密談 ー浮話ー

 夜はどんどん更けていく。

 闇は色を濃く、深くし、ずっと奥に広がっている。星の光はそんなに強くない。墨で黒々と塗りつぶしたような闇だ。

 とろりとした色をした月がその黒い闇の中にぽっかりと浮かんでいる。

 月明りは闇の中央から水流のようにまっすぐ地上に降り注ぎ、吉原の街を照らし出す。


「今日は、特に月が美しい夜ですな。」

「愛の告白かいー?悪いけど、おじ様は僕の守備範囲外だよー。」

「ほっほっほ、決してそのような深い意味はございませんよ。時に月をでるのも、よいではありませんか。」


 杯をかかげあい、黒羽と蔵之介はお互い口元に笑みを浮かべる。

 杯の中の酒は行燈あんどんの明かりを含んで、ゆらりゆらりと揺れている。

 彼等の間には織星がおり、杯が空になりそうなのを見計らって手酌てしゃくをしていた。時には話に入ることもあるが決して二人の会話を濁すことなく、話に花を添えている。

 彼等の座している席はいなりから少し距離を置いている。それでも会話の内容を聞き取るには問題ない。愁は黒羽と蔵之介の様子を飲み物を飲みながら、ちらりちらりと様子をうかがっている。何を考えているのか分からない二人の会話に入ることができず、気まずそうにしているようだ。八重はそもそも会話の内容にあまり興味がないのか、腹に一も二も抱えたオッサン達の腹の探り合いに飽き飽きしたのか、グラスの中身の飲むことに夢中になっている。

 組長である蔵之介、そして三吉を除く浅草組の他の構成員は几帳で隔てられた向こう側の席におり、こちらから様子は分からない。

 相対しているのはいなり達五名と浅草組幹部二名。

 ここには、密談の場が出来上がっていた。


「ところで黒羽殿、何故なにゆえ我々をお呼びに?」

 

 蔵之介は杯を置く。

 彼の目は、鋭く黒羽を正面から見ていた。

 しかし、黒羽はその視線がまるで痛くも痒くもないようだ。

 じっくりと酒を味わってから杯を置き、舌を濡らしてから口を開いた。


「ま、話っていうのはついこの間まで横濱ヨコハマを中心にあった誘拐事件に関するんだけどねー。」

「確か、主犯が饕酔会とうすいかいってとこだったよな。つうか、そりゃあんたがもう片づけたはずだろ。」

「そのはずなんだけどねー。」


 三吉に指摘され、黒羽は難しそうな顔をする。

横濱で行われていた競売オークションの黒幕は、中国の妖怪を頭とする人身売買組織であった。

 その組織の名前は、饕酔会とうすいかい

 後に黒羽から効いた話だが、曰く、横濱や八坂祭りでいなり達が実際に対峙したのはその組織の幹部が率いていたごく一部分にすぎない。大本は八坂祭りのあとで黒羽が潰した―――つまり、壊滅させたという。

 なぜ今更いまさらその話を持ち出すのだろう。

 いなりは黒羽の言葉を待った。


「どうも売買を裏で糸を引いていた組が他にもあったようでさー。」

「まさか同胞を売った組があるのか!?」

 

 思わず愁は声を荒げた。そして、突然口をはさんでしまったことに気づき、「やべ。」と口を抑える。


「そーいうことになるねー。」

 

 愁の投げかけに、黒羽はあっさりと肯定する。


「けどよ、なんでそんなまねを・・・・・」

「愁、みんながみんな君みたくお人好しじゃあないんだよ。妖怪に限らないで、世の中そんなものさ。お互いが助け合える平和な世界なんて、子供の作文の中か政治家の演説の中くらいしかないねー。」


 愁は納得できなそうに、唖然とする。それから先に言いたい言葉が、出てこないようだった。


「それに、そう考えなきゃ、なんで海外の妖怪が僕の土地とこで好き放題動いていたのか説明ができない。」


 黒羽の言うことはよくよく考えてみればもっともだ。

 海外妖怪が、そう簡単に日本の妖怪の裏社会に潜り込めるはずがない。なぜなら、日本妖怪と海外妖怪は、はっきり言って友好的な関係がないからである。

 遡ること江戸の幕末期―――人間の世界で、日本が開国に向けて動き始めていたころである。諸外国の政府が日本へ興味を向けていたと同様に、海外妖怪もまた日本に好奇の目を向けていた。

 当時、日本の人間は開国派と攘夷派に分かれていたようだが、妖怪達は攘夷派一色であった。土地との繋がりを大切にする妖怪にとって、自分達の住む地によそ者―――それも、よく知らない異国のバケモノ―――が立ち入ることをひどく嫌ったのである。

 そのため、外国妖怪との間にひと悶着あった過去があり、海外妖怪との関係はあまり好ましくないものであるため、海外妖怪と日本妖怪が関わる場所は、ある地域を除いてほとんどない。

