横濱事変 後日談

◇◆◇




「ぶえっくしょい!」 


 校外学習の翌日。

 雲一つない、台風一過のような晴天の下。のどかな田舎高校の教室で、盛大なくしゃみが響く。


「わーお、良いくしゃみー。」


 ずるずると鼻水をすする愁に、さりげなくティッシュを渡す黒羽。愁は無言で何枚か抜き去り、勢いよく鼻をかむ。

 病気、怪我に無縁そうな愁ではあるが、今日ばかりはティッシュ箱と塵箱が机の上を占領していた。


「風邪ですか。」 

「馬鹿は風邪ひかないはずなのにねー。」

「誰が馬鹿だ!元はといえばお前のせいだろ。」



○●○


 ―――遡る事、昨夜まで。


 冗談を真に受けたいなりを阻止せんと、黒羽が気流操作を止めたことにより、愁はいなりの真面目な人命救護活動を受けることなく海へ真っ逆さま。海の恵みを全身で受け止めた愁は最終的には正気を取り戻すことに成功し、黒羽の首の皮が一枚つながったのだった。

 北斗は陽光・影月と感動の再開を果たし、四人は無事にそれぞれの帰路へとついたのである。


 だが、全てが丸く収まったわけではない。

 大騒動に巻き込まれたいなり達だったが、全てこれは公にならない裏の世界の話。表向き五人は校外学習で観光に来た高校生であり、その行動は学校側にチェックされている。

 本来ならば決められた時間内に集合場所に戻らなくてはならなかったが、ガン無視して終電帰りをした五人。いなりとしては一応学校側に連絡(という名の一方的な事後報告)を入れたつもりだったが、駄目だったらしい。三人仲良く空き教室に呼び出されて説教を受ける羽目になったのが、今日のHRでの出来事である。

 ちなみに、北斗は怪我の治療のため病院へ行っているため欠席だ。陽光と影月も妖力と怪我の回復のため、一日神社の狛犬本体で休養を取っているらしい。

 そんな心も体もアンニュイな状態で乗り切らなければならない週はじめ。天気とは裏腹に、三人の調子は実に覇気のないものであった。



○●○


「でも、まさか黒羽が三大妖怪だったとはな。」

「あははは、別に隠してたつもりじゃないんだけどねー。」


 愁のせいであやふやとなっていたことだが、帰りの電車内で黒羽はあっさりと肯定した。

 三大妖怪のうち一柱であり、現・東の四大妖怪―――鞍馬の烏天狗 黒羽

 それが黒羽の妖怪としての本当の姿である。

 元々の彼の本拠地は鞍馬山であるが、東の地を司ることとなり今は高尾山を別邸として移ってきたそう。

 本人曰く、


『僕は目立つのとかあんまし好きじゃないし、人心掌握とかも正直興味ない。だから、表向きの仕事を全部部下に押し付けていたんだけど、いつの間にか噂が一人歩きをして今の東の四大妖怪像が出来上がっちゃって、そのまま引退時期逃しちゃった感じなのさー。全く、やれやれー。』


 だそうだ。婚期を逃したOLのように語ってくれた。

 こんな軽々しいものでよかったのか疑問だが、それを突っ込むことのできる人物は生憎この場にいなかった。

 いなりはふと、誰も座っていない斜め後ろの席に目を向ける。愁の隣のその席は、丸めたティッシュに埋もれていた。


「本当に帰ってしまったんですね。」


 ポツリと、いなりが呟く。

 一時限目が始まるまでのこり三分ほど。だが、八重の姿は教室内のどこにもなかった。  



○●○


 愁を海から引き揚げた後のことである。別れは突然訪れた。


『うちは目的も果たしたことやし、西に帰るわ。』


 八重の東に来た目的は、誘拐された西妖怪の奪還。目的を果たした今、彼女が東に残る理由はどこにもない。そもそも、彼女は西の四大妖怪だ。この地にいること自体おかしい。

 忘れていたわけではない。だが、妙に胸の内が寂しくなった。



『またな、お前ら。』


 いなり達の言葉を待たずに、八重は本性に姿を変えて颯爽と闇の中に消えてしまった。



○●○




 あっけない別れとなってしまったが、さっぱりした性分である彼女らしいと言ってしまば彼女らしい。


「ま、どうせ向こうで彼奴なりに暴れてんだろ。」

「目に浮かぶねー。」


 懐かしむように口々に喋っていると、がらりと教室の前方の扉の開く。一時限目の教科担任が入ってきたようだ。

 だが、それと被ってもう一人の足音。


「おっはようー!」

「「!?!?!?」」


 チャイムが鳴ったと同時に、聞き覚えのある明るい声が入ってきた。


「「「八重!!??」」」


 視界を横切る長いポニーテールに、三人が一斉に振り返った。


「おま、お前、帰ったんじゃ・・・・・」



 愁がぷるぷると震える指先を向けたその先には、ここにいるはずのない八重の姿が。ポリポリと頭を掻きながら、ゆうゆうと愁の隣の席に腰掛ける。

 教科担任とクラスメイトの痛い目を気にせずに、三人は八重に質問を投げかけた。


「どうしたんですか?」

「いやー、西から追放されたんよ。」

「「追放!?」」


 茶目っ気たっぷりにぺろりと舌を出す八重。だが、内容は全然笑えるものではない。

 妖怪と一口に言っても、数多の種類がある。烏天狗、鬼、妖狐・・・・・これらは共通の特徴を持った妖怪同士をまとめた“種族”にすぎない。

 だが、時に別の名を冠する者が現れる。

 一条戻橋の橋姫、信田の狐、牛久沼の河童・・・・・このように、その土地の名と結び付けられ、個々を判断できるようになった妖怪はその“名”から畏れられ、敬われる。大妖怪と弱小妖怪の差はここから生まれる。

 鞍馬の烏天狗というのも同様だ。の四大妖怪であるのに、鞍馬というのは少し違和感があるが、変わらずにそう呼ばれ続けるにはそういう理由がある。

 すなわち、妖怪にとって土地というのは切っても切り離せない縁があるということだ。土地を追放されるというのは、そうした“名”を剥奪はくだつされたに等しい。人間でいうと、名家のご令嬢が突然路頭に迷うホームレスになったようなもの。

 だというのに、何故も八重はへのかっぱなのだろうか。普通なら絶望の陰り一つか二つあるようなものである。


「正気ですか?」

「いや、掟破ってる時点で正気じゃねえとは思っていたけどよ・・・・・。」

「とんだじゃじゃ馬娘だー。」


 開いた口が塞がらない、と言うのはまさにこのことを言うのだろう。


「ま、そういうこっちゃ。引き続き、よろしゅう頼むわ。」

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