吉原動乱 1
今のところ空に走っている亀裂に変化はない。地上から建物一つ分くらいの高さで止まっている。
だが、それも時間の問題だ。
恐らく、残りの三つの社が破壊された時、結界は完全に機能しなくなる。その時、この街を覆っている闇が完全に失われるのだ。
「社を襲ってんのも鼠親父んとこの連中か!?」
「たぶんねー。塵灰組全員が敵に回ってるってこと。」
三吉の問いかけに、黒羽が答える。
「とにかく、今は社が優先だ。鼠はその後どうとでもできるはず。・・・状況は?」
「明石、開運、双方どちらもぎりぎりです!玄徳は元々警備が多かったこともあってその二つよりもまだ耐えていますが、それもいつまで持つか分かりません……!!」
墨丸と呼ばれた御庭番衆が悔しそうに顔を歪めた。
まんまと奇襲されたことを、気に病んでいるようだ。
「八重、亜空間で吉原を分離させることはできる?」
「今やろうとしてるけど、無理や。範囲がでかすぎる上に吉原全体の大きさがどれぐらいか分からへん。下手したら人間の世界の民家をぶち抜いてまう。」
「とにかく急ぐしかねえってことか・・・!!」
「では、我々が社の方へ向かいましょう。鞍馬殿らは鉄鼠と先ほどの男を」
蔵之介がそう口にしたときである。
どおんという轟音がした。
はっとして音のした方へ眼を向ければ、窓辺にいたはずの墨丸の姿が消えている。
「おったわ、おったわ。お前らが浅草組だな。」
窓辺からぬっと入ってきたのは、巨大な朱色の顔の妖怪。否、それは顔ではない。巨大な蟹だ。ちょうど蟹の腹の部分に顔がついている。
蟹の妖怪の鋏には、墨丸が腹を突かれていた。瞳を見開き、何が起きたのか一生懸命目をせわしなく動かしている。
こぷりと、墨丸の口から血が溢れる。致命傷だった。
自分の腹に突き刺さっているものを見て、墨丸の目はふっと光を失った。
ずるりと、墨丸だったものが大鋏から崩れ落ちる。
「
千早の声音が低くなり、彼の
「
天を仰いでいた二つの瞳がこちらを見るなり、蟹坊主がかっと口を開く。
だが、その口はすぐに閉じられた。千早である。
「邪魔だ、どけよ。」
千早が、己の鋏を蟹坊主の口にねじ込んでいた。そして、ねじ切るように鋏を回転させ、自分もろとも蟹坊主の巨大な
「千早さん!!」
「この
それで千早の言葉が途絶えた変わりに、地面から両者が激突する音の直後、激しい金属音が聞えてくる。鋏と鋏が、ぶつかりあっているのだ。
「おい、急がねえとまずいぞ。組員の奴らがこっちにいるつーことは・・・」
「社の方に人手を回す必要がなくなったってことだねー。」
「急ぎましょ」
その時。
織星が言い終わらぬうちである。
低い音が空気を震わせた。
そして、空気が水のように波打ち、織星の体を吹き飛ばす。
だが、織星とてただの
「次から次へと……!今度はなんだ!?」
この音には覚えがある。
(琵琶か・・・!)
織星の間に割り込んできたのは琵琶だ。
否、ただの琵琶ではない。琵琶が頭の妖怪である。
「我が名は
低く、良く通る
「その耳障りな音、すぐに切り刻んで差し上げんしょう。」
切り込まれた、細い線のような目がピクリと動く。
ひゅんという音がして、糸が座敷に張り巡らされる。
嫋
再び琵琶が鳴り、空気がうねる。
だが、座敷中に張られた糸がその波を捉え、
「小娘。分をわきまえるがいい。」
「誰に向かって口をきいている、
びいんと、糸が張る。
そして、織星の姿がぼんやりと霞がかったように揺れた。
彼女の下半身は二本の足ではなく、八つの足を持つ、巨大な蜘蛛に変わっていた。
ぎょろりと、下半身の蜘蛛の目と人の目が、琵琶頭の妖怪を睨みつける。
「我々の事はどうかお気になさらず。」
「分かった!織星ちゃんも気ぃつけろよ!!」
いなり達、浅草組は座敷から廊下へ出る。
だが、遅かった。
ぞろぞろと、武装した坊主―――
さらに、 僧兵のような姿をしたもの達に加え、顔のないもの、ボロきれのような着物を纏った餓鬼のような顔のもの。そういった
「
塵灰組組員と思われる妖怪の集団はいなり達の存在に気が付いた瞬間、一斉に遅いかかってきた。それを浅草組組員が迎えうつ。
夜の時を
先に建物の方が崩れそうな勢いである。
「ふむ、鞍馬殿。ここは儂らに任せていただきたい。」
組員達が激しいぶつかり合いをする中、
「え、ほんとー?」
「ええ。ここは儂らだけで十分です。」
「おい、爺さんマジで言ってんのか?」
ついにやけが回ったかと、愁は蔵之介の顔をまじまじと見る。
