秋桜の追憶 (前編)


 彼女との記憶は、浅紫と黄金の色彩と、そしてかすかな消毒薬の匂いから始まった。




◇◆◇




 痛い、というよりも熱い。

 それに反して、背筋からはぞくぞくとした寒気を感じていた。


(しくじったか・・・。)


 その日、俺―――大江山羅刹は横腹に大穴を開けていた。

 一体何をへまをしたのか。今では思い出せない。 

 当時はまだ海外妖怪と日本妖怪の間で抗争が絶えなかった。南の四大妖怪として最初に置かれた自分の役割は、その仲裁―――という名の力づくの阻止である。さらに簡単に言うと、争っている二者の間に無理やり割り込んでいってどちらもぼこぼこにして言うことを聞かせるのである。南の四大妖怪の力を誇示し、決定的な立場を築くことが目的だが、やり方がやり方なので反発者がいないはずがない。きっと、そういった連中にやられたに違いない。それに、思い出せないということは、本当に些細なことだったのかもしれない。あるいは、その後の出来事の方が強烈だったせいで、記憶からおしのけられてしまったのかもしれない。

 どちらにせよ、とにかく俺はみっともないことに死にかけていたのである。

 そばに信頼できる部下はいなかったと思う。

 人気の少なそうな場所を探してふらふらとさまよっているうちに、気がついた時には庭のような場所に迷い込んでいた。

 痛みで判断力がどうかしていた自分は、どうせ自分の姿は人間の目には映らないと高を括っていた。

 それが災いした。いや、今思えば幸運だった、のだろうか。

 


「どちら様ですか?」



 それは紛れもなく、木にもたれかかり、身を投げ出していた自分に向かって投げかけられた声だった。

 腰の刀に手を伸ばし、俺は身構えた。ずきりと傷口が悲鳴を上げたが、精神力で痛みをねじ伏せる。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、秋風にそよぐ、黄金こがね色の髪だった。

 白い箱に四角く縁どられた窓の向こう。

 そこに彼女はいた。

 外に出たことがないんじゃないかと疑うほど、色白い肌。髪の色と同じ黄金色をした大きな瞳に一瞬、吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。

 整った顔立ちをしているが、どことなく影があり、幸薄そうな少女だと思った。


「もしかして、道に迷われた方?」


 か細く、風鈴が鳴いたような透明な声である。

 少女は自分のことをしっかりと正面から見ていた。

 じわりと、手汗が刀のつかにしみこむ。涼しい顔を取り繕っているが、内心では冷や汗をかいていた。


「俺が、見えるのか・・・?」


 妖怪が見える人間がいる。

 それは知識として知っていたが、実際に自分が会うことになるとは全く思ってもいなかった。

 しかし、少女の方は自分のことを妖怪だと気づいていないらしい。開け放たれた窓の向こうで、きょとりと首をかしげている。

 しかし、それから急に顔を雲らせると、窓の外に飛び出してきた。

 まったく予想もしていなかった少女に奇行にぎょっとして反応が遅れる。逃げようとするが、足が石のように固まり、思うように動かない。

 窓と自分まで大した距離はなく、自分がまごついているうちに少女はあっという間にそばにまで駆け寄ってきた。


「あなた怪我してるじゃない!」


 小さく声をあげ、少女は自分の体に手を触れてこようとする。

 羅刹は思わずその手を払いのけた。


「触るな、小娘!」

「少し黙っていてください。」


 しかし、少女はぴしゃりと自分を黙らせる。

 見た目に反し強気な少女である。


「ほら見なさいな、その小娘の手もどかせないほど弱っているじゃないの。」

「これくらい、別にすぐ治る。」

「そんなわけないじゃありませんか!」


 細く白い指先が包み込むように傷口に触れ、赤く汚れる。

 少女はまるで自分の痛みのように顔をしかめている。

 祈るように、少女は目を伏せる。

 そして、羅刹は奇跡を見た。

 己の腹の傷が、みるみるうちに塞がってしまったのである。


「どう・・・なっているんだ。」


 痛みはまるでない。

 それどころか、疲労感まで回復している。

 羅刹は目をしばたたかせ、目の前の少女を見やる。

 少女は少し気恥ずかし気に、小さな笑みを浮かべた。



 ○●○



 少女は秋穂と名乗った。

 生まれつき体が弱いらしく、学校にも通うことなくずっと病院暮らしをしてきたらしい。日によって体調のいい時もあるらしいが、悪い時は地面に立つことも出来ないという。羅刹ははじめ彼女のことを高校生くらいだと思っていたのだが、実際はもうとっくに成人済みであると聞いたとき、驚いたと同時に納得してしまった。それほど、彼女の華奢きゃしゃな身体はこの白い箱の中で時を止めてしまったかのようだったのだ。

