秋桜の追憶 (後編)
○●○
「人間を嫁にするとか何言い出しやがるんですか!!?」
予想はできていたが、自分の部下たちの秋穂に対する反応は、あまり良ろしいものではなかった。秋穂を見るなり数弥はあわを吹いて倒れ、蓮司は動揺のあまり首がはずれた。他の者も大抵は似たような反応で、「正気かこいつ」と顔で物語っていた。
覚悟の上ではあったのだが、それでも秋穂には申し訳なかった。
妖怪の世界では力がすべて、そういう風潮からより強いものが好まれるのは必然である。それに加え、部下たちの出自もかかわってくる。
羅刹の配下のものたちは大きく二パターンに分けられる。まず、修羅童子たる自分自身のことを慕い、下についたものたち。そして、片やもともと父・酒呑童子の部下で自分の教育係だったのが、そのまま部下となってついてきたものたちである。どちらも変わらぬ忠誠心を羅刹に向けてくれてはいるのだが、どうしても父の部下だったものたちは羅刹のことをかつての彼らの主人の息子―――最強を継ぐ者としてみる。だから、いずれ羅刹が迎えるであろう妻にはそれなりに力のあるものを、という期待がある。表立って羅刹に申すまででないが、たまに仕事上の書類の中に縁談関係のものが混入していたり、それとなく年頃の自分の娘を紹介してきたりすることからして明白だ。
ところがどうしたことか、どこの馬の骨かもわからない人間の娘を、それもいつ死ぬかもわからぬ病弱なものを連れてきたのだから、それはもう驚きあきれ果てたにちがいなかった。皆羅刹に心から忠誠を誓っているため、表立って反抗するようなものはいなかったが、それでも内心快くは思っていなかったに違い。
ただ、羅刹が何よりも悲しく、同時に悔しかったのは、まるで見切ったかのような諦めの表情を浮かべるものたちが、少なからずいたことだった。
それでも秋穂は決して嫌な顔一つしなかった。異形のモノたちに囲まれておびえるどころか、笑顔を浮かべ、積極的に彼らと関わっていこうとしていた。
秋穂はまず、自ら屋敷の家事を行おうとした。
家事に関しては配下の一人であり、自分が幼い頃の世話係であった
秋穂は見た目こそおしとやかで、しっとりと気弱そうな雰囲気であるが、その実、一本通った、芯の非常に強い女である。その強さにも、自分は心から惚れ込んでいるのである。そのことに、部下たちが気が付くのはそう遅くはなかった。
本当に彼女が受け入れられたのは、数人の部下が抗争の仲裁に失敗して大怪我を負って帰ってきたときだった。
その抗争の原因というのは、河童たちの縄張り争いであった。南の地にはもともと河童が多く、各地域で小規模な共同体を形成していた。それが、川の汚染などで住処を追われ、暮らせる環境を取り合う、大きな抗争に発展してしまったのである。理由が理由なので、直接四大妖怪である自分が介入して無理やり力でねじ伏せるよりも、できれば交渉による解決が望ましかったのだが、その願望むなしく血で血を洗う争いに発展してしまったのである。
河童は普段は穏やかで気さくな妖怪であるが、ひとたび怒らせれば非常に狂暴な本性を現す。そんな河童たちの抗争に「まあまあまずはお互いの話を聞きましょうや」と割って入ること自体、無理な話なのである。だから、一方的に部下が悪いだけではないのだ。
しかし、部下たちはひたすら「申し訳ありません。」と自分に向かって繰り返した。まるで殺してくれることを請うかのように地面に頭をこすりつける部下に、自分はうまいこと言葉を返してやることもできず、ただ「そうか。」とか「気にするな。」と月並みな慰めの言葉しか言えなかった。
しかし、秋穂はそんな彼らに向かって包帯片手に一喝した。
