裏八坂祭 8

 風を切る音よりも一歩遅れて、木の葉を踏み分ける音が響く山林内。

 白い霧が立ち込める中で黒羽が上空から先導し、それに続く形でいなりと愁が山道を駆け下りる。途中崖のような場所があるが、人目を忍ぶ必要がない現在。妖怪としての身体能力を存分に発揮して、文字通り三人は飛ぶように駆け抜けていた。


「おい!もうかなり走ったけどよ、どこまで行きゃいいんだ!」

「あともう少し。そこを右!」


 入り乱れる木々の間をつばめのように避けながら黒羽は宙を旋回して案内する。それに従って、いなりと愁も地面を蹴った。


「見えた。あそこだ!」


 林を抜けた先。開けた視界に飛び込んできたのは三人の男。まだこちらに気づいていないようだ。

 前方にスーツをきた壮年の男と大学生くらいの青年が二人で会話しており、その後ろには人間のサイズからかけ離れた大きさの巨大な男がいた。


「前二人は私が。」

「援護する!」


 短い、作戦立案とも言えぬ会話を交わし、愁、いなりが飛びだした。

 いなりの炎尾えんびがのび、前方に立っていた男二人を弾き飛ばす。後方にいた巨漢の男がそれに気づいていなりめがけて拳をふりあげたが、それをさせじと愁の刀が巨漢の男の腕に食い込む。だが、刀は皮膚と筋肉までを切っただけで、腕ごと落とすには至らない。


「お前の相手は俺だよデカ物!!」

「へえ、威勢のいいガキだな。」


 巨漢の男が黄ばんだ歯をむき出して笑う。その笑みに危険を感じ、愁は咄嗟とっさに刀を引いて男の腕を蹴る。そして、後方に一回転しながら距離を取った。

 直後、男は愁がさっきまで斬りつけていた腕を地面にめがけて振り下ろす。

 バゴンという陥没音がして、振り下ろされた拳を中心として地面が割れる。一泊遅れて突風がなぎ、いなりを吹き飛ばした。


「ちっ。」


 風にあおられたことで二人を抑え込んでいられない。判断するや否や、いなりはすぐに態勢を整えて地面に着地した。


「なぜ我々がいることがバレた。」

「そんなの今はどうでもいいでしょう。やんなきゃいけないことは変わってない。こいつらもまとめてぶっ殺しゃいいんです。」


 いなりの尾から解放された二人の男。愁が相手している男のような規格外の肉体を持っている、というわけではないが、見た目に反して相当の耐久力を持っているようだ。かなりの火力で抑え込んでいたはずだが、どちらもダメージというダメージを受けていない。


睚眦ヤジ、お前は狴犴ビアンの援護をしろ。」


 スーツの男が睚眦と呼ばれた青年に指図をする。

 だが、睚眦が動きだすよりも先に黒羽のつむじ風が睚眦のいく手を阻んだ。つむじ風はそのまま速度を増し、刃となって睚眦へと斬りつけた。睚眦は風の刃から逃れるように樹上へと飛び上がる。


