吉原動乱 7
◆◇◆
「・・・よし。」
ひとまず陰陽師の注意をハリボテにひきつけておくことができた。それさえできればノルマの八割は達成したも同然である。
渾沌は仮面の下でほくそ笑んだ。襲いかかってくる狼の群れから、か弱い子羊を必死に護ろうとする哀れな羊飼いを地上から遥か高いところで見物するのは優越感をくすぐられる。
巷で、“仮想怨霊”とかいう妙な名称を付けられているようだが、随分大袈裟な名前である。アレを作っている当事者からすると、ちょっと凝ったハリボテにすぎない。
創造主から与えられた渾沌の力は、“現実と空想の融合”という、まさに
非常に強力に見える力ではあるが、その分制限がある。空想を現実に融合させることは、すなわち人間の想像する想像上のモノやコトガラを現実世界に出現させることだ。
だが、ここで問題なのは“空想”という曖昧な概念だ。空想とは、現実にはあり得ないことを想像することである。つまり、現実世界に出現させるモノは、前提として現実にはあり得ないことである必要があり、かつ不特定多数の人間がほとんど同じように認識している事柄でなければならない。そのため、現実世界を所謂小説にあるような“異世界”にまるっきりり作り替えてしまうことは不可能なのだ。
そのため、結局渾沌の力は空想上のモノやコトガラをそういう世界観としてではなく、個別単体で現実世界に出現させることに限られてしまう。しかし、それだけではつまらない上、大した効力を持たない。
そこで渾沌が目を付けたのが、“怪談”という空想だった。
人々の恐怖心を掻き立てる
なぜ、怪談は怖いのか。人々の間に共通の恐怖の対象がある。恐怖の対象は暗闇であったり、自然災害であったり、人間そのものかもしれない。それらは漠然とした恐怖を人々に与え続ける。そして、いつの日にか自然と、あるいは故意にそれらに関する“話”がつけられ、その中で“名前”がつけられてカタチを持つ。こうして、怪談に登場する恐怖の対象はキャラクターとして、人間の
渾沌はそれらにさらに
怪談を利用する上での欠点は、それらが“話”の中で現れる時間帯や場所を指定されてしまっていることだった。午後四時四十四分四十四秒でなければ姿を現さないのでは、非常に使い勝手が悪い。
また、渾沌によって体を与えられた怪談のキャラクターは物質的に現実世界に出現することになる。しかし、怪談という物語の中でそれらは(当たり前であるが)はたしてどういう存在なのか明記されていない。すなわち、正体がないのだ。正体がないのなら、物質的な体を持って出現することは不可能である。
しかし、この二つの欠点はまことに皮肉なことであるが、現代の文明の利器によって解消された。
出現場所が物語によって決まっているのなら、
物質的な体を持つことができないのならば、別の物体・物質に憑依させてしまえばいい。怪談と現実世界を融合させる際、何か媒体を用意してそれに憑依させれば物体を持った、怪談のキャラクターが現実世界に出現する。そして、この時に渾沌が媒体として選んだのは、電波だった。
電波というのは、要するに“空気の波”である。もう少し難しくすると、電磁波という電界と磁界の変化を伝える波動である。電磁界は周波数―――つまり空気を振動させる波だ―――が高くなると、電界が磁界を生み、磁界が電界を生み・・・というぐあいに互に干渉し合いながら電磁波を作り出す。これが
この電波を媒体にすることで、出現場所そのものはしぼられてしまうが、怪談のキャラクター―――陰陽師の言葉を借りれば仮想怨霊を拡散させることができるようになる。
はじめは実験的にアプリケーションという形で拡散を試みた。次は範囲を広げて東京都内の高校の学校のデータベースへ。そして、今回はさらに規模を広げようとしている。想定していたよりも早く陰陽寮が到着してしまったため、準備の繰り上げを余儀なくされてしまったが、もともと鼠に仮想怨霊を紐づけしておいたのが功を奏した。足止めとしてこれ以上もない働きをしている。今回は大きい規模で事を起こすつもりだったので、それなりの準備時間を要する上に、四大妖怪に見つかる可能性が高かった。そのために四大妖怪や近くで勢力を持つ妖怪勢力を吉原という閉鎖空間に押し込んでおいたわけだ。
懸念事項があるとすれば、陰陽寮の妙なカンの良さだ。現在都心を覆っている、人間のみを結界の範囲から除く結界が張られたのは、吉原爆破直後のことだった。それはまるで、吉原の爆破を待っていたかのように。警察機構が正常に動くことを阻むために一般市民を巻き込んでパニックを起こすつもりだったのだが、見事にそれを封じられてしまった。たかが前近代の遺物にすぎないと高をくくっていたが、彼等に対する少し警戒レベルをあげたほうがよさそうだ。とはいっても、渾沌の中で、ゲージで例えると1上がった程度であるが。結界の効力はあくまで一般人の侵入を阻むだけであり、空気の振動である電波を防ぐことはできない。陰陽寮はせいぜい予想外の闖入者であり、計画にはなんの差しさわりもないのだ。
だというのに
飲み込み切れない塊のようなものが混沌の胸の内を渦巻いていた。
―――違和感
この盤面は、自分の手の平の上にあるというのに。
なぜだろうか。
拭いきれぬ違和感が、しこりとなって残っている。
「・・・少し、保険もかけておくか。」
こうして、
◇◆◇
頭足類に似た六眼の頭部には
怪物が虚空に向かい、まるでそこに自分がいることを示すかのように吠える。
オーボエのようなくぐもった声が、神経を逆撫でた。普通の人間ならば、この姿を見ただけで発狂するだろう。
「大いなるクトゥルフ・・・。」
誰ともなく、そう言った。
それはいなりだったかもしれないし、虎徹だったかもしれない。(愁だけは絶対にありえないが。)
クトゥルフ神話―――ハワード・フィリップス・ラヴクラフトを中心に創作された神話であり、その中でクトゥルフは太古の地球の支配者とされ、ラヴクラフトの提唱する概念、
「んなもんまで具現化してんのかよっ・・・!」
相手にならないと悟ったのか、虎徹は手にしている
手の平サイズのそれ―――手榴弾である。さらにはどこに隠し持っていたのか、いつぞやの巨大なロケット弾発射器を肩に担いでいる。
「いいか、俺の合図で走れ。絶対に止まるな。」
「止まったら?」
「死んだと思え。」
虎徹は手榴弾の安全ピンを口で外し、
瞬く間もなく、閃光が闇夜を照らした。
「今だ、走れ!!」
巨大な爆発音がして、空中を揺るがせる。
爆風の後押しもあってバイクはアクセルをかけるまでもなく、怪物から距離を取る。
だが、いなりの目がとらえたのは、無傷の怪物の姿であった。そして、怪物の腕は土埃を薙ぎ払いながら、三人が乗るバイクめがけて腕を振りかざしている。
「左に!」
いなりが叫んぶのと同時に愁が急ハンドルを切る。バイクは横滑りして乱立するビルの路地に入り込んだ。
わずかに遅れて、クトゥルフの拳が道路上にクレーターを作る。道路の下で下水管が破裂したのか、ひび割れたアスファルトから水しぶきが上がる。
ほんのわずかでも避けるのが遅かったらと考えると、背筋が凍るようだった。
「聞てねえぞ!!なんだあのキモイ奴は、タコの突然変異にしちゃでかすぎる!!」
「そんな現実的なものではありません。クトゥルフ神話に出てくる神です。」
「嘘つけ!あんなおぞましい神がいてたまるか!!」
「現に目の前にいるだろうが。とにかく手前は運転に集中しろカス。」
怪談に登場する怪物や化け物が具現化しているということは、神話も例外ではない。神話も
いなりの雑多知識が正しければ、クトゥルフ神話には絶対的な設定が存在しない。ある一つの世界観として創作者の間で共有されているだけであり、クトゥルフ神話系作品の作家によって解釈が異なる。
言い方を変えれば、登場するキャラクターについて、いくらでも解釈は可能だということだ。
(もはやなんでありというわけか・・・!)
「どっちにしろやるこたぁ変わらってねぇよ。周りの
虎徹はバイクの側方に取り付けられていた弾頭を発射器に取り付ける。
同時に、暗い地面にさらに濃い影が電灯を遮って降りてきた。
「ちっ!上から追いかけてきやがった・・・!!」
虎徹が上空から見下ろす巨大な手をめがけてロケット弾発射器を発射させる。しかし、それでも指が二、三本破裂しただけだ。時間稼ぎにもならない。怪物の腕はひるむことなく、三人に伸ばされる。
「いなり、
「は?」
伸ばされた腕が三人に到達することはなかった。変わりに、黒々とした天井が頭上に表れた。
そして、いなりは自分の体が宙に放りだされるのを感じた。
―――否、天井ではない。切断面である。
支えを失い、地面に転がるいなりがかろうじて見えたのは、暗闇で眩い閃光を放つ大太刀。愁がいなりを地面に放り投げ、すんでのところで刀で切り落としたのである。
愁はもうバイクのハンドルを握っていない。
運転手を失ったバイクは、横滑りになりながら路地の行き止まりにぶつかって倒れる。
虎徹はぶつかる直前にバイクから飛び降りるのが見えた。だが、愁の姿はない。
愁の姿を探そうと、いなりはあたりを見回す。
それに応えるかのように、轟音が背後でした。
(愁だ。)
いなりの直感は正しかった。
愁は大太刀を両手に構え、怪物の手首であろう部分に突き刺し、地面に縫い留めていた。緑色のぬらぬらと鈍く光る腕が、苦し気にうごめいている。だが、愁はそれを押さえつけてさらに深々と刀を刺す。
しかし、鬼の怪力とはいえ相手が悪かった。ただの力勝負ならば、怪物の方が圧倒的に強い。びくんびくんと腕にまとわりついた触手が波打ち、徐々に腕が持ち上がっていく。
(これは負ける。)
しかし、それで諦める愁ではない。
愁は大太刀を思いっきり引っこ抜くなり、怪物の腕に飛び乗った。
「愁!」
「あの馬鹿!!命知らずか・・・!?」
押さえつけられていたものが急に解放された反動で、愁を乗せた状態で腕は一気に上空へ持ち上げられる。
「俺がひきつける!その間に行け!!」
遠ざかる声が頭上の方から聞こえてきた。
怪物は思わぬオマケに憤怒し、ぶんぶんと滅茶苦茶に腕を振り回している。
このままでは振り落とされかねない。いくら頑丈な鬼の肉体とはいえ、さすがに地上数百メートルから落ちればぺしゃんこになる。
虎徹はロケット弾発射器を担いで、怪物に撃ち込もうとする。だが、動き回る怪物を相手に照準を合わせることができない。また、この状況で下手をすれば愁にあたりかねない。
顔に焦りの表情を浮かべる虎徹を、いなりは制した。
止められた虎徹は苛立たし気にいなりの方を振り返る。これで彼の邪魔をするのは二回目だ。しかし、いなりはそんなことをちっとも気にしていない。
いなりは、ただ冷静に脳を回していた。
「あの怪物は愁に任せましょう。倒すことができなくとも、向こうの気をひくことはできます。あれはかなり頑丈なので、多少は放っておいても大丈夫です。」
三人で怪物を叩くことは、クトゥルフを倒すという目的においては最適であろう。いなりの見立てでは、怪物を完全に殺すことは難しいかもしれないが怪物の動きをその場にとどめておくことは可能だ。
最大の目的はスカイツリーで首謀者の計画を阻止することである。ここで目的を見失ってはいけない。
「先に
「その時は私が死ぬか、あなたが死ぬかです。あるいは、そのどちらも。」
虎徹は顎に手をやる。
怒りの色ばかり浮かべていた瞳は、今はただ静かに凪いでいる。その奥では、冷徹に戦況を分析していた。
間もなく、虎徹は口元を緩めた。
「・・・っは、
虎徹はくしゃりと前髪をかき上げる。その顔には、凶悪な笑みを浮かべていた。
どうやら虎徹は、いなりが言いたいことを完全に把握してくれたようである。
「スカイツリーまでの最短距離は?」
いなりの声音は変わらない。機械のように感情がない、冷たい音をしている。
だが、その瞳には確固たる覚悟が宿っている。
「準備に1分、そっからは0.9秒。時間を稼げ。」
「了解しました。」
◇◆◇
空中―――もとい怪物の体の上では、愁とクトゥルフの激戦が繰り広げられていた。
大太刀とはいえ、高層ビルよりも頭一つ分高いクトゥルフを相手にするのは象を線香の火で焼こうとするのと同じだ。怪物の猛攻をなんとかいなしながら、愁は片腕を足場に踏ん張っていた。
「うおぉらあああ!!」
愁は手から腕へ、腕から肩へ向かってかけ登る。しかし、自身の首をかっきろうとする小虫のことを見過ごすはずがない。
怪物がうおおおんと唸り、腕を大きくゆする。
愁はなんとか刀を突きたてて吹き飛ばされないようにする。
嵐のような爆風が巻き上がり、周囲の建物を破壊する。大都会を彩る摩天楼たちは、まるでスナック菓子を砕いたかのように壊れていく。まるで、天災だ。
「小僧、助太刀するぜ!!」
その時である。
天を
「うちの大将のシマで随分とまあ派手に暴れてるじゃねえか。」
怪物の動きを止めているのは、一つ目に、長く毛深い首を持った、巨大な妖怪。
ぎょろりとした眼が怪物を真正面から睨みつける。
「見越し入道か・・・!」
見越し入道と怪物がとっ組み合う質量同士がぶつかり合い、衝撃波が空気をゆさぶった。
妖怪VS怪獣とか、一体どこのB級映画の内容だと言いたい。映画のような光景に、高層ビル群が玩具に見えてしまう。
そんな玩具の間にいるいなりたちは、きっと小石程度の存在感にすぎないに違いない。だが、その路傍の石がやろうとしていることは決して小さいことではない。
爆風によって飛んでくる瓦礫をいなりは炎尾ではじきとばしながら、後ろで準備を進めている虎徹の安全を確保する。
「でかした・・・!」
虎徹がそういって、引き金を引く。
彼が今手にしているのは、ロケット弾発射器ではない。
いなりの足元に、青白い
「飛んでけ。」
この銃の有効射程は800メートル程度。
たいして、スカイツリーの高さは634メートル。
弾丸がこの高さに到達するのに要する時間はおよそ0.9秒。
虎徹の持つ弾丸に刻まれた転移術式は、陰陽寮が所属する陰陽師に対して配布している量産型の式だ。効果は単純明快、弾丸が着弾した場所に転移することができる。裏を返せば、弾丸を放つ銃の射程距離が転移可能距離となるのだ。
すなわち、狙撃銃による狙撃はただ遠くの標的の眉間を狙うだけでなく、超遠距離による瞬間転移を可能にする。
弾丸の術式が構築され、転移陣が空中で展開する。
いなりが放り出されたのは上空およそ700m。スカイツリーの第二展望台の真上だ。あと少しでも虎徹の狙撃がズレていた場合、いなりは呆気なく落下死していたことだろう。生まれてこの方、こんな無茶苦茶な跳躍をしたのは生まれてはじめてである。
だが、成功したのならこちらのもの。
いなりの目線は、もう地面には向いていない。
冷えた鈍色に輝くそこで、小さな白い影がポツンと浮いている。
(見えた。)
広範囲炎術―――妖炎乱舞・
業火の雨がスカイツリーに降り注ぐ。
流星群のような炎の矢は、光の尾を引き、金属とふれあって、パッパッと火花を飛び散らせる。
しかし、それで簡単に相手がやられるはずもなかった。
いなりは着地ざまにその白い仮面に向かって右足で側面に蹴りを入れる。さらに宙で体を
だが、白づくめの男の体は動かなかった。
男はまるで、じゃれついてくる仔犬を見るかのように、うっとおしそうにいなりの体を振り払った。
「小娘か。悪いが貴様をエスコートする暇はない。」
「奇遇ですね。女性の前で仮面を外さないような礼儀知らずのエスコートはお断りです。」
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