勉強会 (後編)
各自(北斗による愁への指導を除き)黙々と学習を進めること早数時間。集中力がそろそろ切れかけてくるところで黒羽が顔をあげた。
「そろそろお昼時だねー。」
言われて壁時計を見上げると、時計の針はもうすぐ円のてっぺんに差し掛かっていた。
「ほんとだ。道理で腹がへるわけだ。」
「出前でも頼むか?
春木屋は商店街に昔からある老舗蕎麦屋だ。八坂の人ならば最初に覚える蕎麦は春木屋、と称されるほど地元民から愛されており、地区外から八坂高校に通う生徒達も度々そこに足を運ぶ。
無論、この場にいる四人も春木屋での固定メニューがあった。
「さーんせー!俺肉天蕎麦特盛マシマシで。」
「僕は茶蕎麦並でー。」
「狐蕎麦並でお願いします。」
いなりもさり気なく注文を述べたが、なぜか二人から驚愕の眼差しが向けられた。
「・・・・・何か?」
「いや・・・・・なんか想像通りだなーっと・・・・・。」
気まずいので尋ねてみると、何やら戸惑い気に答える愁。その言葉だけでいなりは愁の言わんとすることを大方察した。
要するに、彼らの中で狐の好物=油揚げが証明されたと言いたいのだ。
別にいなりが妖狐だから油揚げ好きというわけではないのだが、結論から言えば確かに油揚げは好物である。
「お前たちはどうする?」
三人に聞き、何故か北斗は足元に問いかける。
すると、
『かき揚げが良いでございます。』
「うおっ!?」
北斗の足元の影からにゅっと白い頭が出てきた。陽光である。
いつの間にかどこかへ行ってしまったと思ったが、そんなところにいたようだ。
「もしかして四六時中北斗の影の中にいるのー?」
『いや、社や家にいる間は出ている。今は邪魔にならぬよう主の影にいただけだ。』
陽光に続き、影月も影の中から顔を出す。
白黒の狛犬が頭だけ出して並んでいる様子に、いなりは物騒にもさらし首を想像してしまった。
「今は休憩だから出てきてもいいぞ。」
『御意。』
電話で注文を終えた北斗が優しい手つきで頭を撫でると、嬉しそうに目を細める二頭。するりと水から出てくるように全身を表し、北斗を挟むように畳に寝そべる。
“狛犬”は、社を護るという役目を果たすためだけに造られた石の像。
石に自我は存在しない。ただ、人間から与えられた使命をカタチとして果たすだけ。しかし、長い年月を経たことで、その物自体に意思が宿ることが稀にある。―――それが
狛犬はその一種であり、“狛犬”に自我が芽生えた妖怪。だが、その自我は狛犬自身のものであり、人間から与えられた役目に縛られるものではない。
つまり、彼らには神社を護るという使命は存在しないのだ。陽光と影月がこの神社を護ってきたのは、彼らの意思であり、決して義務ではない。
にも関わらず、彼らが神社とその神主一族を護ってきたのは何かしらの特別な理由があるのだろう。それは、北斗と二体のやり取りを見ていればわかる。
主従の誓いで結ばれた将軍と家臣の関係を凌駕する、確かな信頼関係がそこにはあった。
「あれだよねー、フランダースの犬みたいー。」
「パトラッシュ一号と二号だな。」
黒羽の例えにいなりは大きくうなづいた。
「そういや今日アポなしで北斗ん家来ちまったけど、大丈夫だったのか?」
北斗と狛犬たちのやり取りを微笑ましく眺めている間に、愁が話題を転換する。
いなりもその事は少なからず気になっていた。
親しいとまではいかないが、一応友人ポジションを築きつつある四人。しかし、かといって急に家に押しかけてお昼まで頂いていく(出前を頼んではいるが、結局ここで食べていくのでお邪魔している事に変わりはない。)のには気が引けていた。
関心を示すよう小さくうなづき、北斗の返答を待つ。
「爺さんは基本社務所に居るし、あまりそういう事を気にする人でないから。」
しかし、その答えは予想したものより少しズレたものだった。
「爺さん?」
「俺と両親、俺が物心つく前に他界してるんだ。それで、今は爺さんと二人暮らし。」
何でもない、歴史の出来事の一つを取り上げるように淡々としゃべる北斗。
