裏八坂祭 10
―――丸山神社境内 広場東側
「夜叉ったらあんなにはしゃいじゃって・・・。喧嘩好きは相変わらずのようね。」
北側から聞こえてきた落雷音にも似た破壊音に、みずめはあらあらといった様子で頬に手を添えた。
みずめは現在、鳥居側ではなく広場東側に侵攻してきたゲリラ集団を相手していた。
鳥居側の護りを放棄したわけではない。八重にすべてを任せたのである。というのも、八重がみずめの想像以上に強かったからだ。
『空間』を斬ることで、物理的障害を一切通さない絶対防御もさることながら、驚くべきはその戦闘能力。槍という扱いの難しい得物を手足のように使いこなし、避難所となった亜空間に近づく敵を片っ端から切り刻み、一切寄せ付けない。
正直なめていた。
神楽狸には非戦闘系が多いという通説から、強くても熊樹よりちょっと下、もしくは戦闘モードの甘夏と同等程度だろうとふんでいた。
それが実際目にしてみてどうだろうか。
(低く見積もっても近接戦じゃ蘭と同格じゃない?それどころか、妖力の相性によっちゃ蘭よりも・・・・・こりゃあ確かに、
なんにせよ、佐助をいつまでも戦線に立たせておきたくなかったみずめにとって、それは僥倖であった。
「あんたたちにとっては不幸かもしれないけど。」
みずめは咲き乱れる花畑の中心に立っていた。
正確には、植物の花ではない。花の形をかたどった炎である。
酸素を燃やす変わりに、人の生命力を吸うことで花を咲かせる炎の花。それが広場の東側の地を覆いつくさんばかりに、転がる骸骨に灯っていた。
みずめの持つ妖力は“炎”と“幻想”。
彼女の持つ“幻想”の妖力は、世界の事象に嘘を加える力。本当は「見える」ものに「見えない」という嘘をかぶせることで、対象の認識を誤らせたり、本当はそこにないはずの仮想の物体を生み出したりすることができる。
これに炎の妖力を合わせたものが、みずめの幻炎術だ。
術の仕組みは至ってシンプルなもの。“炎”の妖力によって自然の事象を書き換え、炎をおこす。さらに、炎が「酸素を燃やす」という事象を嘘に書き換えて、「生命力を吸いとる」という幻の真実によって世界に錯覚を起こさせる。その錯覚によって、世界は炎が本当に生命力を燃やしているという事象を現実世界に起こすのだ。
そうしてゲリラ兵は生命力を吸われ続け、物言わぬ
「でも、骨が残るんだからいい方よ。」
そっと足元の頭蓋骨を拾い、顔の前に掲げた。
しかし、すぐに興味を失い、ぽいっと投げ捨てる。捨てられた骸骨はからんと音を立てて、真っ白な山に埋もれてしまった。
◇◆◇
―――丸山神社境内 広場北側
「おいおい、この程度で一掃ったあなさけねえなあ。」
夜叉の目の前には焦げた地面と巻き添えを食らい、焼け折れた木々が広がっていた。そこに人の姿はどこにもない。帯電した空気が未だにパチパチと閃光を散らしていた。
広場中に轟いた轟音の正体は、夜叉の放った術が起こした衝撃波によるもの。
一撃。
たった一撃で木の葉のように千もの命が吹き飛んだ。
「大陸からのお客さんというんだから、ちっとは骨があるとは思ったんだが、そうでもねえのな。」
殴り込みにでも来た暴れん坊のような軽い調子で、先ほどまでゲリラ集団がはびこっていた所に夜叉は歩み寄る。
普段の人当たりの良い兄貴肌はなりを潜め、夜叉は冷めた目で灰を踏みしめた。
「喧嘩にもなりゃしねえ。」
千人の武装集団でさえこの妖怪の足元には及ばない。それどころか、一国家の軍でさえ相手にされるか分からない。
一人で戦略級兵器と同等の戦力。それが三大妖怪が一柱、大江山の酒呑童子。
かつて京の都を火の海にし、人間・妖怪の双方から畏れられた最強の妖怪だ。
「ったく、宴が台無しじゃ。後で黒羽達と飲み直すかのお。」
こきこきと首を鳴らし、夜叉は西側に目を向ける。
向こうではまだ戦っているようだが、もうすぐ終息しそうだ。美味しいところは愁達に持ってかれてしまったし、ここで夜叉が出張る必要はない。
(だが、あの馬鹿は肝心なところで抜けてっからな。)
刀を鞘に納めず、肩に背負ったまま、夜叉は林の中へと進んだ。
◇◆◇