 例外として、密貿易などで裏社会の一部が海外妖怪の組織と密通していることはあっても、それは日本の表社会で生きる妖怪達に害を与えない前提で黙認されているにすぎない。

 今回、饕酔会は何かしらの手引きによって誘拐事件を引き起こしたということだ。そして、それが黒羽のいう八菊組にあたるのだろう。


「そのうちの一つの八菊やぎく組はもう解体したんだけども、八菊組とは別に他にも協力していた組があるみたいなんだよねー。」


 そういって、黒羽が酒器を手に取る。すかさず控えていた雫が空の杯に酒を次ぐ。黒羽は雫に礼を言うと、舐めるように酒を飲む。そして、酒器を机に音も立てずに置き、ようやく口を開いた。

 その口元には、笑みが灯っているようだった。


「さあて、本題はここから。織星、ここら辺で変な動きをしている組の噂、何か知らないかいー?」


 言われて、織星の瞳が揺らいだ。

 驚いたのは彼女だけではない。


「鞍馬殿、さてはあんた俺らがここに来ると分かってたな?」

「ふっふっふ、僕はなんでもお見通しなんだよー。」

 

 三吉がバケモノでも見るかのような目を黒羽に向ける。

 黒羽は顎に手をやってかっこをつける。

 しかし、そんなイタイことでも黒羽が言うと冗談に聞こえない。彼の場合は本当にありえてしまう。


「・・・・・。」


 長い沈黙が流れ、織星が石を吐くように口を開いた。

 黒羽はとっくに怪しい組に見当をつけているのだ。彼は織星


「仮にその組の名をわっちが言うことができたとしても、恐らくを問い詰めることは難しいと思いんすえ。」

「つまり、心当たりはあるわけだ。」


 黒羽は追い打ちをかける。

 織星は、観念するかのように大きくため息をついた。


「おかしな動きをする組が、ここ最近蜜木みつき屋に通っておりんす。」


 蜜木屋というのは、花街でも浮雲屋と同じくらいの大見世なのだという。

 しかし、大見世になったのはここ最近の話で、それまでは中堅の中見世だった。それが急成長を遂げたのは、ある団体客が通いだしてかららしい。

 その団体客というのは妙に金回りが良いらしく、しょっちゅうやってくる。

 頭と思われるのは、小袖に袈裟を掛けて深編笠ふかあみがさをかぶった虚無僧こむそうのような見た目の、小柄な男。従える妖怪は、皆それなりの実力のある者達のようだ。

 

「その客人方、どうも横濱の者達だという話を聞いてやす。」

「だそうだ、蔵之介。」


 黒羽に言われて、蔵之介は「ほう」と顎に手をやる。


「なるほど。それで儂らにようがあると。」

「話が早くて助かるよー。」


なぜなのかよく分からず、愁が代わり代わりに二人の顔を見る。そして、最終的に黒羽の方を向き、疑問を投げかける。


「どういうことだ?」

「吉原内部は自治都市と言っても、この街が位置するのは浅草。入るしろ出るにしろ、浅草の町を通らなきゃなんない。それを、まさか東の蔵王が見逃してるはずがないよねー。」


 なるほど。

 そうすると、浅草組にもいなり達がここに来たことは既に分かっていたということか。


(話がややこしくなってきたな。)


 黒羽は浅草組と会合するために吉原にやってきた。そして、浅草組は黒羽が訪れることを知っていた。さらに黒羽は浅草組がここに来ることを知っていた。

 お互いがお互いの手を読み合い、もはや何が何だか分からない。

 この手のことに関して頭を使うのは苦手だ。

 いなりは彼らの探り合いを追うのを諦めた。

 

「その組ですがね、」


 顔の皺に細めた目が混ざる。


「おそらく、塵灰組じんかいぐみでしょうな。」


 塵灰組・・・名前からはどこの組かは分からない。

 たいていの組は組名に自分達のシマの地名を使う。大江山組ならば、かつて酒呑童子が営んだ妖の国のあった山の名を、浅草組ならば、浅草寺の守護する浅草の名を。

 しかし、中には土地の名を冠さない組もある。そのような組は、土地が横濱のように、数多くの小規模な妖怪勢力が複雑な抗争関係を作り出している魔都化まとかした領域をシマとする。


「少し前までは横濱といえば八菊組だったのですがね、それに代わってここ最近そこで勢力を伸ばし始めた中規模な組ですよ。」 

「その組が、一体何を」


 その時である。

 がしゃあんという盛大な音が隣から聞こえてきた。

 瞬間、三吉が蔵之介の前に飛び出す。彼は懐に手を差し込み、ぎっと目を吊り上げて周囲を伺う。

 その様子は、よく居酒屋で見るお祭り男を自称する、酔っぱらいなんかではない。まるで別人だった。

 さらに一拍遅れて、何事かと浅草組の組員達が几帳を押しのけての向こう側から駆け込んでくる。

 しかし、彼等の警戒は徒労に終わった。


「おおい、もういっぱああい!!」


 なぜなら、音の正体は瓶のひしめく机上きじょうにつっぷして顔を赤くした、八重であったからだ。




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