黒白対談
地下室の明かりはまだ消えない。とはいっても、日の光の指さないこの空間には昼や夜の区別はないのだが。しかし、物理的な時間でいえば普通なら明かりは消えている時刻なのである。
ひとり、ふたりとひとの数は減り、残されたのは黒い少年と白い少女、そして少女の従者だけだ。しかし、従者は部屋の隅の方に置物のようにじっと身を潜めている。会話に入ることはおろか、気配すら消していた。実質、この空間には少年と少女ふたりだけしかいないようなものだ。
少年と少女、部外者がみれば何やら青春の一ページでも始まりそうなワンシーンである。しかし、彼らの実際の年齢を
黒い少年―――黒羽は芝居じみた優雅な仕草で紅茶に口をつける。
「親子感動の再会、と思いきやまさかの命掛けの大喧嘩—――なかなかドラマや漫画でもお目にかかれない展開だと思いますよ。全く、セツといい愁といい、あの血縁は僕のことをたびたび驚かせてくる。」
黒羽は口ではそんなことを言っているが、とても楽しそうに見える。
一を聞いて十を知る、ということわざが日本にはあるそうだが、この男の場合は一を知る以前から何十もの先を読んでいる。そんな彼に“予測不能”と言わしめる少年と彼の父親は、ある意味で傑物だ。
「君でもあの親子の行く末はわからないのかい?」
「さて、どうでしょう。それは彼ら次第ではないのですか。」
ノイマンがティーカップを卓上に戻すと、どこからともなくヴォンダーがやってきて茶を注ぐ。ノイマンは小さくありがとうと彼に伝えた。
天井に頭が届くほどの巨体であるにも関わらず、彼は繊細な仕事をこなしてくれる。ヴォンダーは会釈するようなそぶりをして、また部屋の暗がりへ溶け込んでしまった。おそらく、会話を邪魔しないように彼なりに最大限の配慮をしているつもりなのだろう。
ヴォンダーなりの心遣いをありがたく思いつつも、ノイマンの気は晴れない。
「ふたりだけで解決することができていたら、もっと早くに事はおさまっていたさ。」
「どういう風の吹き回しですか?ずいぶんとあの親子に肩入れをしているようですね。」
「まあね。」
黒羽は茶化すつもりだったようだが、ノイマンはそれをあっさりと肯定した。
「私もね、彼らには負い目を感じているんだ。」
曇硝子の瞳が暗く濁る。
それが、憂いのこもった表情をより一層かげらせた。
「私には、彼女を救うことができなかった。」
「それは、あなたの“力”をもってでもですか?」
ノイマンは無言で黒羽を見据える。
灰色の
「君も意地悪なことを聞くな。それはもう使わないと、とうの昔に誓っている。その誓いを破ることは、幾千万の
「
「・・・・・それはまた、ずいぶんと古い“名”で呼んでくれるじゃないか。」
大昔のことである。
欧州各国で魔女狩りが横行する世相とは反対に、ある国では魔物の存在は政府から公認された。しかし、その代わりに国家への貢献が求められた。要するに、対価としての力の提供だ。そのため、意思疎通の可能な魔人は強制的に軍へ加入させられる。ノイマンもまた、かつては軍人・・・否、兵器として戦場に立っていた。
しかし、彼女はそこから逃げ出した。
戦場から逃げ、母国を捨て、過去をすべて振り捨てるようにして、遠い異国の地にその身を置いた。
彼女の半生を知っているのは、本当に限られたものだけだ。
「・・・もし、私があの子の母親を救う事ができていれば、なにか変わっていたかもしれない。そう、思わずには居られないのだよ。」
ノイマンはぽつりと本心を吐露する。
この言葉を嘘で塗り固めることは、あの不器用すぎる親子に対して失礼なことのように思えたからだ。
「・・・これは僕が少し意地悪でしたね。」
「反省してくれたまえ。まあ、私が勝手に頭を悩ませたところで何も進展しないものだがね。」
「ごもっともです。」
まだ温かい紅茶を口に含むと、心が落ち着く。
ささやかな至福の時に、少しだけ気が緩んだ。
「なあ、君は疲れないのかい?」
ノイマンは独り言とも、問いかけとも判じかねる、ため息のような言葉をもらす。
それを聞いて、黒羽の細い瞳がうっすらと開かれる。その目はじっと、紅茶の水面を見つめていた。
「・・・ええ。僕にはまだ、やらなければならないことが残っているので。」
微笑みの下に隠された彼の本音を拝むことはかなわなかった。
鞍馬の烏天狗として、三大妖怪として、東の四大妖怪として、彼はずっと責務とやらを背負い続けて生きている。今まで彼の隣を歩いていた友人たちはもうとっくに荷を下ろしているというのに、彼はずっとそれを手放さなかった。固執している・・・とは思えない。むしろ、何の感慨も抱いていないのではなかろうか。
それにもかかわらず、彼はずっと残っている。
何が彼をそうさせるのか。自らすべてを放り捨てて逃げてしまったノイマンにはわからない。
魔女として、ノイマンは長い年月を生きている。あまりにも長い生涯に、年を数えることはしなくなったが、少なくとも1000年以上は生きている。欧州にはノイマン以外にも魔女はいるが、その中でもノイマンは抜きん出て古株だ。
そんなノイマンですら、黒羽を前にすると自分が子どものように感じるときがある。黒羽には敬意を抱いているが、それとは別に、彼には底知れない薄気味悪さを感じてもいた。
