横濱事変 9
◇◆◇
(しくじった、しくじった、しくじった・・・・・!)
贔屓の濃いサングラスはかけ、顔中すすだらけ。船内で次々と巻き起こる爆発被害をかぶり、高級スーツは見るも無残な状態だった。
今回の大規模
出航の合図を自室で聞き、心地よくワインをなめるように飲んでいたことである。
最後の最後で邪魔が入った。
(なんだ、あの規格外の人外は!?。報告書に載っていないぞ!?あんなバケモノ!!?)
このままでは、組織に殺される。
マフィアは失敗を許さない。一度倒れれば最後、無能の烙印を押されて自分自身が商品に下る。
そうなる前に、一刻も早く逃げなければ。
贔屓は関係者以外立ち入り禁止の立て看板を蹴り倒し、階段を駆け下りる。
船内下部の機関部まではまだ火の手は来ていないはずだ。ハンドルを回し、贔屓は転がり込むようにして機関部に入った。そして、無機質な空間のさらに奥へと進む。
最深部に行き着くと、巨大な鉄扉が目の前に広がる。
万が一のために用意されて置いた、船の外へ脱出するための非常口だ。だが、ここへの立ち入りは組織の幹部クラスのみが許されており、入るには指紋認証と虹彩認証の二重施錠ロックを突破しなければならない。しかし、幹部たる贔屓はそんなことを気にしなくてよい。
横に取り付けられていた装置の蓋をあけると、端末型のキーパッドが現れる。贔屓は予め設定されていた八桁の番号を流れるように入力した。機器はすぐにそれを承認し、キーパッドが壁面に吸い込まれる。変わりに、複雑な装置が出てきた。網膜スキャンである。
贔屓はサングラスを投げ捨て、望遠鏡を思わせる凸レンズの前に右目が来るように装置の前に立つ。それからボタンを押した。装置の内部で電子音がして、一筋の光が揺れ動き、コピー機さながらに贔屓の眼球に投射された。
五秒もたたないうちに、鉄扉が開かれる。鉄扉が開ききるのを待たずに、贔屓は中に滑り込んだ。
この時。贔屓は気づかなかった。
スキャナー装置の下に散っている、赤い斑紋に。見覚えのあるそれに、贔屓は気づかなかった。
非常口と言っても、扉を開けた瞬間海上へドボンというわけではない。中は車庫を思わせるような作りになっており、水の敷かれた滑走路に小型モーターボードが設置されている。
滑走路はハッチまで続いており、ハッチを開ければ海にそのまま脱出できる仕組みだ。
ここまでくれば、もう安心だ。締め付けられていた心臓がようやく動き出すような心地で、贔屓はモーターボードに乗り込んだ。
そして、開閉ボタンを押そうとした。その時。
「へー、夜の海をドライブかい?是非ともつれてってほしいねー。」
ばさりと、何かが羽ばたく音がした。
贔屓はボタンを押す手を止め、背後を振り返る。
ひらり、ひらりと黒い羽が散る向こうに立つ黒い翼をもった少年。
その少年は、切れ長の瞳を細め、にこにこと笑みを浮かべている。穏やかだが、底知れぬ何かを感じさせる、そんな笑い方だった。
贔屓は立ち上がり、その少年―――黒羽と向かい合った。
「貴様、一体何処から」
「あ、そうそう。ちょっと借りてたこれ返すねー。」
贔屓が言い終わる前に、黒羽は何か床に投げつけた。
ゴミのように打ち捨てられた、小さな物体。その物体は点々と赤いしみを床に造りながら、贔屓の傍まで転がってくる。
こんと、モーターボードの側面にぶつかって物体が停止した。
否、ただの物体ではない。
「・・・・・・!?」
生気のない眼球が、贔屓を見上げていた。
「随分大袈裟な装置だったけど、正直経費の無駄だと思うよー?虹彩認証なんて、ものを奪えちゃえば指紋認証より突破するのは楽だもの。」