むせかえるような血の匂いに、北斗は顔をしかめた。八重の空間断絶は物理的な障害はすべてはじくが光や匂いは防いでいないようで、戦場の様子がダイレクトに伝わってくる。
(山火事の中にいるみたいだな・・・・・。)
妖怪の血の匂いと人間の血の匂いは全く違う。濡れた鉄のような匂いの人間の血に比べて、妖怪の血は燃え尽きた灰のような匂いがする。
今この場に充満しているのは嗅ぎなれない、前者の方だった。
妖怪達の奮闘、主に酒呑童子と九尾の狐の活躍によって戦況は完全に覆された。今やゲリラの集団は最初とは比べ物にならないほど数を減らし、妖怪が圧倒している。
『刀の時代は終わった。』
歴史上の出来事の一つである、戊辰戦争において、かの新選組副長・土方歳三が言ったとされる言葉だ。
この戦いで外国製の銃火器の圧倒的な火力を前に、刀を握った武士たちがどのような末路を辿ったのかは言わずもがなだ。
だが、どうであろうか。
閃光が閃き、アサルトライフルが木っ端微塵に吹っ飛んでいく様を見てもなお、胸を張ってそう言えるかと言われたら口をつぐんでしまう。
酒呑童子がたった刀一本で、数千人はいるであろうゲリラ集団を一人で相手にする姿は、もはや一方的な蹂躙と言っても過言ではない。妖術という人間にないアドバンテージこそあれ、純粋な剣術でも彼はアサルトライフルの一斉掃射とも渡り合っていけそうだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、北斗はふと、昔見た景色を思い出した。
初めて彼が妖怪というものを見たのは、尾が二つに分かれた猫と、
だが、それ以上に。
その世界に魅みせられた。意のままに動く木の葉と、それを飲み込む炎の乱れ舞う景色に。爪と刀が交錯し、白い火花が散る景色に。
自分の身に危険が迫っていることも忘れて、幼い北斗はその幻想的な光景に、目を奪われていた。
「・・・せっかくの夜祭りが、大変なものになってしまいましたね。」
唐突に呼びかけられ、北斗は物思いから意識を浮上させる。
「吉祥寺本因坊名人。」
いつの間にか、佐助が隣に立っていた。
驚いていると、何かに袖を引っ張られていることに気が付く。ちらりと横目で見ると、影月が袖口を噛んでいた。どうやら引っ張って間接的に知らせようとしてくれたしい。それにすら気づかなかったとは相当集中してしまっていたようだ。
目上の相手、あろうことか尊敬する人物を無視してしまったという失態に、北斗はを自分を叱咤する。
「佐助で構いませんよ。呼ぶのが長ったらしいでしょう。」
しかし、自分に気付かなかった年下に対し、佐助は気を悪くすることなく親し気に話しかけてきた。
その朗らかな笑みに北斗は少しだけ肩の力を抜く。
『吉祥寺佐助』
中学生でプロ入りし、以来全勝無敗。史上最年少で七冠を達成し、現在もタイトル保持をし続けている稀代の天才だ。その偉業とも言うべき驚異的な戦績はテレビのドキュメンタリーで何度も取り上げらている。
自分よりも数周り年上を相手に一切動じず、盤面上で繰り広げられる激しい頭脳戦に子供の○×ゲームでもするかのような涼しい表情で向かう精神力。実年齢に合わない、何百年もの時を生きた
はっきり言って、佐助は北斗にとって半分妖怪と同類に分類されていた。そのため、いなりの父親だったと判明した時には、驚くよりもむしろ「やっぱりそうか。」と思ってしまったほどだ。
しかし、実際本人と会話をしてみると随分印象が違う。もっと堅苦しい修行僧のような人物を思い描いていたのだが、なんというべきなのだろうか、想像していたよりもずっと人間らしい。物腰が柔らかく、その目は
まだ出会ったばかりだというのに、北斗の佐助に対する警戒心は氷を解かすようにゆるんでいた。
「では、吉祥寺さんと呼ばせていただきます。」
さすがに佐助さんは馴れ馴れしすぎると刹那の熟考の末、北斗は間をとることにした。
佐助はそれに満足そうにうなずく。
「八重さんのおかげで私が表で出しゃばる必要がなくなったので引っ込んでいました。ちょうど君を見かけて声をかけたというわけです。」
八重の作ってくれた結界の中には非戦闘系の妖怪(
