文化祭と陰陽寮

文化祭準備 買い出し(前編)

 八月。夏も盛りに入り、油蝉の鳴声が街を包む。

 異常気象だ異常気象だとニュースキャスターは毎年のように唾を飛ばしているが、とにかく暑いことには変わりない。日差しは容赦なく照り付け、アスファルトからは陽炎かげろうがゆらゆらと立ち上っていた。

 人が暑いと感じることは、勿論妖怪でも暑いと感じる。自然現象には逆らえない。

 いなりも、こんな日は普段ならば冷房のよく効いた部屋で過ごすところである。

 しかし、そんな彼女がいるのは気温上昇真っ只中の街中。それも小売店や飲食店といったサービス業の密集地・ショッピングセンターだ。

 何故、こんならしからぬ場所にいるのか。理由は簡単である。いなりはここで待ち合わせをしていた。

 歩きながら腕時計を見やると、ちょうど待ち合わせ五分前。待ち合わせ場所は広場の時計台近くだ。凝ったデザインの時計の足下には、いなりとは関係のない他の待ち人達がスマホをいじったり、文庫本を読んだりしていた。 

 その輪の中には待ち合わせ相手である愁と黒羽がいた。 


「あ、来た来たー。」

「よお。」


 余裕をもってきたつもりだったが、どうやら今回は彼らの方が早かったようだ。


「すみません。待たせてしまいましたか?」

「いや、俺らも来たばっかだ。」


 二人と会うのは裏八坂祭り以来だ。二人とも私服であり、いつもとは少し違った雰囲気が新鮮である。

 愁はシンプルな無地のTシャツにジーンズ。首からは相変わらずあの御守りをひっさげており、せっかく小綺麗にまとまっているのが少々もったいないところが愁らしい。一方の黒羽は白の半そでシャツにベスト、黒のチノパンとお洒落な服装。元の顔の良さも相まって、道行く女性達の視線をちらちらと引き付けていた。


「私服よく似合ってるねー。」

「ありがとうございます。」


 黒羽の社交辞令に素直に感謝する。

 基本女性に対して丁寧な黒羽だ。こういう面での気配りはさすがというべきであろう。

 実際、いなりも今日の買い物には少しだけ大人びた服装をしていた。青のノースリーブシャツの上から白い薄手の花柄のカーディガンを合わせ、下にはベルトをつけたジーンズを履いている。

 普段なら地味めの服ばかり着るいなりだが、ちょっとしたお出掛け先では多少お洒落を意識する。とはいっても、化粧の類にはまだまだ関心がないのですっぴん同然ではあるが。


「んじゃ、行くか」


 今日は三人でショッピング―――――ではなく、


「文化祭の買い出しに・・・。」


 ため息をついてホームセンターへと向かったのだった。




 ◇◆◇




 ―――八坂高校文化祭、通称・木犀祭もくせいさい

 体育祭と並ぶ八坂高校二学期の行事の一つだ。毎年決まって十月七日、八日に行われることから、その日の誕生花からちなんでそう呼ばれている。

 部活強豪校である八坂高校の文化祭はとくに盛りあがると都内でも有名であり、毎年多くの一般客を引き込んでいる。この文化祭に心を奪われて八坂高校の受験を考える中学三年生も少なくはない。

 一年に一度の一大行事に向けて、文化部部員達はこの日のために夏から練習・準備を始める。また、クラスごとにも出し物を考えなくてはならないため、早い段階から文化祭準備に取り掛からなくてはならない。そんなわけで、いなり達のクラスもまた文化祭の準備を着々と始めていた。

 夏休み前のRHの時間に決まった四組の出し物は喫茶店。加工済みの食品や飲料を販売する、ありふれたものである。

 まだ詳しい当日の役割担当なんかは決めていないのだが、外装や内装といった時間のかかるものはやはり夏休み中に始めなければならない。そんなわけで、器用な者や準備に比較的協力的な者は作業班へ、不器用な者や準備に非協力的な者は買い出し班へと回される。


