますか。」

  

 男こそ筑後組組長・九千坊くせんぼう

 九千坊は袖を跳ね上げて、腕を組み、目を閉じる。それから間もなく、おもむろに口を開いた。


「主犯は殺さずにとらえろ。話はそれからだ。」


 九千坊の言葉を聞いて、どよめきが波紋のように広がった。

 

「殺さずって・・・」「もう犯人なんてわかってるようなものだろうが。」「犯人はどうせ」「奴らだ」「海外妖怪の仕業に決まっているだろ」「どうして弱気なんだ」「やられる前にいっそこっちから」

「騒ぐな。」


 その一言を彼が発しただけで、空間に静寂が訪れた。


「あの鬼にはいろいろと貸しがある。こっちで面倒事を増やすわけにはいかねえだろ。」

「組長・・・!」

「俺の話が聞けねぇってのか。」


 ぎょろりとした出目が発言者をぎろりと睨みつける。声をあげた組員はひっと悲鳴を飲み込み、押し黙った。

 九千坊は大きくため息をついた。

 彼とて、じれったく思う組員たちの気持ちがわからないわけではなかった。それどころか、今回の事態にもっとも憤慨し、今すぐにでも犯人を殺したがっているのは自分自身である。


 夏頃から今にかけて、筑後組の組員が相次いで惨殺される事件が起きた。はじめは対立する組かと思われていたが、下っ端ですら筑後組組員であれば殺すというやり口は、確かな連携のとれた集団がやるようなことではない。

 とすると、考えられるのは一つ―――レジスタンスの先制攻撃だ。

 どちらかというと、筑後組は海外妖怪に対して排他的な組である。組員たちとの間に衝突が起きたことは数知れない。その報復のつもりで今回の事件を引き起こしているのではないか・・・というところまでは馬鹿でもわかる。

 問題は、それから先だった。烏合うごうの衆であるレジスタンスを潰すのは筑後組にとって容易なことである。しかし、これをきっかけにそれまで保たれていた南の地の危うい均衡を崩しかねない。レジスタンスは今や、革新派勢力の単なる活動ではなく、南の地の均衡を左右させるような勢力を持つまでに成長しているのだ。

 九千坊がなかなか事を踏み出せずにいたのはそうしたわけがあった。仮に制裁を下すとしても、実行犯のみを潰す程度に事をおさめたい。


「いいのかい?あんな連中、さっさと倒してしまえよ。君達だって不満に思っているんだろう、四大妖怪のはっきりしない態度には。」


 突然、何者かが静寂を破った。

 

「誰だ!」


 おどけた道化師のような声に対し、九千坊が鋭く誰何すいかする。

 それを待たずして、組員達が一斉に侵入者めがけて攻撃を放つ。

 

「大層なお出迎えだね。でも警戒しないでほしいかな。危害を加えるつもりはこれっぽっちも私にはないんだよ。」

 

 しかし、聞こえてきたのは断末魔ではなく、変わらずぺらぺらとしゃべり続ける男の声だった。

 それどころか、次の瞬間には攻撃したはずの組員たちがことごとくその場に伏していた。何が起こったのか、まるで分らない。


(何が起きた・・・!?)


 かつんかつんと靴音をたてて、道化師は九千坊の前に姿を現わす。

 現れたのは、真っ黒な男だった。声からかろうじて男と判断できたが、それ以外の外見的な特徴などは頭からすっぽりとかぶった頭巾によって隠されている。


「手前、何者だ。」

「なあに、ただの情報提供者さ。」


 そういって、黒ずくめの男はゆっくりと歩み寄ってきた。


「情報提供者だと?なんの話だ。」


 この状況はまずい。

 九千坊の頭には警鐘が鳴り響いていた。

 会話の主導権はすでに黒づくめの男に握られてしまっている。その上、相手の実力が全く分からない。

 筑後組は決して弱くない。その上、この場にいる組員は皆それなりの実力者揃いである。それが、たった一人に打ち負かされたのだ。


「知りたくないのかい?君の大切な部下たちを殺した犯人―――」


 破裂音が男の言葉を遮った。

 途端、壁に穴が開き、そこから大量の水が男めがけて噴射する。

 先ほどの壁のように九千坊が物理的に破壊したわけではない。水道管が破裂したのだ。

 ここは廃ビルであり、電気やガス、さらには水道も通っていない。しかし、水道管の設備自体は建物内に残されている。つまり、水を動かすことのできる動力さえあればいくらでも水を通すことができる。水を自在に操る九千坊の妖術は、水とつながる道があれば、たとえ水辺でなくともその力を発揮する。

 九千坊の妖力によって刃物のように研ぎ澄まされた水のやいばが八方から男を取り囲んだ。

 しかし、水が男に届くことはなかった。

 男の体に触れる直前で、ばしゃりと床に落下したのだ。妖力による操作を止めたわ

けではない。


(どういう仕組みだ・・・?)


 結界によってはじかれたわけではない。

 水を動かすような感覚である。


「落ち着けよ、河童野郎。」


「ここで私を殺したらすべてわからなくなるよ。」

「何が望みだ。」

「別に取引を持ち掛けに来たわけじゃない。とにかく、まずはお互い腰を据えて話そうじゃないか。」 


 九千坊と男は向かい合う。

 完全に男のペースである。そもそも、彼の話にのるしか、自分に選択は残されていないのだ。

 そのことに気が付いたとき、九千坊の中で屈辱的な思いが沸き上がってきた。

 しかし、もはやどうしようもない。

 喉から手が出るほど欲していたはずの情報を、まるで死刑宣告でも聞くかのような面持ちで九千坊は男の言葉を待った。


「犯人は―――」

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