裏八坂祭
夏休み前
校外学習から早二週間。梅雨明けと共に気温はみるみる上昇し、季節は本格的な夏を迎える。
いつもの面子も刺さるような日差しに白旗をあげ、恒例となった屋上での昼食を断念して冷房の効いた食堂の一角に集まっていた。
「なっつ休み!なっつ休み!あと二時限で、なっつ休み!!」
「元気ですね。」
「見てるこっちが暑苦しくなるよー。」
愁の異常なハイテンション。それは、一学期末に行われた期末テスト結果が原因していた。
一学期期末テストで赤点を三つ以上取った場合、夏休みは補習地獄。それが八坂高校の教育方針である。成績の悪い愁にとって最大の危機が訪れていた。
だが、なんと今回のテストで愁は赤点を全て回避。一カ月と少しある長期休暇を勝ち取ったのだった。
奇妙な音頭をとりながらはしゃぐ愁を放置し、他の四人は黙々と昼食を食べながら会話を続ける。
「でも、あの愁をあそこまで引き上げた北斗がMVPだよねー。」
「別に大したことはしていない。」
愁の功績は北斗の根気強い教えと丁寧な解説の賜物であった。黒羽やいなりのように容赦なく突き放すことなく、北斗は熱心に愁を教えた。それでいて、今回のテストでも一位を勝ち取るという冗談抜きの神業をやってのけたのである。
なんでも北斗は一度見たら忘れないという特殊な記憶能力を持っていたようで、テスト勉強はほとんどいらないらしい。学業が仕事である学生からしたら、暗記シート・単語帳いらずのなんとも羨ましい才能である。
ただ、この事が判明したのはほんの些細なきっかけであり、北斗が自ら公言したわけではない。むしろ本人は何かズルをしているようで、罪悪感を感じるのだそう。他人から見れば喉から出るほど欲しいものだが、手に入れた者からしたらそうとは限らないようだ。
「傷はもう大丈夫ですか?」
「ああ。」
いなりはさり気なく北斗の腕に視線を動かした。細い線のような痕がうっすらと見える。以前までは包帯で覆われていたところだが、もうほとんど治っている。それを確認し、いなりはほっと胸をなでおろした。妖怪であるならばここまで心配しないが、人間というのは非常にもろい。多少の傷で命に関わるようなことにもなる。
安堵したと言っても、いなりの生来の
不快な思いをさせてしまったかと思い、いなりが謝罪する。だが、いなりに頭を下げさせるつもりなんてなかった北斗は飛び上がって(実際椅子から二センチほど腰が持ち上がっていた)それを慌てて制止した。
なぜか動揺している北斗にいなりは疑問符を浮かべたものの、理由がわかるはずがない。何故か後ろで陽光ががっかりしていた気がするが、気のせいだろう。
そんなこんなのやり取りをしていると、斜め横から苦し気なうめき声が聞こえてきた。
目を向けてやると、愁の隣で八重がむせていた。食堂の配膳食を既に食べ終え、水で喉を潤していたようだ。
「すまんなあ。ちょいおもろかったもんやさかい。」
横濱での一件で、四大妖怪という立場を下ろされた上に西の地から追放されてしまった八重。寝床を失った彼女は今、八坂高校の学生寮で一人暮らしをしていた。
掟を破った罰は大きいとはいえ、これはいささかやり過ぎなように思われる。実際、八重の処遇は様々な思惑が織り交ざった結果であった。
実のところ、八重は一般妖怪からの支持は厚かったが、古くから西で権力を有する大妖怪一派からは批判的な目を向けられていた。前に一度話していたが、彼女はいわば平からの叩き上げである。古狸達からしたら目障りな存在であった。
どうにか厄介払いできないかと彼らが頭を絞っていた中、棚から降ってきた
なんとも泥沼な展開だが、当の本人は露にもかけていない。むしろ東の地にかなり馴染んでいるし、自由気ままな今の生活を気に入っているそうだ。強かというか、順応力が高いというべきか。
「面白かったですか。」
「そら勿論。」
ニパッという効果音がするような笑い方でいなりに笑いかけてくる八重。何か面白そうな玩具を見つけた子供のような笑顔である。
だが、北斗が恨めし気に睨んでくるのに気づくと、何事もなかったかのように話題を変えた。
「そういやあ、夏言えばこっちでももうすぐやん?」
八重の新たな話題振りはこの場の空気を変えるのに適切だった。今まで会話に加わらず、楽しそうに傍観していた黒羽を引き込み、半ば狂喜乱舞にさしかかっていた愁を現実に戻した。
「ああー、もう裏八坂の時期か。」
「そういえば一週間前でしたね。」
「げー、最悪ー。」
三者三様の反応を見せる愁、いなり、黒羽。何の話かついていけなかった北斗は三人の顔を見回し、首を傾げる。
「八坂祭りのことか?」
「あー、惜しいねー。」
八坂の街には夏に八坂祭りと呼ばれる大規模な祭りがある。地元の人間からしたら、夏の祭といえばこれだろう。だが、今回は別物である。
「要するに、
百鬼夜行―――深夜に徘徊する妖怪の群れ、及び彼らの行進のことを指す。
昔はその意味の通り、実際に街中を練り歩いていたらしいのだが、高度経済成長期を経た日本の夜は昼間のように明るい。昼夜関係なく街を行き交うサラリーマンにそのポジションを取られたため、現代で百鬼夜行を行う妖怪はめっきりいなくなってしまった。
だが、そもそも百鬼夜行というのは認知症をこじらせた老人が徘徊するように、ただ街をうろつき廻るのが目的ではない。
本来は妖怪同士の交流、及び情報交換の場であった。今のように携帯端末といった
