妖魔抗争 5

◇◆◇




 いなりたちが去っていた後。旅館に残されたのは数弥と蓮司のみ。

 二人の前には狂気に満ちた目をした怪物が一頭、今にも襲いかからんとしている。

 そんな状況にも関わらず、数弥はふと笑みをこぼした。


「一体どういう風の吹き回しですか?あんたから後駆しんがりを宣言するなんて珍しいことこのうえない。明日は槍が降りそうです。」

「そら勿論、かっこよかとこ見せたかに決まっとー。」


 嘘である。

 数弥はそう思った。

 蓮司と数弥は仲が良いわけでもないし、腐れ縁といえるほど付き合いが長いわけでもない。ただの同僚、そういう関係である。だから以心伝心なんていう高尚なもので蓮司の心中をよんだわけではないのだ。

 ふたりはただ、共有者だった。

 同じ罪の意識にとらわれた、いわば共犯同士である。

 だからわかるのだ。蓮司の性格に正義感とか責任感が似合わないからではない。

 これは罪滅ぼしなのだ。


 十年前。

 自分達は何もできなかった。

 どうすることもできない力に翻弄され、おののき、ただ災禍が過ぎ去るのを願い、待つことしかできなかった。それは結果的に、それが羅刹に残酷な選択を強いることになった。

 それだけならまだ救いようがあっただろう。

 数弥は、蓮司は、羅刹が自分たちを選んだことに安心してしまったのだ。

 自分は生きていることに喜びを感じていた。ああ、よかったと。

 秋穂が死んでしまったことに、悲しんでいる自分がいる。だが、同時に自分じゃなくてよかったと思っている自分もいる。否、むしろ秋穂が死んでよかったとすら、考えていたのかもしれない。

 それに気が付いたとき、戦慄した。 

 愁が羅刹を責める言葉は、ふたりの身にも突き刺さった。

 どうしてお前らが生きているんだと。

 どうして何もしなかったんだと。

 羅刹へぶつけられる怒りはまるで、配下の妖怪たち皆への罪の宣告のようだった。


 その罪は、決して消えるものではない。

 自分が生きている限り、背負っていかなくてはならない。

 だから、ふたりはここに残っている。

 こんな程度のことで、消えるとがではないことは数弥も蓮司も百も承知だ。

 ただ、罪を消すことも軽くすることもできない者ができることは、その身に代えて残された者を守ること。

 

 蓮司が戦斧を、数弥が算盤を構える。

 怪物が襲いかかってくるような気配はまだない。狂ったように宙に向かって吠え、何かに苦しむよう上半身をゆすっている。肌に突き刺さるようなおぞましい妖気オーラが周囲にあふれ出ている。

 他のレジスタンスや筑後組の組員たちは新たな脅威を前にして、今までさんざん争っていたことをすっかり忘れて、負傷した仲間たちを回収してさっさと後退している。


「カズ君は援護な。俺が直接やる。」

「了解。」



 その時だった。

 パリンと、硝子ガラスが砕け散るような音がした。


「遅くなってしまったね。」


 慌てた様子も恐れた様子もない。出席予定の会議に遅刻したことを詫びるような調子だった。

 車椅子に腰かけた少女は、変わらない威風を放って現れた。


「ノイマン殿!?」


 数弥は素っ頓狂な声をあげてしまう。

 ノイマンは微笑をたたえて驚く二人の前にやってきた。


「聞いた話によると河童たちが私を狙っていたようだから、北斗少年とともにおとなしく待機していたのだが、どうやらまた別の事態が発生しているらしい。」


 ノイマンの背後―――正確には、彼女の車椅子を押しているヴォンダーの背後から、白い狛狗にまたがった北斗が居心地悪そうに姿を見せた。

 どうしてふたりが一緒にいるのかという疑問はすぐに氷塊した。

 思い出せば、筑後組のもともとの狙いは彼女だった。それを北斗が知らせにいってくれていたのである。しかし、レジスタンスの参戦によって筑後組の矛先が変わった。拡大した戦局に旅館が巻き込まれることを防ぐため、八重の亜空間によって旅館は隔離されたのだが、そのままノイマンと北斗まで閉じ込めてしまった・・・ということなのだろう。

 しかし、どうやってその空間からノイマンと北斗は出てきたというのだろう。

 数弥が問う前に、ノイマンが言葉を続ける。


「ふむ、なかなか面白い状況になっているじゃないか。私も手を貸そう。」


 何をどう見たら面白い状況なのかはわからないが、ノイマンの申し出にふたりはそろって驚愕した。


「しかし、あなたは無関係です。」


 むしろ被害者と言ってもいい。

 ここは南の四大妖怪の管轄下であり、そこで起きた問題は自分達の管理責任である。

 もっとも驚かされた理由はノイマン自身が動く、といったことである。

 しかし、数弥が何か言う前にノイマンの方が早かった。


「海外妖怪が問題を起こした以上、私も無関係とはいえまい。責任問題がかかわってくるというのなら私も同様だ。私の大使という肩書はこういうときに働かなくてはならないからね。」


