妖魔抗争 1


◇◆◇




 月明かりをさえぎり、大海原を突き進む巨大な黒い影。

 正面には鈍く輝く洞穴のようなまなこがぎょろり、ぎょろりと動いている。

 夜闇を泳ぐように、黒い影はずんずんと突き進んでいく。

 それはタンカーでも潜水艦ではない。

 脈打ち、己の力で生きている。

 しかし、動物でもない。

 この世ならざるモノ。

 はるかかなたの常世とこよから来訪した妖魔である。

 長い眠りから目を覚ました彼に、何も特別な欲求はない。

 彼を突き動かすのはただ一つ。

 すべてを壊すという、破壊衝動のみ―――




◇◆◇



 ―――明朝


 

 羅刹はひとり、海辺を歩いていた。彼の手にはコスモスの花束がある。

 向かっているのはこの先にある岬。そこへ墓参りに行くのだ。

 数弥は出先ではせめて一人は護衛をつけろと言うが、羅刹はかたくなに断り続けている。普段の外出ならしぶしぶ数弥か蓮司を連れていくのだが、こればっかりはその願いを聞いてやれない。情けない顔を部下に見られないため、というのが本音である。それに、彼女に会うのに四大妖怪としての自分ではなく、大江山羅刹として会いに行きたかった。

 本当ならば、息子と一緒にいる姿を見せてやりたいところだが、今年もそれはかないそうにない。

 息子―――愁が自分のことを憎んでいることを不快には思わない。彼を母無ははなし子にしてしまったことは、自分の責任である。恨まれるのは当然だ。自分はそれだけのことを、しているのだから。

 ざざあと遠くで波が打ち寄せる。夏の海は活気にあふれ、このあたりは海水浴客でよくにぎわう。しかし、秋の深まってきたこの時期には、浜辺には人っ子一人いない。寄せては返す、波の音ばかりが静かに聞こえてくるだけだった。

 

「羅刹!緊急事態だ!」


 その時であった。

 空から突然自分を呼ぶ声が降ってきた。


「何事だ、豊前坊ぶぜんぼう。」


 急降下してきたその人物―――否、烏天狗は羅刹の前に降り立った。

 九州の烏天狗を統べる、豊前坊という名の烏天狗である。烏天狗ではあるが、黒羽の部下ではない。彼は羅刹と協力関係にある英彦山ひこさん組の組長なのであり、対等な関係である以前に、羅刹が南の地に来たときから親友同然の付き合いをしている。

 普段は英彦山を縄張りにして山の管理を行っているはずであり、こんなところで見かけるような相手ではない。


「海上に不審な影を見つけたもんだがらその確認に部下を向かわせたんだ。だが、どうも様子がおかしくてな・・・」

  

 豊前坊は語尾をくぐもらせながら羅刹に写真を見せた。

 山伏姿をした彼が器用に操作してスマホを見せてくるのは少し奇妙な光景ではある。彼は見かけによらず、案外ミーハーなところがあるのだ。時代の波になかなか乗れず、いまだガラケーすらあやうい自分とは大違いである。

 妙なところで関心しながら羅刹は写真を覗き込んだ。

 それを見た瞬間、羅刹は眉をひそめた。

 カメラにおさまっていたのは、海原の向こうから向かってくる巨大な黒い塊。正面には目と思われる巨大な二つの丸い孔が鈍く光っている。


「こりゃあ・・・モクリコクリじゃねえか。」


 モクリコクリ―――それは、鎌倉期に日本列島に接近してきた妖怪の通り名でる。実際はどういう妖怪だったのか今でこそ謎だが、かつて蒙古と高句麗が日本を襲った過去の脅威と混ざり、蒙古高句麗モクリコクリと呼ばれているのである。