その役割を引き継ぐ形で代わりに生れたのが、祭である。とはいっても、別に豊穣を祝う“祭り”の機能をはたしているわけではない。妖怪達が神社の境内や山など、どこか一か所にに集まって飲めや食えやの大宴会を催すのである。
この一年に一度の大宴会は東西南北の土地それぞれで催される。東の地で行われるものは
ちなみに、西では祇園祭と被るので、裏祇園と呼ぶらしい。
「分かりやすくまとめると、妖怪版社交パーリィーだよ。」
「なるほど。一発で分かった。」
ああ、と納得したようにうなづく北斗。今の一言で片づけられてしまっていいものか疑問だが、本当にそういうものである。
「じゃあさ、今年はこのメンツで行こうぜ!」
「お、ええな!」
よっしゃあと言ってバチンと手を叩き合う愁と八重。二人の圧に押され、いなりと黒羽もそれに合意を示した。
「あー・・・・・それは俺が行っても大丈夫なのか?」
そんな中、不安げに北斗が尋ねる。その不安は妖怪の集団に生身の人間が行って平気かというものからだった。
だが、すぐにその不安は払拭された。
「私の父は人間ですが、普通に参加してましたよ。なので大丈夫だと思われます。」
今でも恋人同士のような関係継続中の我が家のオシドリ夫婦を思いだし、いなりはフォローを入れる。
去年はいなりが受験という理由で参加しなかったが、それ以前は子供であるいなりですら砂糖を吐きたくなるほどイチャイチャしながら夜の祭を楽しんでいた二人。九尾の狐であるみずめが傍にいたから手を出してこなかった、という理由もあるだろうが、こちらも黒羽がいるので問題はないと思われる。
問題があるといえば、
「陽光と影月さえ反対しなければの話ですが。」
ちらりといなりは北斗のセコム、狛犬二体を見る。やはり、最後の難関といえばこの二体であろう。
『うむ、正直に申せば若干の不安要素はある。が、』
『主のご意向のままに動くのが我らの使命。最初から阻むのは無礼極まりない。』
どちらも「主一筋!」の北斗第一主義だが、その傾向は特に陽光に強い。片や影月は一歩下がった場所から北斗を見守るタイプである。
北斗に近づく妖怪は何が何でも排除思考の陽光に、横から冷水をかけて頭を冷やさせるのが影月の役割なのだろう。今も陽光はあまり乗り気ではなさそうだが、影月にたしなめられたような感じがしている。
なんとなくだが、この二体の役割分担が分かってきた。思ったよりもあっさりと許可が出たことに拍子抜けはしたが、喜ばしいことである。
「ただ、その代わりに何かお面をつけてきた方がいいよー。妖怪っていうのは案外見かけで騙せるから。」
「分かった。」
「つうか、それよりもお前の方が大丈夫なのか?」
そういって、愁は黒羽を指差さす。
愁が懸念しているのは、黒羽が友人同士の付き合いよりも四大妖怪の立場を優先しなくてはいけないのではないか、ということだった。
東中の妖怪が集まるため、裏八坂は八坂祭り以上に規模が非常に大きい。そうなると、必然的にちょっとした騒ぎとかが起こる。そういうものの抑止のために四大妖怪は出席必須で顔見せしなければならない。
「うん。部下を身代わりにして僕は毎年バックレてるからねー。今年もそのつもりだから全然オッケー。」
「・・・・・。」
道理で東の四大妖怪像が黒羽のイメージと全くかけ離れているわけである。仮にも日本最強の四柱のうち一柱、しかも三大妖怪の一柱がこんな適当な感じでいいのだろうか。
(いや、案外皆そういうものなのかもしれない。)
己の母を思いだし、いなりはこれ以上深く考えまいと頭を振った。
◇◆◇
―――中国
彼がいるのは全面に黒い壁紙が張られ、明かりは最弱に調節された薄暗い室内。彼の前方およそ三メートル先には
文机の前に座っているのは、黒髪を後ろに撫でつけた男。がっしりとした体つきで、両の耳には羊の頭部を模した巨大なイヤリングをつけている。
この男こそ、
このビルは饕酔会の本拠地であり、螭吻はその最上階室、首領の執務室でとある事件の調査報告をしていた。
とある事件―――構成員達から横濱事変と呼ばれる、忌々しい事件のことだ。
饕酔会は中国の黒社会、裏社会共に頂点に立つ中華系妖怪マフィア。市場の拡大を目指して数年前から隣国、日本で着々と根を張る準備をしていた。
しかし、ようやくその一歩として横浜に支部を置き、商売を始めようとしていた矢先のことである。横浜支部が壊滅させられたのは。
日本に送り出した全構成員及び、幹部の一角である
紙をめくる音と自分の息遣いだけ聞こえる空間は、さらに螭吻の神経をすり減らした。
ごくりと、唾を飲み込んだ時。饕餮が調査報告書を机に置いた。そして、腕を机の上に組んで螭吻を見据える。
「損害額は?」
底冷えするような、冷徹な声。喉に刃先を当てられたような錯覚に陥りながら、螭吻はなんとか言葉を紡ぐ。
「およそ千三百万
ぐしゃりと、紙を歪める音が響く。饕餮はおもむろにナイフを取りだし、それを持って椅子から立ち上がる。螭吻は慌てて扉の前からどいた。
饕餮は螭吻に目を向けることなく、扉に向けて一直線に歩む。
「東の四大妖怪、及びその関係勢力の情報を集めろ。饕酔会の全戦力を持って東の地を征服する。」
扉をあけ放った先には、通路に沿うように膝まづいた下級構成員達。饕餮はすぐそばにいた構成員の頭に調査書ごとナイフを突き刺す。
血しぶきが上がり、ナイフが赤く濡れる。饕餮はそれにじっくりと、味わうように舌を這わせた。
「
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