吉原動乱  4


◇◆◇




「うーん、どうしたものかな。」


 黒羽はひとり、頭をひねっていた。

 彼が腰をかけているのはとある遊郭の屋根の上。そこで吉原を覆う闇に溶け込んでしまいそうなくらい濃い黒をした翼を背に広げ、左手を唇に押し付けている。まるでロダンの『考える人』のようだ。しかし、周りを彩るオブジェクトはというと、切り刻まれた死体やら瓦礫やらで、非常に物騒である。

 

 玄徳げんとく稲荷社は特に乱戦が行われたということもなく、あっさりと黒羽によって鎮圧された。元々警備が固かったというのもあるが、他の社に比べると塵灰組が制圧するのに手をこまねいていたのだ。そこに黒羽は脇からちょっと加勢してやった程度である。

 このまま楽をして高みの見物といきたいところであったが、流石にそういうわけにはいかない。御庭番衆には町民の避難救助に向かってもらい、一番手のすいた黒羽が、陥落してしまった他二つの社の奪還に向かったのだった。


 そして、無事にどちらも難なく殲滅が終了して今に至るわけである。

 黒羽は手持ち無沙汰の子供のように空いているもう片方の手で瓦をもてあそぶ。瓦はカタンカタンと音を立てた。

 ふと、黒羽は後ろを振り返った。

 瓦の音に交じって、ぬらりとした気配が背後から近づいてきたことに気づいたのである。


「やはりここにおりましたか。」


 黒羽の視線のずっと先、五十メートルほどの距離を隔てて、老人がとうの上を歩いてきていた。遠くにいるというのもあるが、随分小さく縮こまっているように見える。

 しかし、意外に老人はしっかりとした足取りでこちらにやってくる。

 黒羽は声を張らなくても十分聞こえるところまで老人がやってくるのを待ってから、口を開いた。


「いいのかいー?そんな無防備で歩いててさー。」

「ご忠告、感謝しますぞ。ですが心配無用ですじゃ。自分の身くらい守れぬのでは組の長は務まりませぬので。」


 やってきたのは、浅草組組長・浅草寺蔵之介である。彼がここに来たということは、浮雲屋の方も大方片付いたということだろう。

 老人は並んで座るということはせず、黒羽の斜め後ろに立った。外見からすれば蔵之介の方がずっと年配なのだが、実際は黒羽の方が年上で、立場的にもずっと上なのだ。


「何かに落ちないのですかな?」


 好々爺は、穏やかな口調で急にそう切り出した。

 黒羽は特段驚くこともせず、「まあね。」と返す。


「イマイチ相手の意図が掴めない。」

「それは塵灰組のことですか?」

「違うよー。あんな雑魚相手にどうして僕が頭を悩ませなきゃなんないのさー。」


 黒羽はひらひらと五本の指を漂わせる。

 人を食ったような態度であるが、別にかれは蔵之介のことを見下しているわけではない。元々こういう性格なのだ。蔵之介はそれをちゃんと理解しているから、黒羽に対して苛立ちを覚えることは無いのである。


「じゃあここでクイズです。」


 黒羽は人差し指を一本、びしっと真っすぐ伸ばす。


「饕酔会はこの国の妖怪を海外に売りさばいて、四大妖怪の不信を煽ろうとした。では、今回問題の隠神の会は何を狙っているでしょーか?」


 蔵之介は押し黙る。


「まあそういう反応になるよねー。正直、奴らがは犬でも分かる。でも、が分からない。」

 

 黒羽は指揮棒のように指を動かす。それは蔵之介には見えないなにか、図式のようなものを宙に描いているようにも見えた。


「饕酔会と同じで四大妖怪の信用を地に落としたい?それとも人間に恐怖を植え付けたい?どれもしっくりこない。じゃあ答えはなんだ?」

「それはお主らが知る必要のないことだ。」


 その時。

 答えの変わりに、鋭い爪が背後から蔵之介の肩へと振り下ろされる。

 頼豪である。

 鼠の姿で忍び寄り、この瞬間を狙っていたのだ。


「ようやく自ら姿を現したな。」


 だが、その爪は虚空をかいた。

 ぱちぱちと、拍手の音が変わりに響く。


「さすがはぬらりひょん。目くらましはお手の物だねー。」

「ほっほっほ、お褒めに預かり光栄ですぞ。これもあなた様が時間を稼いでくださったおかげですがな。」

 

