親子喧嘩 


「親父!?今親父っつったか!?」


 八重は押し殺した声で叫んだ。

 愁は男のことを、親父と呼んだ。あれが愁の実の父親―――つまり、酒吞童子の実の息子ということだ。

 しかし、どう見てもこの状況は親子感動の対面のシーンには見えない。

 一触即発の空気が、愁と男の間には流れている。


「おい、サプライズどころじゃないぞあれは。何を考えているんだ、黒羽。」


 北斗が黒羽にきつく睨みつける。

 いつもの彼ならば、そんなものを笑って受け流すところだ。


「これは僕もちょっと予想してなかったかなー・・・?」

 

 しかし、黒羽は笑ってなどいなかった。普段は穏やかに細められている瞳を見開き、食い入るようにその光景を見ている。

 それは、おそらくいなりが初めて見たであろう黒羽の驚愕の表情だった。それどころか、いなりには彼が焦っているようにも思えた。


「親子水入らずの時間を作ってあげようと思ってたんだけど……。」


 つまり、黒羽は愁との待ち合わせを場所に、彼の父親―――羅刹も呼び出しておいたのだ。2人には何も言わないで。

 黒羽はきっと愁に「あれ?なんで親父がお前らと一緒にいるんだよ!」という展開を求めていたらしい。実に愁を困らせることを玩具のように楽しむ黒羽らしい企みである。

 しかしこれは・・・


「水どころか火に油を注いでますよ・・・!」


 いなり達が言い合ってるうちにも、向こうの空気はどんどん悪くなっていく。

 ひりついた空気が、肌に刺さるようだ。愁は今にも目の前の男を殺しそうな顔をしている。


「愁、こっちに戻ってこないのか。」


 ずっと黙っていた男が、突然そう言いだした。

 愁に語り掛ける男の声は、緊張感の漂うその場にそぐわず、静かなものだった。


「・・・母さんの命日だからって、急に手紙よこしてきてそれか?」


 愁は、顔を下に向けていた。かたく握りしめられた拳からは、血がにじんでいる。彼の体は、かすかにふるえていた。

 いなりは愁の発した言葉が耳から離れなかった。

 

 ―――母さんの命日。


 確かに、愁はそういった。

 この距離で聞き間違うはずがない。

 では、愁の母親は―――

 

「よくもそんなことがのうのうと言えたな。」


 腹の底から、絞りだすような声だった。

 愁は音を立てて歯を食いしばる。言葉にならなかった声が、空気を焦がすような妖気となって彼の体から溢れ出ている。

 顔を上げた愁の顔は、怒りに染まっていた。


「この、人殺しが。」


 愁は首に下がっているお守りを引きちぎった。大太刀が愁の手に出現し、雷電を纏って男に斬りかかる。

 男は腰に下げていた刀を鞘から抜きざまに受けた。白刃はくじん同士がぶつかりあい、火花を散らす。 

 しばしのつばり合い。 

 男は鞘から刀を完全に抜き去ると同時に、その動きを利用して愁の大太刀を弾き飛ばす。

 吹き飛ばされた愁の体は広間の中庭に面したガラスに叩きつけられた。

 しかし、それだけで止まるような愁ではない。

 飛び散ったガラス片の中から、雄たけびを上げて愁が飛び出す。

 愁と男の、壮絶な斬り合いが始まった。


「まずい、広間を滅茶苦茶にする気か!?」


 気づけば、食堂やら客室の方からと騒ぎを聞きつけて群衆が集まってきていた。客同士の喧嘩かと思い、皆軽い野次馬のつもりらしいが、そんなちんけなものではない。

 これは鬼同士の、本格的な命の取り合いだ。鬼は妖怪の中でも身体能力がずば抜けて高い上に、強い妖力を持っている。その上、どういう風の吹き回しか知らないが、斬りあっているのはただの鬼ではなく、四大妖怪の一角とその息子だ。このままでは二次被害が出てしまう。