 羅刹はこの妖怪について父である酒吞童子から聞いたことがあった。その姿とこの写真の物体はほぼ同じである。しかし、話によるとモクリコクリは黒羽が沈めたはずである。

 なぜ今になってその妖怪が復活したのか。


「今は海坊主と海座頭が足止めに向かっているが、全く止まる気配がねえ。俺んとこの部下も加勢に向かわせてるが、それでもこの図体だ。」

「期待はできないということか。」

「そういうこった。」


 何をあの妖怪がやろうといているのかはわからない。 

 しかし、このまま接近を許せば妖怪によってもたらされた巨大な高波が街に押し寄せてくることは間違いない。そうなれば、街は壊滅だ。


「分かった。あれは俺がやる。」

「やるって、何言ってんだ羅刹!?」

「いいから俺をそこに運べ。」

「おいおい本気か!?ありゃあ桁が違ぇぞ。」

「だったら俺もだ。」


 そういうと、豊前坊は黙り、苦笑いを浮かべる。


「・・・っへ。言うようになったなあ、お前も。マブダチとして感慨深いものを感じるぜ。」

「マブダチってなんだ?」

「っだー!手前のそういうところは嫌いだけどな!!空気が読めねえところは変わってねえよなぁ、ほんと!!」


 豊前坊はばしんと羅刹の背中を勢いよく叩く。しかし、逆に彼が「いってえ!!」と手を羅刹の背中にはじかれた。

 

「行ってやるよ。」

「頼む。」


 この街を壊させやしない。


 君が命を懸けて守った、この街を。




◇◆◇



 

「百九十七!!」


 額の汗をぬぐいすて、愁は木刀に力をこめる。

 振り上げ、風を切る。

 神経は研ぎ澄ませたまま。決して脱力させない。 


「百九十八!」


 愁は旅館を抜け出し、近所の公園でひたすら素振りをしていた。毎朝のルーティーンである組手ができない代わりの鍛錬であり、そして自分のストレス発散法である。こう

した基礎的な鍛錬をしている間は頭を空っぽにできるし、体を無理にでも動かしていないとまた激情にかられてしまいそうだった。

 普段の自分ならば、こんなにいろいろと難しいことを考えない。単純だの馬鹿だの阿保だのよく言われるが、実際に賢くない頭を働かせたところであまり意味がないというのが持論である。だから、愁は基本的に自分がそうだと思ったらすぐに実行するようにしている。考えるのが苦手な分、決断が早いに越したことはない。

 しかし、今はその決断力すらうまく働かなかった。

 悩み、迷い続けている。

 

 母の仇を取る。

 それが自分の目標。

 ずっとそのために力をつけてきた。

 そのために、強くなろうとした。

 

(らしくねぇ。)


「百九十九!!」


 愁は竹刀を握りしめ、ひたすら振り続ける。竹刀の柄にはうっすらと血がにじみ始めていた。しかし、愁は木刀を離そうとはしない。

 父親を前にして激昂した自分を彼らに見られたことが、愁の心をざわつかせていた。

 別に自分の家族について隠していたつもりはない。ただ、あまり知られたくはなかったという気持ちはある。変に同情してほしくなかったというのものあるが、一番の理由は自分のことを不幸者たらしめたくなかったからだ。

 ―――父親に母親を殺されたかわいそうな一人息子。そんなレッテルを自分で自分に張りつけたくなかった。

 なのに、今の自分はどうだ。

 家族について知られ、自分の抱えてきたどす黒い本心を見られ、彼らから距離を取っている。

 これではまるで、自分が父親を殺すことを後ろめたく思っているようではないか。


(違う!!)


 自分は母の仇を取る。

 そのために父を殺す。

 あの日、自分で決めたのだ。


 その決意を、ここで迷うわけにはいかない。


「二百!!」


 ばきりと、木刀が折れた。

 無意識に妖力を込めてしまっていたらしい。ただの木材が愁の妖力に耐えきれるはずもなく、破裂してしまったのである。

 素振りをしていたのが強制的に止まったことで集中力が切れ、急に疲れが体にどっとくる。じくりと、一昨日蓮司にえぐられた腹が痛んだ。

 愁はその場にごろりと横になった。

 夜明け近い紫を帯びた空を仰ぎ、深く息を吸い込む。昨日からろくに食べていないせいか、空腹を通り越して胃がひしひし痛んだ。


「・・・飯、食いに行くか。」

 