 頼豪が身をひるがえし、再び蔵之介へと飛び掛かる。

 蔵之介はそれを扇子で受け止め、はねのけた。

 頼豪は四つ足で這うように屋根の上に着地する。 


「鞍馬殿、ここは儂に任せてくれまいか。吉原は自治区とはいえ、我が組が懇意にしている見世を襲われたけじめはつけねばならぬのでな。」

「どうぞご自由にー。僕はここで羽を休めてるからー。」

「舐めた真似を・・・!」

「その方こそなめておるのではないか?」


 頼豪ははっとして横を向く。

 しかし、そこに蔵之介の姿はない。


「どこを見ておる。」


 蔵之介は、頼豪の真後ろにいた。


「何・・・・・!?」

「儂はみずめ殿のような大技は出来ぬが、ちと小手先の技くらいしかできぬ。」


 頼豪の目の前で倒れていたはずの蔵之介の体が、ふと空気に溶ける。

 

 幻術―――蜉蝣かげろううつし


「だがな」


 頼豪の体は動かない。

 否、動けないのだ。体を抑えられているような感覚に頼豪は陥っていた。

 振り返ることのできない頼豪の背後に、蔵之介が近づく。


「こう、ひとりの精神を極限まで追い詰めることは絶やすきこと。」


 蔵之介がとんと手を頼豪の頭にのせる。


「本物の生き地獄を、とくと味わえ。」


 頼豪の意識は、そこで途切れた。

 

 


◆◇◆




「全員やったか?」

「そのようですね。」


 念のため、いなりは耳を澄ませて気配を探ってみる。

 だが、殺気はもう感じられなかった。


「これ、まだ機能してんのか?」


 愁は今にも崩れそうな社に近づいた。

 屋根は焼け落ち、見るも無残な状態になっている。

 その有様に愁は顔をしかめ、苦々しそうに先ほど斬った相手を睨んだ。


「おそらく。でなければ、とっくに結界は壊れているでしょう。」


 いなりは瓦礫をかき分けて、社に納められていただろうものをあさる。

 思った通り、社だった瓦礫の下からはぼんやりと光が漏れ出していた。きっと、結界を保つための仕掛けだろう。

 いなりは瓦礫をどかし、祠の中からその光る物体を手に取った。すると、愁が飛び跳ねるようにしていなりから距離をとる。


「お、おい、それ手に持って大丈夫なのかよ?」

「瓦礫で潰れてしまうよりはマシかと。」


 愁は恐る恐る、いなりの手の中を覗きこんでくる。

 いなりの手の平にある球体にはびっしりと文字のようなものが書き込まれていた。崩した書体―――草書体というのだろうか、それに近いような雰囲気である。高校の古文知識までしか持たないいなりには何が書かれているかはさっぱり分からない。しかし、球体自体は手に取っても、特に問題はなさそうだ。

 このままずっといなりが持っているわけにもいかないので、いなりはその場にいた、比較的動けそうな御庭番衆の一人にそれを手渡した。 


「とりあえず、負傷者を安全な場所まで移動させましょうか。」

「おう。」


 愁は瓦礫をよけて御庭番衆を次々と引きずり出す。

 いなりが手を口元にやると、微かに呼気を感じる。妙な呼吸音ではないので、内臓は傷ついていなそうだ。

 愁は御庭番衆を肩に担ぎ、安全そうな建物の影に横たえる。

 負傷に大小の違いはあれど、よくこれで社を護っていたものだと思うような有様だ。


「にしても、なんで黒羽は鼠が仮想怨霊を媒介するって分かったんだろうな。」


 瓦礫を肩で押し上げながら、愁が呟く。小さな声だったが、いなりに問うたものなのだろう。

 間に押しつぶされていた御庭番衆を助け起こしながら、いなりは答えた。

 

