終結 ―人妖会議― (後編)

 「冗談だろ・・・」と、愁がぽろりとこぼした。

 だが、晴の顔は大真面目だ。


「隠神の会で祀り上げられている“隠神”っていう存在がいてね。おそらくそれが彼のいうところの“神”だろう。」

 

 隠神の会というのは、渾沌が運営したという一種のカルト宗教団体だ。その宗教団体の信仰対象が“隠神”なのだという。


「今の団体の動向は?」

「うちの組の者を何名か張り込ませておりますが、相手は悪意なく純粋にその神とやらを信奉する人間、おそらく大した収穫はないでしょうな。」


 今も信者たちはその“神”とやらに妄信し続けているのだろう。ただの忠実なる資金調達先として利用されていたなんてことも知らずに。


(まあ、私が知ったことではないが。) 


 彼らがこの先どうなるのかは、それこそ天のみぞ知ることだ。


「なあ、もしかしてその神の正体が例の男ってことにはならねぇのか?」


 愁の言葉に、会議室内に異様な空気が流れた。

 例の男というのは、突如現れた黒ずくめの男のことだ。この男については、いなりも八重から聞いていた。

 その男の会話の内容から渾沌の仲間かと推察されているが、渾沌との関係はおろか、饕餮との関係性すらもない。正体がまるで分らない、謎の男だ。

 一度は黒羽によってとらえられたようだが、が起きてしまい、うまくまかれてしまったらしい。


「んー、その可能性は低いかな。」


 晴は顎をさすりながら答える。


「渾沌が目指しているのは“神”の復活・・・ってことは今の段階でソイツは封印されているんだろう?なら、今のところ姿を現すことができてないんじゃないかなあ。」

「あ、確かに。」

「それに、刀岐や黒羽くんの話からしてその男は人間のようじゃないか。」


 「ねえ?」と晴に問いかけられ、刀岐が「ああ。」と答える。


「なんかやたら気色悪きしょくわりぃ気配してやがったが、ありゃ確実に人間だ。しかも、そこの嬢ちゃんや少年の犬公の妖術に拮抗できるレベルのな。」


 「できたらもう二度とお会いしたくねえな」と、刀岐は短くなった煙草を床で踏みつけた。


「陰陽寮ってフリーの退魔師とか祓い屋を把握してないのー?」

「残念だがもうそれは洗った。まったく引っかからなかったけどな。」

「じゃあ、完全にこいつだけはなんの手がかりもないってことか。」


 渾沌という驚異がひとまず消えたものの、まだ懸念の要素が残されている。

 相手の目的が渾沌と同じ、つまり神巫であるということは、今後も北斗を狙ってくる可能性が高い。しかも、その相手は八重や黒羽を相手にしても生きているかなりの強者つわもの。これは同時に、北斗の周囲がさらに危険になるということを意味する。だからといって、北斗から距離を置こうという気になる者はこの場にいないわけであるが、それでも本人が何かしらの負い目を感じないはずがない。

 いなりはこっそりと北斗の顔色をうかがうが、場所の問題で彼の表情を見ることはできなかった。


「まあまあ、ひとまずその男の対応は私たちの方でもなんとかするとして、直近の問題はこっちだ。」


 いよいよ重苦しい空気が流れ始めたとき、パンパンと、晴の柏手がそれを破った。


「相手が“四凶”ってことは、あと二体残ってる。」


 そう言って、晴がスクリーンに二枚の絵を映し出す。


「不正と背信を司る窮奇きゅうき。そして、頑迷がんめいなる無知に基づく粗暴さを体現する檮杌とうこつ。」


 左の絵には人面に虎足、そして巨大な牙を持つ化物が、右の絵には針金のような体毛が生えた猛牛が、それぞれ描かれている。


「この絵はあくまで伝説の中での姿だから、完全にこーいう恰好ってわけじゃないけど、あくまで参考にね。」


 人間の間で伝えられてる容姿はあくまで想像上のものだ。実物と全く同じであるはずがない。実際、饕餮や渾沌は人間に近い形態をしていた。


「で、たぶん渾沌以上に厄介になるのは檮杌だ。こいつは昔、日本に上陸しようとした記録が残ってるんだけど」

「あのさー、僕たぶん此奴こいつ知ってる。」

「「は?」」


 何か重大なことをしゃべろうとした晴を、黒羽が制した。

 