 今から旅館に戻れば朝食時に彼らと会えるだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 どんな顔をして会えばいいのかわからない。だが、それ以上に会っておかなければならないと感じた。

 愁が体を起こしたときである。何者かが話しながら近づいてくる気配がした。

 人ではない。妖怪だ。父親―――四大妖怪傘下のモノたちの気配ではない。だが、一般の妖怪にしては強い妖気である。

 咄嗟に愁は木陰に身を隠した。


「・・・場所は?」


 聞こえてきたのは男の声だった。

 身を潜めたまま様子をうかがうと、どうやら二人組のようである。一人はパーカーをきた少年のようであり、頭からすっぽりフードをかぶっているので顔はわからない。もう一人はなぜかカボチャを頭からかぶっている。親子には到底見えない組み合わせである。むしろ、カボチャ頭の不審人物に子どもがさらわれそうになっているとみるべきだろうか。

 愁はいつでも飛びだせるよう、身構える。

 

「たぶん例の旅館だ。鬼はそこで東から来たという烏天狗と面会する予定らしい。」

「それは確かな情報か。」

「まあな。盗聴器で得た情報だしそりゃ確実だろうよ。」

「よし。」


 鬼・・・烏天狗・・・?それに、旅館だとも口にしていた。

 東からきた烏天狗とは、確実に黒羽のことである。ならば、その烏天狗と会う鬼は・・・・


彼奴あいつなのか・・・!?)


 どういうことだ。

 どくんどくんと、心臓が早鐘を打つ。

 その間も、二人組の会話は続いている


「すぐに襲撃の準備を整えろ。こっちは総戦力で行く。」

「分かってるさ。」


(襲撃・・・!?)


 彼奴が、父親が、狙われている。

 なぜだ。

 そもそも、彼らは何者だ。

 だが、父親が狙われていることだけは確かである。

 

(自分の知らないところで、勝手に死なせてたまるか・・・!)


 先ほどまで胸のうちにわだかまっていたものがふっと消えた。

 そう思うや否や、愁は旅館に向かって駆け出していた。




◇◆◇




 バタバタと廊下を走る音がする。階下では誰かが声を荒げているのか、随分騒がしい。

 騒音に安眠を妨害され、いなりは早朝に起こされる羽目になった。昨日大寝坊したため今日は早起きをしようとしていたつもりではあるが、朝四時に目を覚ますつもりは全くない。

 他人よりも鋭い聴覚は、わずかな物音からでも気配を探れるぶん、逆にあまり聞いていたくないうるさい音すらも細かく拾ってしまう。だから、いなりは人込みなどをあまり好かない。

 この旅館は妖怪ばかりが宿泊客であるせいか、人間社会のホテルなどに比べて物音のほとんどしない。そのため、いなりにとっては快適な空間だったのだが、どういうわけか今朝は妙に騒がしい。

 隣を見ると、八重はまだぐっすりと眠っている。八重を起こさないように、そっといなりは布団から抜けだした。しかし、かといって何もすることはない。適当に髪をとかしながら、いなりはゆるゆると身支度をすることにした。

 ちょうどその時である。客室の扉をノックする音がした。

 のぞき穴から外を見ると、北斗が部屋の扉の前にいた。

 

「おはようございます。どうしたんですか、こんなに朝早くに。」


 扉を開け、いなりは自分のことを棚に上げて北斗に訪問の理由を聞いた。

 すると、北斗は険しい顔で答える。

 

「なあ、外を見たか?」

「外、ですか?」


 北斗の性格からして、幼稚な悪戯を企んでいるとは思えない。

 何か確認してほしいことでもあったのだろうか。


「少しここで待っていてください。」


 いなりはいったん扉を閉めて、部屋に舞い戻る。

 そして、寝ている八重に構わずカーテンを勢いよく明けた。


「ああ?いなり早ないか・・・まだ時計四時半にもなってへんじゃあらへんか・・・」


 やはり八重を起こしてしまったようだ。

 ふにゃふにゃとした声を出しながら、八重は布団に頭をうずめる。


「起こしてしまい申し訳ありません。ですが、それどころではないようです。」

 

