横濱事変 6

「北斗が攫われた・・・・・!?」

「一体どういうこっちゃ。」


 驚愕で目を見開く面々に、陽光は悔しそうに口元を歪めながら語りだす。


 陽光の話を要約すると、こうだ。

 班員たちを待っている間に、ぼろぼろの状態で現れた雨女の子供を保護した北斗たち。その時に妙な集団に突然襲われたという。

 はじめは陽光と影月で撃退できたものの、正体不明の術を使う者によって身動きが取れなくなり、その間に北斗を連れていかれる。陽光と影月は術の効果が継続したまま、置いていかれた。

 なんとかして追おうともがいているうちに、持続時間切れによるものか、術から抜けることに成功。影月に雨女の子供を託し、陽光は北斗の匂いを追ってここまで来た、というらしい。


「よくそんな体でここまで来たな、お前・・・・。」


 関心を通り越し、半ばあきれるように愁は陽光を見る。

 実際、陽光の体はとても走れる状態ではない。

 術に抵抗してもがいたせいか、体中に擦り傷や切り傷をつくり、後ろ脚を一本骨折している。特にひどいのが腹の傷であり、どくどくと赤黒い血が流れだしている。意識がはっきりしているのが不思議なくらいだ。


「でも、おかげで探す手間が省けましたね。」


 北斗を捕らえたのはおそらくいなり達の探している組織と同一だ。その組織は雨女の子供を追っていたようだが、はるかに価値のある北斗を見つけて切り替えたのだろう。


「ついでにあんまり悠長にしてられないってこともねー。」


 神巫の使い道は、何も妖怪の餌だけじゃない。

 神獣を体に宿すことによって、神巫は神通力じんつうりきに似た力を得ることがある。それを利用とする輩は妖怪よりもはるかに人間に多い。しかも、その多くは妖怪の利用価値を別っているので余計質たちが悪い。

 もしも北斗がいる場所が横浜港のどこかにいるというのならば、船にいる可能性が高い。

 国内から出てしまえば、日本妖怪の手が届かないからだ。


「ならさっさと乗り込むか。港にある船のどれかなんだろ?それもとびきり怪しそうなヤツ。」

「せやな。手遅れはもう御免や。」


 八重と愁は話を聞くなり先を急くよう立ち上がる。


『ならば、我も』

「はい君は駄目ー。」


 一緒についてこようとする陽光の頭を黒羽ががしっと鷲掴みにした。陽光はそれに抗議する。


『黒羽殿・・・!』

「これ以上無理に体動かすと本気で死ぬよー?犬らしくここで“待て”をするべきだね。」


 そう言われ、陽光はぐぬぬと口をギザギザにゆがませる。

 今の陽光は、北斗が攫われたことで動揺し、冷静さを欠いている。しかも、身体の状態を考えても、付いていったところで足手まといになるのは明白だ。

 そして、それをよく分かっているのは陽光自身であった。


『・・・・・分かった。どうか、主を助けてくれ・・・・・頼む。』


 ぺたりと耳を下げ、陽光は頭を垂れる。その姿が、とても小さく、押しつぶされそうで。 忠犬ハチ公顔負けのこの忠犬が、どれほどの想いを持ちながらここに残るのか、いなりは分かった気がした。

