第11話
駆けつけた警官の中に見知った顔を見つける。あっちも俺に気が付いたようで、小走りにかけてきた。現場検証とか言ってわらわら集まってくるくせに、半数がぼっ立ちとは、世間は大層平和なのだろう。
「災難でしたね」
「いやあ、本当に。遠藤さんもお疲れ様です。今日はおやっさんはおやすみですか?」
「あれ? そういえば見てないですね。おーい、
遠藤は仕事に駆けている警官の一人を捕まえて、呼び止めた。ぼっ立ちが無能の習性だと証明された瞬間だ。まぁ、それで応対する滋田とかいうやつも大概だが。
「なあ、葛西さん見なかったか?」
「葛西警部か? 見てないけど、どうかしたか?」
滋田が腕を組み、足をトントンと鳴らし始める。下が絨毯でよかったな。大理石なら相当響いてるぞ。
「いや、特に用事ってわけじゃないさ。いつも事件には顔を出してくるのに、珍しいなと思って」
と思っているのは俺で、遠藤自身はどうでもいいと思っている。所詮は暇つぶしだ。とはいえ、間を取り持ってくれるのは助かるので何も言わないが。
「うーん、別の事件に顔を突っ込んでるんじゃないか? もういいだろ。こっちは忙しいんだからよ」
「ハハ。すまんすまん。頑張れよー」
頑張れじゃなくて手伝えよ。お前も警官だろうが。おやっさんに伝えたいことがあったが、まあいいか。嫌でもその内顔見せに来るだろう。
「あの、もう帰ってもいいですかね? おやっさんがいれば声をかけて帰ったんですが……」
「まあ、いいんじゃないっすかね。菊川さんなら、ああ、またかで済まされますよ。あ、でも、俺が許可したなんて言わないでくださいよ」
「それはもちろんですよ。こう見えて口は堅いですから。それでは、頑張ってくださいね」
「はーい。ありがとうございます」
遠藤はそうしてまた、あくびを噛み締めながら、全身を脚で支える作業に戻った。
ホテルの入り口、パトカーが並ぶ奥に野次馬の列が見える。あのバリケードを越えるには難儀しそうだ。
野次馬が飽きるまではホテルにいようか。あいつらもそのうち飽きるだろうとそう思って振り返った時、一人の男と目が合う。
「げ」
そんな嫌悪感に満ちた声を向けられたら、いじめたくなってしまうというのが人間の性というもの。俺もまごうことなき人間で、本能には逆らえない。
「
「そりゃ、お互い様だろうが。それとも何か? お前が事件を呼び込んでるのか?」
「ははは、そんなまさか。それよりどうされたんです? こんなところで」
「……何だよ。俺が爆弾を仕掛けたとでも言いたいのかよ。録音してんじゃねーだろーな」
「そんなわけないじゃないですか。ただ気になっただけですよ。よく事件現場にいるなぁと」
「お前が言うかよ。……宿泊だよ、宿泊。街を一望できる露天風呂を楽しみに来たんだ。あんなことのあとだろ? 気分転換に来たっていうのに、またこれだ」
灰色の汚い街を上から眺めて優越感に浸りたいとはいい趣味してるな。
「いやいや。占いをしに来られる方もいらっしゃいますよ。私もよく、ここのロビーで占いをさせて頂いております。どうです? 書越さんも。奥様との関係、気になっていらっしゃいますよね?」
「それは、まあ……。いやいやいや。少なくともお前には頼まねーよ」
「あら、それは残念ですね。奥様がここにいらっしゃらない理由をお教えしようかと思いましたが、必要ないみたいですね」
「ひ、必要ねーよ」
「そうですか。では、私はこれで。あなたは帰らないんですか?」
「はっ。嫌味かよ。こっちはまだ荷物が部屋に残ってんだ。元々泊まるつもりだったからな。お前がいるって知ってりゃこんなとこ来なかったのによ」
「随分と嫌われてしまいましたね。では、お近づきの印に、少しだけ占ってさしあげましょう」
「おい、やめろ」
「奥さん、あなたの加齢臭が嫌でついてこなかったんですよ」
「え、マジ? 臭う?」
知らんけど。時間潰しも十分できて、ストレスも解消できた。野次馬も減って、これなら容易に抜けられるだろう。
「では、私はこれで。行くところがあるので」
