横濱事変 5
「・・・・・いなり、お前そんな体育会系だっけ?」
「
さーっと、血の気の失せた顔で問うてくる愁に、いなりはこきこきと軽く手首を鳴らしながら答える。
その後ろでは、数人の男達が鼻血やらを出して倒れていた。彼らはいなりがつい先ほどまで相手していた連中である。
大立ち回りを演じている愁や八重の裏で、いなりもまた動いていた。
普通の人間に比べて多少は丈夫だが、体力莫迦で頑丈な愁と違い、いなりは撃たれれば死ぬ。照準に入らぬようひっそりと戦力削減させてもらった。
対人戦闘術に優れているのは、何も愁や八重だけではない。妖怪を相手するよりも遥かに楽である。
「それにしても、人間相手だとやっぱめんどくさいねー。」
「妖術が使えんからな。」
妖怪は原則反撃主義。
人間から危害を加えられない限り、こちらから攻撃をしてはならない。
ここで重要なのは、殺されない限り殺してはならないということだ。
人間側で、“殺す”という行為は罪になる。
人間は無力で、憶病だ。相手が自分を傷つけない保証が欲しい。だから、人を殺してもデメリットしかないという社会を立ち上げた。人殺しは罪、殺人をした人にとってデメリットしかないという倫理観を植え付ける環境だ。
しかし、妖怪の中で“殺す”“殺される”という行為は日常の一幕にすぎない。妖怪の世界は弱肉強食。強者が勝ち残り、弱者は潰ついえる。
“命は地球よりも重い”なんて、言葉は存在しない。
妖怪の間では生死をかけた争いは常であり、生き残るために妖怪は力をつける。その中で、妖怪にとって、“死”というのは非常に身近な存在なのだ。
このギャップは非常に大きいもので、妖怪と人間の対立を生んだ一因とも言っても過言ではない。
そのため、この溝を少しでも埋めるために生れたのが、妖怪の反撃主義という縛りだ。
天神の変にて結ばれた人間とのこの協約は、四大妖怪制となった現在でも妖怪達に掟として守り続けられており、これを破った妖怪は人間側からも妖怪側からも悪としてみなされるようになる。それがいわゆる悪妖というモノである。
このような取り決めがなされているため、妖怪であるいなり達はそれに則のっとった行動をしなければならない。
赤レンガ倉庫についた時点で、実は敵の気配に彼らは気づいていた。
しかし、こちらから手を出すわけにはいかないため、挑発(随分とお粗末なものだったが)で煽った結果がこのありさまである。
周りに散らばるスーツ集団を一瞥し、いなりはため息をついた。
スーツ集団は人間の世界でも俗にいう黒社会の住人なのだろう。それも、赤レンガ倉庫一帯に人を近づけないようにできるほど力を持った。
「八重の言う、
「ああ。」
八重はそばに転がっていた男の頭をげしっと蹴る。
「あの組織の傘下のモンは皆左耳に赤いピアスをつけてはる。」
「ふーん、随分とこった形をしてるねー。」
前歯が欠けた男の顔の横には、浮血のようなピアスが輝いていた。何かの角ような造形をしている。山羊・・・だろうか。
八重の言う通り、そこかしこに散らばる男らの左耳にはそろって赤いピアスがある。
「邪魔者払いに来たのか?」
「いや、違うだろうなー。」
「え?」
応える代わりに、黒羽は何かを拾い上げて三人の前に差し出す。
黒羽の手の中にあるのは、一見普通の弾丸だった。
今更何を、といなりと愁は首をかしげる。
すると、黒羽は「よく見ててねー。」と言って、ふいにその弾丸を投げた
投げられた弾丸は、直線の軌道を描いて飛んでいく。三人の横をまっすぐ通り過ぎ、背後におちた。
だが、後ろから聞こえてきたのはカツン、という金属音ではなく、「うっ。」という低いうめき声。
驚いて振り返ると、弾丸が首に刺さり、痙攣している男がいた。
「麻酔弾・・・か?」
「んー、そんな感じだけど、たぶん中身は筋弛緩剤に