 「それに、君たちには別の頼みたいことがある。」と、わずかに声のトーンを落とす。ノイマンの本音はそこにあるようだった。


「北斗殿の護衛を頼みたい。」

「それは・・・!」


 危険すぎる。

 数弥は続こうとした言葉を飲み込んだ。

 彼は人間なのだ。それも、敵に狙われている神巫でもある。

 

「ノイマン殿、そりゃあんたん判断か?それとも北斗君に頼まれて変わりに俺らに言いよーと?」

「俺の意志です。」


 蓮司の言葉に応えたのは北斗だった。


「敵の狙いは確かに俺かもしれません。ですが、同時に俺には力がある。」


 そのことは、蓮司も数弥もよく知っている。


「無意識ではありますが、一度神獣の力を使ったことはあります。これが、檮杌を倒す切り札になるかもしれません。」

 

 北斗の目には強い光が宿っている。

 危険だと、言おうとしたが言えなかった。

 そもそももう敵に狙われている時点で彼は危険にさらされているのである。今更だった。

 

「本気ですか。」

「ああ。命なんか、とっくの昔から懸けている。」


 そうか。

 急に、とんと数弥の中で腑に落ちた。

 神巫という器になった時点で、彼は自分の命だけでなく、多くの人々の命を背負っているのだ。

 いつか食われるかもしれない。そういうのとはまったく別の恐怖―――自分が暴走して、他人を傷つけてしまうかもしれない。

 もしかしたら、秋穂も同じだったのではなかろうか。

 それをずっと覚悟していたから、彼女は―――


「ここまで言うんだ。さあ、行きなさい。」


 ノイマンの言葉に数弥ははっとする。

 そうだ。ぼおっとしている場合ではない。

 やるべきことはあるのだから。


「行きましょう。」

 

 北斗は強く、うなずき返した。

 



○●○



 ぬるま湯の中にいるようだった。

 何も見えないし、聞こえない。意識も混濁している。己の体中がぐにゃぎにゃになってしまったような錯覚を覚える。

 自分は何をしていたのだったか。


(そうだ。四大妖怪に報復するために・・・)


 レジスタンスははじめ、たった三人から始まった。そのひとりが人狼である。

 きっかけは、本当に些細なものだった。


 魔女狩りから逃れ、流れ着いたのは何も知らない異国の地。しかし、この国の人外―――妖怪からの視線もまた冷たく、自分たちのことを敵視していた。

 居住区なんてものが設けられたが、それは自分たちを隔離しておくための方便である。問題分子はまとめて管理する―――そういう魂胆が見え透いていた。

 生きるために、自由を得るために故郷を捨てたのに。待っていたのは蔑視と閉ざされた空間。

 それは居場所でもなんでもない。ただの、檻だ。

 だから自分は居場所を求めた。

 それがレジスタンスの始まりだった。

 最初は行き場をなくした者同士が、集った小さなチームだった。

 それが数を増やし、いつの間にか高尚な権利の獲得を標榜する“レジスタンス”となっていた。 

 レジスタンスはさらに大きくなり、妖怪たちの組とも張り合える組織になった。レジスタンスは南の地の均衡を担う一角にまでなったのである。

 そのせいで妖怪たちとさらに溝が深まることになったのだが、それでも互いに不干渉という状態を貫いてきた。

 

 そう。仲間が殺されるまでは。

 

 四人、殺された。

 犯人は不明。だが、妖怪に違いないのだ。

 悲しかったし、悔しかった。

 どうして、殺されなくてはならなかったのだ。

 ただ、自分たちは居場所が欲しかっただけなのに。


 ―――このままで、いいのかい?


 誰の声だ。

 話しかけてくるな。


 ―――いっそ君が上に立つんだ。


 上にたつ?それで何か変わるのか。


 ―――仲間たちのための楽園を、君が作るんだ。

 

 そうか。そうだったのか。

 自分が作ればいいのか。



 人狼の意識が覚醒する。



 仲間を守るために、自分は戦うんだと。

 そのためには。

 

(妖怪を殲滅しなかれば。)


 人狼は、自分の純粋な想いが歪められていることに、気づいていない。

 ただ、衝動に突き動かされ、孤独な少年は力をふるう。



○●○




 ノイマンは車椅子に腰かけ、人狼の姿を静かに観察する。

 異常なまでに膨らんだ身体。

 血管が浮き出し、ぴくぴくとひきつっている手足の筋肉。

 頭骨が歪んで変形した頭部。

 鋭く伸びた爪と牙。

 まるで、殺戮のために改造されたようだ。

 己の意思で成り果てた姿なのか、はたまた別の誰かによる者なのか。ノイマンにはわかりかねるが、どちらにせよ彼のことを自分がどうにかすると宣言した手前、なんとかしなくてはならない。

 同じ海外妖怪として、レジスタンスに同情を抱かないわけではない。むしろ、よけいな情を抱かないようにしてきた。立場上、自分は絶対中立を貫かなくてはならなかったからだ。


 しかし、結果的にこうしてレジスタンスが暴走してしまった責任は自分にもある。

 

 

 感情のない忠実なる執事は、己の主の意志をくんで車椅子を押す。ノイマンはただ静かに、一定の速度でもって人狼の傍に近づいた。

 無防備に接近してくる人物めがけて、人狼はその巨大な腕を振るう。

 当たれば即死の一撃である。

 しかし、その拳は大きく外れ、地面に


「あまり“力”を使いたくはないのだが―――」


 外したのではない。

 

 人狼の右足が、消え失せたのである。

 

 片足が消失したことでバランスが崩れ、前のめりになったことで拳が地面に沈んだのである。

 しかし、理性を失った人狼はなぜ自分の攻撃が当たらなかったのか考えられない。ただ獣のように、前に立つ獲物を狩ろうとするだけである。

 愚かな獣は気が付かない。

 自分が一体、を前にしているのか。 

 倒れたまま、人狼が左腕を突き出してノイマンをつかもうとする。

 

 しかし、その腕もまた消えた。

 

 片腕片足を奪われた獣は、地面でうごめく。 

 彼はなぜ体が動かないのか理解できない。


「これもきっと何かの縁だろう。君には特別に私がなぜ“死神”と呼ばれたのか、教えてあげようか。」


 これは幻術でも確立操作でもない。

 彼女は、自分の現実を好きなように変えることができる。



 ―――現実改変



 因果律を全く無視したことわりから外れた力。

 それがノイマンの能力である。

 また、その力は生死すら意のままに操る。己が死ねと願えば対象を際限なく殺すことができ、死んだ者の蘇生すらも可能にする。死と生を司る“死神”すらも嘲笑う、まさに禁忌の術。ただし、より実際の現実を捻じ曲げる結果を求める場合、それに適う“代償”を必用とする。

 

「やれやれ。君のおかげで私はこの先一週間指一本動かせない。」


 内臓器官の欠損や彼女の四肢不全は、“代償”となった結果である。そして、それらは過去にそれだけのことを彼女がやったというあかしでもある。



 欧州史上最悪と言われた戦争―――独ソ戦。

 死亡者数は3000万人にまで及ぶという。

 その死亡者の半数以上が、実はたったひとりの魔人によって殺されている。


 たったひとりで戦況を変える魔物―――


 登録番号・0113

 通称・Der Sensenmann死神

 彼女こそ、かつてのナチス・ドイツの秘密兵器である。



「さて、どうしたものか。」


 車椅子から芋虫のように動く人狼見下ろしながら、ノイマンは思考を巡らせた。

 その時であった。

 人狼の背後から、赤黒い液体が彼の身体を刺し貫いた。

 それまで黙って付き従っていたヴォンダーがノイマンの前に飛び出し、背後に彼女をかばう。

 しかしノイマンが緊張するようなそぶりはない。それどころか、ヴォンダーに下がりなさいと命ずる。

 すると、木陰の中から影が現れる。

 来訪者は、濃い色のサングラスをかけた青年だった。

 もっさりとしていた髪を手早くかきあげながら、青年は先ほどまでの気弱そうな様子から一変、悠然とした足取りでノイマンの前に進み出でる。

 青年がサングラスを外し、その瞳があらわになる。通常であれば白いはずの白目の部分は黒く、十字の形をした特徴的なひとみは鮮血のような赤色をしている。

 陶器のような白い肌に、不自然なまでに左右対称な顔。顔を遮るものがなくなった青年の顔は、まるで人形ビスクドールのように整っていた。


「これはこれは・・・ずいぶんとまあ懐かしいじゃあないか。」


 青年がにんまりと笑みを浮かべる。

 白く長い犬歯があらわとなる。


「久しぶりだな、“死神”。」


 青年はさもまぶし気に目を細めた。 

 

「“執行官”ともあろう君が、よもやただの慰安旅行でたまたまこの国にいました、とは言うまい。」

「かっかっか、相変わらず敏い奴だ。よく分かっている。」


 青年は呵々大笑して、パチンと指を鳴らす。

 すると、人狼の動きを止めていた赤黒い液体―――血液がその体を包み込む。人狼はもがくが、液体に爪や牙がかなうはずもない。悲鳴すら上げる暇もなかった。底なし沼に引きずり込まれるようにして、人狼の身体は飲み込まれる。


「彼は由緒ある人狼一族の最後の生き残りなのだ。ここで日本妖怪に殺されるわけにはいかない。回収させてもらうぞ。」

「どうするつもりだ?」

「決まっている。吾輩の下で働かせるのだ。ちょうど新たな部隊が欲しかったのである。いい具合に彼は仲間を集めていたようだから、そのまま取り込む予定なのだ。」

「管理局は相変わらず人手不足・・・いや、人外不足なのか。」

「嘆かわしいことにな。」


 青年がノイマンの方を見た。


「貴様が戻ってきてくれてもよいのだぞ。」

「まさか。」


 そういうと、青年はあっさりと「そうか。」と返す。

 もっとしつこく誘われるかと思ったが、わからないものである。


「振られてしまったのではしょうがない。」

 

 「Bis bald!」そう言い残し、青年は姿を蝙蝠こうもりに転じて飛び去って行った。

 ノイマンはその姿を、ただ静かに見送った。

 彼女の手に、一枚の紙を残して。




 

 

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