裏八坂祭 終局

―――高尾山 山林内


 真夏の日差しに照らされ、木漏れ日が山道を照らす昼間。地面が水面のように光を反射する様は秘境のごとき神秘的な美しさがある。

 高尾山と言えば東京都心から近く、登山ルートが多く整備され、年間を通じて多くの観光客や登山者が訪れる有名な登山スポット。また、それ以外にも古くから修験道の霊山としてもそういった界隈では名が知れている。古くから、天狗伝説を伝えられる山として。

 そんな登山客で賑わうハイキングコースとはかけ離れた、人の手の届かない山の奥深く。自然のままに生えた木々によって陽の光がほぼ地上に届かないせいで、昼間にも関わらずあたりは薄暗い。ギャア、ギャアという姿なき烏の声が、あちこちからこだまし、いっそう不気味さを増している。

 そこにひっそりと、隠れるように古びた建物が立っていた。

 洋館、ではない。

 外装の雰囲気から一見洋風に見えるが、焦げ茶色の煉瓦造りの壁にはあちこちに蔦が絡みつき、アンティークな雰囲気を醸し出す一方で、玄関の脇には灯篭が立っている。もう少しよく見れば、気がちぐはぐとした印象を受けるが、これがなかなかどうして絶妙に調和していた。

 元々この建物は明治の頃に家主の意向で、武家屋敷だったものを洋館へと建て替えられたものであった。灯篭はその名残であり、奥屋敷の名残が垣間見えるところが建物内部にも所々存在している。

 そんな洋風の館の一室には、家主の鞍馬の烏天狗こと東の四大妖怪、黒羽の姿があった。

 今の彼は黒の着流しを着ており、いつもなら無造作に束ねられている髪も、おろしている。完全に寛ぎモードだった。

 そんな彼の背後には壮年の男が一人、静かに佇んでいる。

 灰色の髪を後ろに撫でつけた、執事服の男だ。


「・・・・・やっぱりか。どうりで横濱の浸蝕が早かったわけだー。」


 黒羽が手にしているのは分厚い紙の束。それらをペラペラと流し目で見ながら独り言を呟く。

 男はそれを黙って聞いていた。

 黒羽も返答を求めない。


かずらが死んじゃってから八菊組は随分廃退していたみたいだけど、まさかマフィアに尻尾を振るとはねー。あ、土蜘蛛に尻尾はないか。」


 軽口をたたいているが、黒羽の目は笑っていない。

 彼が生活雑誌のごとく読んでいる書類の束は報告書である。これには横濱でおきた事件について事細かにまとめられていた。

 横濱で起きた事件というのは、通称・横濱事変と妖怪の間では呼ばれている中華系マフィアによる妖怪売買事件のことだ。起きた出来事自体はさして珍しくもないのだが、問題はその事件の経緯いきさつにある。

 横濱は港街であり、海外人外とのトラブルが絶えない。海外人外の侵入を四大妖怪は表向き許していないものの、全てを排除するのにはやはり限界がある。

 立ち入ってもいいが、あくまで裏社会まで。そんな具合で黙認状態になっていたのだ。

 黙認というのは、公認ではない。つまり、たとえ海外妖怪が日本の裏社会にいたとしても、派手に商売をしたり密輸をしたりするのは許されない。表社会の妖怪に手をだすなんて言語道断である。

 そのため、四大妖怪勢力下にある組が目を光らせていた。四大妖怪勢力というのは、読んで字のごとく四大妖怪一派ということ。部下ではないが協力関係にある組や派閥のことを指す。ちなみに大江山組はその組自体が巨大で強力な非常に影響力をもった組であるため、四大妖怪勢力と同等の規模がある。だが、力のある大妖怪は現・四大妖怪と協力関係を築くことを掟によって固く禁じられているため、両者に協力関係はない。もしこの二つが協力していたとしても、それはただ利害の一致からの共闘、というていだ。

