地獄太夫

「やあ、久しぶり〜。」


そう言って、黒羽が襖の向こうから座敷へ入ってくる遊女に向かって手を振る。しかし、地獄絵図を羽織った花魁は手を振り返さず、その変わりに笑顔で応じた。

 どうやら彼女が、先程黒羽が口にしていた、お目当ての“地獄”のようだ。


「お久しぶりでござりんす。それにしても、随分長い間お顔を見ねえと思っておりんしたが、突然どういたしんしたか?本来なら茶屋を通していただくところなんでありんすけれども、わざわざこうして直接来て下さるなんて、わっちも愛されたものでありんすね。」


 茶屋というのは、引揚茶屋のことであろう。

 普通、遊女の中でも最高位である花魁と遊ぶには、引揚茶屋を通して花魁に客を迎えに来させる、所謂いわゆる花魁道中をする必要がある。ようするに、花魁のいる店側のパフォーマンスだ。

 黒羽が直接店におもむいたので奇妙に感じていたのだが、やはりそれは花魁とて不満があるらしい。

 柔らかな物腰であるが、端々にとげを感じる言い方だ。客(それも、黒羽の立場からすると上客である)に対してでも、随分強気な出方である。横に控えている禿かむろの子が、顔を青くしてわたわたと慌てている。しかし、花魁はどこ吹く風と、黒羽を真正面から見返していた。

 地獄をその身にまとうだけあって、黒羽ご指名の花魁は、なかなか気骨のある女であるらしい。


「わざわざ道中で目立つことはしたくなかったからねー。一応僕は身分隠してるわけだしさー。」

「そのわりに、この方々には主さんのご身分がお筒抜けのようでありんすが?」

「彼等達は贔屓ひいきにしているからねー。」

「あら、主さんは群れねえからすだと思っておりんしたが、めずらしゅうこともござりんす。」


紅を指した唇にうっすらと笑みを浮かべる。

どうやら、彼女は黒羽が東の四大妖怪であることを既に知っているようだ。

というよりも、きっとこの店の何人かの遊女は知っているはずだ。でなければ、案内されるときのようにあんな反応リアクションをされるわけがない。


「黒羽、この方は?」


 いなりは黒羽と花魁のやり取りの合間を狙って、口をはさむ。

 すると、四人が会話に置いていかれているのを察したようで、花魁はふわりといなり達に向かって笑いかけた。そして、黒羽のかわりに答える。


「地獄、というのは、恥ずかしながらわっちに対するお客様からの敬称でございんすえ。皆様がわっちの着物にちなんで、そうお呼びしんす。本当の名は、織星おりぼしと申しんす。」

「彼女はこの店を取り仕切ってる楼主ろうしゅでもあるんだー。ちなみに、吉原の実質的なドンだよー。」


黒羽が付け加えると、「その言い方はやめておくんなし。」と、遊女が裾で口元を隠しながら笑う。

 その上品でたおやかな笑い方からは、とても彼女がこの夜の街のドンとは到底思えない。どちらかというと、ドンに守られている深窓の姫君のようだ。


  いなり達は知らないことであるが、この地獄太夫という花魁、伝説上の人物として知られている。

地獄太夫――― それは、室町時代、泉州堺高須町にかつていたとされる花魁だ。幼少期、山中で賊に襲われ、そのあまりの美しさゆえに、遊里に売られてしまい、「現世の不幸は前世の戒行が拙いゆえ」であるとして、自ら地獄と名乗り、衣服には地獄変相の図をぬいとり、心には仏名を唱えつつ、口には風流ふりゅうの唄をうたったという。

・・・・・と、ここまでは人間の間で有名なことである。しかし、所詮は伝説だ。彼女が妖怪であったことを、はたしてどのくらいの者が知っているのであろうか。

 ―――閑話休題


 地獄太夫―――織星が話を続ける。


「この街につどう妖怪達の多うは、生き延びるために身を売る者から、妖怪としてのさがから遊ぶ者、人から妖怪になれ果てちまった者と、皆人の世では生きづらい者達ばかりでありんす。そういう街でありんすから、中には人間の味を覚えてしまい、悪妖あくようとなり果てる者もいましんす。」


 四大妖怪制が成立したとはいえ、妖怪の中には人と共生することが難しい者も多く存在する。四大妖怪は妖怪が人間の生活を脅かさないようにするための牽制ストッパーにすぎない。決して、妖怪全員を守ってくれるような正義の味方ではないのだ。

