横濱事変 1

「すんげえ人混みだな・・・・・。」


 溢れかえる人ごみを見ながら、四人はごくりと唾を飲み込む。


 ―――東アジア最大規模のチャイナタウン、横浜中華街。

 元町・中華街駅からおおよそ二分。高層ビル群の立ち並ぶ大都会の町並みから一変。

 四方に据えられた煌びやかな牌楼パイロウをくぐると、そこに広がるのは異国情緒あふれる食の街。朱や緑青を基調とした鮮やかな釣り飾りが街を彩り、その真下は多くの人々で賑わっている。


 ついにやってきた校外学習当日。

 ごく一般的な高校生ならば、胸を高鳴らせて楽しみにするであろう学年行事である。

 しかし、一般の範疇から直角にそれたいなりは、どちらかと言うとはすに構えた面持ちでこの日を迎えたのだが・・・・・いざ現場へと赴いてみれば感じるものは違うものである。

 溢れかえる人ごみに圧倒されながら、いなり達は東を司る門、朝陽門ちょうようもんの向こうへと足を踏み入れた。


「どこから行きましょうか?」


 他の歩行者の邪魔にならないよう、歩きながらいなりは予め配布されていたパンフレットを広げる。

 中華のイメージというのは大抵パンダと決まっているのか、この地図にもデフォルト化されたパンダのイラストがあちこちに散らばっており、おすすめのお店を詳しく説明していた。

 いなりを真ん中に、脇から愁、黒羽、八重が覗き込むように集まる。 


「ここからだと江戸清が近いねー。ここ行くー?」

「おっ、肉まんの店だな!」


 前日から肉まんを推していた愁はぱあっと顔を輝かせる。

 フカヒレスープを楽しみしていた八重は微妙な顔をしたが、それでも肉まんは気になるよう。「肉まんに罪はないんや・・・。」と自分を納得させながら了承し、特に行きたい店のないいなりは流れのままに賛同した。




◇◆◇




 中華街の店の看板は大きく、派手だ。いちいち地図を確認せずとも周りをよく見ていれば店はすぐに見つかる。

 四人の目指していた店、<江戸清>も数分歩いたところに見つかった。


「すげえ!湯気だ!湯気立ってる!」

「見ればわかりますよ。」


 看板商品である肉まんこと“ブタまん”を手に取り、興奮する愁。手の中ではホカホカと湯気を立てる大ぶりなブタまん。アツアツなのが手にダイレクトに伝わってくる。

 お店の横に移動しつつ、早速四人はブタまんにかぶりついた。


「んんっ!めっちゃ旨いなぁ!」

「すごい、肉だー。」


 一口かじっただけでじゅわりと溢れてくる肉汁に、ゴロゴロとした具沢山の中身。食べ応えがあり、ジューシーでクセになる美味しさだ。


「これは美味しいですね・・・・・。」


 中華料理店には何回か足を運んだことがあるが、これはどの肉まんも凌駕する。

 いなりも思わずポツリと感想をこぼした。

 四人で恍惚とした表情を浮かべながら食べていると、大きめだったサイズのブタまんはすぐに胃袋へとおさまっていく。


「あれ?愁って普段そんなのつけてたっけ?」 


 ふと、黒羽が愁の首を指さす。

 言われてよく見ると、愁は首から何かを下げていた。しかし、貴金属アクセサリーといった感じではない。


「ああ、これのことか?」


 最後の一口を口に放り込み、胸元から手繰り寄せるようにして愁がシャツの下から取り出したのは、小さな御守りだった。赤い布の上には喧嘩上等の四文字が刺繍されている。白い組紐でネックレスのように首から下げられるようになっているようだ。


「これ、婆ちゃんの手作りでさ。いつもは鞄につけてんだけど、こっちの方が肌身離さず持ち歩けるからいいだろ?」

「いいというか、ダサいよー。」


 自慢げに話していた愁だが、黒羽ははっきりと切り捨てた。

 その言葉に衝撃を受け、石のように固まる愁。その顔はまさにガーンと、効果音がつきそうだ。「でも爺ちゃんは格好いいって言ってたんだけどな・・・。」とブツブツと呟いている。どうやら彼の少しズレた感性は祖父孫の遺伝らしい。


