陰陽師三重奏
船酔いの時のような、独特の感覚を感じた直後、白く視界が揺らぎ、ぼやけていた光景が次第に色を取り戻す。
刀岐恭介は無事に自分が転送されたことを確認し、ひとまず安堵の息をついた。
それから周りに目を向ける。
体育館の中央には、自分のバディの相手―――久遠虎徹が拳銃を携えて立っていた。虎徹の足元には、仮想怨霊に取り憑かれたことで、先程まで暴れていたのだろうと思われる、多くの学生や大人が倒れていた。彼らの中には、明らかに制服ではない突飛な服装の者もいる。可哀想なことに、きっと彼らも同様に、今日は待ちに待った文化祭・・・・・・のはずだったのだろう。しかし、起こってしまったことは変えられない。自分達に出来ることは、トラウマを植え付けないよう記憶を消してやることぐらいしか出来ない。
刀岐はあえて下を見なかったふりをして、虎徹の元に歩を進める。
「遅いじゃないすか。」
刀岐の気配にすぐに気づいて、くるりと虎徹が振り返った。その目の奥は、ぎらぎらと鈍く光っている。それは狩りを終え、まだ興奮の抜けきらない猛獣の瞳を彷彿とさせる。
「もう終わりましたよ。」
遅れてやってきた刀岐に対し、不満げに虎徹が言う。
「お前が早すぎるんだよ。俺が飛んでいる間に二つも三つも終わらせてくれちまうせいで、こっちが追っつかねえ。」
八坂高校から刀岐が虎徹を追って次の校舎に到着した時には既に、その高校内は虎徹によって鎮圧済みだったのだ。虎徹に刀岐が追いついたのは、それから四校目の学校である。
そうすると、今のところ刀岐と虎徹だけで十三の校舎の鎮圧を行ったことになる。(刀岐が実際に動いたのはそのうちの三校舎だけであるが。)陰陽寮を構成している陰陽師は総勢30人足らず。今回の都内の高校における仮想怨霊同時多発事件には陰陽寮総動員で取り掛かっているので、もうそろそろすべての校舎が片付いてもいいはずだ。
「でも、もうそろ片付いたんじゃねえか?」
刀岐に問われて、虎徹は結界を解除した後、スマホを確認する。
「そうっすね。ここでおそらく最後です。」
銃をホルダーにしまった途端、虎徹はずるずると体育館の壁にもたれかかり、座り込んだ。額にはびっしりと汗をかいており、息づかいも荒い。
言わんこっちゃない。刀岐は心の中で、この直情的な後輩に向かって吐き捨てた。
「テツ、お前トバし過ぎただろ。」
「・・・・・そうみたいっす。」
ここまで彼はずっと術を連発している。疲れないわけがない。
霊力は決して無尽蔵に
人間が霊力の大半を失って死ぬことはないが、かなり衰弱する。それは、霊力がその力こそ非科学的で未知のものだが、身体機能と密接に結びついているからだ。刀岐は自分よりも年上の陰陽師が何人も病院送りになったのを見てきた。中にはそのまま霊力が回復せず、一生を病院で送ることになってしまった者もいる。
「犠牲者が出る前に、少しでも早く片付けねえとって思って……いや、すいません。俺の自己管理の不徹底っす。少し焦り過ぎました。」
虎徹な悔しげに唇を噛む。それは騒動を起こした仮想怨霊に対する憎しみからではなく、自分の不甲斐なさを痛感していることからくる表情だった。
「お前の気持ちは分からなくない。だがな、いいか。それで動けなくなったら終わりだぞ。」
「・・・・・うっす。」
言ったところで、彼が変わるはずもないのだが。
刀岐は煙草が吸いたくなった。
虎徹は、1人でいろいろと背負いこみすぎる性分だ。そして、そのために自分が犠牲になることを顧みない。むしろ、そのために死ぬ事なぞ本望とだとでも思っていそうだ。
「お前の暴走の原因はあの狐娘か?」
「……。」
これは図星のようだ。彼は的をつかれると目線を右にやる癖がある。
「あいつは、守るっつーことがどんなことか、まだ知らねぇんだと思います。」
目を刀岐からそらしたまま、虎徹が呟く。それはまるで、彼自身に対しても言っているように聞こえた。
虎徹の目は、どこか遠い場所を見ている。
刀岐はふと、六年前のことを思い出した。
あの年は、特に冬が厳しい時だった。真冬の、それも関東にしては珍しい吹雪の日だ。
脳裏に張り付いているのは、霊安室で無残な死体を目の前にし、
あの時の彼の年齢は、半妖狐の娘と同じ十六だったはずだ。
拳銃を前にしても動こうとしなかった彼女を見て、虎徹は何を思ったのだろう。
「お、いたいた~。」
刀岐を回想から引き戻したのは、この場の空気を読まない呑気な声。
突如として目の前に現れたのは、だらしない恰好をした金髪の男―――土御門晴だ。刀岐と虎徹の上司である。
「ちょっと2人に伝えておきたいことがあったからさ。」
驚く二人をそっちのけに、晴は一人で話を進めようとするが、虎徹がそれに待ったをかけた。
