横濱事変 10

◇◆◇




 黒羽が贔屓と対峙していた時。

 いなり達は会場でとられられていた多くの妖怪達の解放をしていた。

 愁と八重が到着してくれたことにより、檻の破壊はそういうゆるゲーの如く進んだ。なにせ、一人の妖力は空間、もう一人は雷の妖力と馬鹿力をそなえている。彼らにとって、たかが少し太めの鉄、バターを切るよりも簡単な作業であっただろう。実際、数十はあった檻はものの三分程度で片付いた。

 そして現在。

 自力で動ける妖怪は自力で脱出。楔を打ち込まれ、風穴を体に開けられた妖怪はいなりが狐火で傷口を焼き、止血をするという応急処置が行われていた。


「コイツで最後か?」

「そうですね。」


 いなりの前にいるのは、目と鼻のない体長およそ三メートルほどの白い巨竜。古空穂ふるうつぼと呼ばれる妖怪だ。傷口を焼くという荒治療を大人しく受け入れ、されるがままになっている。

 人間と違い、妖怪の病院・お医者様というものはない。呪詛や何らかの妖術による内的損傷はあるが、基本妖怪は病気にならないからだ。そのため、こういった外的損傷は自己責任で回復させる必要がある。要するに、自然治癒である。

 すなわち、何が言いたいのかと言うと、いなり達のしていることは本当に応急の手当にすぎないということだ。この船から自力で脱出できる程度まで体を回復させることを目的としている手当であるため、後遺症が残るなどという概念は一切考えていない。そして、それは両者の暗黙の了解の上に成り立っている。

 冷たいようだが、仕方がない。負傷している妖怪の多くは大型の妖怪達であり、彼らを海上に浮かぶ船から陸へ運ぶのはかなり難しい力仕事である。むしろ、他者の力を借りることのできない妖怪の世界で、こういった対応は優しい方なのだ。


「終わりました。」


 ぽんぽんと軽く体を叩いてやると、古空穂はむくりと体を起こす。起こすといっても、手足のない身体なので、蛇が首をもたげたような格好だ。

 古空穂は感謝するように頭(と思われる部分)を下げ、ずるりと檻からはい出る。そして、おおんという咆哮を一つ。突き抜けた天井から夜空に向かって飛んでいった。


「お疲れさん。」

「ありがとうございます。」


 ようやく肩の荷が降り、緊張状態を緩和する意図も含めていなりは深く息を吐く。

 半妖怪は妖術を扱うことができるが、完璧な妖怪ではない。半の文字がつくように、妖怪として中途半端なのだ。

 その最たるものとして挙げられるのが、妖怪としての姿―――本性を人間に見られてしまうという点。そして、妖術の不安定さ。

 妖術というのは、妖力を介して自然を操る術。この時、媒介とする妖力量を火力に合わせて調節することは、半分人間であるいなりにとってかなり難しい。だから、傷口以上を焼いてしまわぬよう、全神経を集中させて挑んでいたので、使った妖力量に比べて疲労感がすさまじい。

 額の汗をぬぐい、いなりはもう一度大きく深呼吸した。


「おっし、俺らもそろそろここからだっしゅうおあっ!?」


 そんな時である。

 がたんと、地面がつき上げるような衝撃が走る。それによってステージ上の檻が倒れ、広い空間に耳障りな金属音が響き渡った。


「地震か?」

「馬鹿だな北斗。ここは海の上だぞ。海じゃ地震は起きねーだろ。」

「馬鹿はお前や。津波をなんやと思っとる。」


 スコンと槍で愁の頭をはたく八重。打てば響くようなやり取りはお馴染みのものだ。しかし、今はその漫才に気をとられている場合ではない。

 なおも続く断続的な揺れに、全員が身構えていた。

 そして、張り詰めた緊張を笑い飛ばすように、軽快な音楽が流れた。いなりの携帯端末の着信音である。

 スカートの中をあさり、いなりは液晶画面を一目確認して、微かに目を曇らせる。そのほんの些細な表情変化に気づいたものはいない。だが、妙に空いた間に皆不審そうな目を向ける。いなりはそれに応えるように、端末を軽く掲げて見せた。 

 送信者は黒羽だった。

 そういえば、船に突入してから黒羽の姿を見ていない。四人は思いだしたように振動する携帯を凝視した。そして、納得したとでも言うように一斉に顔をしかめる。彼の、少々愉快犯めいた節があること、この場にいる者は理解していた。

