魔女の大使

◇◆◇



 

 そこはまるで、研究室のようだった。

 いなり達が案内されたのは、旅館の地下に設けられた地下に設けられた一室だった。

 実験機材、医療関係の道具、薬品、モニター、本・・・多くのものが部屋の机の上に雑然と並んでいた。壁に沿って並んだガラス戸棚の中には本がぎっしりと詰まっており、戸棚のない壁面にはモニターが映し出され、数式や文字列がびっしりと書き込まれている。病院の一室というよりも、どこか謎の組織の怪しげな実験室の方が、この空間を表す言葉としてふさわしい。

 その部屋の隅に置かれたベッドの上に、愁は寝かされていた。上半身の衣類を脱がされ、代わりに彼の腹には包帯がぐるぐると巻かれている。少々青白い顔をしているが、今はもう穏やかな寝息を立てていた。


「さすが日本の鬼だ。とんでもない自然治癒力だな。二日三日ほど安静にしていれば何も問題ない。ひとまず彼が目を覚ましたら上に連れて行ってあげなさい。」


 真っ白な少女はそう言って、車椅子ごと振り返る。

 いなりはひとまず心の中で安堵の息をついた。

 愁が並みの妖怪以上に頑丈であることは周知の事実ではあるが、それでも彼の腹からだくだくと流れ出る血を見たときには戦慄した。


「見ての通りの部屋だ。満足に来客をもてなすことは難しいが、患者が目を覚ますまでの間の会話の相手をすることはできる。」


 すると、突然背後から機械音がして壁の一部がへこんだ。ぎょっとしたのも束の間、へこんだ部分からソファが滑り出てきた。どうやらそこに座れということらしい。

 いなりは恐る恐るそこに腰をかけた。

 無論、ソファが急に動くことはなかった。


「さて、改めて自己紹介をさせてもらおうか。」


 白衣を纏ったその少女は、机を挟んでいなり達の前にやってきた。

 何かリモコンのようなものを操作したそぶりはないのに、車椅子はまるで少女の本当の足のように自然と動いている。

 いなりはこの部屋丸ごとすべてが少女の体なのではないかという錯覚を覚えた。


「私の名はノイマン・ヴァイストイフル。ただのしがない医者さ。」


 膝の上で手を組み悠然と車椅子に腰かけたその姿は、医者というよりも、偉大な世紀の思想家のような風貌だった。

 強者のオーラを感じた、というわけではない。全知全能の者を前にしたような、そんな気分である。

 少女と同じ見た目をしているが、彼女のことを「幼い」と形容することができなかった理由を、いなりはようやくわかった。


「しがない医者だなんでご謙遜を。あなたこそ世界最高の医師であり、技術者だ。」

「ふふふ、よしてくれたまえ。私をおだてた所で何も出てこない。」


 黒羽はどうやら彼女とはすでに顔見知りのようである。


「彼女は人外―――まあ要するに海外妖怪だよ。」

「もう少し具体的に身の上を明かすと、いわゆる魔女ってヤツさ。」


 魔女―――その定義は難しい。

 呪術的な手段で人に害を与える原型的な魔女。白魔女と呼ばれる人に対して好意的な魔女。民間伝承やメルヘンの中に登場するような魔女。異教徒として魔女と呼ばれる人々の存在。あるいは不思議な術を使う人として、魔法使いと呼ばれることもある。もっとも一般的な魔女観は、魔女の元は人間であり、悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなすようになったというものだろう。いなりが持っている魔女像もそれと似たようなものだった。 

 はたして、ノイマンはどういう意味で“魔女”なのだろうか。


「私はこの世に“魔女”として生を得ている。だから、立場的にはに近いかな。」

「ってことは、あんたは根っから人外ってことか?」

「簡単に言うとその通りだ。」


 つまり、本質的には“魔女”というよりも“魔人”に近しい存在なのだろう。しかし、科学薬品臭が漂うこの空間に馴染んだ彼女は、とても西洋の魔物とは思えなかった。


「その魔女様がなぜこの国に?」

 

 いなりが問うと、少女は少しだけ目を細めた。


「その話をすると、少し長くなってしまうな。ヴォン、紅茶セットの準備だ。」

Jaヤー


 すると、どこからともなく低い声が聞こえてきた。

 声のした方を振り返ると、いつからいたのか、こちらに背を向けて食器の用意をする人影があった。


「記憶力はいいくせに食器棚の場所は覚えていないのかい?相変わらず興味のないことに関してはてんでダメだねー。」

「言ってくれるじゃないか。まあその分、たくさん彼には助けられているよ。食事の用意に洗濯、実験の準備、機材の買い出し、研究をするにつけても私は何かとこのでは不便だからな。」


