横濱事変 8

◇◆◇




 ―――同刻 客室前通路にて


「・・・・・ちっ。着地地点ミスったわ。」


 不審者の侵入を知らせる警報がけたたましく鳴り響く。

 八重は舌打ちをついて警報器を破壊する。割れた赤いガラス片が宙を舞った。

 隣人は刀を横に払って降ってきたガラス片をよける。


「そりゃこっちの台詞だわゴリラ狸。」


 隣人―――刀を背負った愁はそう吐き捨てた。

 愁の額には黒曜石のような角が二本生えている。鬼としての愁の本性だ。

 

「喧嘩売るんならゴリラか狸かどっちかにしろや脳筋馬鹿童子のうきんばかどうじ。」  

「やかましいわ!!」


 ぎゃいぎゃいと口喧嘩を交わしているうちに、左右をふさぐように警備部隊と思われる武装集団が現れた。

 全員が防弾チョッキを着用し、アサルトライフルを所持している。ガスマスクをつけていることから、彼らが対妖怪戦闘員だということが伺えた。

 訓練された迅速な動きで警備部隊はあっという間に二人を包囲する。


「あーあー暑苦しいなぁ。そんな皆して寄ってたかって、自分らかまってちゃんか?」


 満面の笑みを浮かべ、八重は首をかしげる。それは挑発的な、それでいて魅力的な仕草だ。

 緊張感が走る中、まだ誰も引き金を引かない。

 それはひとえに、八重に魅せられたから。

 命の駆け引きに身を置く者が見せる、獣のような妖気オーラ。一歩でも動けば、喉笛を噛み千切られるという、恐怖の圧。 

 半妖怪である愁はともかく、通常、純粋な妖怪である八重の姿を人間が見ることはできない。しかし、対妖怪戦闘員である彼らのマスクには特殊な加工が施してあり、妖怪を可視化することができる。普通、利点に回るはずの仕組みだったが、今回はわけが違う。四大妖怪を相手するというの状況。