「あ、おい! ちょっと待てよ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二階建ての赤茶けたボロアパート。階段は歩くたびに揺れ、風が吹けば折れてしまいそうなほどだ。壁も砂埃に覆われて、白かった面影は微塵も感じられない。その二階、道路から一番離れた角部屋の前に俺は立っている。外は夕暮れ、家主も帰っている時間だろう。
インターホンを押すと、くぐもったブザー音が鳴り、しばらくして、軋んだ音を響かせながら扉が開いた。
「どちらさ……」
扉が閉まる前に足をねじ込む。硬い靴底が引っかかり、扉は閉まらない。こういうことされると、焦るのはなんでだろうなぁ? どうにかこうにか扉を閉めようと、意味もなく引っ張って。チェーンをつけた方が効果的だろうに。
「お久しぶりです。
「な、なんであんたがここに」
「名前が割れてるんですよ? 調べようはいくらでもあります」
まあ、実際は定期的に金を貰おうと思って、痴漢騒ぎのあった駅で待ち構えさせてもらったんだよ。無理やり降ろされた駅だからな。戻ってくるのはわかっていた。あとは地道な尾行で家を突き止めたってわけだ。
「いえね。あの時ネックレスを受け取らずに去ってしまわれたので、お渡しに来たんですよ。ただお金をもらっただけとなると、確定申告とか、面倒なことになりまして」
懐からネックレスを取り出すと、加藤は奪い取るようにそれを受け取った。
「よ、用が済んだなら帰ってくださいよ……」
「いやー。少しお金が必要になりましてね。また商品を買っていただけませんか?」
「そ、そんな……」
「まぁ、詳しくは中で話しましょう。それともここで痴漢のことについて……」
「わ、わかりましたから! ど、どうぞ」
人の言葉を遮るとは。嫌になっちゃうねぇ。そういう妨害行動は効果的に使わないと。それじゃあ、自分の弱みをさらけ出しているだけだぞ?
部屋は外ほど汚れておらず、隙間風も入ってこない。ご丁寧に暖房までついていて、一通りの家具もそろっていた。あれだけの現金を持ち歩いていただけのことはある。生活に困窮している様子はない。とはいえ、所詮は男の一人暮らし。ところどころ汚れている。
「いやー、冬は乾燥していて喉が乾いてしまいますね」
「あの……」
「本当に察しが悪い人ですね。お茶を出せって言ってるんですよ。これから長くなりそうですしね」
「え、あ、はい」
加藤がバタバタと台所へと駆けていく。しばらくして麦茶の入ったコップを二つ震える両手で持ってきた。溢さないか心配だったが、まぁ、汚れるのはこいつの家だしいいか。
「ど、どうぞ」
「おや、お茶請けもなしとは。会社ではお茶くみしないんですか?」
「は、はあ……」
ああ、もう。本当に察しが悪い。持って来いって言っているもんだろ、こんなの。
俺が無言の圧をかけると、ようやく気付いたのか、慌てて台所へと戻っていった。
さて、揺するための下準備だ。緊張とストレスを与える。俺は男の持ってきた菓子には手をつけず、ニヤリと笑った。
「そうそう。彼女たちの名前、わかりましたよ」
「え?」
「やだな。あなたが痴漢をした相手ですよ。
俺は知らないけどな。もちろん名前だってでっち上げた。本当かどうかなんてどうでもいい。重要なのはこちらが優位で、お前は追い詰められているのだと思わせること。
「彼女たち、親御さんに相談したみたいでしてね、相当怒ってらっしゃるそうですよ。自分の娘を傷物にされたって。警察に届け出をするのも時間の問題でしょう」
拳を握りしめ、視線が下へと向いた。いい調子だ。
「痴漢に対する世間の目は厳しいですからねぇ。警察も躍起になって犯人を探すでしょう」
「お、お金を払えば黙っててもらえるんですよね?」
「ええ、もちろんですよ。ただ、私が喋らなくたって、警察はあなたに辿り着いてしまうかもしれませんね」
「どういうことですか」
「駅には無数の監視カメラがありますから」
「は、話が違う!」
加藤が声を荒げて立ち上がる。もう限界か。ストレス耐性のない奴め。
「まあまあ、落ち着いてください。手段がないわけじゃありませんよ」
「……ど、どんな手があるって言うんですか」
「とりあえず落ち着きましょう。話はその後です。少し複雑な話になりますので、冷静になっていただかないと」
ふぅーッと息を吐き、コップを手に取る。緊張とストレスで乾いた口を潤すために。
加藤の喉がゴクリと鳴った。飲んだな?