「謝るのはあなた方ではないでしょうが!問題を起こしているのはあなた方ではなく、河童たちです。こんなところで責任を取り違えて頭を下げる暇があったらさっさと布団に入って怪我を直してきなさい!!」
挙句に「いっそのこと河童たちをここに連れてきなさい。私がここで一言二言言ってやりますから。」と言い出す始末である。
部下も自分も彼女の覇気に気圧された。秋穂は本気で自ら抗争の渦中に乗り込まんとする勢いだったので、河童なぞ頭から放り出して部下とともに必死で彼女のことを止めたのを鮮明に覚えている。普段からあまり口をきくことのない自分が饒舌になったのは、あれが最初で最後な気がするほどだ。
以来、そんな自分のことをよくよく知る部下たちの間で、秋穂は文字通り“鬼よりも怖い鬼嫁”として畏れられ、慕われるようになった。彼女は決して本意ではなかったようだが。
ちなみに河童たちに関しては、その後九千坊という河童によって筑後組というひとつの組となって取り仕切られるようになっていったというのは、また別の話である。
思い返せば、本当に秋穂には助けてもらってばかりだった。
ただ力ばかりあり、周囲から恐れられるだけだった自分の傍で寄り添い、支え、心を癒してくれた。
自分はそれに、十分に答えることはできたとはいえないのかもしれない。
それでも、それさえも理解して秋穂は自分を愛してくれた。
そして、彼女は愁という、何にも代えがたい新たな命を残してくれた。
愁が生まれたとき、屋敷中が沸き立った。
俺は心の底から喜び、生まれて初めて涙を流した。
少し力を入れれば崩れてしまうかもしれない。それほど小さい彼が、自分と秋穂をつなぐしるしだと思うと、なんともいえない感情が胸からぐわあっとこみ上げてきた。
しかし、秋穂は出産を機に床に臥すようになってしまった。
もともと、病院を離れた奇跡に近いカタチで彼女は命をつないでいたのである。そこに出産という大きな負担がかかったことで、体が悲鳴を上げたのだろうというのが異国からやってきた医者の見解だった。
さらに俺の業務は多忙を極め、なかなか秋穂と顔を合わせる時間もなくなってしまった。愁も世話係に任命した蓮司や数弥に任せきりとなってしまい、なかなか親子三人で仲睦まじく過ごすような時を得ることができなかった。
それでも、俺はできる限り暇を見つけては秋穂と愁の下へ足を運んだ。
本当なら、仕事なんか放り捨ててふたりとともに過ごしていたい気持ちを抑え、四大妖怪としての業務も果たしていた。
だが、幸せというものはいつだって、足音を立てずに崩れ落ちる。
○●○
―――20××年 某日
福智山、山中。
夜が明けようとする、暁の
響灘に注ぐ紫川の音を背後に、黒ずくめの男が岩場に立っていた。
巨岩の上には血潮で描かれた巨大な陣。複雑な幾何学模様が地面を這うように描かれている。
陣の前には祭壇がしつらえられている。祭壇とはいっても、神餅や供花などが備えられているわけではない。そこにあるのは、紙で形作られた小さな鳥である。
鉛色に曇った空。木の葉を散らして吹きすさぶ風と、どどうどどうと流れ落ちる滝の低い水音が、これから始まる禁断の御業の前兆を思わせた。
男が手をかざすと、陣は輝きを帯び始める。
「さあ、目覚めの時だ。」
○●○
その日。
懲りずに起こるくだらない抗争を早々に潰し、俺は早朝に自分の屋敷へと帰ってきた。
珍しく、今日はそんなに忙しくない。妙な静けさを感じる一日の始まりである。
秋穂のところへ行こうと、廊下を歩いているときだった。
がしゃんという物が落ちて壊れるときのような、激しい音がした。
秋穂の部屋からだ。
(秋穂・・・!)