 その横濱で海外妖怪の動向の監視を担っていたのが八菊組である。

 先代組長・土蜘蛛の八菊やぎくかずらは平安の世からの付き合いがあり、堅実な男であった。しかし、半年ばかり前の抗争で命を落としてしまい、今は若頭であった者が組長を引き継いでいる。

 ところが、その引き継いだ者がろくでもない奴だった。富を得ようと密輸に麻薬取引、挙句の果てに人身売買にまで手を染めだしたのである。瞬く間に八菊組の悪名は広まり、組員も一つ間違えればただの悪党のような連中の集まりになってしまったのだ。

 それが今回の事件の元凶である中華系妖怪マフィア・饕酔会と繋がっていたという決定的な証拠が得られてしまったのである。もしもそのマフィアの橋渡しを担ったのが四大妖怪勢力の組と知れた場合、東の四大妖怪の信用・信頼に関わる大問題だ。


「よし、八菊組は解体しよう。」


 まあ、当然こうなるわけである。

 大掃除の断捨離だんしゃりのように、さっくりと黒羽は長年の付き合いある組の処分を決定した。


「かしこまりました。隠し資産につきましては既に浅草あさくさ組に通達を。」

「さすがだねー、鴟千しせん。相変わらず仕事が早い。」

「もったいなきお言葉です。」


 男―――鴟千は微笑をたたえながら深々と頭を下げた。 


「まあ、八菊組を処分したところで最大の問題はその逃げた饕酔会首領なんだよねー。」

「は・・・・・それに関しましては私めの不手際でございます。」


 鴟千の顔に浮かんでいた笑みが消え、眉がひそめられる。

 裏八坂祭の最中、鴟千は饕酔会の殲滅任務を実行していた。饕酔会の組員及び幹部は全て彼の手によって始末されたが、首領だけには逃げられてしまったのだ。


「龍生九子の最後の一人、饕餮とうてつ。確か、財産を貪ると言われている中国の怪物だっけ?」

「さようでございます。」


 報告書には饕酔会の幹部、首領がどういった妖怪であるかまで書かれている。

 首領、饕餮についてのデータのところで黒羽の手が止まった。


「・・・・・なんかきな臭いんだよな。あーあ、せっかく昨日久々に飲み会して気分がいいのに、台無しだー。」


 その時、扉をノックする音が室内に響いた。

 黒羽が「いいよー。」と手を振りながら声をかけると、ノブがかちゃりと回る。


「失礼します。」


 姿を現したのは高校生くらいの少女。

 薄紫色の髪をサイドポニーに結い上げており、シンプルな黒のメイド服を着ている。一見、クールビューティーな美女であるが、冬の湖面のような冷酷な瞳はメイドというよりも、暗殺者アサシンのようである。

 彼女の名はれい夜雀よすずめという妖怪で、鴟千の同僚、すなわち彼女もまた黒羽の部下である。

 黎はカップを音を全く立てずに黒羽の横に置く。そして、鴟千の横に並んで控える。こうして隣に並んでみると孫娘と祖父のようだ。だが、そんなことを言うと毒殺されかねないので鴟千は何も言わなかった。

 黒羽は一旦書類の束を横におき、カップを手に取り、一気に珈琲を飲み干した。

 そして、舌を出して一言。


っっが。」


 カップの中身は黎が濃く淹れた珈琲である。

 黒羽は異常なまでの甘党だが、酒を飲んだ後は酔い冷ましに珈琲を飲む。珈琲のなかった時代は怪しげな漢方薬を煎じたすこぶる苦い茶を飲んでいた。つまり、あえて苦いものを飲んでいるのである。