「そないに遊びたいなら、うちに遊び方を教えてな。」


 人間は最大の危機に面すると、本能が思考するよりも先に働く。

 生存本能死にたくないという本能が。


「あ・・・あ・・・来るな・・・来るな来るな来るなあああああああああああ!!」


 一人が金切り声をあげて、アサルトライフルを乱射する。滅茶苦茶に打たれた銃弾は、接近を拒否するように八重に向かっていった。

 だが、それをあざ笑って、りぃんと鈴が鳴る。


「連れへんなあ。」


 次元干渉―――空間断絶・六方りほう


 八重と愁のみが入る立方体上に範囲を限定した亜空間。銃弾は彼らにかすることなく、見えない壁に阻まれた。


「ほんと、おっかねえ女。」  


 二度目の鈴の音を合図に、愁は地を蹴った。パチパチと愁の妖力にあてられた周囲の空気が火花を散らす。

 躍動。

 狭い通路の壁面を足場にしてスーパーボールのように跳ね、走り抜ける。雷電を纏った愁の移動速度は、弾丸のようにどんどん加速していく。


 雷術―――疾雷しつらい乱れ斬り 


 速い。

 ただそれだけの至極単純シンプルな技。しかし、余計な技巧が含まれていない分、使用者の妖力の性質を色濃く反映する。

 愁の妖力は雷。剣術との相性が良い上に、加えて飛びぬけたの戦闘能力センス


「悪く思うなよ。」



 平安時代、大江山という山には、ある妖怪集団が住み着いていた。

 その集団の頭は、酒呑童子と呼ばれた鬼。かつて日本最強を謳われた、三大妖怪がうちの一柱である。

 愁は酒呑童子の孫であり、天性の白兵戦士。保持する妖力量だけを見れば、四大妖怪に並ぶほどだ。 

 彼らを相手にする時点で、人間達に勝利はない。



 愁の動きが止まったと同時に、彼のポケットの端末が振動した。

 いなりからの電話である。愁は画面の受話器をすぐに押した。


「もしもし。あ、いなり?・・・・・・・・おう、こっちは片付けたぜ。了解、すぐ行く。」

「おい、暴槍族ぼうそうぞく。いなりがお前んとこの妖怪見つけたってよ。」 

「ほんまか。場所は?」

「大ホールだと。まあすぐ着くだろ。」


 去り行く二人の背後で、ばらりと、肉片が崩れ落ちた。




◇◆◇




 ―――遡る事 数十分前


 電子音とともに、檻が持ち上がる。

 船の出向の汽笛が鳴って、部屋から出されたのが数分前の出来事。

 出されたといっも、檻ごと移動させられたにすぎず、自由の身にあったわけではない。また、移動させられたときに暗幕がかけられたため、外の様子がわからないが、状況が悪化していることには変わりない。


「・・・・・では、本日のシークレット商品へと移りましょう。皆さま、ステージ中央をご覧ください!」


 ばさりと、司会者と思われる男が暗幕をはいだ。

 刺さるようなスポットライトの眩しい明かりに、思わず目を細める。

 北斗は大きな会場のステージ上にいた。どうやら自分は舞台下からせりあがって登場したらしい。

 檻から下を見下ろせば、羊の頭蓋骨をかぶったようないでたちの人々が目に飛び込んでくる。豪華な食事を囲い、それぞれ飲み物を手にしてステージの余興を眺めていた。 


「十五歳の日本人の少年です。一見、ただの子供に見えるでしょうが、実はなんと、神巫かんなぎと呼ばれる神獣を体に宿した大変希少な人間。神獣の力を宿す、現人神のごとき存在なのです!

 本日お買い上げいただいた妖怪の餌にするもよし、育てあげて調教して神の力をわが物にするもよし。いずれにしても、今日この場以外で神巫を入手できる機会はおそらくないと思ったほうがいいでしょう。」


 群衆の視線が、好奇のものから、値踏みするようなものへと変わる。それを確認して、司会者が声を張り上げた。


「それでは、一千万から―――」


(もう、時間切れか。)


 諦めかけようとしたその時。

 落雷音と共に、黄色い閃光が上から下へ走り抜けた。

 そして、派手な崩壊音を立てて天井が陥落する。


(は・・・・・?)


 会場内をぎらぎらと照らしていたシャンデリアは、ただのガラス屑となって下にいる人々の頭上へと降り注いできた。それと時間差で、何者かが音も立てずに降りたつ。

 突然の侵入者によって、会場は騒がしくなる。状況がつかめず、北斗は檻の中から必死に目をこらした。

 騒めきの中央には、北斗のよく知る人物がいた。


「いな、り・・・・・?」


 疑問形となってしまったのは、決して目の前の者が誰であるかの問いかけではない。本当に、あれは自分の知っているいなりなのか、疑問に思わざる得なかったからだ。


 実は、北斗がいなりと出会ったのは体育祭のあの日が初めてではない。

 いや、正確には、北斗が一方的に知っていただけだが。 


 『四組の高嶺の花』


 彼女の存在は、入学当初から、人づての噂で聞いていた。

 周りの男子達は色めきたって、我先にとその姿を拝みに廊下へ飛びだしていたが、あまり野次馬根性のない北斗にとっては、学校の構造を一つ覚えたような感覚でしかなかった。それに加え、所詮田舎高校のちょっと可愛い子程度、井の中の蛙だと思っていた。 