物盗りか。それとも誘拐か。
四大妖怪の妻という立場であるだけに、秋穂の身は四大妖怪勢力と敵対する妖怪勢力から狙われやすい。しかも、神巫であればなおのこと。だから彼女の部屋には信頼できる部下を必ず護衛につけるようにしている。今日とて、数弥が寝ずの番をしているはずだ。
だが、胸騒ぎはおさまらない。
俺は廊下を破壊しないぎりぎりの速度で走り、ほぼ一瞬で彼女の寝室の前に到達する。
その瞬間だった。
何の前触れなしに、襖を突き破って炎が噴き出し、何かが俺めがけて飛んできた。
咄嗟にそれを受け止めると、なんと数弥である。
「何があった!!」
「あ、秋穂様が・・・!」
数弥が何か言う前に俺は部屋に飛び込んだ。
「秋穂!」
彼女は部屋の、炎の中心にいた。
柔らかな色をたたえているはずの彼女の瞳が、今や黄金色にらんらんと輝き、自分のことを見つめていた。周囲を威圧するような、その目つきはまるで秋穂ではない。何か別のものが、そこにいるような錯覚を覚える。
とにかく、彼女の様子がおかしいのは明らかだった。
「大丈夫か!?」
「逃げ、て・・・」
「お前も逃げるんだ。」
彼女を抱き上げようと、俺は背中に手を回す。
だが、俺ははじかれたようにその手を離した。
(熱い・・・!?)
まるで炎に直接手で触れたようだ。
自分の手のひらを見ると、焼けてただれている。
その手を見て、秋穂は弱弱しく「ごめんさい」と言った。
「ついさっきまでは、なんともなかったんですけど、急に体が、発熱をはじめて・・・気が付いたら、こんな状況になっていて・・・。たぶん、私の器としての限界が、きているんだと思います。」
―――器としての限界
まさか、彼女の中の神獣が出てこようとしているというのか。
器から離れ、カミサマが顕現したとき。
そのときは―――
(天変地異規模の大災害が起こる。)
ぞくりと、背筋に寒気が走る。
(彼女の中には、一体何がいるんだ?)
地面が鳴動しだす。
地震だ。
建物が揺さぶられ、炎がおどるように天井を舐める。ばきばきと、炎が木を
このままでは屋敷が半壊しかねない。
手が焼けるのも構わず俺は秋穂をかかえあげ、障子を突き破って外に転がり出る。
彼女のために用意した、コスモスの庭。しかし、そこはもう炎に包まれ、黒く焼け焦げていた。
炎の出どころは、やはり秋穂自身だった。
彼女の背中からは、赤々と炎が燃え盛っている。それはまるで、翼のように広がり、俺すらも飲み込もうとする。
俺は最大限体を妖力で強化し、炎から身を守る。それでも熱で爪が曲がり、腕は火傷でただれていく。
だが、俺は秋穂から手を離そうとはしなかった。
(どうすれば、いい。)
秋穂の身に起こっているのは、おそらく彼女の中にいるカミの暴走。それに秋穂の身体が持たず、壊れかけてしまっているのだ。ならば、器となる新しい神巫を見つけるか?いや、そんな時間はない。そもそも、誰が神巫になれるかなんてわからないじゃないか。
そうだ。近くに住む妖怪たちの避難もさせなければ。このままだと、九州一体が焼野原になる。いくら妖怪が人間に比べて頑丈にできているとはいえ、自然の暴力を相手に立ち向かえるモノはいない。
いや、待て、落ち着け。
そもそも俺の部下たちは無事なのか?
(―――愁は?)
愁。
命に代えがたい、俺と秋穂の子。大切な息子。
確か、蓮司と一緒にい公園に出かけていったはずだ。
あの公園は開けていてものが落下してくるとかそういうことはなさそうだ。何より、蓮司がそばにいる。だが、この規模の大地震では絶対安全とはいえない。
あの子は、無事だろうか?
早く、助けに行かなければ。
街を。
愁を。
秋穂を。
(守らなくては。)
頭の中が、ひとの顔が目まぐるしくぐるぐると回る。
混乱と焦りで、いっぱいいっぱいだった。頂点に立つべきものが、こんな無様な醜態をさらすとは、なんと情けないことだろう。
渦巻く炎に抱かれ、熱くて痛くてたまらないのに、胸の底は冷え冷えとしていた。
そっと、何かが俺の頬を優しく触れた。
秋穂の手である。
どうしようもなくなって俺が固まると、秋穂はいつもこうしてくれた。
だが、その手から温かみを感じることが、今はできない。
「そんなに難しく、考えなくていいんですよ。」
やめろ。
その先を言うな。
言わないでくれ。
「羅刹、あなたが私を殺して。」
「駄目だ!!!」
最初に出会ったとき以来、初めて秋穂に向かって怒鳴った。
そして、秋穂はやはり俺の言葉をぴしゃりと切り捨てる。
「お願い・・・あなたを傷つけたくない。」
「まだ、何か方法あるはずだ。探す、絶対にお前が助かる方法を探すから、」
だが、秋穂は首を左右に振る。
「いいえ、間に合わないわ。きっと私の体の方が先に壊れて、
「街なんかどうだっていい!!自分のことを考えろ!!」
「できません。できないんです。」
―――あなたが一番、よくわかっているでしょう?