 いなりは、静かにスピーカーモードにして受話器ボタンをスライドさせる。

 案の定、聞こえてきたのは反省のはの字も見えない軽い調子の黒羽の声だった。


『やっほー。ごめーん、術の出力ミスっちゃった。』

「やっぱりお前のせいかこの野郎!!!!」


 語尾に「☆」とか「♪」がついてそうな勢いである。本人はいないが、スピーカーから聞こえてくる音声だけでありありと画面の向こうの黒羽の表情が想像できた。

 いなりの携帯を半ば奪うようにして目の前に張本人がいるかのように愁がまくたて、八重が呆れて冷めた目をし、北斗は悟ったように愁と携帯の行く末を見つめている。学校のある平日の穏やかな空気が五人の間(画面の向こう側も含めて)に一瞬流れるが、それは黒羽の次の爆弾発言によって霧散した。


『たぶんこの船沈没するからすぐに逃げたほうがいいよー。』


 冷水を浴びせられたどころか、オホーツク海に突き落とされたほどのショックが四人の間に走る。

 さらに追い打ちをかけるようにビシッと、嫌な音がした。周囲を見まわせば、壁にひびが走っている。壁だけではない。床の中心から円心状にひびが入っていく。


「言うのが遅いんじゃボケェエエ!!」


 放射状に広がるカウントダウンに、全員が脊髄反射で走りだした。


「八重、亜空間で足場を確保できませんか?」


 陥没していく方向と逆方向に全力疾走しつつも、いなりは極めて落ち着いた声で八重に問いかける。


「無理や!!断絶するだけならともかく、亜空間を生み出すには固定された座標が最低でも8つは必要や。それをやるんにしちゃ不安定過ぎる!!」

「絶望的じゃねえか!!」 

「爺さん、陽光、影月、俺はここまでみたいだ・・・・・。」

「先立つ不幸をお許しください。」

「おいやめろ!まだ試合は終わっちゃいねえ!!」

「試合以前にフィールドが崩壊状態です。」

「終わる以前に始まってもなかったな。」

「ここでそんな真面目な解答求めてねえよ冷静沈着組ぃい!!」

「ああもうじゃあかしいわ!!!ちゃっちゃと走らんかい!!!」


 恐怖を打ち消すべく、叫びながら走り抜ける四人。だが、それをあざ笑うかのように、がくんと足場が消えた。


「いぃいやああああ!!享年15歳は早すぎるでしょおおおおおおお!!」

「南無三!!」


 ついに床が抜け、壁が倒壊する。

 下部の機関室から入ってきた水があちこちから侵入し、濁流となって四人に襲い掛かからんとする直前のこと。

 時間が歩みを緩めた。

 目に映る世界がスローモーションで動き出す。流水の流れ、吹き飛ぶ瓦礫の破片一つ一つ、全てが鮮明に目に映る。

 続いてやってくるのは、無音。濁流の音、破裂音、悲鳴・・・聞こえてくるべきはずの音が一切やってこない。

 ―――絶対絶命。

 小学校の漢字テストでしか書いたことの内容な四字熟語。普段の生活からは無縁の言葉が、いなりの頭をよぎった。

 再び時間が元のスピードを取り戻し、音が加わった時。


「遅くなってごめんねー。」


 反射的に閉じていた目を開けると、待っていたのは地獄の閻魔でなく、いたずらっぽく笑った友人の顔だった。




◇◆◇




「いやー、間に合ってよかったよー。」


 空中でふよふよと胡坐をかきながら浮かぶ黒羽。その横で、四人の体は風のゆりかごに包まれていた。

 どうやら黒羽の術によって危ういところで助け出されたようだ。


「ありがとうございます。」


 前身のこわばりがほどけるのを感じながら、いなりは黒羽に感謝を述べる。原因を作ったのは黒羽なので別に礼を述べるどころか当たり前といえば当たり前の話なのだが、今はそれを忘れさせるほどの衝撃がいなり達の思考を占領していた。