愉快そうに笑いながら、黒羽は男へと近寄る。
「これ、普通の銃弾に見えるけど、一定の力を加えると針が飛びだすような仕組みになってるんだよー。中々面白い物じゃないー?」
そういって、銃弾を男の首から抜いて掲げて見せる。
よく見ると、確かに小さな針が突出していた。さっきまではなかったものだ。
「ちょい待ち。確かそこの馬鹿はこれを素手で受け止めとらんかったか?」
「あ、そういやそうだった。でも何ともねえぞ?」
思いだしたようにポンと手を打つ愁。体のあちこちを叩いたり、さすったりしているが、何ともない。健康優良。けろっとしている。
「なんで立ってるんですか・・・。」
「知らねえよ。大丈夫なもんは大丈夫なんだよ。」
「あはは、耐久力バケモノ級だよねー。」
薬物耐性までついているとは、一体どういう体の作りをしているのだろうか。
八重は怪物か何かを見るような目で愁を見ている。
「まあ、それは置いといて、だ。たぶん、僕らの捕獲目的じゃないかなー。
「マジで言ってんのか?」
「そりゃ勿論ー。僕は冗談こそ言うけど、嘘はつかないよー。」
ひらひらと手を振りながら、無邪気に答える黒羽。
「となると、ここは完全に黒やな。」
顎に手をやり、しばし話を聞いていた八重が顔をあげる。その目は、見えない敵の姿をじっと見据えていた。
「どっかに本拠地があるって考えるのが妥当だよねー。」
「そうですね。」
「したら、あやしそうな場所しらみつぶしに乗り込、ぶべっ!!」
その時。愁が突然顔面から地面に倒れこんだ。愁の背中には、何か白い毛玉のようなものがのしかかっている。
いなりはそれを一目見て、駆けつけた。八重と黒羽も、一拍遅れてやってくる。
「陽光!」
愁の上に乗っかっていたのは、北斗付きの狛犬の一頭、陽光だった。
何故ここに彼がいるのか、疑問に思ったが、それよりも陽光の状態の方が目に飛び込んでくる。白い毛は血で汚れ、後ろ脚が妙な方向を向いている。重傷だ。
『いなり殿か・・・。』
体を何度か大きくゆすると、陽光は目を開く。
そして、何かに気づいたように一気に覚醒し、立ち上がろうとする。いなりはそれを慌てて抑えた。
「動かないでください。出血が酷いです。・・・・・何があったんですか?」
『主が・・・主が誘拐された。』
◆◇◆
「・・・・・ぐっ!」
背中を強かに打った痛みで、北斗は目を覚ました。すぐそのあとに、ガシャンという扉のようなものが閉まる音が聞えてくる。
どうやら、どこかに閉じ込められたらしい。
どれくらい前のことだろうか。眠っていたせいで分からないが、北斗の記憶は妙な集団に襲われたところで途切れていた。
おそらく、その集団に拉致されたのだろう。
北斗がいるのは、檻のような部屋だった。扉だと思っていたのは格子に組まれた金属であり、壁面も全て鉄。錆びた鉄の匂いが充満しているだけで、何もない。
しかし、部屋はここ以外にもあるようで、格子の外から すすり泣きのような声が聞こえてきた。
暗闇に慣れてきた目で、格子の隙間を除くと、ちょうど向かい側に別の部屋が見える。北斗の入れられている部屋と同じような作りをしているようで、格子越しに中の様子が見えるのだ。
そこにいたのは、巨大な鳥だった。大型動物くらいはるのではないかと思う大きさで、若苗の羽毛は羽根先に向かうにつれて色が濃くなり、頭は紺に近い。
見たこともないような色の鳥―――すなわち、北斗の経験則から言って、それはこの鳥が妖怪であるということである。
しかし、美しい羽根には杭が打ち込まれ、首には枷がはめられている。枷は何本もの鎖につながっており、怪鳥が動くたびにこすれ合う。
すすり泣きだと思っていたのは、どうやらこの音だったようだ。逃れようと、怪鳥がもがけばもがくほど楔が深く食い込み、羽毛を赤く濡らしていく。
