第14話


 数日後の昼過ぎ、太陽が高く、小さく見える頃、自宅のチャイムが鳴り響いた。そう何度も押さなくても起きてますよっと。


「おお、菊川。調子はどうだ?」

「ボチボチですかねぇー。協力金ですか?」

「ハァ……。ようやく取り調べが終わったっテェのにこれだもんな」

「今更何言ってるんですか」


 俺が右手のひらを見せると、おやっさんがポンと封筒を置いた。中身を覗けばお札が十枚。


「抜き取りました?」

「ちゲェよ!」

「あながち間違いでもないみたいですね」

「はあ? ああ、マァそうか」


 俺だけの力で万里子や加藤を捕まえたわけではない。社長やおやっさんが居なければ俺はあの場で死んでいた。だから、犯人逮捕の功績は皆で折半と、そういうことだろう。


「とか言って、社長には渡さないんでしょう?」

「……請求されないからな」

「さすが公務員。汚いですね。今回は東雲しののめさんも頑張ったんですから」

「あいつが居なけりゃ、俺がホテルへ辿り着くこともなかったわけだしな」

「そうですよ。通話が切れたときに、玄関ホールまで走って、内線電話が来るのを待ってたんですから」

「ボタンを押さずに受話器が外れれば、繋がる先は受付か。よく気付いたな」

「ええ、本当に。あれは助かりましたよ。受付の井畠いばたさんは事情を知りませんでしたしね」

「へぇ」


 なんだよ、その気色の悪い笑みは。


「あれ? 葛西さんじゃない?」

「おや、東雲しののめさん。こちらに来るなんて珍しいですね」

「菊川。オメェ……」

「やだなぁ。俺は何もしていませんよ」

「え、なになに? 僕の話でもしてたの?」

「そんなところです。こんなところで立ち話もなんですし、中へどうぞ」


 二人は特に抵抗するでもなく家の中へと入った。ま、抵抗する理由もないが。リビングの扉を開けるとタバコ嫌いなベスが大慌てで毛布の中へ逃げる。俺は溜息をつきながらお茶を出した。


「おやっさん。事件の詳細、教えてくれるんですよね? 私達には聞く権利があると思いますけど」

「僕も気になるー!」

「あ、ああ。けどよ、東雲はともかくとして、オメェから聞いてくるなんて珍しいな」

「えぇー」

「そりゃあ、あれだけ巻き込まれれば誰だって気になりますよ」

「……そうか。マァ、俺は構わないけどよ。さて、どこから話したもんかネェ」


 おやっさんは顎に手を当てて、左上へと視線を向けた。


早乙女鈴さおとめりんが言うには。ああ、菊川には高橋万里子って名乗ってたんだったか?」

「そうですね。その名前は初めて聞きましたが、それも偽名みたいですね」

「マァな。何が本当かわかんネェよ。結局そんなやつの証言だからヨォ、あまり確かなことは言えネェが、スタチマコチンは早乙女さおとめが自分で開発したと言っていた」

「それは私も聞きましたね。随分と楽しそうに話していました」

「開発当初は実験用マウスに投与していたらしいんだが、研究資金が底を尽きたんだと。それで、野生動物に目をつけた」

「……妙なところで繋がりましたね」

「ああ、俺も驚いたよ」

「なになに? 二人で話を進めないでよ」

「スマンな。共通の知り合いに谷岡ドブロクって法医学者がいるんだ」

「引退してますけどね」

「ああ。で、その先生が今回の事件に関わってたわけだ。生ゴミにスタチマコチンを混入させ、死んだカラスを回収して届ける。それが谷岡先生の仕事だったらしい」

「殺しちゃったの!? 酷いね……」

「まあ、実際に混入させていたのは別のやつだったけどな」

「それでも酷いよ」

「……谷岡はなぜ従ったんです? その命令に」

「司法解剖の報告書を改竄かいざんして、予算を多く取っていたらしい。研究資金に流用するためにな」

「で、それをネタに揺すったと」

「そういうことだな。研究者っテェのは、どうしてこうも金が足りなくなるのかネェ」

「機材とか薬品とか、無駄に高いんだよー、あれ。僕も昔テレビでやってた実験をやってみたいなーっていろいろ揃えようと思ったんだけど、御手洗みたらいさんに止められちゃった」

「へぇ。そういうもんかネェ」


 おやっさんは、タバコを口に咥えたが、蹲るベスの姿を見て、箱へと戻した。


「そうやってデータを集めた早乙女は、それでも満足できず、今度は人間を対象に実験をしようとしたわけだ」

「ということは、本当に法医学者だったんですね」

「そうだ。俺も何度か世話になってたよ。谷岡先生と同じ研究室だ。だから、報告書の改竄にも気付けたんだろう。この地域で死んだ変死体は自分の所に回ってくる。好きなだけ実験結果を得られるってわけだ。しかも費用は俺たち警察が持つ。早乙女にとっちゃ天国も同然だな」

「毒を売って得たお金も研究資金に回せますしね」


 おやっさんが机をトントンと叩く。やがて湯呑をぐいっと仰いで立ち上がった。


「そろそろ行くわ」

「えぇー。もっとゆっくりしてけばいいのに」

「オメェの家じゃネェだろ。それに、昼休みの合間に来てんだよ。由利をバイト先に送って、そのついでにな。オメェらみテェに暇じゃネェんだ」

「大変ですね。これから裏取り調査ですか」

「まあな。早乙女の証言だけを鵜吞みにするわけにはいかネェ。上の奴らも自白だけで満足してくれネェもんかネェ」


 とか言って、頭の中はタバコのことでいっぱいだ。吸いたいだけだろ? イラついてると、足元すくわれるぜ?



 おやっさんを見送り、今度ははやとの話だ。まあ、大方の予想はつくが。というか、おやっさんがいる時に話せよな。


「で、話があったのでしょう?」

「あ、うん。御手洗みたらいさんのこと、どうにかならないかな?」


 物好きな奴だぜ。自分を殺そうとしたやつを好きになるとか。御手洗がいないとホテルの経営が立ち行かなくなるとか。依存しすぎだろ。


「まあ、方法がないわけじゃないと思いますけどね」

「お、流石は菊川クンだね! で、その方法は?」

「目撃者は私たちだけですからね。証言も犯人の両者が主張しているにすぎません。性格的に御手洗さんは真相を、来栖くるすさんは自分は頼まれていただけだと、そう言っていると思います」

「うんうん、それでそれで?」

「証言をでっちあげればいいんですよ。御手洗さんは来栖くるすに脅されている。爆弾の中身も知らなかったって」

「そんなんで大丈夫なの?」

「問題点はいくつかありますが、まずは私の音声データですね」

「あ。お金なら後で振り込んどくよ」

「話が早くて助かります。まあ、命を救っていただいた身ですから、金額はいつもの半額で大丈夫ですよ」

「え! ホント!? ラッキー! それで、他の問題は?」

「概ね警察内部の協力者がいれば何とかなります。協力者は……」

「葛西さん? 聞いてくれるかな?」

「揺するネタなら。って言えば通じると思います」


 おやっさんの協力金は自分では予算からだと言い張っているが、実はポケットマネーだ。事件解決と自分の手柄のために捻りだしている。健気だねぇ。


「へぇ? なんだかすごいね。じゃあ、早速行ってくるよ!」


 早く行けば、それだけおやっさんのタバコチャージ時間が短くなる。交渉がしやすくなるぞ? あとは自分で頑張りな。命を助けられた借りは返したぜ?