 いなりは網戸をこじあけ、さらに窓を開け放つ。

 外を見て、いなりは一瞬言葉を失った。

 いなりの尋常ではない様子に気が付いたようで、八重も目をこすりながらいなりの隣にやってきて、窓の下に目を向ける。


「・・・!」


 旅館の入口を大勢の河童たちが旅館を取り囲んでいた。

 中居と思しきものたちが、話こんでいるようだが、妖怪の集団が取り合うようなそぶりはない。それどころか、何か言い争っているようにも見える。

 いなりと八重は顔を見合わせ、急いで着替えて階下へと向かった。


 階下はまさに混乱状態だった。

 あわただしく中居たちが棒やさすまたを持っていきかいし、机を持ち出してきて入口に重ねている。いなり達以外にも様子を見に来た旅館客もいるようだが、物凄い剣幕で中居たちが客室へと押し戻している。

 一体どういう状況だと思っていたところで、何者かがロビーの物陰からひょっこりと顔を見せた。


「おわっ!?おま」

「しー。見つかると帰されちゃうよー。」


 黒羽である。黒羽はこっちこっちと手招きをしてる。

 とりあえず、いなり達は招かれるままに黒羽とともに物陰に姿をひそめた。


「何してんだお前。」

「何してたって、三人が考えてることと同じだよー。ここで隠れて様子をうかがってたってわけさー。」 


 つまり、黒羽もまた騒動に誘われてやってきた野次馬である。


「何事ですか?」

「どうも筑後組が旅館に押しかけてきたっぽいんだよねー。」


 こっそりと窓から様子をうかがうと、バリケードを作って中居と板前たちがあれこれ防壁のようなものを築いている。その先にいるのは武装した河童たちである。


「筑後組って、九州の組か?」

「そうそう。九千坊っていう河童が率いている、それなりに規模のでかい組だよー。四大妖怪勢力下にはいないけど、別に対立もしてなかったはずなんだけど・・・」


 ちょうどそこで、鋭いメガホンの音が黒羽の言葉を遮った。

 

「おい河童共!!どういう理由でこの旅館を取り囲んでるんだか知らねえが、ここはただの旅館だ!!抗争ならどっか他所よそでやらねえか!!」

 

 メガホンを片手に、旅館の入口前で板前長と思しきものが仁王立ちして啖呵たんかを切った。真向から筑後組に立ち向かうつもりのようである。

 すると、河童たちの間から何者かがぬっと出てくる。他の河童たちと比べると、ずっと人に近い姿をしている。しかし、河童的な要素がところどころ残っているせいで爬虫類と人間のあいの子のような見た目をしており、一層不気味な外見をしている。


「俺が筑後組の頭、九千坊だ。」


 落ち着いた、しめっぽい声が空気を震わせた。


「要件はただ一つ、ノイマン・ヴァイストイフルを出せ。」

「ふん、理由もなしに大切なお客様を組の連中に出すわけにはいかねえな。」

「奴はレジスタンスを率いている黒幕だ。」


 板前長の顔色が変わった。

 いなりはどういうことだと黒羽の顔を見る。

 しかし、黒羽は心当たりがないという顔で肩をすくめて首を横にふるう。


「そ、それは事実なのか!!」

「事実も何も、実際こっちは海外妖怪の被害を受けてるんだ。あの魔女にゃあ、その責任を負ってもらうつもりだ。」


 言葉からして、九千坊に交渉の意思は毛頭なさそうである。それどころか、今にも攻め込んできそうな気迫である。


「どうするんだよこれ。」

「うーん、一番手っ取り早いのはノイマンの無実を証明して河童軍団にお帰りいただくことだけど・・・」


 この剣幕の河童たちに平和的解決を求めることは絶望的である。


「セツにあいだを取り持ってもらうのが安全策かなー。」

「一応自分かて四大妖怪やろ。今こそ職権を乱用せんかい。」

「無理無理―。他の地で起きた問題に頭突っ込んで追放にあった、どこぞの誰かさんみたくなりたくないからねー。」

「ぐっ・・・何も言えん。」

「そもそも、東の僕らが手を出すこと自体グレーゾーンだからねー?」

「けど・・・。」

 