「えーっとちょっと待ってねー、今記憶遡ってるから。」


 周りが固まる中、黒羽は「うーん」とうなりながらこめかみに指を押し付ける。


「あ、そうそう、確か大体700年とかそのくらい前だったと思うんだけどさ、この国に大量の異国船が向かってきた時があるんだよー。」


 黒羽は天井を見上げながらしゃべっている。

 ちょうど、当時を思い出しているようだった。


「ちょうどその時代は僕と夜叉、あと早蕨さわらびで日本を三分割していたんだ。」


(サワラビ?)


 聞いたことのない名にいなりは首をかしげる


「その、三大妖怪のうち一柱はみずめ・・・九尾の狐ではないのですか?」

「最初はね。でもみずめはすぐに後任に譲っちゃったんだよー。そーいう為政者っぽいことは柄に合わないからやりたくないんだってさー。」


 黒羽の言うことはもっともだった。

 夜叉は現在も大江山組という一大勢力を率いていることからかんがみるに、かなり面倒見が良く、天性のカリスマ性を感じる。黒羽はどちらかというとその対局にあり、自らは表に出ない変わりに他人を動かす。

 そんな二人に比べると、みずめは確かに大勢の者をまとめることに向かない。

 彼女は責任感とは無縁の世界で生きている。面白そうなら飛びついて、飽きたら平気で放り捨てる。何か考えているようでいて、実は何も考えていない。根っから他人を惑わすようなひとなのだ。みずめが吉原を整備したのも、おそらく彼女なりの<暇つぶし>だったのかもしれない。


「で、早蕨って言うのはねー、」

うち西の先代に当たる方や。」

「!」


 そうなると、一昔前までは東を鞍馬の烏天狗が、現在の九州を含む西を酒呑童子が、中央を早蕨という名の妖怪が治めていたことになる。

 どうしてそんな位置関係になったのかいろいろ疑問は残るが、今は無視だ。この時代、一体何が日本に起きたのかといえば、思いつくものは一つ。


「元寇か。」

 

 元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役、2度目を弘安の役という。

 黒羽が言っているのはどちらか分からないが、話の内容からして間違いない。


「人間の間ではそう言うのー?まあなんでもいいんだけどさー、とにかく異国に征服されるわけにはいかなかったわけ。夜叉は蘭が妊娠中で手が離せなさそうだし、早蕨は早蕨で反体制派を抑えるのに手いっぱい。そんなわけで、一番暇そうな僕が始末し行く羽目になったんだよー。それからは簡単で、異国船がこっちに上陸する前に追い払ったんだ。」


 元寇の神風かみかぜの原因は此奴こいつか。

 会議室内が唖然とした空気に包まれたのは言うまでもない。

 まさに歴史がひっくり返った瞬間である。神風台風説を唱える歴史学者が聞いたら泡を吹いてひっくり返っていたことだろう。


「だけど、問題はその後だった。明らかに異国船じゃない別のモノ・・・人外っていうべきかな。海坊主とは全然違うね。とにかくそれが大陸に向かって迫ってきてた。今の話を聞いている限り、僕の直感は正しかったようだねー。当時の僕はソイツを全力で海に沈めたんだよ。」


 黒羽は懐かしそうに、話をそこで締めくくった。しかし、彼の思い出話を聞いているこちらは情報量が多すぎてまったくついていけていない。

 少し整理しよう。

 まず、檮杌は以前―――鎌倉時代に日本に近づこうとしていた。しかし、たまたま偶然元寇を追い払っていて、その場に居合わせた黒羽によって上陸する前に沈められた。

 