「多分まだ、喫煙所だと思いますよ」

「わかった!」


 はやとを見送り、部屋に戻ると、ベスがリードを持って尻尾を振っている。お前もストレス溜まったよな。タバコ臭いやつに騒がしいやつ。どうせ家で待ってても突撃されるだろうし、散歩に行くか。


「よし、ベス!」

「ウゥー。ワン!」


 平日昼過ぎ。人の通りは殆ど無く、ベスの足取りも軽い。眠く気怠げな陽気の中を歩いているとバス停で佇む由利が居た。


「ワン! ワン!」

「……あ、菊川さん」

「どうも」

「バイトに向かったとお聞きしましたが?」

「あー……。お父さんに聞いたんですね。はぁ……。あはは。日にち間違えちゃって……」

「なるほど。まあ、あんなことがあったんです。疲れているんでしょう。休んだ方がいいですよ」

「そう、ですね」


 居心地の悪い沈黙が流れる。抜け出そうとベスに合図を送ると、由利が叫んだ。


「あの、すいませんでした!」

「はい?」

「えっと、あの時、私、突き飛ばしちゃって……」

「あぁ。それで」


 固定電話を吹き飛ばした、あの一撃のことを言っているのだろう。おやっさんの娘の癖にそんなことで気に病むとは。


「いえ、アレのおかげで私達は助かったんですから。ありがとうございます」

「えっと、でも……」

「寧ろ、髪を掴んでしまってすいませんでした。痛かったでしょう?」

「いえ、でもそれは……」

「これでおあいこですよ」


 ああ、もう。そんな顔で見るな。面倒臭い。ほら、きた……。


「違うんです! 私はあの時……あの時、菊川さんを信じていなかったんです」


 そんなことは知っている。俺の嘘を信じていた。俺が堕ちたと、本気で信じ、恐怖していた。


「菊川さんはそんなことする人じゃないって、そう言ってたはずなのに……」

「気にしないで下さい。慣れてますから」


 一度溢れ出してしまった感情は留まることを知らない。抑えようと口を噤もうとしたところで、その杭は激流の波に耐えられないのだ。


「でも……でも私は! ……菊川さんは、私を助けようって、諦めずにいたのに、私は自分のことばっかりで」


 俺が死ねば、自分は助からない。俺が寝返れば、自分は助からない。何もおかしいことはない。それが人間の本能だ。周りを蹴落とし、蔑み、自分が頂点へと君臨する。その欲望に耐えられる人間など、いるはずがないのだ。

 何を苦しむ必要がある? なぜ後悔している?


 俺がポンと、頭の上に手を置くと、由利の言葉は涙へと変わり、ベスがその顔を舐めた。



「……あはは。顔がグチャグチャになっちゃいました。恥ずかしいです」

「涙は感情を外へ出す機能ですよ。悲しければ泣く。楽しくても泣く。怒っていても泣く。ね? 身体に留めておけなくなった感情は涙となって外へ消えていくんです。溜め込み過ぎは良くないですよ」

「はい。ちょっとだけスッキリしました」

「ならよかったです」


 由利は涙と涎でベトベトになった手でベスの頭を撫でた。


「あの、変なこと聞いてもいいですか?」

「いいですよ?」


 俯く由利の表情は見えない。先程まで泣いていたせいで声のノイズも酷い。


「ええ、いいですよ」

「なんであの時私を助けてくれたんですか?」


 ああ、本当に面倒臭いやつだな。


「ふぅ……。あんたが死んでおやっさんが警察辞めたら、どこから金を貰えばいいんだって話になるからだ」

「……ふふ。ようやく菊川さんの素顔が見れた気がします。初めて会ったあの日みたいな、粗荒で、自分勝手で、お父さんが話してくれてたみたいな」

「そうかよ。満足したなら行くぞ?」

「はい。ではまた」


 そうならない事を祈ってる。やっぱりお前は苦手だ。


 見上げると、桜の木に新緑の芽が伸びていた。しばらくすればこの通りも薄ピンク色の猛吹雪に見舞われるだろう。ああ、掃除が大変な季節になるねぇ。


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