「これ、なんだかわかりますか?」
俺がポケットから取り出したライターを見て、加藤の顔が青ざめる。先程の怒りは鳴りを潜め、動揺と焦りが支配して、今や、冷や汗が背中を滝のように流れていることだろう。
「い、いや……」
「おや、ご存じない。そうですか」
「あ、ああ、それより監視カメラの……」
「あ、言い忘れてましたけど、そのお茶の中にスタチマコチン入れちゃいました」
加藤の顔が今度は恐怖に染まる。コロコロと忙しいやつめ。そのまま台所へと駆け込み、口に指を突っ込んで、なんとか胃の中のものを吐き出そうと躍起になった。
俺は
「何をそんなに慌てているんです? お茶を飲んだだけなのに」
俺の言葉を無視して、加藤はなおも
ライターが俺の手を離れ、乾いた音とともに床に落ちる。
「汚いなぁ」
「あ、あんたが悪いんだ。あんたがアレを入れたって」
「スタチマコチンですか? なにか問題でも?」
「猛毒だぞ!」
「よくわかりましたね。毒だって」
「そんなのはどうだっていいんだ! あんたが、あれを! あのライターの中身を入れたって、言ったんだろうが! こ、この、人殺しめ!」
「いいえ。あれはただの百円ライター。スタチマコチンなんて入っていませんよ?」
「はぁ?」
加藤の動きが止まり、思考が完全に停止したことがわかる。
「いやあ、驚きましたよ。ライターの中身をスタチマコチンを溶かした溶媒と入れ替えていただなんて」
「それは……」
ランターが怪しいと思ったのは痴漢騒ぎのあの日、タバコを吸うのか聞いた時の加藤の反応に違和感があったからだ。その時はスタチマコチンなんて知らなかったからな。特に追求することはしなかった。
そして、さっきホテルで
つまり、重油の力を借りずとも、ライター自身が人を殺せるだけの力を持っているということ。そして、元々毒で殺そうとしていたのだから、毒を所持していてもおかしくはない。
ま、全ては推測で、なんの証拠も、確証もない絵空事だった訳だが、うまく自白してくれて助かったよ。
「おおおお願いです。警察だけは! ただの仲介役だったんです。ライターを渡して、お金を受け取るだけで、だから……」
嘘を言っている様子はない。即効性の毒ってことも知らなかったみたいだしな。とはいえ、こいつをおやっさんに差し出すだけで捜査協力金は十分にもらえるだろう。
そう考えていると、タイミングよくおやっさんから電話がかかってきた。
「ああ、すいません。話は電話のあとでよろしいでしょうか?」
加藤の返事を聞かずに電話に出る。念の為、玄関の前に立ち、加藤の動きを観察しながら。
「もしもし」
「菊川か?」
「はい。そうですけど」
「周りに人は?」
電話越しにでもわかる固い声。厄介ごとのようだ。
「はい。ご予約の件ですね。少々お待ち下さい」
目の前には加藤がいるが、目を離すわけにはいかない。このままいくか。
「大丈夫ですよ」
「単刀直入に言う。娘が誘拐された。助けてほしい」
「お相手は?」
「不明だ。要求はスタチマコチンの事件から手を引くこと。今頼れるのはお前しかいないんだ」
「他に同席者はいないんですね? 職場の同僚とか」
「俺が事件の担当だなんて、内部情報を誰かが流してるとしか思えネェ。警察は信用できネェんだよ」
「なるほど、なるほど。同席者さんは滋田さんと言う方なんですね? わかりました」
「滋田? ……
「その方なら、以前当事務所の占いを受けたことがありまして。あなたのことも少し話しておいででしたよ。とても気にしていらっしゃいました」