 ノイマンは自嘲するように唇をゆがめる。

 思い返せば、ノイマンはほとんど身動きをしていない。何を隠そう、愁の体に包帯を巻いたのはこの部屋にいたもうひとりの人物である。ノイマンはただ、横で彼に指示を与えていただけだった。

 車椅子に座っていたから足が不自由であるのは見て取れたが、はたして彼女が動かせないのは足だけなのか。

 彼女の曇った瞳はどこに焦点を当てているのかわからない。

 ―――否

 

 そもそも、彼女はどこまで見えているのだ?

 

 だが、ふわりと部屋に広がった紅茶の香りによって、いなりの思考はおおい隠されてしまった。

 いなり達のいる机のそばに紅茶を入れていた人物がやってきた。 

 銀の盆の上にはティーポットと人数分のティーカップ、そして切り分けられたケーキのようなものが行儀よく並んでいる。


「アーモンドケーキ・・・ですか?」


 皿に乗っているケーキは、クリームを挟んだスポンジの上に、ふんだんなスライスアーモンドをコーティングされている。

 初めて見るケーキである。


「ビーネンシュティッヒという、私の祖国の菓子だ。可愛らしい見た目をしているが、日本語に訳すと“ハチの一刺し”というなかなか狂暴な名前をしている。」

「へー。それくらいおいしそうってことやな。」

「そう言ってくれると嬉しいな。彼の得意料理さ。」


 ノイマンに「彼」と言われたその人物は、天井に頭が今にもつきそうなほどの巨体の持ち主だった。ひょろひょろと木の枝のように細長い蓮司とは違い、スポーツマンのようにがっしりとした体つきをしている。 

 男は太い指先にもかかわらず、小さなカップを器用に持ち上げて音を立てずにいなり達の前に置いてゆく。

 

「ヴォンダーは私が作った人造人間じんぞうにんげん―――いわゆる、フランケンシュタインさ。」

「は?」


 黒羽以外の、三人が凍り付いた。


「言ったでしょー?彼女は科学者でもあるんだよ。」


 黒羽はそういって、やけに優雅なしぐさで紅茶に口をつける。


「造ったって・・・造れるものなのか?」

 

 いなりは背中に得体のしれない寒気を感じた。

 シンと、静寂が空間を支配する。手に触れていたティーカップが、急に冷めたように感じた。

 ノイマンはふっと口元を緩めた。


「そもそも私は“魔女”だ。人間の倫理観は関係ない。ただそれだけのことさ。」

 

 ―――それは、妖怪とて同じだろう?

 少女の曇硝子くもりがらすの瞳がそう、語りかけてくるようだった。


「それに、物語の中のは創造主に愛されなかったどころか、殺されかけていたじゃないか。だが、私は彼のことを自分の息子のように思っている。」


 ノイマンは、ふと視線をその男にやる。

 ヴォンダーは何も言わない。ただ、ノイマンの横でじっと立っている。

 その姿は、生きている人間とまるで変わらない。 

 呼吸をして、自分の足で立っている。

 人の手で造られた人間―――それは、あまりにも普通だった。


「愛情を忘れたことなど、一度もないさ。」


 男を見るノイマンの目は、たいそう愛おしそうに見えた。


「さて、話がずいぶんそれてしまったな。私がこの国に来た理由だったね。そもそも、南の四大妖怪がおかれた経緯はご存じかな?」


 いなりは首をふるった。

 すると、代わりに黒羽が答える。


「15~17世紀に欧州では魔女狩りが行われていたんだ。あれは現代じゃ女性迫害や異端審問いたんしんもんみたいに理由付けがされてるけど、実際は裏で本当に“魔女”や“魔物”が狩られていたんだよねー。それで、幕末の開国時に人間に混ざって日本に亡命してくる連中が結構いて、一時期海外妖怪と日本妖怪で緊張状態になったことがあったんだー。」