「そんなんよりも早う次の店行こうや。」


 そもそも話題に興味を示さなかった八重はブタまんを平らげ、地図を片手に行く店の目星をつけている。

 愁が最後の頼みの綱とばかりにいなりの方を見てくるが、ファッションに興味のない自分ではそれ以前の問題であった。

 こういう時は新しい話題にさっさと切り替えてしまうのが良い。


「中華大飯店なんかどうですか?北京ダックが有名だそうですよ。」


 新たな目標、それも中華料理の王道である北京ダックを出され、目の色を変える八重と愁。素早く黒羽から地図をかっさらい、北京ダックの店を探索し始める。


「こっからどんくらいだ?」

「走れば二分もかからん。」

「行くぞ。」

「おう。」


 たったそれだけの会話を交わし、時折軽業師のように人を飛び越えながら最短ルートで中華大飯店へと向かっていく。

 人間離れした高い身体能力をこんなところで発揮していいのだろうかと若干不安になるが、本人たちが「待ってろ北京ダックー!!」と随分間抜けな雄たけびを上げているのでそんな不安は一掃された。


「口喧嘩ばかりしているけど、意外と気が合うのかもしれないねー、あの二人。」

「そうですね。」


 置いてけぼりをくらったいなりと黒羽は、後からゆっくりとついていく。

 まだ班行動は始まったばかりなのである。




◇◆◇




―――同刻 横浜みなとみらい21 

 小さな喫茶店に、一人の男が立ち寄った。

 高級スーツに身を包み、いかにも高級官僚、といった風貌の男である。しかし、明らかにこの国の人ではない、アジア系の顔立ちだ。


「ご注文は?」

「珈琲、ブラックで。」


 流暢な日本語で注文をしてから、男は窓側の席へと腰をかける。一面ガラス張りの向こうには、青々とした海が不気味なほど穏やかに凪いでいた。

 男は鞄から薄型のノートパソコンを取り出す。そして、迷いなく十二のパスワードを打ち込み、とあるファイルを立ち上げた。

 濃い色のサングラスの向こうの計算深そうな目が、素早くスクロールされていく画面上の数字の羅列を追う。

 男―――贔屓ビィウはそれを見て満足げにうなづいた。

 この数字は、今夜行われる競売オークションで出品される人外達の出品価格だ。予想される総収入は一億。自然と笑みがこぼれるのも致し方ない。

 贔屓は最近横浜に進出していた中華系マフィア、饕酔会とうすいかいの幹部であり、この競売の主催者側の最高責任者であった。

 饕酔会の主な収入元は人身売買、それもこの島国にいる大変稀有な能力をもった妖怪と呼ばれる人外の売買だ。人外というのは、それだけで価値がある。とにかく希少。ただそれだけで人外は、頭の弱い金持ちにとって、己のステータスを誇示するための最適な道具なのだ。

 運ばれてきた珈琲を口に含んでいると、突然バイブ音がポケットから聞こえてくる。

 電話だ。それも贔屓直属の部下から。

 一体何事だろう。暗号化された電子メールを使うのが常の世界で、電話はほぼ使わない。というのも、その内容の大半は昼の世界の住人に聞かれては困るものだからだ。そんなこと、夜を生きる者ならば承知である。よほどの緊急事態が起きたか。

 贔屓は眉を寄せながら受信ボタンを押す。そして、案の定贔屓の予想は当たった。


 電話の内容を要約すれば、商品に逃げられた、という。それも、大変希少な雨女の子供に。

 雨女というと、俗信的な意味を指すあの“雨女”ではない。

 妖怪・雨女は天候を予知することができる妖怪である。些細な気温・湿度の変化や人が感じることができないような気圧の変化を妖力を介して読み取り、天候を知ることができる。

 また、雨女は人が見ることができる希少な妖怪だ。というのも、外見も人間とほとんど変わらないため、妖怪として認識されないことの方が多い。そのため、出かけるた先で雨が降る女の人、と逆に捉えられるようになってしまい、“雨女”という古典的な表現が生まれたのである。 

 そんな風に、雨女はただ天気を知ることができるだけのように聞こえるが、この天候予知能力は想像するよりも遥かに高い価値がある。

 天候の予知、つまりそれは竜巻や地震、洪水といった天災地変の予知と同義だ。

 逃れようのない自然の驚異をあらかじめ察知するというのは人間の最先端科学技術でも不可能な行為。そんな超希少能力をもった妖怪の子供。時価一千万はくだらない。

 苛立ちを隠しきれず、贔屓は舌打ちを打った。

 しかし、相手との電話はまだ続いていた。


『・・・・・変わりと言っては何ですが、別のご用件が。』

『なんだ。』


 電話相手と同じ英語で答えると、何拍かの間をおいて返答が返ってきた。それは、贔屓にとって思いがけないものであった。


『子供の半妖怪ハーフが二匹ほど、この街を訪れているそうです。それも、かなりの上物で。』


 半妖怪は最高級品である人魚に次い取引額の高い商品だ。人に見える存在でありながら、人外の能力を操る半妖怪は兵器としても商品価値が高い。

 贔屓は頭の中で素早く電卓をたたいた。

 そして一言。


『しくじるなよ。』

As your presure仰せのままに。』

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