陰陽寮 帰還

 転送術独特の浮遊感を感じた次の瞬間である。


「ちょっと待って。これ僕たち浮かんでない?」


 ぱっと、視界がひらけると目の前には木目。横にはさかさまの黒板。先程までいなり達のいた鉄の空間ではない。あまりにもよく見なれた、風景が広がる。

虎徹の転送術の繋げた先はいなり達を連れ去った応接室ではなく、教室だった。それも、教室の空間的など真ん中に。


「なんか転送場所空中にあんだけどおお!?」


 愁の悲痛な叫びもあっけなく、重力に逆らえず三人は仲良く床へ真っ逆さまにおちる。そして、どしんという悲惨な音が響き渡った。


「これは・・・してやられましたね。」

「あのチビ陰陽師め・・・次会ったらぜってーぶっ飛ばしてやらぁ…。」


 愁を下敷きに、黒羽、いなりの順で三人は鏡餅よろしく床の上に積み重る。慣れない転送術に頭痛を感じつつも、いなりは急いで立ち上がった。それから黒羽が背中をさすりながら這いつくばって愁の背中からどき、愁がようやく二人分の体重から解放される。

 三人が転送されて帰されたのは八坂高校のどこかの空教室のようだった。もう既に授業は終わってしまっているようで、それどころか窓からは橙に色づいた光が差し込んでいる。恐らく部活動に参加している生徒ですらそろそろ下校をし始めているような時間帯だ。


「随分長い間向こうに行っていたようですね・・・。」

「ほんと、よくもまあアポなしで長時間拘束してくれたよねー。相変わらず礼儀の欠片もない連中だよなー。」


 珍しく感情をあらわにして怒っている黒羽を見て、思わずいなりは目をしばたいた。愁も似たような反応をしており、2人の表情に気がついた黒羽が怪訝けげんそうに眉をひそめる。


「なんか僕の顔についてるのー?」

「いーや、黒羽がそんなに他人にイラついているとか珍しいと思ってさ。いつもは知らぬ存ぜぬみたいな顔して受け流すじゃねえか。」

「え、そうかいー?」

「はい。」


 普段から、黒羽はにこにこと笑っている。思っていることも、感じていることも、すべてその笑顔の下に隠れている。そのため、彼が腹の底で何を考えているのかは分からない。ある意味でいなりとは別の意味で感情が読みにくいともいえる。

 そんな黒羽が、あからさまに苛立ちをみせているというのは、それなりに付き合いのある二人にとっては珍しい瞬間だった。


「まああの連中のことは置いといて・・・・・問題は仮想怨霊だねー。」


 話を切り変えるように、黒羽は腕組みをして適当な椅子に腰かける。


「昔はいなかったのか?」


意外そうに愁が目を見開く。


「怨霊ならしょっちゅういたよー。でも、昔と違って今は妖怪と人間の関係がかなり変わってきているからさ。」


 愁の問いに、黒羽は伸びをしながら答えた。


「そもそも、怨霊と仮想怨霊って根本的に違うんだよ。」

「と、言いますと?」

「怨霊っていうのは、人間の怨みとか怒りとかっていう他者に対する激しい怨念から生まれるものなんだ。でも聞いた話だと、仮想怨霊っていうのはに対する人間の恐怖心から生まれるって言うじゃん。ね?全然違うでしょー?」

「お、おう・・・・・?」


 愁はわかりやすく誤魔化してうなづいた。目は既にあらぬ方向を向き、頭上に疑問符が浮かんでいる。

要するに、黒羽が言いたいのは仮想怨霊と普通の怨霊とでは発現の仕方が大きく異なっている、ということだろう。発現の仕方が違えば、それは全く違うモノ同士だ。対処方法も同じというようにはいかないだろう。陰陽師はあくまで妖怪と怨霊の専門家だ。彼らが手をこまねいているのもそれが理由なのである。


「とにかく仮想怨霊と怨霊は全然違うってことさ。それよりも、何が問題って仮想怨霊と妖怪が同一視されかねないってことなんだよねー。」

「なるほど。そういうことですか。」


 いなりは黒羽の言葉にはっとした。

 しかし、愁はまだよく理解できていないようだ。難しい顔をしてこめかみをぐりぐりと指でこねくりまわしている。


「えーっと?何がどうしてまずいんだ?」

「仮想怨霊は人間からしてみれば、存在そのものが恐怖の対象です。そんなものがもしも見えたら、真っ先にどうにかしようとするでしょう。」

「まあ普通そうだな。」


 仮想怨霊は妖怪と異なり、人間の目に映る。人間の思念が生み出した存在であるため、考えれば当たり前のことであるが、この性質は非常に厄介だ。


「はたして、妖怪と仮想怨霊を一般の人間が区別できるでしょうか。」

「・・・おお、そういうことか!!」


 妖怪と仮想怨霊。まるで違うこの二つの存在だが、それを一般人が理解できるはずがない。

 しかし、単語の認知度で言えば妖怪の方が仮想怨霊よりも圧倒的に上だ。もしも何か悪さをする得体のしれない、人知を超えた存在がいるとしたら、人間は真っ先に妖怪を想像するだろう。

 たとえその正体が、妖怪ではなく仮想怨霊だったとしても。


「何にも知らねえ人間は全部の原因を妖怪のせいにしちまうってことか。」

「そうすると、妖怪の排除運動が起こりかねません。」


 人間の目に妖怪は映らなくとも、仮想怨霊は目に見える。化け物騒ぎとなれば、見える者が動き出すはずだ。陰陽寮の陰陽師以外にも世の中にはフリーの退魔師がいる。彼等が正義を大義名分に無差別に妖怪を殺していけば、人間と妖怪の溝はさらに深まる。

 


「今まで保ってきた秩序が全て壊れかねない。今回の仮想怨霊事件は、わりと無視できないかもしれないんだよねー。」


 いなりは目を伏せた。

 もし万が一そのような事態が起こった時、妖怪はいよいよ日のもとを歩くことはできなくなるだろう。


「犯人をとっ捕まえるのか?」

「それが一番の解決策だけどさ、たぶん無理だよー。あれでも陰陽寮は優秀な粒ぞろいだからねー。その目をかいくぐるってことは、相当な術者が裏にいるってことさ。それに、」


 黒羽の声が、一段低くなる。紫を帯び始めた光が、僅かに見開かれた彼の瞳を照らし込んだ。


「勘違いしちゃいけないのは、僕達はあくまで妖怪だ。人間側で起こっている問題に首を突っ込むべきではない。」


 静かな、だが、重みのある声が教室に響く。

 それは、「でも」と開きかけていた愁の口を塞ぐのに十分なものだった。愁はぎゅっと、拳を握りしめる。


「まあとにかくそういうわけだー!仮想怨霊は陰陽寮に任せて、僕らは学業に専念しよう!」


 しかし、重い空気も束の間。ぱあんと乾いた柏手が静寂を裂いた。

 いつの間にやら黒羽の顔はいつものものに戻っている。


「それにまずは時計を見たほうがいいよー。何気にもう完全下校時刻三分前。」

「うお!?もう五時じゃねーか!!やっべえ校門しめらる!!」


 後ろを振り向けば時計の針は五の文字の前で止まっていた。

 せかされるままにバタバタと三人は荷物をまとめ、閉じる校門と用務員の間を滑り込み、帰路についたのだった。


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