「つうか、お前が全部これやったんか?」


 五人の遥か下では、巨大な渦潮が発生し、豪華客船を飲み込もうとしている。渦潮といっても、比喩にすぎず、仕組みはまったくもって別物だ。本来の渦潮は潮流の方向や速さ、潮の干満差の絶妙なバランスによってできるものだが、今起こっているものは、黒羽の巻き起こした竜巻によって強制的に海流を変えられたことによって発生したものである。

 大規模な範囲に影響を与える天災級の干渉力。そして、風どころか気流までを精緻に制御するコントロール能力。一般妖怪ができる芸当ではない。大妖怪、いや、四大妖怪以上の技量が必要とされる。


(まさか) 


 ―――東の四大妖怪。名前はおろか、その妖怪の種族すら知られていないヴェールに包まれた存在。ただ、その力は先代である三大妖怪がうち一柱、酒呑童子に引けをとらぬほどと言われており、彼(もしくは彼女)に反抗する者は妖怪は血の粛清を受けるという。

 元々、東の地は三大妖怪制度が始まった当初から三大妖怪の手によって統括されていた地域であり、東の四大妖怪は三大妖怪制度から四大妖怪制度に切り替わったときに代替わりが行われたとされたと聞いた。


 (そもそも、東の初代は酒呑童子ではなく、別の三大妖怪だったとしたら?)


 ―――、酒呑童子にひけをとらぬほど


 三大妖怪制度は四大妖怪制度の前身であり、三大妖怪は四大妖怪の先代にあたる。そこだけ考えれば、この言葉は嘘を言っていない。

 だが、そこが盲点だった。

 パチリと、パズルピースが繋がるように思考が一つにまとまっていく。

 この言葉は、酒呑童子が東を治めていた三大妖怪とは言っていない。ただ漠然と当たり前のことを言っているにすぎなかったのだ。

 ここから考えられるのは、一つの仮説。酒呑童子を除く三大妖怪のうち一柱と、東の四大妖怪が同一妖怪とする見方だ。

 九尾の狐は即除外だ。みずめは今は東の地に居を構えているが、昔は別の土地にいたと聞いたことがある。それがどこだったかまでははぐらかされてしまったが、東の地で一般妖怪然として生活している時点でそれは考えにくい。

 すると、残るは三柱目。確か、その妖怪は―――

 仮説から確信へ。最期のピースがはめ込まれようとしていた。


「黒羽、お前・・・」


 目をしばたきながら、愁がうわごとのようにつぶやいた。八重もまた、黒羽を信じられないという目で見ている。二人もいなり同様、この事実に気が付いたに違いない。

 いなりは、静かに愁の言葉の続きを待った。


「お前も一緒に死んじまったのか・・・・・。」

「「「「・・・・・は?」」」」


 黒羽も含めた、この場にいる愁以外の全員の声がはもる。

 たった今、出来かけたパズルをちゃぶ台返しされたような音がした。


「おい、見ろよ。すんげえ綺麗な川があるぜ。向こう側には花畑も」

「あ、やばいやばいやばい川渡ろうとしてる。あっち側に行きかけてる。」

「嘘やろ。今めちゃめちゃ大事な所やったとちゃう?」

「大事どころか結構重大な身バレの瞬間だったと思います。」


 口々に言いあう中、虚ろな目で何もない場所を指さす愁。黒羽がおーいと手を前で振るが、「爺ちゃん婆ちゃんが向こうから手を振ってるー。」と答える始末だ。魂が向こうの世界に行ってしまったまま帰ってこない。


「あ、駄目だ。これ完全に目が逝っちゃってる。」

「こんの馬鹿鬼、戻ってこーい!!」


 べちべちと八重が高速平手打ちをかますが、愁の目はまだ三途さんずの川を見つめている。それどころか、泳いでいこうとしている。


「わははは、クロールだクロールー、爺ちゃん婆ちゃん待ってろよー。」

「おいどうするんや。自力で川渡りだしたぞ。」

「そもそもまだ君の爺さんも婆さんも死んでないでしょー。」

「どうしますか、AEDの出番ですか?」

「救急車呼ぶか?」

「いや、ここは心臓マッサージ&マウス・トゥー・マウスが先でしょー。」

「分かりました。」

「!?」

「え、嘘待って待っていなり早まらないで僕がみずめにころsあああああああ!!」


 数刻前のシリアスな雰囲気はどこ吹く風。みなとみらいの夜景と約二名の悲鳴をバックに、盛大な水しぶきが上がった。


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