 しかし、実際に彼女を見て。その考えは見事にぶった切られた。

 初めて彼女を見つけたのは、体育祭練習中だった。五月にも関わらず、その日はとても暑かったのを覚えている。

 一目見て、確信した。あれが噂の美少女だと。

 高嶺の花。その通り名のようなあだ名の本来の意味が、よく分かった。

 健康的だが、細く華奢な体。透き通るような白い顔。桜色に色づいたうすい唇。極めつけは髪の色と同じ、白に近い銀色のまつ毛に縁どられた、伏し目がちの瞳だった。

 本当に花のような美少女だったのだ。

 妖怪であると気づいた時、むしろ納得したほどだ。彼女の美しさはそれくらい、人間離れしていた。

 以来、北斗は彼女の姿を目で追うようになった。数多ある花の中、ひときわ輝くその花を。


 だが、今のいなりは北斗の知らない、妖怪としての彼女の姿だった。

 月光に輝く、白銀髪。世を憂う、曼殊沙華まんじゅしゃげぎょくに封じ込めたような紅色の瞳。髪の色と同じ、白銀の二尾が夜空を背景にして揺蕩う。

 灰色の群衆の向こうにいたのは、異彩を放つ一人の人狐だった。 

 綺麗、なんて安い言葉で片付けられない。北斗はただ、食い入る様に彼女を見つめた。

 北斗だけではない。 

 誰もが、魂を奪われたように彼女に目が釘付けとなった。

 しかし、その視線を一身に集めるいなりの顔に、笑みは見えない。

 注目の的であることにすら、気付いていないようだった。

 灰色の仮面の群衆に興味を向けることすらなく、目だけが何かを探すようにせわしなく動いている。

 ふと、こちらに目を向けたかと思った時。ちらりといなりの瞳の中に激情が走るのを見た。


 刹那。

 空気がゆらぎ、ぶわりと、視界に淡く光る白い花弁が散った。

 いなりを中心に、渦巻くように吹雪く花弁。

 一見、とても幻想的な光景だった。しかし、そこに不釣り合いな絹を引き裂くような声がしたと思った瞬間、ぼっと火の玉が現れる。

 阿鼻叫喚となる中、北斗はようやくその火の玉の正体が、花弁に触れた人々のなれ果てだと気づいた。

 あれは花吹雪なんて可愛らしいものではない。花弁に化けた、地獄の豪火である。

 まさに、地獄絵図。

 仮面をつけた人々が、断末魔をあげて、また一人、二人と、炎に飲まれる。

 逃れることのできない灼熱の檻の中。炎の恐怖が、人々を襲う。


 目の前で人が殺されている。彼女の手によって。

 だが、北斗は不思議といなりに恐怖の感情を抱かなかった。

 人間側からしてみれば、恐れるのが普通なのかもしれない。だが、妖怪と人間の世界の両方を見ることができる北斗にとっては、認識の仕方が違う。

 妖怪が人間に害をなすことがあるのは事実だ。そして、今回のように人間が妖怪に害をなすこともまた真実である。

 妖怪は命の駆け引きに常に身を置いている。自分の友人たちが、実戦経験ひとを殺したことがあることは、言われずともわかっていた。

 それでも、北斗は彼等を恐れなかった。

 妖怪を、恐れたりはしなかった。


 会場内にいた群衆のおおよそ四分の一ほどが燃やされただろうか。

 その時、ばたんと、勢いよく両開きの扉が開いた。

 入ってきたのは銃火器で武装した集団。北斗を襲ったスーツ姿の人ではない。どう見ても戦闘慣れしたような風貌である。

 だが、いなりはそれに気づいていない。両開きの扉から背を向けているせいだ。

 それを知っての行動か、集団が一斉に銃を構えた。


(危ない・・・・・!!)


 声に出そうとする前に、いなりがくるりと振り返った。炎を纏った二尾が揺らめき、いなりの顔を照らし出す。

 ガシャンと、銃が落ちた。いや、いなりがやったのではない。銃を所持していた本人が落としたのだ。

 ガスマスクをつけた顔のわからない男の手は、カタカタと小刻みに震えていた。


「~~~~~~~~!!!」 


 男は、叫んだ。その声には、怯え、恐怖が入り混じっている。

 北斗にはよくそれが聞き取れなかった。おそらく、英語でも日本語ではなかったのだろう。

 いなりはそれに応えるよう、一言二言喋ったように思えた。

 そして、すっと左手を掲げたかと思うと、周囲に散っていた花弁が吸い込まれるように収束されていく。満開を過ぎて、散っていく花が逆再生するように。

 瞬く間に、いなりの手の中には揺らめく炎の桜の花が生まれた。

 ゆらゆらとゆらめく炎のような桜に、いなりはふっと息を吹きかける。すると花はほどけるように広がり、武装集団を包み込む。武装集団は抵抗することなく、呆けるようにその炎を受け入れた。

 大きめの火の玉が燃え尽きた時。会場内に、人間は一人も残っていなかった。


(終わった・・・のか?)


