宴の始まり

  

 清掻すがかきがひそやかに奏でられている朱塗りのまがきの向こうにいるのは、きらびやかな格好をした美しい女たち。しかし、江戸の色里いろざとと違うのは、彼女達が明らかに人ならざるモノの姿をしているところであろう。首が天井まで伸びる女に、鳥面ちょうめんの女、さらに、一見人間のようだが、首筋に二つ目の口があったり、腕にびっしり目を持つような者もいる。まさにあやかしの遊郭だ。

 いなり達の目の前にそびえる一件の遊郭・浮雲屋うきぐもや。その店は、明らかに他の店とは一線を画す雰囲気を外見だけからかもし出していた。

 いよいよ登楼入店である。

 黒羽に続いて暖簾のれんをあげて入ると、目の前には巨大な広間が現れた。

 後ろには大きく羽を広げた鳳凰ほうおうと、満開の桜の描かれた壁。中央には緋毛氈ひもうせんが敷かれ、その上に多くの遊女が座り、くつろいでいる。彼女たちはいきなり現れた一行にとくに驚く様子もなく、ちらりとこちらに目線をくれると、すぐにそれぞれの会話に戻っていった。

 それに構わず、黒羽はずんずん座敷に近づいていく。

 すると、広間の一角から青に縦縞たてじまの入った着物を着た、見た目うら若い男がやってきた。腰から二又の、猿の尾が生えているのを見ると、どうやら彼もまた妖怪で、この店のわかしゅのうちの一人のようである。

 

「おひさー、景気はどうだいー?」


 自分家じぶんちの玄関のようにずかずかと入ってくる天狗面の男を見て、若い衆は固まった。客向けの笑顔を作ったまま、時間が止まったかのように動きが止まったのだ。そりゃ見知らぬ男、しかも、(見た目は)自分よりも明らかに年下の青年から、いきなり気安く声をかけられたら誰だってそんな反応をする。

 その有様に、「ほら見たことか」とでも言いたげな様子で愁が黒羽を小突く。

 


「失礼ですが・・・以前にご登楼なさったお方で?」


 しかし、そうはいってもさすがは高級妓楼の若手である。商売人根性で乗り切ってきた。そうそう簡単にボロを出さないり固まったのは一瞬で、柔らかな物腰を崩さず、丁寧な口調で答える。しかし、きっとその言葉の裏は、大方『手前、一体どういう了見でこの店に入ってきてやがる。』という意味が隠されている。

若い衆は、疑わしげにそろりと目を黒羽の顔から身なりに動かす。じっと、こちらの素性すじょううかがっているようだ。

 店員がそういうことをしてくるあたりが、この店がただの店ではないことを物語っているのをいなりは感じだ。


「あれ、てっきり声で誰かしら分かると思ったんだけどなー。もしかして、うるわしき君たちの“地獄”は不在かいー?。先客の相手に夢中で昔の馴染なじみを忘れてしまうなんて罪な子だなー。」


 しかし、相手は黒羽である。店員のことを無自覚ナチュラルに(いや、それは黒羽が分かってなのか、はたまた分からないでやってるのかは、それこそよく分からない。)あおる。

 そして、若い愁の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れるか切れないかのところで、黒羽は何かを「ああ。」と思いだしたようにポンと手をついて彼のことをゆびさした。


「あ、そっかー。君、見ない顔だなあと思ってたけど、もしかして新入りかいー?ここんとこ来てなかったし、そりゃ僕のこと分からないかー。」


 そういって、黒羽が面を外した時である。

 コトリと、何かが落ちる音がした。音のする方へ目を向けると、地べたに細い赤がポツンとあった。煙管きせるだ。

 目線をそこから上に動かす。

 そこには、座敷でくつろいでいた遊女のうちの一人が、目を見張り、 わなわなと口元を抑えていた。 彼女の頭部にある三毛模様の三角の耳が怯えるかのように伏せ、小刻みに震えている。