 いなりは、そっと陽光の頭に触れる。

 すると、頭が上がり、いなりと陽光の目が合った。澄みきった、清水のような瞳だ。そこには、ただ一心に主人の無事を願う気持ちがあった。


「大丈夫です。必ず、取り戻しますから。」


 自分でも驚くくらい、力のこもった言い方だった。


『ああ、頼む。』




◇◆◇




 だいだい紫紺しこんに染まる、夜の港。

 一隻の豪華客船が、海上にぼんやりと浮かんでいた。

 ライトアップした客船の明かりが暗い水面に反射し、しらじんだ光が船全体を包み込んでいる。

 その様子はまるで、


「まさに幽霊船、だねー。」


 港湾を駆けながら、いなりはそれを目にとめた。あそこだ。

 まだ港からそう遠くない位置にある。


「どうやって入ろうかー?」


 侵入及び、脱走を阻むための対妖怪用結界が船の周りに張られていた。

 力業で結界を破ることはできそうが、少し問題が発生する。

 いなりは思案し、指を二本立てて見せた。


「二手に分かれるのが妥当ですね。」

「二手?」

「おそらく結界を破った瞬間、向こうに侵入がバレます。ので、結界を破壊するのと同時進行で乗り込む必要があるかと。」

「なるほどな。」


 首をかしげる愁に、いなりは噛み砕いた説明をしてやる。


「ほんなら、うちが結界を破ったる。やけど、その後が問題やで。入り口から入ろうにも警備が固められてるとちゃう?」


 八重の意見はもっともだった。 

 妖怪を商品として扱う連中のことだ。万が一脱走した時や、今のいなり達のような外部からの攻撃に備えているだろう。


「んじゃ、上から行くよー。」

「上?」


 その瞬間。夜のとばりが、目の前に広がった。


(いや、違う。これは・・・・・)


 それはからすの羽だった。

 墨で塗りつぶしたような、どんな闇よりも深い漆黒の翼が、黒羽の背中に生える。


「天井に張り付ける警備はいないでしょー?」 


 そういって、愁の肩口をがっしりと掴む黒羽。にこにこと、満面の笑みを浮かべている。

 一方で、愁は体中から冷や汗が噴き出していた。


「黒羽ぁー?お前何を考えてるのかなー?まさか船の上ぶっ壊して行くとか言わねえよなー?」

「お客様ー、安全ベルトはないですが、ひと時の夜空をお楽しみくださーい。」

「おい・・・・おい待て待て待て待てってあああああああ!!」


 騒ぐ愁と共に、黒羽は空へと羽ばたいていった。


「おーおー、流石は烏天狗。ほんまに飛べるんやな。」


 手を目の上にかざし、しばしの間二人を見送る八重。しかし、それもほんの束の間。


「いなりは下がといてええで。ここはうちだけで十分や。」


 八重の姿がゆらめき、本性が現れる。

 茶の瞳が若草のような深緑へと変わり、腰にはふさふさとした一尾。八重がその尾をさっと撫でると、一槍の槍が現れる。

 ―――霊槍れいそう 神楽波ささなみ

 シンプルなこう色のの先端には金の刃。付け根の部分には鈴飾りがついており、八重が槍を振るのに合わせて涼やかな音を奏でる。 

 八重が槍を横に構え、りぃんと、鈴が鳴った。


「結界云々うんぬん言う以前に、その空間ごと喰ったるわ。」


 一閃。

 槍が横に凪ぎ、斬撃が線となって水平に走る。

 そして、その線がある点に達した瞬間。

 薄氷が割れるような音を立てて、結界が壊れる。


 次元干渉術―――天喰あまぐい


 空間を支配する妖力を槍に付加させ、斬撃の拡張およびその延長線上の空間を斬る。

 結界は同次元内に亜空間を一時的に生み出す術。空間次元ごとを斬る八重の妖力の前では、ただの紙ぺら同然である。

 そして、ちょうどその上空では、黒羽が愁を持ち上げていた手を放した。


「ぬおおおおおおお!!マジでかあの野郎マジで手ぇ放しやがったあああああ!!!」


 空に上がっている最中に無茶ぶりのような作戦もどきは聞かされていたが、それでも上空数十メートルをダイブするのには覚悟がいる。

 しかし、黒羽は笑顔でそんな覚悟をへし折る奴である。

 愁はそれをよく知っていた。

 そして、黒羽はできないことは絶対させないことも。


「・・・・・ったく、こうもお膳立てしてもらっちゃあ失敗できねえじゃねえか、っよ!」


 ニヤリと、小説の悪役のような笑みを浮かべ、愁は首から何かを引きちぎる。あのお守りだ。

 愁はお守りをしっかと握りしめ、妖力を注ぎこむ。

 すると、お守りだった物は淡く輝きを放ち、一振りの刀へと姿を変える。

 ―――妖刀・轟丸とどろきまる

 身長175cm前後の愁をも超える、全長180cmの大太刀。とある妖の妖術によって小型サイズにして持ち運んでいた愁の護身刀だ。

 空を下降しながら、愁はその刀を振り下ろした。


「うぉおらぁああああ!!!」


 刀の生み出した斬撃は愁の雷の妖力によって拡張され、落雷のごとく天を駆け降りる。


 雷術―――雷獣らいじゅう空翔くうしょう


 轟音と共に、雷は船上を貫いた。

 それを合図に、四つの影が叫喚巻き起こる競売オークション会場へと舞い降りる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る