 健康優良児かつ親譲りの頑丈な体を持って生まれた自分に、弱い体での生活は想像すらできなかった。しかし、彼女が病院の外に出たことがないと聞いて、不憫だとは思った。その感情は狭い空間に閉ざされた孤独な女に対する同情というよりも、「ああそうか」という、事実認識程度のものだった。たぶん、彼女への認識がその他大勢いる人間の女から“秋穂”という一個人として認識されるようになっただけだからである。たまたま偶然見つけた路傍の花を、わざわざ手に取るような性格を自分はしていない。ところが、彼女はただの花なんかではなく、天然記念物に相当するものであったのだ。秋穂は羅刹が思った通り、妖怪の見える人間だった。さらに、彼女は傷や病を癒す不思議な力を持っていたのである。 


「私の母方の家がどうもおがの家系で、代々カミサマをいでいるんです。」

「神を継ぐ?」

「自分の体に、カミサマを宿すんです。」


 秋穂のいうカミサマというのは、別に願いをかなえてくれる神様ではないのだという。ただ、強いエネルギーをもった生命体のようなものであり、その器となるのが秋穂の家の役目なのだという。その家系が理由で、おそらく彼女の目には妖怪なども見ることができるらしい。

 そして、カミサマを宿すとその力の一端を使えるようになる。秋穂の場合、それが治癒の能力だったということだ。


「逆にその力で自分の体を直せないのか?」

「私の体に宿っているカミサマも。万能ってわけではないんですよ。」


 どうやた治癒能力といっても外傷や病気を治すだけで、もともと弱い体を強化したりみたいなことは出来ないらしい。秋穂の体を蝕んでいるのは病気ではなく、カミサマだというのだからタチが悪い。

 そもそも、己の身体を蝕むカミによって癒す力を得たということが、随分と皮肉がきいている。そのことに憤ることはないが、世界の理不尽さを覚えずにはいられない。


「そもそもの原因が、私が器として出来損ないだからなんです。」


 彼女の身体が生まれつき弱いのは、そのカミサマとやらの力に耐えきれていないからだという。

 しかし、役目を途中で放棄することはできない。カミサマというやつは器がなければ顕現することができず、代わりに膨大なエネルギーが自然界に放出されることとなる。そうなると異常気象どころの騒ぎではない。天変地異規模の大災害が、この国に襲い掛かることになる。そうならないために、器としてカミを留めるのが秋穂の―――神巫かんなぎの役目なのだそうだ。そのため、秋穂の身体は病院に繋がれ、次の器が見つかるまで生かされているのだという。


「逃げたい、とは思わねえのか。」


 彼女はいわば、鳥籠の中の鳥だ。

 確かに、世のため人のためという大義名分はあるかもしれない。だが、みず知らずの他人のために己の自由を奪われることに、はたして我慢できるのだろうか。もしそうだとしたら、反吐が出るほどのお人好しである。

 しかし、彼女は自分の想像を上回る答えを口にした。


「不思議なことに、逃げようとは思えないんです。」


 秋穂は困ったように首をかしげて、俺のことを見上げる。


「私がここで逃げたら、大勢の人が死んでしまう。そう思うと、とても逃げる気にはなれません。逆に、自分の生まれたおかしな家の事情とかを恨んでいるのかと言われると、それも違うんです。正直に申し上げると、これっぽちも恨んでなんかいないんです。それどころか、こんなにいい大学病院の個室をほぼ不定期で貸し切りにしていただけていることに感謝すら感じているんです。」


 聞いて、絶句した。

 彼女は自分が想像していたよりずっと、神巫という特殊な立場を除いて、異常であったのだ。

 一口に言ってしまえば、秋穂という女は人間性そのものを疑ってしまうほど、いわゆる“いい奴”なのである。恨み、憎しみ、怒り・・・そういった負の感情というべきものが、彼女のなかには存在しないのだ。

 正義心にあふれているとか、慈悲深いとかそんな次元の話ではないのだ。

 ヒーローや救済者は困っている者に意識的に救いの手を伸べる。そこにはどんな善人も自分の行いを“正しいこと”と認識して初めて行う。その認識はいわゆる世間の目や、慣習に少なくとも影響を受けている。

 ところが秋穂の場合、“正しいこと”は当たり前なのだ。もし仮に、人殺しが容認されている世界でも、決して彼女は人を殺さない。なぜなら殺すことは、悲しみを生み出すからだ。他人を悲しませることはだめなことだと、彼女は本能で理解しているのだ。


「でも、寂しくないわけではないんです。私にふれてくれる相手といえば、これぐらいしかありませんから。」

 