 なのでこれは決して、黎の珈琲を淹れる腕が悪いわけではない。そう、悪いわけではないのだ。

 隣から射殺すような視線が飛んできているが、気のせいに違いない。 


「いやあ、黎以上に苦い珈琲作り職人はいないよねー。」


 そんな鴟千の心中をガン無視して落とされる爆弾。

 少しは空気を読んでくれ頭脳派四大妖怪よ、という叫びは届かない。いや、きっとこれはあえて空気を読んでいないのだ。


「黎、気にすることはな・・・・・無言で毒羽どくばねをむけないでくれたまえ。」


 鴟千の精いっぱいのフォローは、フォローした相手によって踏みにじられた。

 黎は普段無口で仕事以外でほとんど口を利かないのだが、毒針やら毒羽はよく飛んでくる。

 そっと自分に向けられた羽を手でどかしながら、鴟千は心の中で肩を落としたのであった。



 この二人、執事とメイドのような格好をしているが、彼等の本当の顔は四大妖怪の裏の仕事を担う暗殺者だ。

 四大妖怪の役割はあくまで妖怪社会の暴走を阻止と人間が介入することへの牽制。妖怪界の秩序を守ることであり、絶対王政をしているわけではない。そのため、四大妖怪は基本妖怪界でおきた事件には首を突っ込まないことになっている。だから、横濱事変での八重の行動は問題視され、四大妖怪の地位を下ろされた。

 しかし、だからといって何事もただ傍観しているわけにはいかない。

 裏で暗躍する輩は当然出てくるし、力によって全てが決まる妖怪社会では間違った奴が台頭することは多々ある。

 そういった者を速やかに処分するのが暗殺を担う四大妖怪の部下の役目だ。

 四大妖怪は他にも多くの配下を従えるのが普通だが、黒羽は鴟千と黎だけ。そもそも、東の四大妖怪勢力下の組や派閥とは別に、黒羽の直属の部下と呼べる存在は二人しかいない。

 諜報活動の面だけでも、何人もの配下を区画ごとに配置し、定期連絡などで膨大な情報の管理を行う必要があるのだが、彼の場合はいらない。

 黒羽は烏との視覚・聴覚同調を通してたった一人で東の地全域を見張ることができる。

 実は、裏八坂祭でもこうして丸山全域を集中的に監視していた。襲撃にいち早く気づいたのもそのおかげだ。

 だが、はっきり言って普通の烏天狗がこれをやるのは、はっきり言って無理である。一気に流れ込んでくる容量過多の情報で脳の神経が焼き切れてしまう。これを成せるのは黒羽が常人離れ―――いや、人ならざるモノたちから見ても異常な情報処理能力を持つ頭脳を持っているからである。

 そんなわけで、鴟千と黎の与えられている仕事は汚れ仕事よりも館の管理や掃除といったそれこそ本物の執事やメイドがするような仕事の方が多い。事実、黎は鴟千よりも珈琲を淹れるのがうまくなった。


「踏んでいませんか。」

「・・・・・。」


 つま先を踏みつぶされている気がするが、気のせいだったのかもしれない。確認するのも怖いので、鴟千は前に目を向ける。

 目の前では、苦い珈琲を飲んで頭を覚醒させた黒羽が書類を見て顔をしかめていた。彼が今現在頭を悩ませているのは珈琲ではない。


「なんでまた日本の妖怪を商品として選んだ・・・西欧ヨーロッパなんかの精霊の方がよっぽど商品価値としては高くないか?むしろ世界的に見て日本の妖怪はマイナーどころなはず・・・・・。」


 ぶつぶつと呪文のように独り言を唱える黒羽。その目は紙の文字ではなく、脳内で飛び交う数多の情報群を追っていた。 

 そうして、数十秒過ぎただろうか。


「うん、駄目だこりゃ。」


 突然、諦めたように書類の束を机上に放り投げた。そして、うーんと伸びをして椅子にもたれかかる。


「考えても無駄だねー、情報が少なすぎる。まあでも、とりあえずこの件に関しては他の土地にも知らせておいた方がいい。連絡頼んだよ。」

「「かしこまりました。」」




 この時、まだ誰も気づかなかった。

 この事件が日本中の妖怪を巻き混む大きな戦いの、引き金であったことに―――

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