「晴さん!?一体何しに行ってたんすか・・・・・!」
「あはは、ごめんごめん。黒羽くんの目を避けると、面倒な動き方をしなくてはならないからね。」
黒羽という名前を聞いて、刀岐は「ああ」と納得した。
現在の東の四大妖怪であり、かつて三大妖怪の一柱・鞍馬山の烏天狗。かの酒呑童子の右腕だ。そして、かつて稀代の天才陰陽師と謳われていた安倍晴明を悩ませ、その転生者である土御門晴に一筋縄ではいかないと評される、厄介な妖怪である。
「目って、どういうことすか?」
「黒羽くんはねえ、眷属の烏を使っていろんなとこに監視の目をばらまいてるのさ。テツも気を付けたほうがいいよー。あの烏天狗は妖怪からもバケモノ呼ばわりされる、まじのバケモノだからね。」
「嘘だろ。」と虎徹が声をあげる。
「あんた、よくそんな奴に喧嘩売ったな。」
「まあね~。私、これでも天才だから。彼の考えてることなぞお見通しなのだよ。」
晴は顎に手をやって、その無駄に整った顔でキメ顔をつくる。今の言葉さえなかったら、雑誌の表紙を飾れそうだ。
自分のことを天才と名乗る奴は天才じゃないんじゃなかったか。
「俺はあんたの放浪癖に理由があったことが驚きだよ。」
警視庁特殊組織陰陽寮・通称陰陽寮は、形式上警視庁に属してはいるが、特殊組織と銘打っているだけはあり、その存在は完全に独立している。組織の内部機構も警視庁とは切り離され、陰陽寮は陰陽寮で、別の組織構造が存在する。
晴は一応、その組織内の長官にあたる、“
腐っても安倍晴明の転生者―――否。そもそも、安倍晴明が元来このような性格であったのかもしれない―――だ。晴は一つの物事から十も百も読み取るようなキレ者である。彼の言う事は「決して」と、断言できるほど外れない。さらに、二度の人生を経たことによる豊富な知識量に裏付けされた、陰陽師としての能力は常人離れしている。
まさに天才と言うべき男。
しかし、当の晴の人間性は猫のように気まぐれで、それでいて雲のように掴みどころがない男だ。気の向くままにふらりと現れては、いつの間にか、ふっと姿を消す。
陰陽寮という組織でも、その実力から上り詰めるところまで上り詰めたが、得た権威にはまるで興味がない。組織の最高責任者でありながら、平気で丸一週間行方をくらます。
そんな晴に、陰陽寮所属の陰陽師達は、毎日のように振り回されていた。
「まあそれもあるけど、私、普通に仕事嫌いだし。」
いけしゃあしゃあと何をぬかしよる。
何度も言うが、晴は陰陽寮の最高責任者にあたる。それが堂々と仕事放棄宣言を言い放ちよった。
刀岐は仮にも上司の立場にある晴に向かって、「ふざけんな」と言ってやりたかった。
「陰陽寮内の指揮権は全て晴さんに帰属しているんすよ。そんなしょうもない理由でほっつき歩かれると俺らが困るんですけど。」
「えー、別に私がいなくたって機能してるじゃあないか。やっぱり持つべきものは優秀な部下だよねえ。」
「それはあんたがいつもいないからみんなが慣れただけです。今回みたいな総員で挑まなきゃなんない大規模な事件はどうするんすか。」
「そのときはそのときだよ〜。みなで頑張ってくれたまえ。」
虎徹の額にどんどん青筋が浮かぶ。どうしてこの人は、こうも人の神経を逆なでるのがうまいのか。
刀岐はため息と共に煙を吐き出した。
「テツ、その辺にしとけ。晴もあんまりからかってくれるな。いい加減さっさと話を進めろ。」
「はいはい、しょうがないなー。」
「せっかく面白かったのに。」と晴はこぼすが、弄ばれるこちらからしたら迷惑極まりない。刀岐は手のひらの上で転がされるのは気に食わないのだ。
すると、刀岐の空気を読んだのか、晴はおどけていた様子から一変、真剣な顔をして、口を開いた。
「横浜の一件、たしかあれには君たちが向かったはずだったよね?」
“横浜の一件”というのは、六月に横浜で起きた豪華客船の消失事件のことだ。
陰陽師は警察のように特定の地域に駐在するということはしない。しかし、横浜のような昔から妖怪の活動が活発な地域には、人間が妖怪同士の抗争に巻き込まれぬよう日頃警戒態勢が敷かれている。警戒態勢とはいっても、なにせ陰陽師はそんなに数がいない。人間を置く代わりに、その地域の監視カメラと陰陽寮の監視システムを連動させておくのだ。そうすることで、その地域一帯で何かがおこればすぐに陰陽寮に情報が伝達される仕組みになっている。
妖怪の間にある四大妖怪制度のおかげもあって、妖怪があからさまに人に襲い掛かるという事態は滅多にないのだが、ある時突然、横浜の監視システムが警報を鳴らした―――つまり、強大な妖力反応が横浜であったのだ。