「君には娘と仲良くしてもらっている縁がありますから。」
「いえ!どちらかといえば自分の方が仲良くしてもらってるというべきで・・・。」
佐助の言葉を北斗は勢いよく手を振って否定する。
謙遜などではなく、本心からだった。
いなりや愁、黒羽との出会いは決して穏やかとは言い難いものだったが、今では気の置けない大切な友人である。妖怪が見えるという特殊な体質から人間同士の輪の中から孤立気味だった北斗にとっては、生れてはじめてできた親友とも言うべきだ。仲良くしてもらっているどころか命までこの間救ってもらったばかりである。
「俺の方がずっとお世話になってます!」
動揺した北斗の慌ただしい返答に、佐助はくすくすと笑みをこぼす。
「どちらにせよ、仲がよさそうで何よりです。」
安堵した、とでもいうように佐助は肩をすくめて見せる。
しかし、その直後。
すっと、佐助の表情が変わった。
「ところで、北斗君」
それは、テレビでよく見ていた『吉祥寺本因坊名人』としての顔。
冷ややかな、全てを見透かすような瞳が北斗を射抜く。
「妖怪は怖いですか?」
唐突な問いに、北斗は目を見張った。
「なぜ、そんなことを。」とは問い返せなかった。
誤魔化させはしない。佐助の纏う空気が言外にそう伝えてくる。
びしびしと肌を凍りつかせるような
「・・・・・正直にいえば、怖いです。」
たっぷりと間をおいてから、北斗は口を開いた。
佐助は黙って聞いている。
「俺は自分の特殊な体質から妖怪から常に狙われています。いつ喰われるか分からない、いつ死ぬかわからない。妖怪は、俺にとって迫りくる恐怖のような存在です。」
幼い時に見た、
あの後、結局勝ったのは猫又の方だった。そして、猫又は北斗めがけて飛び掛かってきた。
犬鳳凰の喉笛に噛みつき、血しぶきを顔面に浴びた顔が間近に近づいてくる。
猫又の顔は狂喜にゆがみ、口からはだらだらと唾液が溢れていた。焼けた灰の匂いがむわっと、顔の前で広がる。
今でもはっきりと覚えている。いや、忘れることができない。
北斗はその瞬間に初めて、彼等が争っていた理由がどちらが自分を喰うかで争っていたことに気づいた。
鋭い牙が眼前に来た時。
北斗は白と黒の狗の妖怪に助けられた。
それが陽光、影月との出会いである。それから彼等から、神巫が妖怪にとって喉から手が出るほど欲しい食べ物であると知った。
その事実を知ってから、一段と妖怪と遭遇するようになったのは気のせいではないだろう。自分が意識していなかっただけで、数多くの妖怪が自分を狙っていたのだ。
いつ、どこかで、誰かが自分を喰おうとしている。
百の
「でも、俺を今までそういう驚異から守ってくれてた奴らもまた、妖怪なんです。」
多くの妖怪に喰われかけた中で、北斗はたくさんの妖怪と出会った。その中には自分に好意的に接してくれるような妖怪もいた。それどころか、助けようと手を指し伸ばしてくれるような者まで。
「人間の、しかも妖怪から命を狙われている俺が言うのはおかしいかもしれませんが、俺は妖怪が好きです。」
ぴくりと、佐助の整った眉が微かに上がる。
じっと凝視していたない分からないくらいの微細な変化だったが、それでも佐助が北斗の言葉に意外感を感じているのは明白だった。
「俺は自分の信じるものを信じます。だから、たとえ恐怖を感じたとしても、彼等を恐れることはないです。」
北斗はまっすぐに、佐助を見つめ返す。
佐助はただ黙って、その言葉を受け止めていた。
「・・・・・・それが聞けて良かった。」
ため息とともに吐かれた言葉は、ひどく落ち着いていた。
佐助は北斗から目をそらし、俯く。
「君は昔の私によく似ている。」
小さな、囁くような声だった。だが、北斗にははっきりと聞こえた。
その声音は穏やかでいて、優しく、ひどく寂しげなように感じられた。
「どうか、その思いを失わないでください。それが、彼等のためになるのだから。」
再び佐助が顔をあげた時、勝利を宣言する妖怪達の歓声が空気を震わせた。
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