 北斗や八重はそれ以上、何も言い返せなかった。

 それぐらい、黒羽の言うことは正しい。

 四大妖怪制度というかたちで妖怪社会が成り立っているのは、たった一柱で絶大な影響力を持つ妖怪が互いに不可侵の掟を結んでいるからこそ成り立つものだ。これによって防がれているのは、何も一般の妖怪達の小競り合いだけでない。大妖怪同士の衝突を避けるためでもある。その掟を破ることは、制度そのものを壊してしまいかねない。八重の場合は例外的に非常に穏便に済んだだけの話だ。

 だが、だからといってノイマンを見捨てるほどいなりは冷徹でもない。彼女には愁を手当をしてもらった恩と、食事の恩がある。

 いなりは八重や北斗に助け船を出してやることにした。


「ですが、宿泊客が身の安全のためのは当然では?」

 

 黒羽は痛いところをつかれたような顔をした。それから、大きくため息をつき、背中の羽を広げる。

 どうやら腹をくくったらしい。


「しょーがないなー。僕がセツたちを呼んでくるから、それまで時間稼ぎを頼んだよー。」


 黒羽は窓から飛び出していった。

 さて、そうなると残された三人は顔を見合わせた。

 

「おい、時間稼ぎって、どないすんつもりや。」

「会話を長引かせるなりして河童軍団が押し入ってくるのをとどめるとかですかね。」

「んなのできるかい。もうすでにあっちは挑んでくる気まんまんやぞ。」

「よし、俺が行こう。」

「待て、早まるな北斗!お前はやめとけ、人間がでしゃばると話がややこしゅうなる。」

「じゃあ八重が行くのか。」

「いや、ここは言い出しっぺのいなりさんに行ってもらおうやんけ。」

「どうしてそうなるんですか。」

 

 手を合わせてくる八重に対し、いなりは声音で物凄く不満であることを示す。八重はしかし、「そこをなんとか」と食い下がる。


(本当はあまり関わりたくはないのだけれども。)


 ノイマンに恩があることは確かであり、彼女を見捨てたくはない気持ちはある。しかし、いなりの頭では昨日蓮司の言っていた言葉が脳を巡っていた。

 

(関わるな・・・か。)


 南の地が抱える大きな火薬庫。その要素に、自らなりにいくのか。

 目の前で起こっているのは、直接いなりに関係ないことである。

 

(だが―――守らないわけにはいかない。)


 ここで見て見ぬふりができていたら、自分はどんなに楽だったことだろうか。

 平穏を望んでいながら渦中に飛び込んでいくこの性格は、どうしたものか、治らないようである。


(それもまた、自分の決めた生き方だ。)


「・・・期待しないでください。」


 時を同じくして、旅館側と筑後組がにらみ合いから事態は進もうとしていた。


「そっちが奴をかばうっていうんなら、力づくでいかせてもらうぞ。」

「お待ちください。」


 八重が板前長をおさえている隙に、いなりは九千坊という河童の前に進み出でる。

 本当ならこんな目立つような真似をしたくないのだが、いたしかない。黒羽に無理を言った反面で自分たちが何もしないというわけにはいかないのだ。

 ここでいなりがやるべきことは、少しでも筑後組と旅館が全面対立に入ることを遅らせること。そのためにすることは、できる限り会話を長引かせることである。

 しかし、コミュニケーション能力が自他ともに認めるよういささか欠如している自分がどこまで持ちこたえられるだろうか。いなりはとりあえずノイマンの弁護をすることにした。