「させないよ。」

「へえ、やってくれるじゃん。」


 樹上へと飛び上がったことで、空中を飛ぶ黒羽と対面する睚眦。


「睚眦!」

「よそ見しないで頂きましょうか。」


 上を仰いだスーツの男の顔面に、いなりの炎尾が殴り掛かる。

 男はそれを一瞥すると、首をすこしそらして避けた。空気中に残る炎の残滓は、狐火となっていなりの傍へと戻ってくる。


「小娘、後悔するなよ。」

「その言葉、そのままお返しします。」


 この言葉を皮切りに、広場と離れた山中にてもう一つの戦いの火蓋ひぶたが切られた。




◇◆◇




―――vs.黒羽side


 がさがさと木の葉や小枝を散らしながら、睚眦ヤジは枝から枝へと飛び移る。

 その目は自分の先を飛ぶ、黒い翼の主を捉えていた。


「ねえ、随分逃げてばっかだけどいいのかい?」


 黒羽は対峙してからずっと逃げてばかりだった。

 時折遠距離攻撃を仕掛けてくるが、全てあらぬ方向へ飛んでいく。睚眦は未だに攻撃という攻撃を受けていなかった。

 追い続けて体力を削るのもいいが、流石に飽きてきた。戦闘ならもっと楽しまなければ。もっと血肉わき踊る殺戮を、自分は望んでいる。

 そろそろ余興もいいだろう。

 睚眦はぺろりと唇を湿らす。そして、勢いよく枝を蹴った。

 バキリと踏み割った音がしたときには既に、次に着地した枝が折れている。先程とは比べ物にならない、目にも止まらぬ速度で樹上を駆ける睚眦に、黒羽はさらに複雑な動きで木々の間を縫うように飛ぶ。


「君、近接戦が苦手だろ?」


 嘲るような問いに黒羽は何も答えない。

 それをいいことに、睚眦はさらに声高に続ける。


「だからこうして距離を取って俺を近づけないようにしてるんだろう?でも残念だったな!お前のそのあらっぽい術は俺を捉えることはおろか、当てることすらできていないんだもんなあ!当てられたとしても、俺はそんな切り傷程度じゃ死なねーよ!」


 林内に響く、睚眦の高笑い。隠していた本性を現し、顔をゆがませて甲高い声をあげるさまは不気味な狂人以外の何物でもない。


 龍生九子が一人、睚眦がいさいは殺戮の権化。

 贔屓ひきのように特別な術を持たない変わり、その膨大な力は全て身体能力へと加算される。簡単に言ってしまえば、彼の身体能力は常人の10倍。軽く小突くだけで岩を砕き、手刀で大木を両断する。戦闘能力だけをみたならば、黒羽を凌駕していた。


 睚眦はどんどん追い詰めるように、黒羽との距離を縮めていく。

 苦し紛れの一発のように見えた攻撃も、また横にそれて木に当たる。


「ほら、また外れた!」

「それはどうかな?」


 ようやく黒羽が発した一言に、は?と睚眦が首を傾げた時。

 バキバキと脇の方で何かが折れる音がした。それも、複数の巨木が折れる音である。


「近接戦が苦手なのは否定しないよー。そもそも君とやりあうだなんて露ほど思っていないしさー。でもねえ、僕、射撃は得意なんだ。」


 大木が両側から折れて倒れてくる。しかもそれは一本や二本だけではない。何十本もの巨木がドミノ倒しの要領で睚眦の頭上へちょうど来るようになだれこんできた。


「だから、ちょっと小細工をさせてもらった。」


 それは、ただ戦闘中に偶然起こったとは思えない正確さで。計算された駒のように大木は雪崩を引き起こす。

 黒羽はただ逃げていたのではなかった。この大木の雪崩に、味方が巻き混まれるのを防ぐため、できる限り二人から離れた場所に睚眦を誘導していたのである。


「君が愚者でよかったよ。」


 ―――初めから木を俺にぶつけるために術を放っていたのか・・・・・!?


 しかし、その悲鳴とも断末魔とも言えぬ叫びは巨木の崩落音にかき消された。

 

 大木が止まり、土煙が晴れる中。

 乞うようにさし伸ばされた手が大木の隙間から伸びていた。




◇◆◇




―――vs.愁side


「ふん!」

「かってえなあ!クソッ!!」


 もう何度目かとなる刀と拳の殴り合い。

 碧電がほとばしり、拳に取りつき電流を腕に流し込むが、男はびくともしない。

 人喰い熊のような男―――狴犴ビアン。ぎらぎらと光る目は、まるで獲物を求める獣のよう。防具を何一つ身に着けていないが、その体は愁の攻撃を全て防ぎきっていた。そして、刀はおろか、雷すら通さぬ強靭な筋骨。素手で渡り合う狴犴を前に、愁は攻めあぐねていた。


