九州旅行 (前編)
◇◆◇
深紫色のシートに体をしずめ、いなりは天井を仰いだ。
隣では八重が首をこちらに傾けて気持ちよさそうに寝ている。そのため、首を動かすことぐらいしかできないのだ。
少し前まで元気にいなりを会話攻めしていたのが、疲れがたまっていたらしい。気が付いたらいつの間にか眠っていた。
八重は完全に気を許しているのか、いなりが少しみじろぎをしても全く起きない。初めてみた八重の寝顔は、少し子供っぽくて、かわいらしい。
暇つぶしのために持ってきた本を鞄から取り出そうにも、残念なことに鞄は荷物棚の上だ。寝ようにも、やけに目がさえてしまって眠ることができない。
いなりは会話の相手を探すため、少し首を曲げて隣の座席を見た。
通路は挟んだ二人掛けの座席には、黒羽と北斗が座っている。腕組みをして首が上下にゆらゆらと揺れていることから、北斗は眠りかけているらしい。黒羽はというと、耳にワイヤレスイヤホンがついていた。二人とも、自分のことに忙しそうである。
あきらめていなりはまた視線を天井に戻す。
クリーム色の無機質なそこに、何かモニターでも浮かんでくれたらよいのだが、あいにくそこまで日本の技術は進歩していない。少し見ていただけでも飽きてしまった。変わりに、いなりはアニメーションのように過ぎ去る景色に目を移す。
いなり達は新幹線に乗っていた。
行き先は、九州・博多。そこで三泊四日の小旅行を予定している。
なぜそんな場所に行くことになったのかというと、話は三日前に遡る―――
○●○
「「九州に旅行?」」
いなりと北斗はそろって首をかしげる。この突拍子もない発言は、五人の行きつけの喫茶店〈月ノ屋〉にて黒羽の口からもたらされたものだった。
珍しく彼からたまには五人でゆっくり遊ばないかと誘われて、店に足を運んだのが三日前のことだった。てっきりあの事件について何か新しく分かったことでもあったのかと思っていた。ところが、黒羽からもたらされたものは全く想像もしていなかったことで面食らったのである。
黒羽の話というのは、「みんなで旅行に行かないか」というものだった。行き先は福岡県博多市、期間は三泊四日と少し長めだ。学校の秋休みが休校とかぶったため時間に余裕はあるが、なぜまたこのようなタイミングで旅行なのだろうか、とんと検討がつかない。
「なんやまた急に。」
八重は怪訝そうな顔をしている。
ストローでいじめられていたグラスの中の氷が、さらに激しく角を削られていた。
「この間はさんざんだったでしょー?だからみんなでたまにはちょっと遠出して息抜きでもどうかなって思ってさー。」
「この間は」というのを、やけに強調して黒羽は言う。黒羽が暗に指しているのは、つい昨日までニュースで騒がれていた“不知火事件”のことだ。
“不知火事件”という名称は原因不明の発電所の一斉爆発からきているものだが、その実態は中国伝説の邪神・渾沌によって引き起こされた仮想怨霊騒動である。スカイツリーの電波を乗っ取り仮想怨霊を関東圏内にばらまかれる計画の阻止にいなりたちも一枚かんでいたのである。表向きの理由が発電所の爆発にされているだけに、都心部の被害はかなり大きく、いなりもそれなりに負傷をした。しかし、妖怪の血が流れていたことに感謝をすべきか、二日三日家でおとなしく過ごしていれば体は回復する。健康を通り越して頑丈にできた体をもって生まれたことには、心の底から感謝をしたものだ。
しかし、全快したのはあくまで体だ。大事件に巻き込まれて精神的には疲れている。しかも、まだ事件の大本は残っているだけに気を緩めることはできないという緊張感からか、ここのところしばらく気が張っていて、せっかくの長期休暇にも関わらず羽を伸ばすことができていない。
そんな折にもたらされた旅行の話。正直うれしくないはずがないのだが、提案者が黒羽なだけにまた何かたくらんでいるんじゃないかと疑ってしまう。
いなりは黒羽の真意を探ろうと、あえて答えないことにした。
「ま、うちは別にかまへんで。」
しかし、そんないなりの意図とはうってかわって、八重はわりとあっさりとOKをした。
いなりは咄嗟に八重の方を見る。しかし、八重は何か深く考えているそぶりはない。彼女は純粋に旅行に行くのが楽しみらしい。
そうなると、残るは北斗、愁、いなりである。「三人はどう?」と黒羽が目で聞いてくる。
「俺も大丈夫だ。」
過半数を超えた。
これはいなりも合意するしかない。予定的にも問題ないし、特に断る理由もないので当然ではあるのだが、なぜか少し悔しい気持ちになる。
いなりはそれを誤魔化そうと、ティーカップに口をつけた。時間がたってしまってぬるくなった紅茶は、微妙な味をしていた。
「・・・私も問題はありません。」
ここにいるメンバーは裏八坂祭を通してみずめも佐助も知っているので、反対はしないだろう。若干不安があるとすれば、佐助の心配性が発動することくらいだ。
そんな二人の答えに、黒羽はうんうんと満足そうにうなづく。