黒死病こくしびょうって、ご存知ですか?」


 こくしびょう?と言って、愁は顔をしかめる。

 全く見当がつかなかったらしい。


「14世紀、ヨーロッパの人口の3分の1を奪った歴史上最悪のパンデミックを引き起こした病です。」

「パンデミックって?」

「病気が世界の複数の地域で同時に大流行することです。感染爆発、と日本語で言った方が分かりやすいでしょうか。」


 愁は「はあ」と気の抜けた声を出す。

 それが一体仮想怨霊と何の関係があるんだ。そう言いたげである。


「複数の地域で流行するということは、病気がどうにかして運ばれたということです。何が病気をヨーロッパに運んできたと思いますか?」

「病気を運ぶって・・・そりゃあ、人間じゃねえのか?病気ってのは病人とさわるとかかるもんだろ?」

「間違ってはいませんが、この問いに関する答えとしては違います。」


 愁は一層顔をしかめる。

 いなりの目には、クエスチョンマークが彼の頭に飛び回っているように見えた。


「答えは鼠です。」


 いなりはもったいぶることなくさっさと答えた。

 愁を答えへ誘導して理解させるよりも、自分が口を動かせた方が早い、そう判断したのである。


「正確には、鼠の体に寄生するノミが媒体です。黒死病の起源はいろいろと説がありますが、欧州での最初の発現はクリミア半島と言われます。」


 確か、黒死病の起源は中国という説もあったような気がする。しかし、どこで感染症が生まれたのかは今はあまり重要ではない。


「クリミア半島の病気持ちの鼠たちは、積荷や乗客に紛れ、地中海沿岸を越えて上陸しました。それがこの感染症の蔓延の始まりです。これと同じことがヨーロッパじゅうの港で繰り返された結果、ヨーロッパ中に病気が広がりました。」


 この悪魔のような感染症は三度もヨーロッパを襲った。パンデミックが収束したのは、なんと20世紀になってからである。


「似ているとは思いませんか?」


 「何と、何が」とはもう言わない。

 愁の目がみるみる大きくなる。ようやく頭の中で繋がったようだ。

 仮想怨霊はスマホを媒体にして人間に憑く、所謂いわゆる憑き物である。その仕組みは至って単純。スマホのアプリケーションに宿り、アプリを起動させたら人間にとり憑くのだ。

 まるで、のように。


「今回の彼等の狙いは、鼠に仮想怨霊を憑けて伝染させることです。」


 スマホのアプリを使って人間にとり憑かせるにも限度がある。アプリそのものがインストールされなければ意味がない。

 だが、スマホを介さないのならば話はもっと簡単である。小さな運び屋に直接仮想怨霊を運んでもらえばいい。

 建物の劣化した壁の穴、床下の通気口、屋根の隙間、下水管など、鼠はどこへでも侵入できる。さらに、鼠はネズミ算式に繁殖する。


「でも、その・・・サイバー攻撃だっけか?方法はもっとたくさんあるだろ。別にそんな古典的な方法でやらなくてもいいんじゃねえのか?」

「だからこそですよ。相手は鼠です。証拠は何一つ残らないでしょうね。」


 トロイの木馬ならぬ、トロイの鼠だ。悲しきかな、これでは文明化した陰陽寮による逆探知は全く役に立たない。

 愁の顔は真っ青だった。


「しかし、結界を破られることは防ぎました。後は地道に鼠を潰していけばいいのではないでしょうか。」

「お、おお、そうだな。」


 愁はほっとしたような表情を浮かべた。

 まだ鼠は外に出ていないのだ。それがまだどこかに潜んでいる黒幕の策略を阻む希望を見せていた。


(だが・・・)


 まだ何か引っかかる。何か、大切なものを見落としているような感じだ。

 いなりはその場で考え込む。

 鉄鼠は確かに、鼠をばらまいた。

 それは仮想怨霊をもっと効率よく人間にとりつかせるため。


(でも、わざわざ目の前で鼠を解き放つ必要なんて、はたしてあったのだろうか。)

 