それが少し悔しくて、ノイマンは話を変えることにした。
「ところで、ラプラスの悪魔」
「その呼び方はよしてくれませんか?僕の心はこんなに澄み切っているのに、悪魔呼ばわりされるのは少し納得がいかないかないのですが。」
「ほう、私には君の心の底がちっとも見えないがな。」
「またまたご冗談を。」
ノイマンとしては本音のつもりだったのだが、うまくはぐらかされてしまった。
「話を戻そうか。なぜ君がわざわざ南の地に出向いてきたのか、聞きたくてね。」
「ああ、その話ですか。」
すっと、黒羽の空気が一変する。
「・・・少し前まで、東京で何が起こっていたかは知っているかい?」
「一通りは羅刹殿を通して聞いているよ。それに饕酔会の仕入れ先こそこの国のみだったが、勢力は欧州まで伸びていたからね。」
ノイマンは日本に亡命したが、完全に母国との縁を切ったわけではない。
軍に所属していたということもあり、かつては政府関係者とも太いパイプを持っていたノイマンは欧州の人外に対してかなりの影響力を持つ。今でこそ政府からは目の敵にされてはいるが、遠く離れた故郷や近隣の国に耳や目を置いておくことはできるのだ。
ノイマンがこの国に身を置くことを許されているのは、そうしたことも計算されてのことだ。海外妖怪と日本妖怪をつなぐ大使様、という架け橋のような存在は、こうした目論見から成り立っており、それを提案したのは言うまでもなく、目の前にいる烏である。
全てを捨てて亡命したにもかかわらず、また“大使”という肩書を背負うことになるのは、なんとも皮肉なものだ。
ノイマンは自嘲するように鼻で笑った。
「じゃあ話は早い。」
黒羽の目の奥が、怪しげに光る。
彼から発せられる言葉は、いつの間にか敬語ではなくなっていた。
「壊滅させた饕酔会の首領・饕餮と隠神の会の創始者・渾沌の間に妙なつながりがあったみたいでね。」
「協力関係・・・というわけではないのだな。」
黒羽が頷く。
饕餮に渾沌・・・両者とも、古代中国伝説の中に登場する邪神である。
ノイマンや黒羽が伝説を語るのは少し奇妙な気もするが、
四千年以上の歴史を誇り、古代文明の一つにも数えられる中国には、その神話において数多くの人外 神獣が伝えられている。しかし、あくまで伝えられているにすぎず、現実にどのような人外が存在するのかは未知数だ。それは日本とて同じであり、日本神話に登場する
―――閑話休題
「それどころか、さらに
ノイマンはたいそう興味深そうな表情をして、顎に手をやる。
新しい公式を目の前にしたような気分である。しかも、その公式はなかなかどうして、難解な構造をしている。
「なるほど。それで九州か。」
海外妖怪が日本に入国する最大の窓口は九州である。
横濱のように密貿易が裏で行われているところもあるが、そうした地域はたいてい四大妖怪傘下の組の監視下に置かれている。何かしらの情報が得長ければ、その組から吸い上げれば済むのだからわざわざ黒羽が出張る必要はない。
一方、九州―――南の地になると話は変わってくる。開国後から入国してくるようになった海外妖怪の監視のために、南の四大妖怪が幕末期に置かれた。新たに四大妖怪を置くにあたって、これまで東・中央・西に三分割されていた日本は、西と中央を南と西に再分割し、さらに明治期になって日本に再編成された北海道や東北をひとくくりにして北の地が新たに置かれることとなったのだ。
特に南の地は海外妖怪の受け入れにより、新たに海外妖怪のための居住区が設けられるなどの大規模な地域制度の改革が行われた。海外妖怪は原則この居住区内でしか暮らすことはできない。しかし、あくまでそれは
「それに、一度僕は博多湾で
「あれは沈めたんじゃなかったのか?」
「そう思っていたつもりだけど、今までの流れからして完全復活とは言わないまでも、何かしらの形でまた蘇ってくる可能性が十分ありうる。というか、そもそもあれが最初だったのかもしれない。」
最後の方は独り言のようだった。
「まあいいや!」と、黒羽は打ち消すように無駄に明るい声で話を続ける。
「分かっていることはもう一つあるんだー。」
黒羽が人差し指を立てる。
「その邪神の目的が神巫らしいということ。」
彼の表情は、どことなく笑っているように見えた。
「過去に神巫をめぐって、何か争いが
ノイマンはいたって表情を変えない。
ただ静かに車椅子に座している。
「すでに聞いただろう?あれは不幸な事故だった。」
ノイマンは静かな声でそう述べる。それはまるで、子供を諭すかのような口調だ。
大江山秋穂の死の原因は宿していた神獣の暴走であり、何者かによって襲われたり殺されたわけではない。血も涙もないことを言えば、大江山秋穂は不慮の事故で亡くなったようなものだ。
しかし、黒羽はもっと根本的なところに疑いを持っていた。
「・・・それ、本当に不慮の事故ってことで済んだのでのかな?」
じっと、探るような視線は誤魔化すことを許さない。
「鋭いな。やはり君にはかなわない。」
夜はもうじき明けようとしていた。
だが、この対談はまだ終わりそうにない。
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