 妖怪の世界は弱肉強食。力の弱い者は淘汰され、強いものが生き残る。弱者は弱者なりに、たとえそれが汚れた世界でもしがみついて、生きてゆくしかない。

 吉原は、人間の世界で生きていくことができない、そうした流れ者たちが身を寄せ合う拠り所となっている。


「こういう堕ちぶれた者共の集まる街でありんすから、やはり昔は物騒なところでございんした。」


 語る彼女の瞳は、どこか寂し気な色合いをはらんでいる。

 

「しかし、今ではこうして、独自の規律の下、独立都市として結界に守られながら残っておりんす。わっちは、その中でも他の者よりも少々力が強いので、それなりの扱いをされているだけにすぎんせん。街を牛耳ってやろうなんて、そんな大層なこと、これっぽっちも思っておりんせんよ。」


 暗くなっていた場の雰囲気を吹き消すよう、織星は茶目っ気たっぷりにそう言った。

先程から、色気は勿論だが、仕草といい、客との距離感といい、一つ一つからプロ意識を感じざるおえない。瞬き、話の切り出し方、聞き方、全てが計算されている。しかし、客にわざとらしさを感じさせないのだから凄い。いなりとて、間近で同じようなひとを見ていなければ分からなかった。

これがきっと、いわゆる花街の頂点・花魁というやつなのだ。


「で?黒羽はその吉原の頭はっとる姉ちゃんに、一体どういう用件なんや?」


 もったいぶらずに話を早くすすめてくれと言いたげに、八重が片膝を立てる。あまり女性が座敷でするような座り方ではないが、八重がすると妙に様になる。

 遊女達の前であったからこそ、先程までは大人しくしていたようだが、そろそろ行儀よく正座をしているのにあきたようだ。だんだん普段通りの八重の態度になってきている。


「そりゃあ、ちょっとしたおしゃべりをしにね。」


 そう言うと、黒羽は手に持っていた酒器を机に置く。


「おしゃべりぃ?」

「女性っていうのはねー、今も昔も、思わぬ情報を持っているものなのさー。」


 黒羽は人差し指を唇の前に添えて見せる。


「期待させてたら悪いけど、ここの女たちは一夜の夢は売っても、己の身はそう簡単に売らないのさ。良客には甘い蜜を吸わせ、気に入らない男には毒を盛る。人間の花街とは訳が違くってね、なめてかかったら骨のずいまでしゃぶられるよー。」


 黒羽に言われ、愁がぎょっとして織星を凝視する。こんな奥ゆかしい美女が、まさか花びらの奥に牙を隠した、食虫植物だとは到底思えないのだろう。

それを見て、織星は口もとに袖をそえ、ころころと笑う。

 ただし、織星の口は笑っているが、目元は鋭い。まるで、黒羽の心中を探っているようである。


「それに、別に僕に限った話じゃあないさー。ここには恋人ごっこ以外のものを求め

に来る客は、他にもいるよー。」


(なるほど。)

 

 いなりはようやく合点がいった。 

 吉原は、四大妖怪の支配の及ばない、いかなる勢力からも独立した地域。つまり、同様に、裏社会を取り仕切る組の手も出せない。裏社会以上に、どす黒い闇の渦巻く場所なのだ。倫理を無視したこの街には、さぞ多くの裏の情報が集まってくるのだろう。

 黒羽の目的は、やはり色事というわけではなく、女性達の抱える客の秘密が目的のようだ。そして、それを向こう側も理解しているようである。

 黒羽が「ねえ?」と首を織星の方に向ける。

 一方で、織星は済ました顔をしている。


「この世界に噂はつきものでござりんす。しかし、それはわっち共のお客様の大切な情報でありんす。信頼が関わる仕事柄、そう簡単にお話することはできんせん。」


 織星はきっぱりと言い切つた。

 ピンと、和やかであったはずの宴会に、緊張が走る。

 しかし、ふいに引き結んだ口をほころばせた。


「・・・・・と、言いたいところでありんすが、今回は主さん方に御恩がござりんす。」


 「はあ?」と、愁が思わず声にあげる。

 それもそのはず、黒羽を除いて、吉原に足を運ぶのは四人は皆初めてである。思い当たる節がなく、いなりは黒羽を見た。今度もまた、彼が何か仕組んでおいたのか。 

 しかし、驚いたことに、黒羽までも拍子抜けしたような顔をしている。

 どういうことだ。


しずく。」

「あい。」


 織星に呼ばれ、彼女の後ろに控えていた禿の一人が前に出る。

 水色の地に、紫陽花の花の咲いた着物を着ている。美人というよりも、愛嬌のある顔立ちが可愛らしい。まだまだ髪に指しているかんざしは少ないが、花魁付きの禿だ、きっと将来有望な少女であろうと思われる子である。