秋穂の手が俺の腕にそっと触れる。途端、火傷で爛れていたはずの腕がすっかり元通りになっていた。
こんな時まで、彼女は自分の身を案じていない。それどころか、俺の傷を直そうとしている。
ああ、この女は、どうしてこうも優しいのだろう。
その優しさに何度癒されたのか。
でも、今はその優しさが狂おしいほど憎い。
「せめてあなたの手の中で、死なせてほしい。」
苦しいはずなのに精一杯浮かべた笑顔が、もの悲しい。
そんな泣きそうな顔を、どうかしないでくれ。
「あの子を、どうかよろしくお願いします。」
いやだ。
やめろ。
やめてくれ。
手を振り払いたいのに、自分の体は動かない。
秋穂は俺の腰の刀に手を伸ばす。
鞘を抜き、刃を己の腹へと向ける。
「俺を残して、逝くな。」
声が震える。
彼女がかすかに笑った。
「こんな私を、愛してくれてありがとう。」
秋穂は、倒れ込むように刀へ身を投じた。
視界が、真っ赤に染まる。
炎よりもずっと鮮やかな赤い血―――彼女の血だ。
流れ落ちる、ぬくもりが手を伝う。
この手で全てを守ると決めたその手は、最愛の人の血に染まっていた。
「なんで・・なんで、親父が、母さんを・・・・」
「見ちゃだめだ!!!」
声が聞こえる。
愁と蓮司の声だ。
ああ、無事でよかった。
だが、ここにいては危ない。
まだ火の手はおさまっていないのだから。
「蓮司、愁を連れていけ。」
「ですが!」
「聞こえなかったか。」
俺はそのとき、どんな顔をしていたのだろうか。
振り返ったとき、蓮司は唇をかみしめ、振り切るように愁を抱えて走り去っていくのが見えた。
愁が何か叫んでいる。
答えることができない。
俺はひとり、その場で彼女を抱えて、うずくまった。
冷たくなってしまった彼女の身体を強く抱きしめる。
もう抱きしめ返すことのない、彼女の亡骸を。
「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛・・・・・!」
気が付くと、喉が引きちぎれるような慟哭を上げていた。
どうして。
どうして守れなかった。
何が、四大妖怪だ。
何が、最強の一角だ。
愛しいひとを守ることもできないで、何もしてやれなくて、何のための力だ。
俺はただ、悲しみに声をあげるしか出来ない。
(なんて)
なんて、俺は弱いんだろう。
(ごめんな、愁。)
俺は、最低な父親だ。
秋穂の死を堺に、俺と愁は親子の
葬儀の後、彼が見せた表情は、今でも目に焼き付いている。
「絶対に許さねぇ。」
秋穂とそっくりの瞳は涙で溢れ、憎しみを露わにしたその顔が。
「俺が、必ず、必ずお前を殺してやる。」
そうだ。
いくらだって恨めばいい。
「絶対に!絶対に、お前の首を取ってやる!!俺が!母さんの仇を取る!!」
それでお前の気が晴れるなら、いくらでも自分は悪者になろう。
それが俺にできる、たったひとつの
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
秋穂の死は、神獣の暴走による事故として処理された。
しかし、その事件をただの偶然による事故とするには不可解な点が多すぎた。
だから俺は一つの疑念を抱いてこの十年を過ごしてきた。
―――もし、彼女の死が意図されたものだとしたら。
もしもあの事件に犯人がいるのなら。
俺はソイツを、決して生かしてはおかない。
必ず、この手で殺してやる。
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