「でも、正直あたりだよねー。わざわざ買い出しにホームセンター行かなきゃいけない手間はあるけど、それだけでしょー?準備のために休み中に何回も学校に登校するなんてまっぴらだね。」

「その代わり、買い出し費用は私たちが立て替える必要がありますけど。」

「そこは許容ー。」


 東京に位置しているのにも関わらず、田園地帯と山々が広がる八坂の街で充実した商業施設は望めない。そんなわけで、仲良く買い出し班(つまり、非協力的なのだ)に抜擢された三人はこうして買い出しのために八坂から六つ駅をまたいだ新宿の栄えたショッピングセンター街に繰り出してきたのだった。


「そういや八重はどうした?」

「バンドの練習だそうです。」


 転校してきた当初は帰宅部だった八重だが、西の地から追放されて東に移り住むようになってから軽音楽部に所属している。軽音楽部は中夜祭でライブを行うため、その練習をライブハウスで行うのだが、ちょうどその練習日が今日とかぶってしまったのだ。

 本人は非常に行きたそうにしていたが、バンド内でボーカル兼ギターが不在というのは練習にならない。彼女は泣く泣くバンド練習を選択したのである。


「そりゃご愁傷様。んで、何買ってくればいいんだっけ?」

「装飾用のテーブルクロス、紙皿、紙コップとかですね・・・・・軽食類は後日、月ノ屋に発注するそうなので大丈夫そうです。」


 買い出し班には何をどれほど買ってくるのか書かれたメモが委員長から予あらかじめ渡されている。まるで初めてのおつかいだ。


「あんまりかさばらなそうなものでよかったー。じゃあ、買い物終わったら三人でショッピングモールの方でお昼食べないー?」

「おお!賛成賛成!」


 お昼、という言葉に敏感に反応する愁。目がきらきらと輝き、見るからに活き活きとしだした。

 この三人に軽食の買い出しや注文の担当を割り振らなかった委員長は、なかなか人をよく見ているようだ。


「いなりも午後は大丈夫ー?」

「問題ないです。今日は一日暇ですから。」

「おっし、決まりだな!!」




◇◆◇




「これで全部か?」

「はい。」


 クラスごとに出される予算は割と少ない。そこをうまく工面するためにはいかに消耗品を安く手に入れられるかにかかってくる。そのため、紙コップや紙皿類は百円均一ショップにてまとめ買いし、テーブルクロスは白いシンプルなものをホームセンターで購入することにした。おそらく器用な作業班があれやこれやと工夫してお洒落なものに改造してくれるだろう。

 紙袋の中身とメモを見比べて買い漏らしがないかを確認したが、きちんと提示された数通り買ってある。これでやらなくてはならない仕事は完了だ。


「思ったよりも物が少ねえ気がするけどよ、こんなんでいいのか?」

「私達以外にも買い出し班はいくつかあるそうなので、他の物は別の班が買ってくるんだと思います。」


 勿論、文化祭非協力的なグループや不器用な者は三人以外にもいる。故に、買い出し班は複数あり、委員長によって買ってくるものを分担されていた。いなり達の分担はたまたま食器類や小物類だったが、恐らく他の班が装飾系の飾りや画材等を購入しているのだろう。

 ここまでの役割分担を全て夏休み前のHRでこなした文化祭実行役員とクラスの委員長には脱帽である。自分が非協力的なのを棚に上げて、いなりは心の中で関心した。


「したら、お昼行こうかー!」


 買い出しにはまるで興味ゼロだった黒羽だったが、いつの間にかその手にはショッピングモール内のレストランの一覧が広げられていた。

 愁は目を輝かせて、いなりは嘆息して、それぞれのリアクションをとってから、準備万端に広げられたマップをのぞきこんだ。




◇◆◇




 最終的に、三人が選んだのは小洒落たレストランだった。

 新宿にまで来ておいてファミレス、という選択肢は愁はともかくとしていなりと黒羽にはない。少し高めでもいいから美味しい店に入りたいと思うのが一般的な思考回路である。そんなわけで、三人は少し早めのランチにこのパスタハウスへと足を運んだ。