ホテルで遠藤が呼び止めた時には仕事をさぼれると喜んでいたにもかかわらず、おやっさんの名前を出した途端に機嫌が悪くなった。単純に嫌っているってわけじゃないなら、おやっさんについて聞かれたくない事情があるってことだ。
「そうか。わかった。それはこっちで警戒しておく。だが、他にいるとも限らネェ。警察が動かせない以上、お前に頼むしかないんだ。頼む。娘を、由利を救ってくれ」
「かしこまりました。それでは、お待ちしていますね」
おやっさんが警察を信用できないと言う以上、加藤をみすみす渡すわけには行かなくなったわけだ。もみ消されて協力金がもらえないかもしれないからな。それに、誘拐犯への唯一の手掛かりとも言える。
「ねぇ、加藤さん?」
「お願いします! 何でも! 何でもしますから。警察だけは!」
「でも、あなたが仲介役だなんて証拠、ないじゃないですか」
「それは……」
嘘をついてはいないが、本当に証拠がないんじゃこっちも困る。なんとか思い出してくれよ?
「それでは、どうやって命令を受けていたんですか?」
「手紙です。ポストに指示が書かれた紙とライターが入っていて……」
「その紙に書かれている通りに顧客に売るわけですか」
「はい……」
「その手紙は何処にあります?」
「処分しました。そうするように書いてありましたから」
手口はあの店の時と一緒か。となると、手紙をポストに入れるところを取っ捕まえるくらいしかないわけだが、今からはりこんだとして、いつ来る? 少なくとも、誘拐の件が片付いてからだろうな。他に手がかりはないか……。
「お金の受け渡しはどうしていたんです?」
「指定された口座に振り込んでました。自分の取り分を財布に入れて、残りを……。あの日も封筒の金を振り込む予定だったんです」
恨めしそうな目を無視する。そもそも痴漢するのが悪いんだろうが。
「随分と従順なんですね。結構な金額を手に持っていたわけですけど、そのまま全部自分のものにしてやろうと思わなかったんですか?」
「怖かったんですよ。住所だって、名前だって知られてます。毒物を売りつけるような人なら、報復に何されるかわからないじゃないですか」
「それはそうですね」
「手紙だって、いつの間にかポストに入ってるし……。だから、ことが済んだらビリビリに破いて」
「今なんと? 破って捨てたって言いました?」
「は、はい」
俺が近くのゴミ箱をひっくり返すと、男はギョッとした様子でこちらを見るだけで、手伝おうともしない。
「何やってるんですか。ビリビリに破ったってことは欠片がゴミ箱に入っているってことですよね?」
「い、いや。でも、ゴミの日は昨日でしたし……」
「欠片なら、袋からもれてゴミ箱とか床とかに落ちる可能性もあるでしょう?」
「そ、そんなのみつかりっこありませんよ……」
「あんた、何でもするって言ったよな。じゃあやれよ」
「え、えっと」
「さっさとやれ! 暴露されてぇのか!」
「は、はい!」
加藤はやはり几帳面な性格ではなかったようだ。汚れた部屋を見ればよく分かる。だが、今回はそれが幸いしたな。しばらくして、『口座』と書かれた小指の先ほどの小さな紙片が見つかった。
「これだけしかありませんでしたね」
「いえ、十分ですよ。犯人はわかりましたから」
紙に書かれたその文字、その筆跡に俺はたしかに見覚えがあった。
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