「おい待て、今の話の流れからすると檮杌ってやつは死んどるんじゃ・・・」

「死んでないかもしれない。同じ四凶の饕餮や渾沌とかが日本に来ている流れからして、アイツが生き残ってる可能性が出てきたんだよねー。」

「マジかいな・・・。」


 八重は呆然とするが、黒羽がふざけている様子は微塵みじんもない。


「とすると、檮杌がまた出てくるとしたら南―――九州の方ってことになるのか?」

「ものすごぉく素直に考えたらねー。」

「それでも、何もしないよりはマシだね。」


 言うなり、晴はくるりと椅子の方向を変え、陰陽師たちの方へ向く。

 陰陽師たちの表情は引き締まり、ぎらぎらとした目は鎖から解き放たれるのを今か今かと待っているかのようだ。


「九州の警戒態勢を強化、および転移術による転移先の確保を急げ。」

「はっ!」


 がたがたと彼らが一斉に立ち上がっていくのを合図に、人間と妖怪の間で開かれた会議はひとまず幕を下したのだった。




◇◆◇




「黒羽、少し時間をいただいてもいいですか。」


 会議室から出されると、いなりは黒羽のそばに近寄っていった。

 他の者に聞こえてしまわないよう、ささやき声程度の音量でしゃべったので、聞こえない恐れがあったが、その心配はなかった。

 黒羽はまるで何も聞いていないようなそぶりで、ひとけのない廊下の隅に進んでいった。


「単刀直入にうかがいます」


 いなりは黒羽がこちらを振り向くなり、突然そう切り出した。

 彼を相手に腹芸を挑んだところでとても太打ちできない。だから、何も隠さず正面からいくしかない。 


「あなたは、北斗を利用したのですか?」


 これはずっと、いなりの中で渦巻いていた疑問だった。

 


 ―――なぜ、黒羽は校外学習の時に北斗を保護することをしなかったのか。

 

 

 彼ほど頭が回るのであれば、妖怪売買オークションの主催者は饕酔会と見抜いていたはずだ。だから、神巫である北斗に自分の部下なりをつけておくことはできたはずである。

 しかし、彼はそうしなかった。

 そうすることで、神巫は一時饕酔会の手に渡り、その情報が渾沌へと流れることになる。そして、渾沌が今回の大事件を起こし始めた。


(もしこれが、すべて黒羽の手の中だったとしたら・・・)


「前も言ったよねー?校外学習の一件以前から、そういう話はちらほらとあったんだ。」


 黒羽の答えは、Yes or Noではなかった。


「でも、抑えるには決定的な証拠がどうしても必要だった。」


 「勿論、力づくでやることは簡単だけどね。」黒羽はにこりと笑って付け加える。

 言われなくとも、それはいなりにも理解できる。

 四大妖怪制度は、四大妖怪に対する絶対的な信頼と畏怖から成り立っている。この秩序は、あくまで妖怪の生活が人間から脅かされないようにするため、そして妖怪が人に危害を加えないようにするためにある。そのため、妖怪達からの信頼が失われた時、その四大妖怪はただの恐怖の対象でしかない。

 妖怪からも人間からも恐れられる、悪妖となり果ててしまう。

 そうなると、保たれてきた秩序は崩れる。ストッパーがなくなり、妖怪が人を襲うような事態になるだろう。

 黒羽が動かなかったのは、そうした背景があったがゆえのことである。もしも彼が曖昧な噂を頼りに組を一つ潰していたら、その時点で彼は東の地の妖怪達からの信用を失っていたにちがいない。

 だからこそ、彼は慎重な行動をとっていたのだ。


(だが、今回はいただけない。)


 彼のことだ。渾沌どころかその裏にいる何者かが神巫を求めていたことなど、既にお見通しだったはずである。それはきっと、いなり達と出会う前から。

 だから、彼は北斗と出会った時にあんな無茶な賭けに出たのだ。

 物事が終わってしまった今だからこそ、ようやくわかった。


 ―――蒸暑い五月の昼間、あの体育祭の日。

 偶然か、はたまた悪戯いたずら好きのカミサマによって引き起こされた必然なのか、三人は神巫である北斗と出会った。

 あの時に黒羽がわざわざ協力なんていう、大義名分いいわけをかざしてまで、北斗と関係を作ろうとしたのは、何かしらの思惑があったのではないか。

 いや、もしかすると北斗が入学することを知っていたから、黒羽は八坂高校に高校生に化けてまでして潜り込んだのかもしれない。

 考えれば考えるほどキリがない。


(本当に油断できない男だ。)