「軽い。」


 狴犴は腕をまるで蠅を振り払うように刀を受けたまま振りぬいた。

 ごうと、風を切る音をたてて愁は背中から木に激突する。


「がはっ!」


 肺から空気が押し出され、ひゅうっと喉が鳴る。

 普通なら内臓がひしゃげていてもおかしくない衝撃だ。しかし、そこは愁。受け身を取り損ねてまともに背中を強打したが、骨は折れていない。

 愁はすぐに態勢を整えて刀を握り直した。


「ほお、俺様の『剛万力ごうまんりき』を受けて立ち上がるとは頑丈な奴だな。」

何力なんりきか知らねーがよくもやってくれたなデカ物!」


 昏倒しかけた脳を叩き起こし、愁は力を振り絞る。

 しかし、体力配分を考えずに全力で一撃一撃を繰り出してきたため、立ち上がるのすら困難なのが本音だ。もはや根性でこの場に立っているといってもいい。


「こりねえな。」 


 狴犴は刀を握りしめて自分と向き合う少年を見て頬をかく。

 何度やってもあの少年は自分には勝てない。それはもう、幾度となく交わした刀と己の拳から理解した。


 武器を使うのにはメリットとデメリットがある。

 武器―――それは、戦闘で使う兵器のこと。刀や剣は鋭く、よく切れる。弓矢ならば遠くから相手を射抜ける。槌ハンマーは砕くことができる。戦いの中で生身の肉体よりもスペックの高い道具を使うことは、昔から重要視されてきた。

 その一方で、道具を使うというのは動きが制限されるということ。刀は切ることしかできず、横から衝撃を与えられれば簡単に折れる。弓矢は狙いに当たらなければ意味がない。槌はそれよりも固いもので防がれてしまえばただの重い荷物だ。

 ならば、戦闘において最も使える最高の道具はなんだろうか。

 答えは己の肉体、筋肉だ。

 重い武器にもつは一切いらない。ただ、純粋な暴力。それこそが最高の道具。


 だから、狴犴は鬼の少年に失望した。

 力を司る狴犴へいかんにとって、相手の戦闘能力を読み取ることは操作もない。そうして覗きみた彼の肉体の潜在能力ポテンシャルは素晴らしかった。ひょっとすれば、自身に匹敵するのではないかと思うほどだ。

 にもかかわらず、彼は刀を持ち、挙句の果てに小賢しい術を使っている。剣術はそこそこで、ただ力任せに振り回しているだけ。その力すら最大の出力を出せていない。

 中途半端なのだ。なんという宝の持ち腐れであろう!

 狴犴ビアンはすっかり熱の冷めてしまった拳をほどき、その場に棒立ちする。やれるものならやってみろという、あからさまな意思表示を、狴犴は愁に示したのだ。

 ただしそれは、絶対にこの少年が自分を殺せるはずがないという確信からでたものだった。


 そして、一方の愁はそれを見て、記憶の中で狴犴の態度をある人物と重ね合わせていた。

 自分が必死に刀を当てているのに、意にも返さない。妖術を当てても、びくともしない。さらに、それをあざ笑うかのように圧倒的な力を見せつけてくる。そうしていつもコテンパンに負かしてくる男と。

 『半端じゃ半端。これじゃあ何本打ってきたところでただのありっこの小便よ。いいか、わざっつーのはなあ、こうやるんだよ愚鈍ぐどんめ!!』

 何十回、いや、何百回その男にはったおされてきただろう。悔しくて、何度起き上がり立ち向かってもすぐに地面をなめさせられる。

 思いだした途端、愁の中で何かがキレた。胃がひっくり返るような苛立ちを感じ、刀を握る力が増す。


「ごちゃごちゃうるっせえんだよ糞爺がぁ!!」


 狴犴はぞわりと悪寒を感じた。冷や汗が噴き出し、本能的に構えの姿勢をとる。

 背筋に牙を立てられたような感覚。生まれて初めて感じる死の恐怖。


 ―――このままでは、喰われる・・・・・!