 事の大きさに気づいた中居や女将と思しき老婆が止めに入ろうとしているが、一端の妖怪がどうこうできるような状況じゃない。

 床に限らず、壁といい机といい、足場となるものすべてを利用して、広間という空間を飛び回る愁と羅刹。やはり酒吞童子の息子と孫、刀と刀、雷と雷が空中でぶつかりあう。 


「僕が広間に防壁を張る!その間になんとかしといて!」


 そう言うなり、黒羽によって素早く広間を囲う風の防壁が作られる。

 風にあおられた隙をついて、八重が槍を持ってふたりの間に滑り込んだ。


「落ち着け、この脳筋!」

 

 八重は後ろから愁を羽交い締めにする。

 しかし、愁は手足をじたばたと暴れて、その拘束を逃れようとしている。

 

「羅刹様!ご無事ですか!!?」


 さらに、外で異変に気付き、駆け付けた数弥が転がるようにして、愁と戦っていた男の前に立ちはだかった。

 

「数弥か。」


 そこで、いなりはようやく男の姿をしかと見た。

 黒い着流しに、上から刺繍の施された白の羽二重を纏っている、鬼らしい屈強な体つきの男。 

 愁と同じ色をした、赤銅色の髪。だが、紺碧こんぺきの瞳には、愁や夜叉のような燃え盛る雄々しさない。そのたたずまいは、深く、重く沈んだ海のような落ち着きがある。

 妖怪というよりも、地獄からやってきた獄卒ごくそつのような空気感を、いなりは修羅童子しゅらどうじという、その鬼から感じた。

 

「これは一体何事ですか。」

「俺のせいだ。」

「分かりました。とにかく愁様を怒らせてしまったんですね。原因は後できっちり聞きますから、とにかく今すぐ逃げてください。」


 数弥はしゅるりと荷ひもを解き、算盤を目の前に構える。

 同時に、愁が八重を引きはがした。


「痛っ・・・!」

「八重!」


 放り出された八重をいなりは咄嗟に受け止める。だが、八重よりも体格の小さいいなりは一緒くたになって床に転がった。

 

「どんな馬鹿力してんねん・・・久々に腕がしびれたで。」

 

 八重の腕には青い痣が浮かんでいた。

 周りのことなんかまるで気にしていない。愁の目には、たった一人しか映っていないのだ。 彼の頭に残されているのはただ、純粋な殺意のみ。

 男―――羅刹は抜き身の刀を中段に構える。今にも父親を殺さんと激高する愁に対し、その動きには余裕があった。


「どけぇ!!あいつは俺がっ!」

「どきません!!」


 金属でできた五つ玉と刀がぶつかり合う。

 数弥は巨大算盤でその刀を受け流した。

 しかし、すぐさま愁は刀を返す反動で、柄で数弥の顎を突き上げる。

 数弥の体は宙を飛んでフロントに激突した。

 

「愁!」

「羅刹様ぁ!!」


 愁の剣先はまっすぐ、羅刹の喉をとらえている。

 男は、ただその刀をじっと見つめていた。


「はーい、そこまでばい。」


 その時だった。

 二人の間に、巨大な戦斧が振り下ろされた。

 直後に、バキンという金属が折れる音が広間に鮮明に響く。

 折れた刀の先が、いなりの足元に転がってきた。


「蓮司か。」

「羅刹様は口下手が過ぎますばい。ありゃ俺でも怒るばい。」


 二人の間に割り入ったのは、蓮司だった。蓮司はもさもさとした頭をかきながら、巨大な戦斧を軽々と肩に担いでいる。

 愁は、床に伏していた。横腹からは、血が噴き出ている。


「愁様も、お友達ん前で親子喧嘩はちゃくなかとよ。今日んっちこはおれに免じて勘弁たい。」


 前髪で顔の半分が隠れている蓮司の表情はわからない。

 聞き分けの悪い子供を諭すような口調で蓮司は愁に語り掛ける。しかし、それで「はい」と言うならここまで大事にはならない。


「うるせぇ・・・!俺の邪魔をするんじゃねえ!!」


 真っ赤に染まった刀を握りしめ、愁はなおも斬りかかろうとしていた。それを陽光と影月が必死に抑えつけている。しかし、どこにそんな力が残されているのか、愁は狛狗達を引きずりながらも、羅刹に近づこうとする。