 普段の鉄面皮ポーカーフェイスが崩れ、険しい表情をするいなりを見ても、黒羽は何も言わず、ただにこにこといつものように微笑んでいるだけであった。


(ああ、こういうことか。)


 ―――お前だけは、敵に回したくねえな。


 いなりは夜叉のこぼしていた言葉を思い出した。

 そして、ここにきてようやく、そのことを実感したのだった。


「あなたがはっきりとものは言わないとはわかっています。ですが、一言言っておかなければならないと思いまして。」


 いなりの瞳が煌々と輝き、黒羽を見据える。


「もし、あなたが私の許容できない範囲で動くのであれば、私もそれなりの対応を取らせていただきます。」

「・・・・・分かってるよ。」


 黒羽はやはり、笑うだけだった。




◇◆◇




「血は争えないってやつかー・・・。くわばらくわばら。」


 いなりが去ってから、黒羽はポツリとつぶやいた。

 自分の先を行く彼女の後ろ姿を見て、みずめとシルエットがかぶるのは気のせいではないだろう。彼女は本当にみずめとよく似ている。

 そして、あの男とも。


「黒羽様、いかがされますか。」


 昔の記憶が蘇りそうになったところで、黒羽の意識は鴟千しせんの声によって引き戻された。


「そうだねー。これはいったん、九州に出向く必要が出てきたなー。」


 別の方に意識が飛んでいたと気取られぬよう、黒羽は何気なく言葉を返す。


「ではチケットのご用意を。」

「それからセツに連絡もね。」

「かしこまりました。新幹線のチケットの枚数は、こちらでよろしいでしょうか。」


 鴟千は白い手袋のついた指を五本立てて見せた。

 察しのいい部下に、黒羽は満足げにうなづいた。




◇◆◇




 会議終了後、部屋は閑散としていた。鈍色にびいろの室内には、刀岐と晴だけが残されている。

 刀岐の同僚たちはさっさと引き上げ、積み重なる業務へと戻っていった。刀岐も抱えている案件が複数あるので早いところとりかかりたいのだが、晴に呼び止められたのである。

 呼び止められた時点でいやな予感はしていたが、それは裏切られることになる。


「吉祥寺いなりの家系を調べろだぁ?」


 思わぬ仕事に刀岐は間の抜けた声をあげてしまった。 

 別に、家系調査自体が不思議なのではない。

 陰陽寮には現在日本にいる妖怪のデータベースがある。それを利用して妖怪の個人情報を調べたり、関係者を漁ることは仕事上よくあることだ。

 しかし、彼女の場合は別だ。


「誰が親なんかとっくにわかってんだろ。」


 吉祥寺いなり。

 彼女は三大妖怪が一柱、九尾の狐の実の娘だ。

 絶世の美女の血を引くだけはあって、彼女もたぐいまれな美貌の持ち主である。そして、嵐のような妖怪高校生グループの中でも、大人びた印象がある。しかし、彼女が受け継いでいるのは何も顔だけではない。手に取ったら壊れてしまいそうな硝子細工がらすざいくのような見た目に反し、とんでもないバケモノである。 

 刀岐は後に虎徹から詳細を聞くまで、てっきり渾沌は虎徹や半鬼の少年と共闘して撃破したものだと思いこんでいた。ところが、彼女たったひとりによって倒されたというではないか。

 半妖怪だと侮っていたが、それは間違いだった。今回の事件を機に刀岐は再認識した。

―――閑話休題それはともかく

 そんな彼女の身辺調査はとっくの昔に終了しており、今更何を探るのだ。


「違う。」


 しかし、刀岐の言葉はばっさりと晴によって切り捨てられた。

 いつになく真面目な晴に、刀岐は気圧される。


「調べてもらうのは、父方の方だよ。」


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