 遊女は血相けっそうを変えて若い衆と黒羽の間に飛んで入る。


「か、烏の旦那ではございませんか!うちの若いのが大変失礼致しました!!」


 乱暴にどかされた若い衆が「おい。」と低い声で遊女に不満げに声をかける。しかし、遊女はひとみを吊り上げ、若い衆を黙らせた。

そして、若い衆にそっと、何やら耳打ちをする。すると、若い衆の顔が、冷水を浴びせられたかのように、さーっとみるみる青ざめた。


「先ほどまでのご無礼大変申し訳ありませんでした!!すぐにご案内いたします!」


 先ほどまでの態度から一転、座敷でくつろいでいた遊女達がてんやわんやの大騒ぎだ。


「烏の旦那の御一行でぇい!すぐに奥座敷にお連れして差し上げろぉ!」


  驚きを通り越し、もはや呆れたとしか言えない。

 いなりは黒羽を見た。しかし、かたや黒羽は涼しい顔をしている。


「旦那って・・・・・・お前、さては相当通い慣れてはるな?」

「さあて、どうでしょうー?」


 八重が面を少しずらしてジト目で見るも、黒羽は知らん顔。袖をひらひらひるがえし、さっさと階段を上がっていく。

 一体この男は過去に何をしてきたのか。

 いなりは面の内で、黒羽のことを白い目で見た。




◇◆◇




 禿かむろの一人に案内されていなり達が通されたのは、たたみ二十じょうはありそうな大きな座敷。後ろには松を描き、黄金のはくを散らしたふすまがある。床の間には。蔓梅擬ツルウメモドキ淡黄たんこう色の熟した果実がたわわに実り、純白の菊がそれを引き立て、秋の雰囲気を華やかに演出している。

 目に入るもの全てに唖然あぜんとして、いなりはその場に立ち尽くした。今頃自分は庶民らしい、相当間抜けな顔をしていることだろう。

 いなりが座布団にも座らず立ちすくんでいると、一「あ、なんか雰囲気がうちと似てるわ。」とか隣で愁がぼそっと言うのが聞えてきた。そういえばこの男、ある意味良家のお坊ちゃんである。見慣れていておかしくない。遠慮なく座敷に用意された座布団に座り、目の前の豪華な料理に心を奪われている。


「さあさあ座った座ったー。冷めないうちに食べなきゃ損だよー。この辺で1番美味しい仕出し屋の料理だからねー。」


 黒羽に肩を押されるままに、いなりは腰を下ろした。

 すると、後ろで音も立てずに襖が開く。

 今度はなんだと思って見やると、そこに控えていたのは振り袖姿の遊女達。

 

「一席、ごゆるりとお楽しみくださいませ。」


 しずしずと座敷に入ってくるなり、いなり達、それぞれの周りにつく。

 また、中には芸妓の者もいるようで、座敷の隅の方に固まると、携えていた三味線や琴を下ろす。そして、おもむろに一曲、奏で始めた。

 食事の邪魔にならないが、それでも華やかな曲調だ。

 遊女の一人が、扇を懐から出す。そして、襖を背景に舞い始めた。

 白い手が宙でひるがえる。くるりと着物の柄がまわり、松に紅葉が散らされる。

 三味線が、ベンと音を張り上げる。

 高く腕を掲げたところで、細い指先がそろそろと、扇を開き下ろす。白い指が、扇の赤に映える。

 ゆっくりと優雅であり、だが、きりきりと引き締まった、その洗練された動きに、いなりは目を奪われた。


「さあ、一杯どうぞ。」


 食事に手を付けずに、舞に夢中になっていると、いつの間にか斜め後ろに別の遊女がいた。手には酒瓶を持っている。どうやら酌をしに来たらしい。

気がつけば、既に黒羽や愁は料理に手をつけ始めている。北斗も遊女にすすめられるままに箸を手にしていた。

 いなりは「未成年ですので」と、丁重に酌を断った。驚いた表情をされたが、そりゃそうである。普通未成年をこんなところに連れてくるはずがない。いったいどういう了見で彼は自分達をこんなところに連れてきたのやら。

 そんなことを考えながら、いなりはたった今、八重の前に注がれたちょこをさっと取り上げる。あっけにとられた八重が、玩具を取り上げられた子供のように、非難するような目でいなりを見上げてきた。


「なんでや。」

「自分の酒癖をお忘れですか。」


 言われてうぐっと、つまる八重。寂しそうな表情をするが、いなりはしれっと、彼女の前に烏龍茶の入ったコップを置く。

 八重は忘れているだろうが、いなりは裏八坂祭りの事を忘れちゃいない。ひどく酔った八重の介抱に、どれだけ苦労させられたことか。


「黒羽は飲んどるやんけ!」


 八重の指さす先には、遊女に酌をさせながら酒を飲む黒羽の姿がある。

 既に空き瓶が畳に転がっているのを見ると、結構早いペースで飲んでいる。しかも、空き瓶のラベルは、見覚えがあるものだけでもかなり度数の高いものまである。黒羽は甘党なのであまり酒を飲まないのかと思っていたが、そうでもないようだ。