 新宿の、しかもこういったカジュアルな店の客の大半はカップルもしくは女性だ。その例に違わず、いなり達が入店したこの店も女性客やカップルの割合がやはり多かった。愁や黒羽に気まずい思いをさせてしまうかもしれないと、足を踏み出す三秒前にいなりは逡巡しゅんじゅんしたが、それは一歩踏み出した瞬間に霧散した。というのも、逆に自分が気まずい思いをする羽目になった。

 愁と黒羽は系統は違うにせよ、十人中十人の女性が目が釘付けになるような美形だ。一方は馬鹿、もう一方は腹黒と性格に多少難があるが、黙ってさえいればこの二人が世の男性アイドルを凌駕するイケメンであることを、いなりはこの瞬間まですっかり忘れていた。

 そんな二人がただでさえ女性客の多い場に踏み込んだらどうなるか。結論は三秒後に出た。

 二人が足を踏み込んだ途端、店内の喧噪けんそうが途切れた。そして、変わりに熱のこもった視線が一斉に投げかけられる。案内にやってきたウェイトレスは熱に浮かされたように頬を染め、じっと二人に見入っていた。

 ウェイトレスが我を取り戻したのはそれから数秒後のこと。いなりの「三人です。」という声がきっかけで、プロ意識が再び正常に働きだしたというのが正確な順序である。

 店内を案内される間も視線がビシビシと三人を射抜く中、肩身の狭い思いで二人の後をついていく。料理を選んでいる間でも、見目のよい二人と比較されているのをヒシヒシと感じ、個室か仕切りのある店を選らべばよかったと、いなりは改めて後悔した。

 ただし、そんなのいたたまれなさを感じているのもつかの間。料理が運ばれてくるといなりを含め、愁と黒羽もそちらに意識を奪われた。

 前菜のサラダは酸味がほどよく聞いた手製のドレッシングをさっとかけたシンプルな一品。シャキシャキとした野菜そのものの味が良く弾き立っている。冷製のスープも文句なしに美味しかった。

 メインの生パスタは手打ちであり、もちもちとした歯ごたえが美味しい。まさに絶品。いなりの注文したのは本日のおすすめだったのだが、おすすめというだけあり、ファミレスでは味わえないような本格的なパスタを堪能した。


「めちゃくちゃ美味かったな!」

「いやあ、選んで正解だったねー。」

「そうですね。迷ったかいがありました。」


 食後の飲み物を飲みながら、三人は口々に料理の感想を言いあう。


「今度機会があればまた来ようよー。僕この店のデザートコンプリートしたい。」

「お前パスタ食えよ。何の店だと思ってんだ。」

「勿論食べるけどやっぱメインはデザートでしょー。あー、あのチョコレートケーキもう一度食べたい・・・。」


 さっきまで食べていたチョコレートケーキに想いを馳せる黒羽。その向かいで、いなりは呆れたように苦笑した。

 黒羽の言うようにパスタもさながら、デザートのチョコレートケーキ、正確にはブラウニーは濃厚なチョコの味が口いっぱいに広がり、しっとりとした滑らかな歯触りが非常に美味だった。甘さも控えめで、黒羽ほど甘味を好まない愁も満足そうにうなづいている。

 カップの紅茶が半分ほどに減った時、ふいにスマホのバイブレーションが鳴った。愁のスマホである。

 愁はわりい、と一言断りを入れてスマホのメッセージアプリを確認する。


「あ、あっぶね。思い出した。なあ、この後ちょっと買い物してきていいか?」

「それなら私も構いませんか?」

「いいよー。何買うのー?」

「「夕食の買い出し(です)。」」

「うわあ、新宿っぽかったのが一気に田舎じみたんだけど。」


 思いがけず揃った声に、黒羽の表情が固まった。

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