 北斗が呆然と呆けている間に、いなりがいつの間にか檻の前まで来ていた。そして、再びその手に炎を纏い始める。


「北斗、少し下がっていて下さい。」

「お、おう。」


 しかし、先程のような造形的な炎ではなく、薄型の熱光線を生み出した。

 いくらセキュリティが万全の暗証番号式の檻とはいえ、物理攻撃に耐えられるわけがない。ヴンという切断音と共に、格子はあっけなく焼き切れた。


「あいつらは逃がしてやれないのか?」


 いなりは一直線に北斗の方に向かってきたが、北斗以外に多くの妖怪が閉じ込められている。だが、その多くは楔を打ち込まれていたり、水槽に入れられていたりと北斗といなりだけでは今すぐに逃してやれそうにない。


「大丈夫です。今、肉体労働担当に連絡したので、すぐこちらに向かってくると思います。向こうも片をつけたようだったので、ご安心を。」


 ・・・・・いなりのことは清楚系だと思っていたが、案外そうでもないと最近知った。言葉遣いは丁寧なのだが、時たま耳を疑うような単語が飛びだしたりする。

 周りの人間は彼女を手の届かない天上の存在とするが、案外そうでもないとわかってきた。 


「立てますか?」


 差し伸べられた手を取り、北斗は腰をあげる。

 が、体を支えようとした手を間違えた。負傷している左手を地面に着いてしまった。ずきんと鈍い痛みが走り、北斗は手をこわばらせる。

 わずかな挙動だったづもりだっただろうが、気づかれてしまった。いなりは北斗を引く手を止め、左腕に目をやる。


「・・・・・。別に、大したものじゃない。」

「少しじっとしていて下さい。」


 北斗が左腕を引っ込める前に、いなりがその手を掴む。さらに、いなりは自分の制服のスカーフをほどき、あろうことか北斗の傷口に巻きだした。

 夏服の青いスカーフは北斗の血でみるみるうちに赤く染まっていく。


「おい!」

「動かないでください。巻きづらいです。」


 慌てて制止しようとするが、いなりは顔をしかめた(ように思えた)だけで、手を止めない。 


「・・・・・悪い。」


 手際よく巻かれるスカーフを呆然と見つめたまま、北斗はいなりに向かって謝罪した。

 血液は洗濯で落ちない。時間がたってしまったならなおさらだ。茶色く変色してこびりつく。 


「何がです?」


 ところが、当の本人は首を傾げていた。

 それを見て、北斗は半ばあきれ気味にため息をつく。


「何がって・・・・・俺のせいでスカーフを汚してしまっただろう。」


 すると、いなりはああ、と思いだしたようにうなづいた。


「たかが布切れ一枚、あなたの痛みに比べるほどの物じゃないです。」


 ふっと、いなりの口角が緩む。

 その表情を見た途端、かーっと、急激に自分の体温が上昇するのを感じた。主に、顔面の周りを中心に。

 自覚した瞬間、がちがちに北斗の体が硬化する。


「・・・・・北斗?どうしました?」 


 しゃがみ込み、北斗の顔色をうかがういなり。だが、今の北斗にとってそれは逆効果であった。


(頼むから、この状況で顔を覗きこまないでくれ・・・・・!!)


 いなりと顔を合わせぬよう三角座りをして、北斗は顔を俯ける。


「・・・・・心臓に悪い。」

「え。」


 本気で体調を心配するいなりに、北斗が大丈夫を連呼するはめになり、さらにそこに愁が加わって話がややこしくなったのは、また別の話である。

 ただ一人。八重だけが、面白そうににやついていた。

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