急遽虎徹と刀岐が派遣されたのだが、2人が港に到着したころには遺骸はおろか、妖怪同士が争ったような形跡すら見つけることは出来なかった。後の捜査で分かったことは、港に停泊していた中国国籍の豪華客船が一隻、乗客ともども雲隠れしてしまったということだけだった。
刀岐は当時の陰陽寮内部の動転のしようを思い出し、顔をしかめる。
同僚の慌てっぷりとは反対に、実際の現場は閑散としていた。まるで、海が全てを飲み込んでしまったのかのような、そんな有様に、一種の不気味さすら感じた。
「あれと関係あるのか?」
「私も直接見たわけじゃないからそうだとは言い切れない。今から言うことは全て憶測だ。」
口先ではそう言っているものの、晴の口調は確信じみていた。
「横浜のやつには、確実に黒羽くん達が関わっている。あれはきっと、あの烏天狗が意図的に何らかの証拠を消したのだろうね。たぶん理由は自分が事件に関わった証拠を残さないためにっていうのと、“あの子”を私たちから隠すためだ。」
「あの子?どいつのことだ。」
「え、いたでしょ?狛狗を従えていた、あの神巫の子だよ。」
晴は「気が付かなかったの?」と言いたげな顔をして、目をしばたいている。
しかし、晴に言われても誰のことかよく分からない。そもそも、カンナギとは一体何のことだ。それは虎徹も同様で、必死に脳内に残っている映像を呼び起こしていた。
「あ、そうか。普通は知らないんだっけ。神巫っていうのは、神獣の器のことさ。」
神獣の器―――と言われても、いまいちピンとこない。
知識ありき前提で言われても、こちらは晴のように人生を陰陽師として二回も送った転生者ではない。年取った分の知識量しか頭に入っていないのである。
「要するに神獣を体に直接宿しているってこと。私の上位互換みたいなものだよ。」
さも「はあ?」と言いたげな顔を二人がしていたのだろう。晴がさらに噛み砕いた説明をする。
「晴さんの上位互換って、マジで言ってるんすか?」
「まあ、力の使い方はよく分かっていないみたいだから、実際の戦闘能力は並みの人間程度だと思うよ。」
つまり、晴は自分の足元にも及ばないと言っているのだ。
知らないところで遠回しにけなされている北斗少年を刀岐は心中で気の毒に思った。しかし同時に、あの心優しそうな少年が晴よりも強いとは、刀岐も到底考えられなかった。
「でも、なんでわざわざ隠すなんて真似を。」
「神獣は純粋な霊力のかたまり、まあ要するに燃料って思ってくれていい。神巫はそれを体に宿している燃料タンクみたいなものさ。それも無限に燃料が湧いてくる。ざっくりいうと、あの子の場合は燃料タンクの栓が空きっぱなしで、ずっと霊力が駄々洩れしてる状態。そんなのがほっつき歩いていたら妖怪にとっての御馳走だ。しかも、そんな厄介な人物を私たちが野放しにしておくはずがないだろう?」
「まあ、栓とやらの閉め方を覚えてもらうまではどこかに完全隔離でしょうね。」
「ね?だから、黒羽くんは他の妖怪や私達に見つからないように彼の痕跡を消したんだ。それも、文字通り綺麗さっぱりね。」
肩をすくめて、晴はやれやれという素振りをしてみせる。
「私も実際にあの場に行ったのだけど、それはもう見事に
と、晴がさらに付け加える。
「ん?じゃあなんでお前は鞍馬の烏天狗が関わっているのに気が付いたんだ?」
妖力の痕跡を隠されていたというのに、なぜ晴はそれが東の四大妖怪の仕業だと気が付いたのだろう。少なくとも、刀岐と虎徹は気づけないほどの高度な術で消していると言う事だ。
「やり方が綺麗すぎるんだよ。彼は予知レベルで物事のずっと先を読んでいる。だから、後々不利になると思ったものは絶対に残さないし、出来る限り尻尾すらも掴ませない。そういう彼のやり口は、昔たくさん見てきたからさ。まあ、こればっかりは経験に基づくカンかな?」
「カンって……」と虎徹が呆れたようにつぶやく。
しかし、この男のカンは侮れない。
なにせ、かつて三大妖怪と渡り合った男だった。お互いの手は旧知なのだろう。
「さて、そろそろ話を本筋に戻そうか。」
ようやく刀岐達が話に追いついてきたことを確認し、晴は低く声を落とした。
「その横浜の事件を起こした奴と今回の暴徒事件を起こした犯人は、おそらく裏で繋がってるよ。」
刀岐ははっとした。
「冗談を言うな」とでも返そうとしたが、とても笑って言えそうにない。
「これを忠告するためにあの時わざわざ出ていったのだけれど、まあ無駄足だったみたいだ。」
「忠告?」
虎徹が眉を
そんなこと、はたして晴は言っていただろうか。
怪訝そうな顔をする二人を見て、晴の形の整った唇が弧を描く。
「ふふふ、いずれわかるさ。ま、正直、分からないままになっていてほしいものだけれどね。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます