横濱事変

校外学習 前日

 梅雨時のこの時期は雨が多く、湿気で気分も落ちる。今日も教室の窓ガラスをたたきつけるような激しい雨が降りしきっていた。

 だが、いなりと黒羽を憂鬱な気分にしているのは、何もこの湿気だけが原因でない。


「だーかーらー!!肉まんだけは外せねぇっつってんだろうが糞狸!!」

「黙れ馬鹿鬼!フカヒレスープだけは譲れへん!!」


 その激しい雨音をもかき消す罵声。それに追随するようガタンという椅子や机が倒れる音が響く。


「フカヒレスープなんぞどっかの店はいりゃいくらでも飲めるだろうが!!蒸したての黒豚肉まんはここでしか味わえねーんだよ!!」

「こちとら超低価格&超デリシャスが待っとるんやアホ!!」


 手元の観光雑誌を突きつけ、にらみ合う二人。その間には何人たりとも入ることは許されない。


「もういっそ食べ歩きでよくないー?」

「さっきそれで提出しましたが、突っ返されました。」

「すでに実践済みだったー。」


 いなりと黒羽はため息をついて、二人の口論を眺めた。口出し厳禁。頭よりも体が先に動くタイプのこの二人の抑制は不可能。短い付き合いの中で学んだ経験則である。


(回る場所決めるだけなのにそこまで争う要素があったのだろうか・・・。)


 入学してから早二か月半。クラスとも馴染み出したこの時期にある最大イベント、校外学習。今年の八坂高校一年生の行き先は神奈川県横浜だ。みなとみらい、赤レンガ倉庫と観光名所盛りだくさんの土地。中でも食べ歩きで有名な中華街は美味しい・楽しい・手軽の三拍子。

 中学の時とは違って、一日は全て自由班行動に費やされる。しかし、そのかわりに教師側に生徒が大体どの範囲を行動するのかを正確に書かれた計画表を提出しなければならない。

 今日の午後の授業は主にその班決めとルート決めだった。

 案の定班は最近よく一緒に行動をするようになった妖怪四人組となり、(北斗は別のクラスなので同じ班ではない)計画を練っていたところなのだが・・・


「あー、もうめんどくさなったわ。もうここまで来たら力勝負っちゅーのが関西の交渉術や。」

「上等だ!表出ろ!」


 フカヒレスープと肉まんを巡って、世にも間抜けな戦いのゴングが鳴ろうとしていた・・・・・・。


「待て、大江山と紫藤!!教室に戻って来い!!吉祥寺と松林も止めないか!」


 愁と八重を捕まえんと、担任が慌てて追いかけていったが、いなりと黒羽はどこ吹く風。涼しい顔で事の顛末を見守っていた。


「止めれるようなら止めてるってー」

「今のうちに完成させましょう。」


 バタバタと廊下へ躍り出る愁と八重を無視し、もくもくと観光雑誌と計画表を照らし合わせる。

 廊下から担任の怒声が響き渡るのはもう間もなくであろう。




◇◆◇




「ちくしょー・・・このゴリラ女め・・・。」

「はっ、うちに勝とうなんて千年早わ。」


 頭に大きな内出血(つまり、たんこぶ)をこさえ、半ば涙目になりながら、八重を恨めしそうに睨む愁。一方で、それを歯牙しがにもかけず、高笑いをしている八重。

 二人の喧嘩の決着が着いたのは思ったよりも早かった。

 しかし、これは愁が女性を相手に手を抜いた、というわけではない。むしろ彼は全力で(それはそれで問題があると思うが)八重に立ち向かい、完敗したのである。


「野郎、なんの躊躇なく喉目掛けて地獄突きかましてきたぞ。どこの戦闘民族だよ。」

「はいはい、お疲れさんー。」


 労いの欠片を微塵も感じられない調子で二人をあしらう黒羽。

 純粋に校外学習を楽しみにしている二人とはうって変わり、黒羽はあまり乗り気ではなさそうだった。観光雑誌をぱらぱらと当てもなくめくりながら、適当な場所をピックアップして計画表に書き込んでいる。

 いなりはそこから携帯端末の地図アプリをフル活用して交通手段を調べていた。

 八重と愁に意見を求めたところで無駄だと学んだ二人は、普通ならば嬉々として練るはずの計画を黙々と事務作業のようにこなしていた。


「・・・お前らさあ、ちょっとはワクワクとかソワソワとかしねーの?」

「しないねー。」

「しませんね。」


 手を動かしたまま、同時に答えるいなりと黒羽。

 愁はばっさりと切り捨てられ、不満げな顔をする。その顔が構ってもらえない仔犬のようだと、いなりは心の中で思った。

 黒羽も同じような事を考えたのか、流石に扱いが雑過ぎたと会話を続けることにした。


「だってさー、横濱ヨコハマだよー?」

「あー・・・・・。」


 あの、を強調する黒羽に、愁は苦笑いをしながらうなる。その顔は、納得というよりも訳知りという表情に近い。

 人間にとっての横浜は、日本を代表する港湾都市であり、有名な観光地であるにすぎない。

 だが、妖怪にとって、その場所は全く別の名を持つ。


―――魔都まと横濱ヨコハマ

 東の妖怪の裏社会の中でも夜が深く、四大妖怪ですら簡単に手が出せない暗黒都市。数多くの小規模な妖怪勢力が複雑な勢力関係を作り出し、少しでもその相関関係にひびが入れば火を噴きかねない。東の地に住む妖怪ならば、そこが不可侵領域であることは常識である。


「・・・・・なるほどなあ。そないな場所があるなんて知らんかったわ。」


 苦虫を噛み潰したような顔をする八重。

 横濱は表から見れば至って普通の健全な街であり、に出くわさない限り裏事情を知ることはほぼない。 

 西の地から来たという八重が知らなくても無理はないのだが、どうやら彼女にとっては大きな見落としだったようだ。

 というのも、八重がここに来た目的は行方不明となった西妖怪の奪還と競売オークション開催の阻止。なかなか尻尾を出さない競売オークションの主催組織を探し出そうと、地道に情報収集をしていた彼女にとっては思いがけない収穫だ。しかも、その場所に行く口実付きで、である。この機会チャンスを逃すわけにはいかないだりろう。

 八重はぺろりと舌なめずりをした。その目は、餌の鼠を見つけた猫のようにぎらついている。


「あーあー、そう殺気立たないでよー。」

「おっと、そら悪かったなぁ。」


 黒羽に指摘され、八重の全身からあふれ出ていた妖気が瞬時に引っ込む。

 四大妖怪格の妖怪の放つ妖気はただ浴びるだけで凄まじい威圧プレッシャーを感じる。それこそ、弱小妖怪ならばその場で気を失うほどに。

 八重が妖気を開放したのは本当に一瞬のことだったが、その一時の間にこの教室内にたむろっていた学校妖怪が一斉に散開したのは言うまでもない。


「それに、まだ横濱が確定ってわけじゃないんだしさー。」

「それもそうやな。」


 しかし、いなりの中で横濱はほぼ黒確定だった。

 昨晩の御隠居の話が正しければ、おそらく横濱を拠点として何らかの大きな力が動いている。だが、ここでその話をしたところでさらに八重の怒りの炎に油を注ぎかねない。

 沈黙は金なり。いなりが数秒の熟考の末はじきだした最適解である。


「ま、ねちねち頭で考えるよりも行って確認する方が早いだろ?」


 きっと、愁はただこの場を穏やかにするために言っただけすぎないのだろう。だが、話を切り上げるいいタイミングだった。

 四人は気を取り直し、校外学習の計画表を、今度こそ和気あいあいと考え出した。

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