 しかし、次の瞬間。

 狴犴は倒れる己の体を見た。


 雷術―――獅子威ししおど


 移動速度を斬る力に転換する技。ゆえに、速いほど刀を入れる力は増す。ただし、速いだけではいけない。無駄な力を抜き、妖力を術へと転換させる流れを滞らせないことが重要になる。

 これは、ゴリ押しの力業ばかりの愁が今までもっとも苦手にしていた技であった。しかし、体力が限界に近づいて無駄な力を出せなくなった土壇場で、無意識のうちに愁はものにしたのだ。


「あんの爺・・・今に見てろよ。いつか首もぎ取ってやらあ・・・・・って、あり?いつの間にこいつ死んでんだ?」


 なぜか首だけになった狴犴を見下ろし、刀を握りしめたまま、力尽きた愁はその場に倒れこんだ。 




◇◆◇




―――vs.いなりside


 いなりは静かに目の前の男―――蚣蝮バーシアを観察する。

 強烈な印象を受けた他二人に対し、この男は特にこれとった特徴がない。しいてあげれば、目元に刻まれた皺から神経質そうな印象を受けた程度だ。しかしその瞳は油断なく光り、隙が無い。

 また、何よりもいなりが身近で感じる妖力と全く系統の異なる妖力を持っていることから、この男達が横濱で敵対した妖怪売買の組織の幹部だということは見て明らかだった。


(ならば、容赦はしない。)


 いなりはなんの予備動作なしに妖術を発動させた。


 炎術―――薄梅雨すすきつゆ


 いなりの周囲に現れたのは数本の炎の矢。いなりが手を振り下ろすと、その矢は一斉に蚣蝮めがけて飛んでいく。

 だが、その矢は蚣蝮の目前で水の壁に阻まれた。


 いなりの前に立ちふさがった男、蚣蝮は、いや、蚣蝮はかは龍生九子の一頭であり、水を自在に操る妖獣。彼にかかれば空気中にわずかに含まれる水を増加させ、手足のように意のままに動かすことを可能にする。

 

「私の術が司るのは五行のうち水―――火のお前の術では私に勝てん。」


 水の壁は鋭い牙を持つ水魚へと形を変え、いなり目掛けて宙を泳いだ。

 矢のように直線的な動きではなく、追尾式で動く水魚。木々を盾に避けるが、液体でできた魚群を防ぐことはできない。魚群はばしゃりと流動体に戻り、何事もなかったかのように形をとり戻す。


(当たるまで追いかけてくるか。)


 とすれば、逃げ続けても埒が明かない。

 いなりはブレーキを踏んで魚群と向かいあう。そして、がちがちと歯をかちうつ水魚めがけてもう一度火矢を放つ。


「無駄だ。」


 水魚は群れから分散し、一斉にいなりに火矢にかかる。

 だが、火矢は飲み込まれることなく水魚と真正面からぶつかり合い、小規模な爆発を起こした。互いの妖力が拮抗し合い、純粋な妖力となって爆ぜる、科学的に言うと、水蒸気爆発を起こしたのである。


「何!?」


 予想に反する展開に、蚣蝮は思わず声をあげた。すぐに慌てて白煙で見失ってしまったいなりの姿を探す。

 しかし、そう時間がかからないうちに彼女の姿は見つかった。


「土は水に強く、火は水に弱い・・・・・五行思想と言いましたか。大陸ではそのような考え方をするようですが、生憎こちらは小さな島国なものなので、そちらの術形態は通用しません。」


 いなりは変わらぬ場所にたたずんでいた。

 変化しているのは、彼女の頭上に浮かぶ先程よりもはるかに多い数の火矢。それはもはや、矢ではなく無数の炎弾だ。


 広範囲炎術―――妖炎乱舞ようえんらんぷ秋霖しゅうりんまい 


「一騎打ちといきましょう。」


 うたうように言い、いなりは手を掲げる。

 蚣蝮はへたりと座り込んだ。

 こんなのに勝てるわけがない。どう足掻いても、死力を振り絞っても、見えるのは自分が死ぬ未来だけ。


 同胞たちの中で、蚣蝮は強い方であった。応用の効く自身の術は、肉弾戦を得意とする狴犴や睚眦に押し勝つほどだ。

 しかし、蚣蝮は負けた。自分が小娘だと侮ったこの少女は、自身を遥かに上回る強者だったのだ。

 死刑宣告を受けた囚人のように真っ青に青ざめた顔で、蚣蝮は何か言おうとした。

 しかし、わなわなと震える唇が紡いだ言葉は、降り注ぐ炎の雨によってかき消された。

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