 秋穂は苦笑を浮かべて己の左腕を指さした。白く小枝のように細い腕に刺さっている、プラスチック製の管がやけに痛々しく俺の目に映った。

 俺はふいと窓の外に目を背ける。

 すでに日が暮れ、空はうっすらとオレンジがかっている。

 そろそろ帰らなくては、今頃数弥あたりが血相を変えて大捜索しているに違いない。人間の病院で油を売っていたなんて答えたら、神経質な彼ならば卒倒してしまうに違いない。


「そろそろ行ってしまうのかしら。」


 迷い込んだ野良猫を見送るような声音だった。


「部下が、心配する。」

「あなた、部下を持てるほど強いあやかしだったのね。」


 「ちょっと意外。」そういって秋穂はくすりと笑みをこぼす。


「さよならね。」 


 いつもの自分なら、二度と人間と関わろうとは思わない。きっと、さっさと今日の出来事など忘れて、多忙な毎日に戻っていたはずだ。

 だが、存外この奇妙な女との会話が嫌ではなかった。

 

「また、礼に来る。」


 ちらりと後ろを振り返ると、彼女は笑って、「いつでも。」と言った。



○●○



 それから俺は、ほぼ毎日のように彼女のもとに通った。

 とはいっても、訪れる時間はその日によってまちまちであり、滞在する時間も一時間以上いるときもあれば、五分もいないときもある。

 それは主に、彼女の体調に左右された。秋穂は具合がいい時は自分の足で外に散歩にいくことができるのだが、悪い時にはいくつも管を体に刺し重工な機械に繋がれ、ベットに横たわっている。その姿があまりにも痛々しく、まるで鎖で雁字搦めにされているようで、とても見ていられなかった。だから、そういう時は、病室に入らず、じっと外で一言二言声をかけて、立ち去るようにしていた。秋穂とて、決して人に見られたくは無い姿だろう。

 それでも、ほんの少しでもいいから彼女のもとに訪れたのは、彼女の純粋でまっすぐな優しさにふれることが、嫌ではなかったからだろう。確かなことは、彼女で自分は、南の四大妖怪ではなく、大江山羅刹というひとりの男としていることができたということだ。

 互いにただたわいもない雑談をし、笑いあうだけの日々が数か月も続いた。

 ある日、俺はたまたま偶然彼女の主治医と彼女が会話をしているところに出食わした。一応は不定期の入院扱いになっているということで、彼女にも主治医が存在することは知っていたが、それでもその日初めてばったりと出会ってしまったのだ。とはいっても、すぐに木陰に隠れたので相手に自分の姿は見えない。そのため会話の内容を盗み聞きするようなことになってしまった。

 俺はそれで、秋穂の身体がもう長くはもたないということを知ったのだ。


「長くはもたねえって、どのくらいだ?」


 主治医がいなくなってから、俺は秋穂に問うた。ベットに横たわった彼女は、「やっぱり、聞いていたのね。」と寂し気に笑う。


「半年いくかいかないか・・・ですって。でもね、そこんなにぴんぴんしているんですよ?あと二か月じゃ絶対に死なないわ。あと百年くらいは余裕で持ちそう。」


 秋穂はそう言ってふんふんと腕をまくりあげて力拳をつくってみせる。無論、彼女の細腕に力こぶはできない。

 笑わせようとしてくれたようが、俺の顔はしかめっ面のまま変わらない。


「・・・もし、お前が死んだらどうなる?」

「それは私にもわからないわねぇ。」


 秋穂は天井を見上げる。

 俺は秋穂の白い腕を見る。

 目を合わせることができなかった。

 カチ、カチ、という時計の音だけが室内に響く。


 もう二度と会えないときが、きてしまうのは分かっていた。


(それでも)


 それでも、まだ自分は彼女とともにいたいと思っている。

 残りどれくらい彼女に残されているのかはわからない。

 でも、その残り時間すらを自分が独占してしまいたい。

 

(ああ、これが愛しいというやつか。)

 

 俺は初めて、その時に恋煩いというものを自覚した。

 

「秋穂。」

「なあに、鬼さん。」


 ひどく胸を煩わせるそれに従い、俺はそっと、秋穂の華奢な体を抱き寄せた。

 びくりと肩が震えるが、秋穂は抵抗しない。


「俺と来い。」


 そういうと、秋穂は泣き笑いのような表情を浮かべ、「はい。」とだけ口にした。

 俺はすぐさま秋穂の身体をベットの上から抱え上げる。

 そして、窓から外へ飛び出した。


「人攫いなんてやっちまったら、いよいよ鬼の悪評が高まるな。」


 風のように走りながらそうこぼすと、秋穂がくすくすと腕の中で笑った。


「不器用な人。こういうのはね、駆け落ちって言うんです。」


 好いた女に告白することもできず、ようやく出た言葉がこれという、なんとも情けなくもあり、幸せで胸がつぶされそうな日だった。

 俺はその日、この世でただひとりと決めた女を人間の世界から連れ去った。



 




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