「彼女は四大妖怪の監視下に置かれているんですよ。外部の海外妖怪と連絡をとることは不可能でしょう。あなた方は、ノイマンさんが黒幕だと本当にお考えなのですか?」


 九千坊は「ほう、」と顎を撫でる。

 後ろの方で何やら「いいぞ!」とか「その調子だ!」とか聞こえてくるが無視を決め込む。

 それに、九千坊の嘆息はいなりの言い分に納得してくれたものではなかった。


「あの魔女が本当に黒幕かどうかはこの際どうでもいいんだよ。だがな、どちらにせよレジスタンスの暴走を許したのはあの女の大使としての役割がもう通用しなくなっているってことだ。」

「・・・ノイマンさんを見せしめにする気ですか?」

「力こそすべて。それが妖怪の世界だ。」


 そう言うなり、ぶわりと九千坊の妖気が立ち上る。


「俺たちのやり方を押し通させてもらうぜ。」


 交渉決裂。

 早すぎる。お粗末な駆け引きであったが、二、三分の足しにはなっただろう。この先は、全力で防衛するしかない。

 九千坊のかかれという掛け声とともに、河童軍団が旅館に突入してきた。

 しかし、そうはさせまい。 


「力で押し通す。その言葉、そのままお返しさせていただきます。」 



 広範囲炎術―――妖炎乱舞・涼風の舞



 炎の風が河童たちをはじき飛ばす。

 いなりは旅館を取り囲むように炎の壁を作り出した。


「狐炎・・・貴様、妖狐か!」

「半分正解です。」

「・・・無関係の奴らを巻き込みたくはなかったんだがな。」

「では引いていただけますか?」


 すると、突然道路でマンホールの蓋が飛び上がり、巨大な水柱が幾本も出現する。

 水辺でないため戦況を有利に運べると思っていたが、そうでもなかったようである。


「悪いが、それはできねえ。」


 九千坊が指を鳴らすと、炎の壁めがけて水の渦が襲い掛かってきた。

 しかし、水と炎がぶつかり合う直前に水柱は空中ではじかれる。


「そう簡単に攻め込まれてたまるかい。」


 八重の空間断絶である。


「手前・・・西の狸か。」

「今はもう、ただの狸やけどな。」


 河童は憎々し気に八重をにらむが、八重はさらにそれを挑発するように手招きをする。


「さあて旦那、うちがなんぼでも相手になるで?」


 八重はゆらりと槍を手にして九千坊に向ける。

 水柱の矛先が、旅館から八重の方に変えられた。しかし、八重に届かずいずれもはじき返される。

 

「・・・女だからと容赦しないぞ。」

「そう来なくっちゃあ!!」


 八重が九千坊を引き付けている隙に、いなりは炎で他の河童たちを牽制する。

 しかし、相手は水系統の妖術の使い手である河童たち。決して油断はできない。あくまで防衛に徹さなければならないのが難しいところである。


「陽光、影月、お前らも行け。」

『しかし、主は』

「俺はこのことをノイマンさんに知らせてくる!心配するな、今回は俺が目当てじゃない。」


 北斗はそう言い残して駆け出す。

 地下の、あの部屋へ向かうつもりなのだ。


「あの人間のガキ、魔女を逃がすつもりだ!!」

「捕まえろ!」

『させぬ。』


 北斗の影から二体が飛び出し、河童の前に立ちはだかる。 

 普段は大型犬サイズの二体であるが、実際の大きさはライオンなどの猛獣とほぼ同じである。巨大化した狛狗たちを前にしてに河童たちの攻撃がひるんだ。

 陽光は一声吠えると、河童の軍団の中に踊りこんでいった。


『我がここを守る。影月は主のもとへ!』

『承知。』


 影月が北斗の後を追おうとしたときである。


「影月、危ない!!」


 影月が動きを止めたのと、紫炎が彼の行手に燃え上がったのはほぼ同時であった。


『いなり殿の術ではないな。』

「はい。」

 

 いなりは自然発火の炎でもある程度の操作を行うことができる。

 しかし、この謎の紫炎は操作することができない。つまり、どこかに術者がいる。


「何者ですか。」


 いなりが静かに誰何する。

 すると、突然炎がはじけるように燃え上がり、陽気な声とともに、紫の炎を纏ったカボチャが現れた。


「Happy Halloween!!」


 





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