勉強会 (前編)


 ―――土曜日

 筆記用具や必要な問題集、教科書等をリュックに突っ込み、いなりは家を出発した。


 八坂の街はそれほど大きくはない。

 街の真ん中を突っ切るように商店街があり、四辻よつじ山のある方角から上町、中町、下町と三つの区画に分けられている。そして、その商店街を抜け、石段を登った小高いところに鎮座する神社。それが北斗の家である。

 石段を登り、白い石畳歩いていくと竹林の中に入り、出迎えるように大きな朱色の鳥居が目の前に迫ってきた。巨木のようにそびえたつ鳥居は、まさに俗界と神域を区画するための門のよう。

 そんな神聖な門に寄り掛かって本を読む一人の少年の姿があった。休日であるため、いなりと同じく私服であるが、なぜか足には下駄を履いている。


「お待たせしました。」

「あ、やっほー。」


 少年―――黒羽はいなりの気配に気づいたようで、肩掛けカバンに本をしまう。


「愁はまだ来ていないのですか?」


 時計を見ると、ちょうど集合時間きっかり。しかし、愁の姿は見られない。

 電話をかけようかとポケットの端末に手を伸ばしたが、背後からどたどたと石段を駆け上がる音にその手を引いた。


「わりい!遅れた!!」


 ぜえぜえと荒く息を吐きながら、鳥居に手をつく愁。汗で髪の毛が額に張り付いている。全速力で来た模様だ。


「遅刻の原因は寝坊あたりですか?」

「なんでわかった!?」

「カンです。」

「ていうかそれぐらいしか思いつかないよねー。」


 からからと笑う黒羽に対し、いなりはさらりと流す。


「それよりも、そろそろ行きましょうか。」

「あ、そうだねー。」




◇◆◇




「へー!ここが北斗ん家?」


 朱の鳥居をくぐると、ようやく神社全体―――八坂神社が見えてきた。

 八坂神社というと、みな京都の総本社をイメージすると思う。

 が、この街にあるのはその関連神社の一つである。しょぼいように感じるかもしれないが、これが全然しょぼくない。

 京都の方の祭、祇園祭を江戸時代にここらの人々が真似てできた祭、八坂祭があるのだが、これがまた大変盛り上がる。下町、中町、上町、それぞれの区画ごとに住む子供が集まり、山車の上でお囃子をするのだ。メインイベントである喧嘩太鼓では、山車同士がぶつかり合い、かなり白熱したものとなる。これが本家とは違う八坂祭りならではの醍醐味だろう。