(拘束されていないだけ、まだ俺はましか。)
北斗は体にどこか異常がないか確かめようと、自由な手足を握ったり開いたりしてみる。
「いっ・・・・。」
ズキリと腕に鋭い痛みが走る。
見てみれば、上から下にパっくりと皮膚が裂けていた。幸い骨まで届いていないようだが、かなり深い。おそらく、ここに連れてこられるまでの何処かで怪我をしたのだろう。
北斗は、赤く染まった左腕をおさえる。止血できるようなものはないので、手でせき止めるしかない。
(とりあえず、情報整理が先だな。)
ちょうどその時、扉が開いた。
入ってきたのは二人組の男。おそらく、北斗らを襲った集団の仲間だろう。暗がりで顔までよく分からないが、会話している言葉は英語だったことから、外国人であることが分かった。
多少の英会話は既に習得済みなので問題なく聞くことができる。北斗はその会話に耳をそばだてた。
『・・・・・おい、出航まであとどのくらいだ?』
『もう三十分もない・・・客が来る前に早く準備を・・・・・』
『・・・・・一頭ずつ・・余裕はない・・・・・雨女・・子供が逃げ出した・・・他の・・・いないかだけ・・・・・見とけ。』
『了解。』
つまり、今北斗がいるのは船。それも、貨物船とかではなくクルーズ客船。
だが、北斗がいるのは豪華な客室ではなく、寒々しい檻の中。どう考えても招待されたようには思えない。
まるで動物を扱うような素振りだ。
(動物・・・待てよ。そういえば)
北斗の向かいには怪鳥がいたはずである。しかし、あれは動物ではなく妖怪だ。
(なぜ人に捕まっている?)
妖怪は北斗のような見える人間でない限り、見ることができない。
触れることはできたとしても、捕まえて檻に放り込むなんて芸当はできないだろう。
だが、現にあの怪鳥は囚われている。しかも、会話の内容からして北斗と怪鳥以外にもこの部屋に閉じ込められているモノがいる。
(もしそれが、人間にも見える妖怪なら?)
そんなものがいるとは聞いたことがないが、北斗がないだけでいるかもしれない。
なにせ、この世界に非科学的な物なんて溢れすぎている。妖怪なんてその一例にすぎない。その中の例外なんてはしたものだろう。
仮説をもとに、さらに情報をつなげていく。
この時点で分かっているのは、
その一、船に人間に見える妖怪が集められている。
その二、そして、それらは檻に入れられている。
の、二つ。まだ少し情報が足りない。
北斗は目を閉じて、記憶を遡った。
たった一瞬、一秒、刹那。
誰もが忘れてしまうような、些細な出来事。
しかし、目に映りさえすれば、北斗は全てを思いだすことができる。
―――完全記憶能力
自らの目で見た光景を、カメラのフィルムのように全て記憶することのできる能力。北斗の場合、光景だけではなく、聞いた言葉の一言一句すらも完璧に覚えることができる。
麒麟を体に宿すことによって得た神獣の力の
北斗は写真検索のように記憶を手繰りよせた。
そして、ある一つの場面で立ち止まった。
「―――そいつが商品だからだ。」
北斗が最後に見た、あの男の台詞。
そいつというのは、逃げてきたという雨女の子供に対して向けられた言葉。
(雨女・・・商品・・・・船・・・)
パズルのピースが繋がるように、北斗の中で仮説が確信へと変わっていく。
「妖怪の人身売買・・・?」
だとしたら、ここに北斗がいる理由も理解できる。もしもあの男が北斗が神巫であると気づいているのならばの話だが。
(妖怪以上に価値がある、か・・・・・。)
「参ったな・・・。」
北斗は、壁にずるりともたれかかる。
ひやりとした肌触りが、心をかき乱すようだった。
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