 だがしかし、それはそれ、これはこれ、である。


「あれはザルなので問題ないです。」


 ぐぬぬと、なおも酒瓶を守ろうとする八重から、いなりは無慈悲に没収する。

 「あああ・・・。」と悲しそうな声をあげるが、知ったこっやない。酔っぱらった八重の相手は御免被りたいものだ。

 いなりは没収した酒瓶を遊女に返却する。

 そして、ついでにこそっと耳うちをした。

 もしかしたら、気の利いた遊女の誰かが、彼女の方にノンアルコールの酒をぎに来てくれるだろう。


(それにしても・・・だ。)


 いなりは料理をよそいながら、ぐるりと座敷を見回した。

 黒羽は相変わらず、女性に対しての扱いが上手い。遊女達の巧みな誘いに対しても、にこにこと笑って「また今度、僕が一人で来た時にねー。」とかなんとやら返している。

場の空気を濁さず、女の機嫌を損ねず。相変わらず上手い男だ。

 愁はといえば、そもそも自分が誘われているのに気づいていない。目の前の御馳走を食べることに夢中である。

花より団子とはまさにこのこと。食欲に清々しいほど忠実な奴である。隣にいる腹黒烏とは、ある意味で対照的だ。

 そうなると、必然的に一番初心うぶな反応をする北斗が狙われるのである。遊女が胸元をチラつかせるたび、わたわたと混乱して赤面している。主人のそんな様子を見かねた陽光と影月が影の中から姿を現すも、流石遊女プロだ。「あら、可愛らしいお犬さん。」「わあ、モフモフしてる~。喉元、触っても良いですか?」などと優しい手つきで頭やら背中やらを撫でられ、あっという間に骨抜きにされた。

 

「彼奴、絶対飲み会で真っ先に喰われるよタイプやで。」

「ですね。」


助けを求めるような目線を感じるが、2人は知らんぷりをすることにしたのだった。


 

 

 ◇◆◇

 



「・・・・・なんか想像してたのと違うな。」


 肉料理を頬張りながら、愁がこぼす。

 彼の周りには食べ終わった皿が山のように積まれ、片端から若い衆が片している。今は食休めなのか、食べ物を口に運ぶ手が少し落ち着いていた。

 

「あれ?なんだい、もしかして愁はでも期待してたー?」

「ちっげーよバカ!!」


 かっと顔を赤くして愁がぶんと腕を振るうが、黒羽は横も視ずに頭を下げて、それをひょいと避ける。

 確かに、愁の言いたいことが分からないわけではない。

 遊郭というので、いろいろ覚悟はしていたつもりだが、やっていることはキャバクラとか、スナックみたいな場所と同じようなことである。


「勿論、ここはを目的に来る客もいるけど、僕みたいなお爺ちゃんは、綺麗なお姉さん達と楽しくお話して美味しいご飯を食べるだけで満足なんだよー。」

「あらやだ、旦那ったら口がうまい。」

 

 黒羽は遊女をはべらせ、高校生(見た目だけ)にして悪代官の風格を醸し出している。

 それを横目に、いなりはもそもそと、皿にある天ぷらを頬張る。


「嘘つけ、自分絶対それだけなわけあらへんやろ。」

「あはは、よく分かってるじゃないかー。」


 そんな時、曲がぴたりとやんだ。

 舞をしていた遊女が頭を下げて、襖の前から引き下がる。

 

「さあ、おいでなすった。本日のお楽しみメインディッシュはこれからさ。」


 すーっと、襖が開かれる。 

 そこに立っていたのは、一人の女。

 黒漆に、あざみの金細工の二枚櫛。わすれなぐさを想起させる、薄水色の花飾りを垂らした鼈甲べっこうの簪を十二も指して頭頂部に結い上げつつ、後ろをあえてしどけなく垂らした黒髪。胴抜どうぬきには白の繻子しゅすを着て、肩を大きく下げ、胸元には聖観音しょうかんのんと蓮華の総刺繍そうししゅうを施した、青帯を前結びにしている。

 何よりも目を引いたのは、針山、血の池、叫ぶ亡者が鮮明に織りこまれた打ち掛けだった。


「『聞きしより 見て美しき 地獄かな』。」


 他の女たちとは一線を画す、一際いっさい色めいた、哀愁あいしゅう漂う美女だ。


「誰だっけな、上手いこと言ったもんだよねー。」


 美女は、しずしずといなり達の前に進み出でて座る。着物に焚きしめた香が、ふわりと漂ってきた。彼女が頭を垂れると、簪がしゃらりと音を立てる。白い、艶めかしい首筋が露わになり、思わずいなりは目をそらした。


「『死にくる人の おちざるはなし』。」


 透き通るような、だが、りんとした芯のある声である。

 女が、ゆっくりと面を上げる。


地獄太夫じごくだゆうでござりんす。本日はごゆっくり、楽しんでおくんなんし。」


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