横濱事変 2


「やっとありつけたわー!!」


 カーっと、風呂上がりの牛乳を飲み干すように手に持つ紙コップをあおる八重。


「よくこんな熱いスープ一気飲みできるよねー。」

「色気よりも食い気の方が勝ってるからだろ。」

「愁、背後注意です。」


 四人も持つ紙コップの中身は、八重が大層楽しみにしていた<公生和>の“黄金ふかひれスープ”だ。

 勿体ない飲み方だとは思わないでほしい。

 このフカヒレスープ、実は一杯300円と超低価格の手軽さ。普通ならもう一つ0がつくであろう値段で客に出される一品だが、ここでは食べ歩きで食すことができる。それも、とても美味しく。 

 熱々のスープはとろりとしていて、フカヒレの味がよく溶け込んでいる。きのこや溶き卵といった他の具材との相性は申し分なしだ。

 フカヒレスープ(八重が今飲んでいるのはどこぞの馬鹿から奪い取った二杯目である。)をお供に八重といなりは隣に並んで会話を弾ませる。

 そのうち、ふと、八重が何か思い立ったようにポツリとこぼした。


「いなりんこと、随分お高うとまってんなあって思うとったけど、意外と気さくなんやな。」

「はい?」


 お高くとまった?自分がか?

 思わず素っ頓狂な声で返すと、八重は真面目にうなづく。


「初めはどこの深窓の令嬢か思たで。」


 あやうくいなりはフカヒレスープを吹き出すところだった。


「深窓の令嬢って・・・・・。私は至って普通の庶民ですよ。」


 一体どういう見方をしたらそんな勘違いに思い至るのだ。

 いなり自身、口数が少ないのと表情の変化が乏しいのに自覚はある。人づきあいはうまくない方だし、どちらかと言えば遠巻きにされるきらいがある。確かにそういう面では「深窓」というのは当てはまるかもしれない。

 しかし、一体それがどうしたらそこに「令嬢」なんて全く釣り合わない言葉が付属されるのだろうか。


「いや、その見た目でそれはあらへん。」

「見た目ですか?」


 こてんと首をかしげるいなりに、八重はぽかんと口を開けたまま固まる。

 ここまでの会話に、何をそんなに驚くことがあっただろうか。いやないだろう。

 というか、見た目で金持ちかどうか決まるものだろうか。別にいなりは福耳でもないし、仏のような黒子ほくろも持っていない。

 悶々と考えこむいなりを見て、さらに八重の口は開いていく。

 そろそろ顎が外れるんじゃないかというところで、黒羽と愁が横から入ってきた。


「あーっと、八重がエンドレスに陥ったー。」

「やめとけやめとけ。こいつマジで自覚ねーから。」

「コミュニケーション能力の不足の自覚くらいありますよ。」

「そこじゃねえ!!いやまあ、無きにしも非ずだけど!!」


 投げやりに愁が叫んだが、いなりにはとんとその意味が理解できなかった。そんないなりを見て、愁は大きくため息をつく。


「つうか、まずいなりよかお前の方がよっぽど庶民だろ。」

「なんやと雑兵ぞうひょうめ。ま、実際うちは庶民出身やし否定はせんけど。」

「庶民出身?」

「せやせや。うちはただのゴロツキ妖怪だったんやけど、なんの因果か先代に拾われたんや。」

「そうだったんですか。」


 八重はからからと笑い、ぽつぽつと話し出した。


「・・・・・大阪がまだ難波なにわって呼ばれとった頃の話やで。ちょうどその時はまだ四大妖怪制度ができて間ものうてだ。地方じゃまだその権力が行き届いてへんでね。」


 実は、四大妖怪制度が本格化したのは幕末になってからだ。

 それまで、土地の分割は京都を“中央”として日本列島を三分割にして三大妖怪達が治めていた。

 しかし、日本の歴史の転換期である一八五三年―――ペリー来航に伴い、海外妖怪、つまり人外じんがいの日本上陸時にその仕組みは変化を遂げる。

 妖怪も人間も考えることは似たようなもので、妖怪達はよそ者の入国を良しとはしなかった。そのため、人外への牽制のため、その時代唯一の海外貿易の拠点である長崎に三大妖怪に匹敵する大妖怪が置かれるようになった。

 それが東西南北の四分割に日本を分ける最初のきっかけである。

 だが、三大妖怪制度にしろ、細分化された四大妖怪制度にしろ、すぐにその体制が馴染んだかと言われればそうではない。実力主義の世界とはいえ、素直に従わないような輩はどこにでも出てくるものだ。

 八重の言うように、地方では特にその気が強く、未だに反四大妖怪勢力がいる。まだ四大妖怪制度ができて間もない時期ならば、なおのこと。


「食べ物やら住処、全部勝負の結果で決まんねん。譲り合いやら弱者を守るっちゅー精神は皆無の連中ばっかの街やしな。そやさかい、路地裏やら適当な山中の開けた場所で、妖怪同士の喧嘩が普通にあってん。小競り合いどころか、ガチの殺し合いなんかざらやったんやで?

 っと・・・そら置いとくとして。そんなおっかない場所でうちは育ったわけなんやけど・・・・・まあスレるわな。ぼろ布以上に擦切った餓鬼で、しかもそれが中途半端に強かったもんやさかい、猿山の大将しとったのや。」


 確かに、以前見た八重の戦闘技術はお世辞にも洗練されたものと言えるようなものではなかった。どこぞの流派の正式な技というよりも、辻喧嘩で身につけた乱闘術、といった感じである。

 しかし、野性的なその動きには一切の無駄がない。八重が相当の場数を潜り抜けた猛者であることは自明であった。

 妖怪というのは長い年月を経るにつれて妖力が増し、妖怪としての“格”も上がる。しかし、それ以上に戦闘の経験を積んだ方が妖力は増し、知名度は上がる。

 八重は後者で成り上がった下克上妖怪というわけだ。


「で、そのでっ鼻をくじいてくれたのが先代ってわけや。粋ってたうちを盛大に負かしたあげく、なんかしらんけど眷属にされて挙句の果てに全部うちに放り投げよって・・・・・・あのガングロ爺、いつかその角へし折って海に捨て」

「おいおいおい静まれ静まれ!!」


 後半の方から八重の声音にだんだんと怒気がこもり、空になった紙コップが手の中でひしゃげている。めらめらと、妖気なのかただのデフォルメなのかわからない黒いオーラが背中に立ち上っていた。

 そういえば、八重はなりたくて四大妖怪になったわけではないと言っていた。

 短い付き合いからわかってきた性格からして、八重は人の上に立つのを好むタイプではない。そもそも、格下であるいなりらにため口で会話することを許しているくらいだ。

 しかし、それでも攫われた西妖怪達を助けようと追手を片付けながらも東の地までやってきたということは、なかなか部下思いなのかもしれない。


(沸騰しやすいのは難点だが。)


 巻き添えを食らう愁と、それを見て腹を抱えている黒羽。

 なんとも間抜けな地獄絵図を、他人ごとのように眺めながらいなりはスープを飲み干した。




◆◇◆




 いなりたちが中華街の飲食店を網羅している間。北斗の班もまた中華街を訪れていた。

 しかし、昼食を別の場所で済ませてきたので目的は食べ歩きではなく土産である。

 北斗の班は5人班であり、男子3人女子2人。男子二人は北斗と同じ部活でそこそこ親しい間柄だが、女子二人はその男子の知り合いであり、北斗とはあまり縁がなかったが男子二人を介してすぐに打ち解けることができた。

 腹を割って話すことのできる間柄である彼等と一緒に行動できなくて少々寂しくも思っていたが、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。

 他の班員達はまだ店内で物色しているが、早々に選び終えた北斗は店の外で待機していた。次はどこへ行くんだったかと、計画表をぼんやりと見返した時。

 何かが北斗のシャツを引っ張った。


(なんだ?)


 それは、小さな子供だった。小学生くらいだろうか。

 乱れた髪は埃や土にまみれ、顔にもすすがついている。長い髪からしておそらく少女だろうと北斗は見当つけた。

 迷子にしては随分小汚い。家出だろうか。


「すまないが、俺はこの土地の者じゃない。」


 だから別の人と一緒に交番へ行ってくれ。

 そう続けようとしたが、それは緊迫した少女の言葉によって遮られた。


「助けて。」


 今にも消えそうな、か細い声。まるで、何かにひどくおびえた声だ。

 北斗は自身にしがみつく少女に改めて目をやり、視線を下へと動かす。そして、声を失った。 

 着物はあちこちがすり切れ、泥がこびりついている。裸足の足は爪が割れ、血豆がつぶれている。極めつけは、彼女の足首のえぐれたような傷だった。まるで肉を削いだような傷は深く、血がとめどなくあふれている。普通なら出血死するような量だ。


(待てよ。)


