2.夏伊の一言

 数学の授業前、クラスが少しだけザワツク。


「宿題した?」

「忘れた、誰か見せて」

「オレ、今日当たるんだよ……!」

「あっ……、あたしもだ!」


 そんな声を聞きながら、愛美は斜め前に座る夏伊を見る。顔は見えないけど、夏伊は夏伊の友達──鉄野佳宮てつのかみやとにこやかにしゃべっている。しゃべっている内容は全く聞こえない。だけど、その様子を斜め後ろから見られるだけで幸せだ。そんな様子を見ていて、昨日の事を思い出した。


(赤い……、糸……か)


 それがもし、あるのなら、夏伊の左の小指にある赤い糸は誰と繋がっているんだろう。もしあるなら、自分と繋がっていてほしい。そんなことを考えていると、ふとこんな言葉が浮かんだ。


“赤い糸で結んじゃえばいいのに!”


 その声に、愛美は頬が少しだけ上がった。小さい時の愛美は実際に愛美の父──神板巧かみいたたくと母──神板美子乃かみいたみねのの左の小指に赤い糸を巻き付けて、遊んでいたから。


「どうしたの? 何か良いことでもあったの?」


 前の席に座る友達──矢上知乃やがみとものに声をかけられ、ハッとした。


「えっ、いや……」

「でも、ニヤついてたよね……」


 知乃にそう言われ、赤くなる愛美。本当の事だから、どう答えていいかわからない。愛美がしどろもどろになっていると、夏伊と目があった。


「可愛い」


 はっきりと聞こえた「可愛い」という声。その声は、間違うはずがない声。その声は間違いなく、愛美が座っている斜め前から聞こえた。実際に目があったのだから、絶対に愛美の事をいっているのだけど、思わず確認していた。


「えっ……、私の、事?」

「うん。だって、ニヤついてるって言われて頬が赤くなってたから」


 にこやかに、そして、潔く返された返事。


「だって、神板さんの表情、コロコロ変わるから飽きないんだよね。夏伊もそうだろう?」

(鉄野君にまで……!)


 佳宮のセリフに夏伊が笑顔で頷く。それはまるで、夏伊と佳宮が愛美をずっと見ているかのような態度だ。

 それを見ていて、愛美は自分の頬が赤くなるのを感じ、頬を手で隠す様に触れる。それを見て、知乃が愛美に耳打ちする。


「それじゃあ、態度でバレちゃうよ」


 それを聞いて頬を膨らますが、夏伊に気持ちを悟られたくない。だから、愛美は、窓の外に視線を向けた。なにやら、愛美の事を話しているが、気にしていたら、余計態度に出る。だから、気にしないようにしていたが、知乃のある一言が聞こえ、愛美はまた態度が表に出ていた。


「愛美に隠し事って出来ないよね」

「確かに! 神板さんには無理だな」

「そうだな。直ぐにバレそう」


 上から順に、知乃、佳宮、そして、夏伊が言ったセリフ。そのセリフに目を見開く。そして、口から出てきた言葉がこれだった。


「……、そんなこと、ない、もん……」


 愛美が少し拗ねた様に答えると、「もん、だって」と知乃が言い、夏伊が「可愛い」とまた言った。そして、佳宮がこう付け加えた。


「子供みたい」

「子供って……、私、一応、15歳なんだけど……」

「みんな15歳。でも、神板さんは、そう見えない」


 そう言い切られ、チャイムがなった。みんなが自分の席に戻り、授業の準備を始める。その音を聴きながら、愛美はさっきの言葉を否定する。だけど、その通りだから、否定しきれない。実際に、この間は、小学生に間違えられた。


「授業、始めるぞ! 号令」


 数学の先生──砂野学(すなのまなぶ)の声に、意識が戻ってきたが、夏伊が視界に入ると、今度は先程言った夏伊のセリフが頭の中に浮かび、それで頭の中がいっぱいになってきた。自分の中で何回も繰り返している。だから、その日の数学の授業の内容がちっとも頭に入ってこなかった。


(はぁー……)

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