「ほっほっほ、儂はいたって冷静ですぞ。」
「じゃ、お言葉に甘えることにしようー。」
「黒羽!?」
黒羽はもうこの場を浅草組に全面的に任せるようだ。
だが、不安がぬぐいきれない。
いなりが黙視する限り、圧倒的に塵灰組の方が多い。三吉と蔵之介を含めても、対する浅草組は十数人だ。浅草組とて抗争をするためにこの街に訪れた訳では無い。きっと組長たる蔵之介を守るための少数精鋭で来たのだ。一方で、塵灰組は最初っから仕掛けるために総出でけしかけてきている。
「若者たちよ、オジサンたちをなめちゃあいけねえぜ?」
「いや、そういう意味じゃあなくて」
だが、三吉はちっとも怖気付いてなどいなかった。
「こう見えて、オジサンたちは強ぇからな。」
その時、僧兵の一人が三吉に向かって、
それも横座間から。死角である。
「あぶな・・・!」
だが、その薙刀が三吉の首を切り落とすことはなかった。
三吉の大きな手が、薙刀を鷲掴んでいたのだ。
僧兵は薙刀を引こうとするが、びくともしない。
「人が話をしている時は静かにしろって、
三吉が薙刀を強く前に引く。僧兵の体が引き寄せられれた。
僧兵の体が三吉の横を通り過ぎざまに、とんと、その顔に三吉の手が触れる。
殴ったわけではない。
軽く触れただけだ。
だがその瞬間。ぼんという爆発音がして、僧兵の頭部が吹き飛んだ。
「「!?」」
三吉が不敵に笑い、僧兵達の方へと向き直る。
「さあて、オジサンと熱い夜を過ごそうぜ?」
これはもう、信用するほかない。
「行くよ。時間がない。」
「おう!」
浅草組と塵灰組が対立する方とは反対側の廊下を五人は走る。北斗は陽光の背中にまたがり、その横を影月が駆けている。
「おい、反対側の道を塞げ!!」
「犬にまたがっている奴は人間だ!奴だけは生きて捉えよ!!」
僧兵の数名が反対方向に走るいなり達に気が付いたようだ。
「待て、止まれ!!」
八重の声に反射的に皆の足が止まる。
直後、天井を破って上から僧兵達が降りてきた。
「どっからそんなに湧いてくるんだ。」
「流石は鼠の率いる組だねー。」
だが、思うようにはさせない。
「押し通ります。」
白い足が地を蹴る。いなりの小柄な体は僧兵の間を通り抜けた。
最短でここから出るには、廊下の先の壁を壊して外へ抜けるしかない。
いなりは壁に向かって突っ走る。
「おい、ひとり抜けたぞ!」
「行かせるか!」
さらに前を僧兵達が行く手を阻む。
いなりは深く息を吐く。
そして、ためらうことなく前に飛び出した。
正面にいた大男の反応が遅れる。手に持つ薙刀の刃先が後ろに引いた。
それをいなりは逃さず、男の側頭部に回し蹴りを入れる。
反動を利用し、すぐ横にいた男の顔面を踏み、そのまま蹴り倒す。低い唸り声を立てて、巨木が切り倒されるように男が廊下には倒れ込んだ。
「貴様・・・!よくも」
言い終わらぬうちに、いなりは飛び上がって男の頭を宙で返りざまに蹴りあげ、顎を割る。
「な、なんだこの女!?」
「があ!?」
薙刀はへし折り、代わりに短刀を向けられれば、短刀を奪って喉―――
いなりは次々と襲い掛かってくる僧兵達を潰していった。
「バケモノかよ・・・。」
「それは、お互い様です。」
いなりは目元についた血を拭った。
(さて、どうやって壁を壊そうか。)
妖術を使えないわけではないが、場所が狭いせいで広範囲の炎術を使えば確実に建物にも火が移ってしまう。そうなると第二次被害になりかねない。
「いなり、頭下げろぉ!!」
言われるまま、いなりは頭を下げた。
すると、愁の刀が
雷術―――
愁が動くのに伴って雷鳴が走り、残っていた僧兵達を焼き切る。
そして、雷は壁から外へと突き抜けた。
「急ぐぞ!」
愁がいなりの首根っこをひっつかみ、そのまま外へと飛び出す。後から八重、黒羽、影月、陽光と続く。北斗は陽光の背中にしがみついている。
外に出ると、街の四方から煙が上がっていた。恐らく、現在進行形で攻撃を受けている稲荷社である。
屋根の瓦の上を駆けながら、他の四人と二匹に聞こえるよう黒羽が叫ぶ。
「愁といなりはそのまま明石に向かって!開運には八重と狛狗!玄徳には僕が向かう。」
「了解です。」
「了解!」
『『承知。』』
「命令されんのは
この街を、必ず守る。
いなり達は三方に別れ、それぞれの方角に向かって走った。
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