 少女は四人の前に移動すると、北斗の正面に腰を下ろした。


「以前、ここいらで誘拐事件がありまして、吉原も少のうない被害を受けんした。この子はその時、攫われた子でありんすが、そちらにいます人間の少年に救われたそうでありんす。」


 ぺこりと禿の少女が頭を下げる。

 しかし、当の本人である北斗はピンときていないのか、目の前の少女を前にして固まっている。


「お久しぶりです、室咲北斗様。あの時助けてくださった、雨女です。」 


 そういわれても、いまだに北斗は思い当たらない。記憶力に自信はあるが、だとしてもこんな可憐な少女に関する記憶が自分の頭のフォルダにないのである。

 いたいけな少女に頭を下げられ、申し訳なくもあるし、かといってどうしたらよいのか分からず、おろおろとしている。

 いなりも何か助け舟を出せたらと思うが、こればっかりはどうしようもない。


「お、思い出せ!!!今すぐ思い出せ北斗!!2人にいつまでも頭下げさせたら行けねーだろ!」


愁がぎゃんぎゃんと騒ぎながら、北斗をぐらぐらと揺さぶる。


「助けたんちゃうくて、襲われたのとちゃうんか?」

「だったらもっとよく覚えているはずだ。」

「裏八坂祭りとかでも、別にそんなことありませんでしたしね。」

「だよなあ。だったら、もっとずっと前のことか?俺らと会う前とか。」


 一緒になって八重といなりも記憶の網を手繰り寄せて考えるが、

 

「だめだ、まるで身に覚えがない。」 


 北斗はうなった。

そもそも、記憶することに関してはこの場にいる誰よりも北斗が強い。そうなると、記憶力が並である者がいくら頭を寄せあっても意味が無いわけである。


『主、この子からは横浜で出会った妖怪の子と、同じ匂いが致します。』


 打つ手なしというそんな時、鼻をすんすんと鳴らしていた影月が、ふとそう呟いた。

 すると、北斗の顔が思案顔から、みるみるうちに驚愕へと変わる。


「え、もしかして、あの時の妖怪か・・・・・!?」 

「あい。」


 嬉しそうな表情で、少女が顔をあげた。

 その子は、かつて横浜で、北斗が妖怪の競売オークションを行っていた組織から、身をもって助けた少女であった。

 その時はぼろぼろで、顔も、乱れた髪で隠れて見えなかった。服も今着ているようなものではなく、襤褸ぼろ切れのようなものであった。

 だから、分からなかったのである。


「必ずや、もう一度お会いしてお礼を申し上げようと思っておりましたが、偶然とはいえこうしてまたお目にかかれ、本当にうれしく思います。その節は、まことにありがとうございました。」

「この子を助けてくださったこと、私からもお礼を述べさせてください。」


 「待ってくれ」と止める北斗に構わず、織星が並んで頭を深々と下げる。北斗の隣では、陽光と影月が『さすがは主』と言いたげに胸を張っていた。

 しかし、本人はそんなことをされるのがいたたまれないようで、居心地悪そうにしていた。

 しかし、これは大変都合がよい。

 いなりは苦笑いを浮かべる。


「黒羽、もし北斗がいなかったらどうしていたつもりですか。」

「ちょっとした荒技を使うつもりだったんだけどねー。」


 黒羽は左手を袖口につっこみ、反対の開いた手でこめかみをかいていた。

 この時だけは、彼は本当の意味で笑っていたのかもしれない。


「なんにせよ、今回は北斗に助けられたよー。」


 八重に肘でつかれている北斗を横目に、黒羽はぽつりと言った。


「ここは、嘘と裏切りでできているような世界でありんす。行方不明なぞ、日常の一部でござりんす。それでも、義理はきっちり果たすのがこの店の意地。」


 織星が顔をあげ、ついっと口角をあげた。

 障子の向こうで、太陽はとっくに西の端へ落ちている。

 とろりと溶けそうな色をした月が空を上り、煌々と街を照らし出す。

 夜の闇は深まり、しんとした夜気が障子のむこうから入ってくるようだった。

 座敷を照らす行燈の火が、ゆらりと震えた。

 夜は、これからである。


「さて、腹の探り合いと参りんしょうか。」





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