 その様子を見て、蓮司は大きくため息をついた。


「愁様。俺もこげんことは本当は言いとうなか。ばってん、俺も俺ん立場ってのがあるけん言わしぇていただきますばい。」


 いつの間にか、蓮司は愁の目の前にしゃがみこんでいた。

 そして、愁の頭を床にたたきつけた。

 みしりと床が陥没し、愁の額がめり込む。

 

「ここは東じゃなく南ん地ばい。ここでん絶対者は羅刹様であって、そのひとば守ることが俺ん役割ばい。やけん、殺そうってんなら、南ん妖怪ば皆敵に回すことになることば、忘れんなや。」

 

 ぞっと、背筋が凍るような冷たい声だった。少し前に庭先で会ったときの蓮司の雰囲気と、まるで違う。

 彼には何か、深く触れてはいけないものがある。いなりはそれを垣間見たような気がした。


「ま、今回は羅刹様にも非があるけん見逃しちゃるよ。」


 愁に最後まで蓮司の声が聞こえていたかはわからない。駆け寄ったいなりが確認したときにはもう、愁は気絶していた。


「おい、愁は大丈夫なんか!?」

「出血がひどいです。」

 

 いなりは愁の口元に耳を寄せる。

 呼吸が浅くなっている。

 このままでは非常にまずい。

 

「すぐに救急車を・・・!」

「あほか、警察まで飛んできてまうやろ!」


 北斗が携帯の番号を押そうとする寸前で、八重が止めに入った。

 妖怪に人間界の常識は通用しない。ここで救急車を呼んでみようものなら明日の朝刊の一面を飾りかねない大事故が起きる。  


「旅館客の中から回復系の妖術の使える方を探すしか・・・」

「心配しぇんで。医者はもう呼んであるばい。」


 蓮司がそういうと、広間を覆っていた風がやんだ。

 野次馬は変わらず広間を囲っていたが、様子が変だ。彼らから感じるのは、「おかしな客同士の喧嘩」に対する好奇ではなく、得体のしれない何かに対する、恐懼きょうくの視線だった。そして、それは決して愁や羅刹に投げかけられているものではない。

 そして、ざわめきの向こうから、誰かが近づいてきた。


「上が騒がしいものだから何事かと思って来てみれば・・・」


 幼い子供の声である。

 にもかかわらず、その声色はやけに大人びて聞こえた。


「随分派手な親子喧嘩をしたじゃないか、羅刹殿。」


 白い。

 それは、ただ白いとしか形容できない少女だった。

 白衣の白と、長い真っ白な髪が、彼女から色彩を奪っていた。そのせいか、まるで生命力が感じられない。曇硝子くもりがらすのような灰色の瞳からかすかに感じることができる光だけが、彼女をこの世にとどめているようだった。

 少女は目だけで周囲をうかがう。すると、瞳の動きがある一点を見定めて止まった。

 少女は首を少しだけ右に曲げた。 


「 これはこれは。Es hat lange gedauert ,Laplaces Teufelラプラスの悪魔。」

「こちらこそお久しぶりです。Dr.ドクターNeumannノイマン。」


 いなりには、その異国の言葉の意味が分からなかった。

 しかし、黒羽は胸元に手を当て、車椅子に腰かけた少女に向かって深々と頭を下げた。


(何者だ。) 


 黒羽は三大妖怪でもあり、酒吞童子の隣に立つことのできるほどの大物の妖怪である。

 その彼が


 彼女は一体、何者なのだ。


「さて、そちらの少年が患者かな?」


 無音で車椅子がいなりのそばにやってきた。

 少女は気絶している愁を一瞥する。


「ここでは十分な治療が行えないな。ひとまず、私の隠れ家にうつろうか。」





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