文化祭 4


「なんや。空間が分離された・・・?」


目に見えている景色が重なり、ゆらりと分離したかのように見えた次の瞬間。パキンと、何かが繋がったような音がした。

 車酔いのような感覚を感じ、いなりは目をしばたく。

 瞬きをして目を開いた時には、大勢の人の姿が体育館内から消えていた。いや、正確には、暴徒達といなり達だけを残して。

 加えて、いなり達にも変化があった。


(体が、戻っている・・・!?)


 いなりの腰からは、普段は変化の術で隠されているはずの二本の狐の尾が生えていた。驚いて愁の方を見れば、彼の額にもまた、角が生えている。

 一体、何が起きているのだ。


「まずい、術が解除されはった!!」


 八重が短く叫ぶ。それを聞いて、いなりはようやく現状を理解した。

 妖術が使えなくなっているのだ。

 しかし、気付いたのが遅すぎた。

 ふっと、水に足を置いた時のように、先程まで踏んでいたはずの足元がぐらりと揺れる。体が背面に傾き、背中から下に引きずり込まれるような感覚に、いなりの喉がひゅっと鳴った。

 八重の妖術によって分断された空間の裂け目が、消えたのだ。

 このままでは、全員落ちる。


「あっぶな・・・!」


 それは、黒羽の本当に咄嗟とっさの判断だった。

 黒羽はこの場にいた五人と二匹のうち、誰よりも早く正常の思考を取り戻すことができた。風を操ることができれば、たとえ八重の作った足場が崩れてもこの場にいる皆を浮かせることができただろう。しかし、今はそれができない。

 だからこそ、黒羽は反射的に近くにいた北斗の腕をとった。だが、空を飛べないのは北斗だけではない。

 

「愁!いなり!!!」


八重はたまたま影月のそばに居たために、影月の足にしがみつくことで落下から逃れた。一方、羽を持たない愁といなりは足場を失い、床に向かって真っ逆さまに落ちていく。


「陽光頼む!!」

『はっ!』


 黒羽とほぼ同時か、それともすぐ後に北斗が叫んだ。陽光は主の命に従わんと、宙を蹴って急降下する。

 狛狗は石を依代とする妖怪。本体は神社にいる狛狗像であり、今この場にいる陽光と影月はその像が長い年月を経て妖怪に変容へんようした付喪神のようなもので、実体ではない。そのため、物理的な体を持たない、霊体れいたいである二体は宙を自在に駆けることも、人の影に潜むこともできる。

 しかし、それでもやはり動き出すのが遅かった。


『くっ、届かぬ……!!』


二人は、陽光が追いかけるよりも速い速度で落下している。

 術を緩衝材かんしょうざいにすることは不可能。 尾で急所や後頭部を保護するにも、この高さでは衝撃に耐えられないだろう。

 いなりは生き足搔あがくことを諦めた。

 ちらつく死を感じる傍ら、不思議といなりの頭は冷静だった。どうやら死に対する恐怖をそこまで抱いていないということは、自分はやはり、人ではなく妖怪の血が混ざっているらしい。平穏な日々を求めていたはずが、最期の最期まで自分が非凡であることをひしひしと思い知ることになるとは、なんとも皮肉なことだ。

 黒羽と八重が何か叫んでる。だが、その声は聞き取れない。


(さよならとか、気の利く言葉を言っても、聞こえないか。)


 死にそうなのに随分呑気なものだと、さきほどまでの黒羽ではないが、自分に対して思った。

 上から下へ滝のように流れ落ちる外の景色を背景にして、頭の中で今までの記憶が映像付きで繰り返される。死に際に走馬灯が見えるという噂は、案外真実なのかもしれない。

 走馬灯に続いて、何やら川のようなものが見えそうになった時である。

 誰かが、いなりの腕をつかんだ。

愁だ。

 彼の顔には不安も、恐怖も、諦念もなかった。この絶望的な状況にも関わらず、むしろ決意を決めたとでも言いたげな表情をしていた。 

 空中にも関わらず、愁は逆さまだった体勢からくるりと上半身を起こす。そして、腕をいなりの脇に差し込み、彼女の身体を小脇に抱え込んだ。


(まさか……!)