だが、変わらない声の調子と反対に北斗の周囲の気温は一気に五℃くらい下がった。いくら他愛のない会話とはいえ、身内の不幸を笑い飛ばすような不謹慎な者はこの場にいない。
「・・・・・悪い、食事中に聞いてはいけないことを聞いた。」
「いや、気にするな。もう昔のことだ。」
まるで親族に残された年寄りのような物言いをする北斗。随分と大人びた少年だと思っていたが、そうならざるおえなかった、というのが正しいのかもしれない。
「いや、マジでごめん。」
神妙な面持ちで謝罪する愁。その声はワントーン下がり、頭を下げるように顔を俯かせていた。
一方で、北斗は何か声をかけようとしているが、想定外のシリアスな反応に言い淀んでいる。
下手な返答をするとマイナスな方向に気を遣われてしまうと考えているのか、その困惑した表情はとらえようによっては、地雷を踏みぬかれて傷ついたようにも見える。そして、その困った顔を見てさらに愁が反省し・・・・・といった悪循環が生まれてしまっていた。
ずううんという効果音が聞こえてきそうなくらい、空気が重くなる。その証拠に、黒羽のいつものアルカイックスマイルにだいぶ苦みが含まれてきていた。
(これは換気をし方がいいな・・・。)
通夜のような沈黙が流れる直来殿。つい先ほどまで和気あいあいと会話をしていたとは思えない。
どうしたものかといなりと黒羽が目配せをした時。
「毎度ありがとうございまーす!春木屋でーす!!」
絶妙なタイミングで蕎麦が到着した。
「お茶を用意してきます。」
「じゃあ僕机拭くねー!」
この勢いを逃すまいと示し合わせたかのように二人は動き出した。
配達人から蕎麦を受け取り、卓へと速やかに運ぶ黒羽。電気ポットに素早く水を入れ、茶を沸かすい支度をするいなり。
初めてだというのに見事なコンビネーションで重々しい空気を無理やりライトなものに変える。
「北斗、湯呑をお借りしてもいいですか。」
「あ、すまない。」
「肉体労働専門もこれで机を拭いてー。」
「お、おう・・・。」
二人の勢いに飲まれ、残る二名も手伝い始めた。
「お箸っていりますか?」
「割り箸あるからいらないんじゃないー?」
「皿何枚いる?」
「二枚だ。そのくらいの大きさのでいい。」
指示の飛び交う昼食準備のおかげで、ようやくいつもの調子が戻り始めたことに、いなりは安堵の息を吐いた。
◇◆◇
「「いただきます。」」
食事の準備もそこそこに、盆からそれぞれの注文の品を受け取り、四人は各々蕎麦に手を付け始める。
この時、一番勢いが良かったのは言うまでもなく、愁だった。
「うめぇ・・・やっぱうまいよここの蕎麦・・・。」
蕎麦と肉を口いっぱいにほおばり、恍惚とした表情を浮かべる愁。その顔の緩み具合は今にも昇天しそうなほど。
「にしてもすごいボリュームだな。」
「蕎麦が見えないですよね。」
愁の頼んだ肉天蕎麦とは、春木屋オリジナルメニューの一つであり、からっと揚げられた海老、大葉、サツマイモ、獅子唐の天ぷらに加え、甘辛いたれで焼いた豚肉を上に乗っけた超スタミナ蕎麦である。
一人前とは思えない量だが、運動部に所属する男子高校生の満足度は高い模様。
さくさくと小気味いい天ぷらの咀嚼音を聞きながら、いなりは自身の三角形の油揚げを口に運ぶ。甘く煮られた油揚げは、少し辛めの麺つゆと相まって非常に美味だ。
「いなりの狐蕎麦も美味しそうだよねー。僕も温蕎麦にすればよかったかなー。」
「温めましょうか。」
「え、直火で・・・・・?」
大真面目に狐火を灯すいなりに、黒羽は笑顔のまま固まる。そして、そーっと汁つゆの入った器と蕎麦の乗ったざるをいなりから遠ざけた。
黒羽をドン引かせた当人はというと、
(蕎麦は焼かないのに。)
と、直角にそれた思考をしていた。
そんな妖怪同士の他愛のない戯れの中で空中に出現した火に驚く者が約一名。
「もしかしてそれが俗にいう狐火か?」
ざる蕎麦をすする手を止めて、北斗は目の前で揺らめく青白い炎を見つめた。
怖がらせてしまったか、と一瞬そんな考えがよぎったが、すぐにそれは杞憂へと変わる。