絶句する贔屓にかまわず、黒羽はつらつらと喋る。そこには相手を慮るような気配は微塵もないし、会話をしようとする意思さえうかがえなかった。
「饕酔会だっけー?人身売買および密輸業を生業とした巧みな資金繰りで、最近の黒社会に躍り出た中華系マフィア。でも、実はその中身は中国妖怪が頂点に君臨する妖怪組織で、下級構成員は皆その術中に嵌った
・・・・・うん、なかなか小賢しいことを考えるよね。人間の組織だと思わせておけば、日本の妖怪は手を出せない。それを逆手にとって好き勝手動こうと。おかげさまでこっちはなかなか手を出せなくて苦労したよ。」
黒羽は、やれやれと肩をすくめて見せる。疲労をつたえるためのジェスチャーだが、やっている当人からそんな様子はちっとも感じられない。
「でも、今日。ようやく尻尾を掴んだってわけだ。」
「悪魔め・・・・・!」
贔屓は手を前に突き出した。
黒羽は、ただ微笑んでいるだけ。身動き一つしない。
勝った。一度発動してしまえば、この術から逃れることはできない。
贔屓は勝利を確信した。
が、
「!?」
前に立つ黒羽が崩れ落ちる気配がない。
それどころか、黒羽はにこりと口元だけで笑い、人差し指を振る。
「だめだめ。それはもう通用しないよ。」
「馬鹿なっ!」
贔屓はもう一度手を前に突き出す。今度は両手を。だが、黒羽の態勢が崩れる気配はない。
余裕そうな黒羽と反対に、贔屓は焦燥感に駆られる。
一刻も早く、この少年を視界から消し去りたかった。体の奥底から蝕むしばむような恐怖が、己を飲み込む前に。
「そのいかにも、ってかんじで前に突き出した手。それ、術の発動条件のカモフラージュでしょー?」
まさか、と言葉にする前に、贔屭の目の前に風の渦が浮かぶ。ひゅんひゅんと音を立てて渦巻く風の中には、小さな
「―――
ひゅっと、贔屓の喉が鳴る。冷や汗があふれ出し、悪寒が背中を走った。
何故分かった。
贔屓は声にならない悲鳴を上げる。
今までこの術を見極められた者は、贔屓の知る限り一人しかいない。―――饕酔会の頂点、
「この手の妖術はタネが分かっちゃえば対処は簡単さ。全方位の気流の流れを操作して巻き取ってしまえばいい。・・・・・こんなふうにね。」
室内にも関わらず、風が頬を撫でる。
徐々に風は勢いを増し、そよ風程度だったものから嵐へ。渦巻き、重い空気となって体を攫う。
「お、お前は・・・お前は一体・・・・・!」
黒羽の細められていた瞳が見開き、にやりと口角が上がる。
「先に彼岸にいったお仲間に伝えておいてよ。」
風術―――
轟音が咆哮となって壁をつきやぶった。風がうねり、大蛇のごとく部屋を飲み込む。だが、その勢いはおさまることなく、さらに規模を増していく。
天災ともいうべき大型の竜巻が、船を内部から喰っていく。
「僕の土地を荒らすようならば、それ相応の
酒呑童子、九尾の狐。
人間の中で大妖怪といえば、主にこの二柱だろう。
しかし、かつて人間界を震撼させた大妖怪は、この二柱の他にもう一柱。
―――鞍馬の烏天狗
彼等と並び、三大妖怪と数えられる妖怪。
人間界だけでなく、妖怪界においては知名度が低く、彼の存在は時として河童や崇徳院、大嶽丸に取って代わられることが多い。そのため、妖怪界では幻の三柱目として扱われることも間々ある。
だが、知られていないというのはあくまで後世に伝わった結果論にすぎない。
彼を知る者は、口々に言う。
―――敵に回した時、最も危険な妖怪。
と。
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