 いなりは身をよじってその腕から逃れようとする。

 しかし、腐っても愁は鬼である。妖怪の姿というのもあって、いなりが抵抗できるはずもない。片腕だけで暴れるいなりをおさえこんでしまった。

 いなりの額に、しずくがつたう。

 その一方で、愁は不敵な笑みを浮かべていた。


「前に首を絞めやがった、お返しだ。」


 言い返してやろうとしたが、それをさせまいと愁が腕を下げる。体ががくんと急に傾き、いなりは思わずその腕にしがみつく。


「舌むなよ!!」


  そして、いなりごと腕を振りかぶった。

 ごうという効果音がつくのではないかという勢いで、重力を無視していなりの体は一気に浮上する。それに気が付いた陽光が、急ブレーキをかけていなりの体を受け止めた。

 受け止められた(正確にはぶつかった)衝撃で肺が圧迫されて、口から空気が押し出される。げほげほとむせこみながら、いなりは悪態をついた。

 

「この、馬鹿鬼ばかおにめ・・・!」


  一方、いなりを上空に放り投げた反動から、愁の落下速度はさらに加速する。愁は床一直線に突っ込んでいった。

 いなりは陽光にしがみつきながら、床から目をそらした。

 なんであの男は最期に自分なんかを助けたのだろう。確かにいなりと愁は同じく半妖怪という共通点もあり、どこか通ずる所があった。しかし、そうはいっても出会って半年しかたっていないような仲である。


(これだから、人のじょうというのはよく分からない。)


 いなりだけではない。残された四人と二匹の間には、静かな沈黙が流れた。

 そんな中である。

 「あ~」という、沈黙をぶち壊す、間抜けな声が上の方から聞こえてきた。

 いなりと陽光は目を合わせる。

 目を床に向けると、どこにも愁の無残な姿はない。

 見上げると、いなりと陽光よりも上にいる、影月の上空から何かが落ちてきているようだった。

 

「愁!?」


 その物体の正体は、転落死したはずの愁であった。

 今、いなり達は夢か幻でも見ているのだろうか。いや、妖術はここで使えなくなっているはずだ。 

 

「お前、いつの間に・・・!!?」


 愁の体は、どさりと影月の背中に受け止められ、「ぐえ」と蛙が押しつぶされたかのような声をあげる。


「俺じゃねえよ。」


 影月の上で体を起こしながら、愁が答える。


「ありゃあたぶん、転送術だ。」


 転送術。

 いなりと黒羽は八重の方を見る。

 しかし、八重は首を横に振った。


「ちゃう。うちは転移系の術は、使えへん。」


 そりゃそうである。今もいなり達は妖術を使えない。

 だとすれば、残る可能性は一つだけ。

 いなりは下を覗き込んだ。


「おいおい、空から落ちてくるのジブリのヒロインだけにしとけよ。」


 下では、誰かが銃のようなものを構えていた。

 また、まるでそこをさけるかのように、その男の立っている周囲には暴徒の姿が見えない。


「久遠虎徹!!」


 男、久遠虎徹は片手にマシンピストル、肩にはロケットランチャーのような大砲をかついでいた。その姿は陰陽師どころか、警察にすら見えない。

 名前を呼ばれ、上を向くと、怪訝そうに虎徹は顔をしかめた。


「なんでまたそんな奇天烈な格好してるんだよ。いつから日本妖怪はハロウィンに参加しだしたんだ。」

「文化祭です。」

「そりゃご愁傷さん。とんだ大騒動パーティーじゃねえか。」


 陽光、影月がゆるゆると下降し、虎徹から少し距離を取って着地する。

 いなりが床に降りた途端、突然びゅんと横を何かが横切った。

 それは、突き出された一本の槍であった。八重だ。


「おい、お前。身の上説明はこの際後でええ。せやけど、これだけは答えてもらおか。この空間になんの細工をしよった」

 

 八重は虎徹に向けて、槍を突き出す。

 そういえば、八重と虎徹は初対面であった。


「けったいなことでも言うてみぃ。その瞬間斬るぞ、糞餓鬼くそがき。」


 慌てていなりは二人の間に入ろうとしたが、ひやりとした声によってそれは阻まれた。

 元、とはいえ、かつては日本の最強の四柱の一角。大妖怪の圧に、八重を目の前にしていないいなりでさえ萎縮いしゅくせざるをえなかった。

 しかし、それに虎徹は動じなかった。

 

「別に。んな大層な肩書は持ってねえよ。ただ、出動の要請があったから来ただけだ。」

 

 八重の威嚇を、虎徹はまるで警戒心の強い猫でも相手するかのようにはねのける。 


「今張ったのは妖術による事象改変を妨害する結界。それに人間強制転移させる効果を付与ふよした。」


 そして、おくすることなく八重の槍先を指でのけた。


「お前らはもう妖術を使えねえ。だから、指でもくわえてどっか隠れてな!」


 虎徹が引き金を引いた瞬間、いなりと北斗は反射的に耳を抑えて司会台の裏に身を隠す。八重は愁の首根っこを掴み、黒羽と共にステージ裏へ走り込んだ。

 同時に、凄まじい発砲音が体育館内にこだました。


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