 北斗はよくをこらして少女を見る。そして、中華街を歩く人と見比べる。

 見た目は完全に人間だが、違う。

 この子は、妖怪だ。


『主。』


 警戒する声が困惑する北斗の頭に響いてくる。影月だ。

 ちらりと影に目をやると、威嚇するようにさざめいている。しかし、その対象は少女ではない。


「その子を引き渡してもらおうか。」


 人混みの中からあらわれる数人の男達。こちらは人間のようだ。

 全員中国系の顔立ちで、スーツを着ている。黒一色の彼らは鮮やかな町の色とは対照的であり、光を移さない目は、まるで生気を失った機械人形のように感じられる。

 中華街は大通りの他に、小さな裏通りがいくつもある。北斗たちがいる土産屋は裏通りの少し手前。圧迫されるようにして二人は人気のない裏通りへと後ずさる。

 北斗は舌打ちをうった。

 この見鬼の才はどうも厄介事を引き付ける。麒麟の器になってからは、さらにその傾向が顕著だ。それも、妖怪関連人間関連問わずだ。

 ここでは「はい、どうぞ。」と大人しく引き渡すのが吉だろう。面倒ごとは御免だ。自分の命がかかってくるのならなおさら。三猿を突き通すに限る。


「この子はそれを望んでいないようだが。」


 しかし、己の口から出た言葉は全くの逆。黒スーツの男から少女をかばうように北斗は前に立つ。

 北斗は心の中で嘲笑した。 

 巻き込まれたくないと思いつつ、結局は放っておけない。面倒見が良いとはよく言われるが、ここまでくると自分の性格を恨みたくなる。


「悪いことは言わない。それを渡せ。痛い目にあいたくなければな。」

『それはこちらの台詞だ。』


 低く、唸るような声と共に影が揺らめく。

 瞬間、白と黒の巨躯が踊り出で、男達の首に噛みついた。

 男達は突如襲い掛かってきた見えざる牙に驚愕し、振り払おうと手を動かす。しかし、その手は宙をかくばかりで二体をとらえることはできない。

 その隙に、北斗は少女を抱え込むようにしてさらに奥へと走った。

 人間に対して、妖怪は基本反撃主義をとる。しかし、人間を主として仕えるモノは別のくくりとして例外に当てはまる。陰陽師の式神などがいい例だ。自身の主人の身の危険を感じ次第、彼らは人間妖怪問わずその脅威を排除する。それが従者である彼らの役目であり、たとえその脅威となる相手が同じ妖怪だったとしても。

 陽光と影月は北斗の式神ではない。 

 だが、それでも彼らは北斗を主として敬い、命を懸けて彼を守る。それは単に北斗が神巫であるという理由からではない。

 ―――彼らにとって、返しても返しきれないほどの恩が、北斗の一族にはある。


『大事はないですか。』


 最後の一人を片付け、陽光は北斗の傍へと駆け寄る。影月は狩り残しがないか注意深く周りを見回していた。


「ああ。だが、俺よりもこの子の方が心配だ。」


 かたかたと小刻みに震える少女を見て、北斗は心配そうに眉をよせる。

 二頭はそんな主を見て、ため息をつきたくなった。

 長い間二頭は室咲家の人間と関わってきたが、この一族は自分よりも他人の事を気に掛ける性分の者が多い。他人といっても、それは人間だけでなく、己の脅威となりうる妖怪に対してもだ。

 北斗にはその血が色濃く受け継がれているようで、困っている、弱っている妖怪がいれば例え自分を喰らおうとしてきても手を指し伸ばすような人柄。陽光と影月からしたら悲鳴をあげたくなるのだが、それが主だ、と割り切るしかない。


『雨女の子供のようですな。』


 ふんふんと、北斗の腕の中で縮こまる少女に鼻を近づける陽光。少女ははじめはビクンと体をこわばらせたが、モフモフとした陽光の姿に心を許したようである。


「雨女って妖怪だったのか?」

『はい。しかし、とても珍しい種族です。なぜこんな所に・・・・・』

「それはそいつが商品だからだ。」


 返答のないはずの問いに答える、静かな声。

 ばっと、後ろを振り向くと、いつの間にか男がたっていた。その男の後ろにはさらに数名、スーツの集団がいたが、先ほど陽光と影月が蹴散らした奴らではない。

 この集団を率いている男は見かけからして、中年。高級そうなスーツに身を包み、色の濃い茶色のサングラスをかけていた。纏う空気から、その男がただものではないことは明らかだ。

 陽光と影月がすぐに臨戦態勢に入り、牙をむきだす。


「ふむ、その若さでなかなかいい式神を連れているじゃないか。」


(陽光と影月が見えている・・・・・!?)


 じわりと、いやな汗が北斗の首筋を流れた。

 それを分かっているかのように、男はさらに言葉を続ける。


「ほう。これは珍しい。神守ショウウェイとは。」


 男がおもむろに、手を出す。そして、下に向けて振った。


「ぐっ!?」


 途端、北斗が地に伏した。いや、何かに押さえつけられている。まるで、重りを上から乗せられたように。 

 男は一歩もその場から動いていない。そのせいで、影月と陽光が状況を判断するのが遅れた。


『主!!がっ!!?』

「邪魔だ。犬っころは黙って地面をなめてろ。」


 動揺した二頭の頭を、いつの間にか間合いを詰めていた男が押さえつける。

 押さえつけると言っても、軽く触れた程度。にも拘わらず、陽光と影月の体は地面へと沈み込んだ。

 懸命にもがくが、体にかかる負荷がそれを許さない。

 そうこうしているうちに、男が北斗の方へと近づいていく。


「まだ裏返ってはいないな。」


 男は地に伏した北斗を値踏みするように見下ろす。

 逃げようにも、手足はピクリとも動かず。助けを呼ぼうにも、喉からは苦悶のうめき声しか出ない。

 横では、雨女の子供が必死に北斗を助け起こそうとしてくれていたが、男の手によって引きはがされてしまった。


「雨女の子供はもういい。変わりにこいつを連れていけ。」


 北斗の視界が、黒く濁った。

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