「悪ぃ、俺ちょっと別件があるからあとで合流するわ。」
意外なことに、この不明瞭な発言をしたのは愁だった。
「そんな無理しなくてもいいよー。僕が昨日今日で勝手に立てた予定だからさー、別に用事があるならそっちを優先させてねー。ていうか、まさか東京と福岡をハシゴするつもりなの?」
「いや、ちげぇよ。俺の用事っていうのも行き先は一緒だ。」
どういうことなのだろうか。
周りの空気を察して、愁は言いにくそうに解説を始める。
「俺、育ちは東京なんだけど生まれは福岡でさ。けど、まあ色々あって小学校上がる前くらいに爺と一緒にこっちに来たんだ。」
思わぬ新情報に八重と北斗は目を丸くする。
黒羽はさすがに知っていたようで、驚くこともない。いなりははたから見たら相変わらずの無表情なのだろうが、心の中ではしっかりと驚いていた。
「んで、ちょうど秋休み中にその・・・里帰り?ってやつをするんだ。」
目をそらし、頭をかきまぜながら愁はもごもごと口ごもりながら言う。語尾の方は聞き取りにくいほどの小声になっていった。
愁は照れているというわけではない。なんというか、釈然としない物言いだ。どこか罰の悪そうな様子がらしくない。
(どうしたコイツ。)
愁というと、一言で言うと単純だ。感情で行動を起こし、理性が基本どこかに飛んでいる文字通りの脳筋である。しかし、正確は素直で明るい。邪気とか悪意なんて感じたことも考えたこともないと全身で叫んでいるような、マイナス感情とは無縁の
それがどうしたことか。
そんな愁が珍しく神妙な顔つきをしている。彼の周囲にはきらきらとしたスクリーントーンが見えるのだが、今日はそれが鳴りを潜めている。
しかし、その微妙な表情に気が付いたのはいなりだけのようだった。他の三人は特に気にした様子はなく、普通に会話をしている。
「へー、ってことはお前の両親は向こうにいるんだ?」
「そ、俺がどうしても爺について行きたくてさ。無理言って一緒に済ませてもらってる。今じゃもうすっかりなじんでるけどな。」
「だが、お前の実家と俺らのとこを行き来するとなると、それなりに忙しくないか?」
北斗のいうことはもっともだった。
どういう意味で“合流”なのかはわからないが、いなりたちに付き合って観光地に行ったり旅館に行ったりとあちこちをめぐるのは、せっかくの彼の里帰りを邪魔してしまうのではないか。北斗はそういうことを懸念しているのだ。
「別に里帰りっつたって、ちょっと顔見せてくるだけだからすぐにお前らと合流するさ。それに黒羽が新幹線代おごってくれるってんなら、のるしかねえだろ?」
「うわー、やらしいなあ。」という黒羽を見て、愁は屈託なく笑った。
乾いた笑い声が、やけに耳についた。
「・・・本人がそう言うのなら良いのでしょうが。」
意外と愁とその両親は淡泊な性格なのだろうか。
そういえば、愁は八坂祭り以来、夜叉や蘭のことを話すようになったが、一度も両親について喋ったことがない。
彼の父親が鬼であること以外、いなりは何も知らなかった。
「つうか、そもそもお前は四大妖怪やろ。勝手に動いてええんか。」
意図的に話を逸らすように感じたのは、いなりの気のせいだろうか。だが、愁の指摘はもっともで、頭に浮かんだもやはすぐに掻き消えてしまってすっかりその話に頭が切り替わる。
他の土地の妖怪が別の土地に行くことは基本的にない。八重が追放された理由でもある通り、四大妖怪ならばなおのこと行ってはならない。強大な力を持つ四大妖怪同士が互いに干渉しあうことは危険であるということもあるが、主たる理由は下剋上の防止だ。四大妖怪がいない隙を狙って、動こうとする連中はまだこの時代にもいないことはないのだ。
「僕には優秀な部下がいるから問題ないよー。それに、あっちとは割と旧知の仲だからねー。あらかじめ電話一本いれとけば全然行ける。」
・・・心配する必要もなかったようだ。
前から思うのだが、黒羽ははたしてちゃんと仕事してるのだろうか。こんな適当でいいのか、日本の妖怪の代表格よ。
いなりは心の中でため息をつく。
「ところで、愁はどうするー?旅館とか落ち合う感じにした方がすれ違わないよねー。」
「いいぜ。そしたらチェックインの時間教えてくんね?」
「了解ー。じゃああとで連絡するねー。」
「ああ、わかった。」
その後に、愁はもう一言何か言ったようだった。
他の者の耳では聞き取れないほど、ぼそりと呟かれたものだったが、いなりははっきりと覚えている。
「お前らが来てくれて、少し安心したよ。」
○●○
その言葉が、何を意味しているのか分からなかった。
万が一というのは、一体何のことなのか。
あれから、愁とは会っていない。
これから現地で会うのが、少しだけ不安だった。
『博多―――博多―――』
いつの間にか、新幹線はもう本州から海を渡って九州に移っていたらしい。
車内放送が、何か不穏の予兆のように聞こえてきた。
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