「陽光や影月はあまり妖術を使わないからよく分からなかったが、一体それはどういう仕組みなんだ?」
如何にも興味津々、と言ったそぶりで問う北斗。その目は好奇の色で満ちている。
偶然か必然か、妖怪の世界に片足を突っ込んでしまっている人間の北斗にとって妖術は非常に好奇心をそそられるものなのかもしれない。
「仕組みっつってもなー・・・・・。」
もぐもぐと口を動かしながらうーむとうなる愁。北斗にわかりやすくい説明でも考えている。
いくら少々脳みそが欠けているとはいえ、頭で考えていることを言葉に起こせないことはないはずだ。
「あー、あれだ。こう、ぐおおおおっとまとめて、ぎゅぱああ!!ってやる感じ。」
「・・・・・・・。」
前言撤回。愁はやはり愁だった。
効果音を繋げただけで、なんの脈絡もない説明に北斗が理解できるはずがない。
未だに愁は身振り手振りであーだこーだ言っているが、北斗は助けを求めるような視線をいなりと黒羽注いできた。
いなりはちらりと黒羽を見たが、ウインクと共に親指を立てられただけ。丸投げである。
ため息交じりにいなりは愁の言葉の後を継いだ。
「期待しないで下さい。妖術は人間でいう、感覚で体が動くようなものですから。」
○●○
妖怪は妖力を使って自然の事象に干渉したり、身体能力を強化することのできるが、この妖力の系統は完全に先天性のモノであり、成長していく中で新たな系統の妖力を身につけるということはできない。
その変わり、生まれ持った妖力を妖術として応用することでその汎用性を広げる。
応用する、とはいっても人間が自然と母語を話せるようになるように、妖怪もまた自然と妖術を使いこなせるようになる。そして、年を重ねるにつれて自分にあった言葉遣いを覚えるように、自分にあった妖術を習得する。
ただし、その過程には仕組みも構造もない。魚がえら呼吸の仕方をマニュアルを見て学ばない事と同じである。
しいてあげるならば、妖力を介して思考を具現化する、といったところだろう。具現化された思考が自然に干渉し、怪奇現象というカタチとなって現れるのだ。これが妖術である。
人間は
それは、妖怪にとって当たり前なのだから。
○●○
「そうだったのか。」
「すみません。説明になっているかどうか怪しいです。」
「いやー、そんなもんだよー。」
愁に辛口評価をしておいてなんだが、いなりもうまく説明する自信がなかった。
それほど、妖術というのは本当に感覚に頼った一種の才能のようなものなのである。
しかし、一方で妖怪からしてみれば人間の扱う科学技術、特に機械工学や理工学等の工学系分野は特別な物に相当する。鉄塊をガソリンで走らせ、さらに乗り物として使いこなすなんて技、妖術では到底真似できない。
「その話からすると、妖力の系統は一つしか持てないのか?」
「そうだねー。」
黒羽は箸を椀の上に置き、手の平を天井に向けた状態で掲げて見せる。
「僕は風系統の妖力を持っているから、風を起こしたり、操作することはできるけど、」
黒羽の手のひらの中で、風が渦巻きだす。風はそのまま凝縮し、球体となってふわふわと浮かんだ。
「ここに雨を降らせることはできない。」
ミニサイズの台風が霧散し、柔らかい風が室内を吹き抜けた。
「妖怪一体に対し、その妖力の系統は一つ。それがこの世界の法則なんだ。」
「なるほど。」
北斗は実演も含めた黒羽の講義に相槌をうつ。
だが、講演者はこの堅苦しさが嫌いなようで、すぐに気の抜けたいつもの口調に戻った。
「勉強会のつもりだったのに、なんか最終的に妖怪講座みたくなっちゃったねー。」
「結局、愁はテスト大丈夫そうなんですか?」
「え、何?」
蕎麦をほおばった状態で首をかしげる愁。
まるで話を聞いていなかったという様子に、この場にいた三人はため息すらつくことができなかった。
はたして勉強会の成果が出るのか。
それは五日後の自分たちのみぞ知ることである。
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