 周囲から聞こえてくる雑音が、急に遠くなった。

 自分だけ時間が止まってしまったような感覚を覚える。 


「いなり?」


 愁に呼ばれ、いなりの意識は現実へと引き戻さる。


「今すぐそこから離れてください!!!」


 それは、ほぼ同時であった。

ごう、という爆音が、いなりの声を掻き消した。

爆発は逃げるいなりと愁を巻き込み、周辺の建物ごと吹き飛ばす。

いなり達が奪還したはずだった稲荷社は、黒焦げになっていた。




◇◆◇




 下から吹き抜けてくる風を全身に浴びながら、男はほくそ笑んだ。

 目線の少し先に、赤々と光っている場所が見える。

 どうやら仕掛けは無事に作動したようだ。

 

 鉄鼠が放った大量の鼠は小玉こだまねずみを紛らせておくためのフェイクである。しかも、あの中で憑き物を憑かせた鼠はたった一匹だけ。

 たった一匹のために必死に結界を守ろうとする愚かな妖達の姿は、滑稽なものであった。あんな結界守ったところで、なんの役にも立たぬのに。

 思い出すと、今でも笑みがこぼれる。

 それにしても、あの汚らしい鼠は想像以上に働いてくれたのだから、わざわざ取り込んだだけの甲斐はあった。殉教というのだったか、正直自分には到底理解できない概念であったが、連中にとっては意味のあることなのだろう。ただの使い捨ての駒として使うには、死ぬことすら名誉に思うイカれた考えは便利だったわけだが。


 鼠がくれば、あとはどさくさに紛れて神巫を奪うだけだ。

 計画通り。

 実に素晴らしい。


「さあ、いよいよ大詰めだ。」




◇◆◇




「かっかっかっか!」


 頼豪のかすれた高笑いが夜闇に響く。

 天の闇は笑い声に耐えきれなくなったように、亀裂が走り、崩れ落ちていく。

 社は、跡形もなく消し飛ばされていた。

 火の手は他の建造物に及び、黒かった闇は一気に赤く燃え上がる。


「これが!!これこそが神の力なり!!」


 頼豪はキイキイと甲高い声をあげてわめき散らす。

 もはや狂信者だ。


「魂まで悪魔に売り渡したか・・・!」

 

 蔵之介は舌打ちをうった。

 本来ならば幻術であの白い男の居場所を聞き出そうとしたのが、もうこの男の精神は壊れている。空っぽの器をゆすったところで、何も出てこない。


「蔵之介、どいて。」


 言われるまま、蔵之介は手をどかす。

 瞬間、目にも留まらぬ早業で、黒羽は頼豪の腕を捻り上げた。さらに、小刀を首筋にひたりとはわせる。先ほど、彼が塵灰組組員の懐からくすねておいたものである。


「最後に、言い残したいことは?」


 プツリと、赤い血の玉がしわくちゃな首に浮き上がった。

 頼豪はぎょろりと目だけを上に向かせる。


「ただ、神に感謝を。」


 それが、最期だった。

 血しぶきが飛び、頼豪の体が崩れ落ちる。


「どうされるおつもりか。」

 

 蔵之介の声は少し苛立っているようだった。

 なにせ、黒羽は頼豪をひっとらえるなり殺してしまったのである。これでは情報を掴む術がない。

 今から塵灰組組員を片っ端から自白させるか?いや、そんな時間はもう残されていない。


「いや、場所は分かってる。あんな見るからに使い捨ての鼠、相手にする必要ないでしょ?」


 思いがけぬ言葉に蔵之介は目を見開いた。


「なんと。」

「だから、何がやりたいかはもう分かってるってさっき言ったよねー。蔵之介、情報戦は大事だけど、それにとらわれ過ぎて自分の思考を止めるのはよくないよー。」

 

 蔵之介ははっとした。

 そうだった。この方もまた、のひとりだ。


「本当はもっとこちら側の戦力がまとまってから突撃なりするつもりだったんだけどねー。思っていたよりもカミサマとやらは荒っぽいようだから、こっちも手段を選んでらんないや。」


 黒羽はすっくと立ちあがった。

 そして、おもむろに拳を握りしめる。すると、それに合わせるかのように炎が徐々に収まっていく。空気中の酸素濃度を操作したのだ。


「ま、どちらにせよ、対価はきっちり払ってもらおうか。」


 黒羽の瞳がゆらりと紫を帯び始めた。




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