 幕末、人間の世界では尊王攘夷派の志士たちと、江戸幕府の間で対立があったが、日本妖怪と人外―――すなわち海外妖怪はそれ以上に溝が深い。

 日本の妖怪は土地に対する意識が非常強い。妖怪にとって土地の名前を冠することは一種のステータスであり、力を持った大妖怪の証である。

 その妖怪の力が及ぶ範囲はすべてその妖怪の縄張りと同じ扱いである。人間の社会とは別に、妖怪たちの間では戦国時代と同じような勢力構造が日本地図上にあるのだ。

 そんな状態の人外の世界で、海外妖怪は歓迎されるはずがない。そのため、日本に渡航しようとしてくる海外妖怪への牽制のために、幕末期に南の四大妖怪がおかれたのだ。


「だけど、それでも海外妖怪だって母国に帰ればジ・エンドだ。ほんのわずかな希望にすがってやってくる。そうすると、こちらとて無視できない。だから、どうしても無視できないヤツは九州だけを居住区に限定することを条件に日本への亡命を許すことにしたんだー。」

「私は時期は少しずれるが、まあ似たような理由でこの国に亡命してきたんだ。」


 ノイマンは過去を回想するように、斜め上を見上げるようにして、とうとうと語る。


「西洋の魔物たちの中でも私はそれなりに力が強い方でね。以来、南の四大妖怪に代わって私がこの国に入国しようとする、あるいは在住している魔物達の管理をしている。要するに、大使のような役割だな。その方が話が通りやすいし、何より南の四大妖怪の負担が軽減する。今はこうして南の四大妖怪の監視下に置かれた箱詰め生活を送っているが、私は自分の研究ができれば何も問題はない。むしろ研究室と最新機材に囲まれたこの生活は向こうにいるよりもずっといい。」


 ノイマンは心底幸せそうな口ぶりである。本当にこの生活に満足しているようだ。

 四大妖怪勢力下にこの旅館があると聞いていたが、もしかしたらノイマン以外にもこの旅館には宿のものもいるのかもしれない。


「せやけど、あんたの母国からなんか追手やら来ることはなかったんか?」

「ああ。何しろ、その時は彼らの敵に回ることになるからね。」


 ではなく、

 ノイマンはさも当然のように言った。

 自信なんかではない。まるで、自身が西洋国家の脅威になりうるということは、本当にに過ぎないとでも言いたげだ。

 いなりはそれがとても冗談には思えなかった。

 なにしろ、相手は生命いのちすら操るような科学者ウィザードである。


(末恐ろしいものだ。)


 黒羽がノイマンに対してこれほど敬意を払う理由に、いなりはわかったような気がした。

 

「・・・ちょっと話を変えてもいいか?愁が寝ているうちに聞きたいことがあって。」


 北斗はそういって手を挙げた。

 すると、突然ノイマンは北斗を食い入るようにじっと正面から見た。


「えっと・・・俺の顔に何かついていますか?」


 北斗は気まずそうにノイマンに尋ねた。

 そこでノイマンはようやく首を動かした。


「いや、気を悪くさせてしまったのならすまない。だらしなく長い間生きてきたものだが、まさか“いと”を2人も拝めるとは思わなかったからね。」

「愛し仔?」

「神獣をその身に宿した人間の子のことさ。」


 バンと机をはじいて北斗が、立ち上がった。


「俺以外の神巫かんなぎを知っているのか!?」

「おや、まだ聞いていなかったのかい?」


 ずいと身を乗り出す北斗を少女は静かな目で見上げた。

 そして、「まあ、それもそうか」とこぼす。


「もう十年ほど前になるかな・・・。君と同じ、神獣の器になった女性と会ったことがある。彼女は修羅童子・大江山 羅刹の最愛にして唯一の妻。名は、確か」


「「大江山 秋穂あきほ」」


 少女の声とは別に、もう一つの声が重なった。


「俺の母親だ。」


 いつの間に起きていたのだろうか。

 愁は上半身を起こして、ベットの縁に座っていた。


「愁、」

「悪ぃ。少しの間一人にしてほしい。」


 引き留めようとする北斗の言葉を愁は遮った。

 顔を伏せ、決していなり達と目を合わせようとしない。

 愁はベットの脇にかけてあった上着を羽織り、そのまま部屋から出て行ってしまった。


「・・・話を戻しましょうか。」


 いなりは、そっとティーカップを机に戻した。


「ノイマンさん。あなたは過去にこの地で何があったのか、知っていますか。」


 いなりはじっとノイマンを見る。


「・・・・・詳しい話は、彼に聞いてみるがいい。」


 少女はそっと視線を部屋の入口に向ける。

 扉の向こうには、数弥が立っていた。

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