 神社のすぐそばには、きれいな狛犬の象があった。手入れが行き届いているようで、古い石だが苔一つついていない。おそらくこれが陽光と影月の本体であろう。


「で、どっちがどっちだ?」

『我が右で影月が左だ。』


 愁の疑問に答えるよう、狛犬の象から低い声がした。


「ぎあああ!おばけええええ!!!」

「愁、落ち着いてください。むしろお化けはあなたの方が近いです。」


 悲鳴を上げて黒羽に飛びつく愁。

 情けなくプルプルと震える愁を黒羽が引っぺがしていると、狛犬の像がくっくっくという笑い声をあげた。否、その像の後ろから出てきたモノの声だ。


『ちょっとした子供だましの遊びのつもりだったのだが、そんなに驚いたか?』

『鬼のくせに情けない。』


 笑いをこらえながら左の狛犬から出てきたのは影月。そして、右の方から陽光も続いて出てくる。

 厳めしい石の像や出自不明の白い浮遊体ではなく、モフモフした二体のワンコである


「心臓が飛び出るところだったぞ!!」

「それは気の毒に。」


 ふいに後ろからかけられた声。それは、陽光のものでも影月のものでもない、第三者だ。


「は?」


 ブリキの人形のようなぎこちない動きで愁が振り向くと、そこには般若の顔があった。


「のわああぁぁぁぁああぁぁああああ!!」




◆◇◆




「これぐらいで何悲鳴を上げている。」


 北斗はお面を外しながらあきれたようにため息をついた。

 般若の正体は、面をつけた北斗だったのだ。


「あははは、綺麗に気絶しちゃってるよー。」

「小心者過ぎませんか。」


 白目をむいて気絶している愁を面白そうにツンツンとつつく黒羽。だが、愁からは白い何かが上へ飛んでいきかけている。


「とりあえず、中に入れ。」


 北斗は軽く顎をしゃくり、影月と陽光を呼ぶ。陽光の背中に気絶した愁をのせ、黒羽といなりは後に続いた。

 八坂神社にはさまざまな種類の草花が植えられており、季節ごとに違う花が咲く。

 六月に入ったばかりの今はちょうど紫陽花あじさいが見ごろだ。雨上がり、水滴を紅紫べにむらさきや青を基調とした色合いの花弁に受けた花々がとても美しい。


「あれ?なんかめっちゃモフモフしてる。」


 手水舎の前あたりで、やっと愁の目が覚めた。


『む、起きたか。』

「おうふっ!?」


 陽光が体をかたむけ愁を背中から落とす。


「いっつぁ~って、北斗じゃねーか!お前いつの間に」

「いちいちうるさいな。さっさとついてこい。」

「あ?手前何えらそうに」

『もう一回眠りたいのか?』

「・・・・・ウス。」


 手水舎を通り過ぎると、本殿が見えてきた。八坂神社は特殊なつくりをしており、拝殿と本殿が一つの屋根で覆われた、祗園造ぎおんづくりと呼ばれる構造をしている。

 京都の本社と異なって、派手な色合いではないが、荘厳さは引けをとらないだろう。 


「本殿はさすがに罰当たりで使えないが、こっちの直会殿なおらいどのが使える。」

「直会殿というのは?」

「参拝者に食事を出したり、神官が集まって集会をする所らしいが・・・うちではほぼ使われていない。」


 本殿の横付随するようにひっそりある小さな小屋。それが直会殿というらしい。漆喰塗しっくいぬりの壁と木で組み立てられたシンプルな造りをしている。

 中に入ると線香と木の匂いが鼻腔をくすぐった。畳十四畳ほどの広さで、部屋の真ん中に机が置かれており、土間に下ったところに台所があるだけ。まさに人が集まるためだけのような空間である。


「すっげぇええ!めちゃくちゃひれえ!!」


 感嘆の声をあげながらあちこち動き回る愁。遠足の幼稚園児みたいな行動に、思わずいなりは思わず頬を緩ませる。


「座布団が右の押し入れに入っている。」

「あ、はーい。」


 黒羽から座布団を六つ受取り、卓にそって並べる。

 いなりも逃げようとする愁を確保し、教科書やノート等を卓上に並べた。これで準備は万全である。


「何からやるー?」

「とりあえず、各自自習でわからない箇所を聞く形式が妥当かと。」


 席は黒羽と愁が隣同士で座り、いなりと北斗がその向かいに座る。


「よし!勉強!勉強!」


 頬をばんばんと手でたたき、愁は気合を入れ、シャーペンを握る。

 教科は数学。計算がメインだが、公式を忘れると厄介な単元だ。どうやらまずは理数系教科から挑むらしい。

 とりあえず様子見だと思い、いなりは生物の暗記用語や記述用語をノートにまとめ始めた。




◇◆◇




「・・・・ヘルプミー・・・。」

「開始三十秒でもうだめー?」

「なんでわざわざ()でくくったxとyをばらすの?別によくない?ばらそうがばらさなかろうが結局わけわからんことに変わらねーじゃん。」


 早くもダウンし、卓に突っ伏す愁。

 北斗は目の前でうだうだ言う愁に哀れな仔犬でも見るような目を向けていた。たぶんもうすぐ彼も愁という半妖の生態を理解しだす頃合だろう。


「俺が見てやろうか?」

「マジか!?あ、でも北斗は自分の勉強の方は大丈夫なのか?」


 はっと気づいたように北斗を見上げる愁。彼に気遣う余裕があるのかはさて置き、一応北斗の邪魔にならないか懸念したようだ。

 だが、北斗は「いや、大丈夫だ。」と軽く手を振る。


「もうしな。」


 言い回しが引っかかったが、かなり自信のある言い方だ。本人が大丈夫というのならそうなのだろう。ここは北斗に任せて、馬鹿を徹底的にたたき上げてもらおう。

 いなりは再びノートに目を落とした。

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