第9話
豪奢な両開きの扉を開ければ、廊下に並ぶどの調度品よりもきらびやかな額縁が俺を出迎えた。中の絵画は社長が描いた落書きで、美的センスの欠片もない。更に進めば読みもしない雑多な本を並べただけの本棚に、ピカピカに磨かれた大理石の大机。もちろん上にはほとんど何も乗っていない。仕事机という名の酒を飲むためだけの台座だ。その奥にはホテルの社長、
「やぁやぁ、菊川クーン。よく来てくれたねー」
「どうも。どうしたんです? これ」
入口横にはなぜだか大量のポリタンク。もともと混沌としていた内装がいよいよもって、方向性を見失っている。
「いやぁ、これねー。自家発電用の重油だよー。実はさ。あ、
「
「それでー、何だっけ。ああ、ポリタンクね、ポリタンク。実はさー、脅迫文届いちゃって」
「でもそれ、自作自演ですよね」
「まあそうなんだけどさ。って、よくわかったね」
他の従業員とは明らかに異なる緊張感のなさ。相当に肝が据わっているとも思えないし、となると自作自演の他にない。
「業務妨害で捕まりますよ?」
「大丈夫大丈夫。警察には連絡してないから。連絡したら、営業止められちゃうじゃん。キャンセル料とかどうすんの。下に居るのは警備会社の人たちだけだよ」
「そうでしたか」
ぶっ飛んでんなー、やっぱ、この人。言ってることがまったく理解できない。自分の欲望に言い訳せず、忠実に動くところには好感を持てるが、相容れることはないだろう。
「えっとー、何だっけ? あ、そうそう。ポリタンクね。ねー
「大変ですね」
「それで、なにか用事だっけ?」
「はい。お聞きしたいことがいくつか」
「ふーん。まあ座ってよ。御手洗さーん。グラスまだー? 無理だったら言ってよー」
「はーい、すぐ行きますー!」
「それで、話なのですが、スタチマコチンってご存知ですか?」
「なにそれ。新作の映画? 聞いたことないなぁ。面白いの? 今から見に行く?」
嘘をついている様子はない。まあ、こいつは被害者に回る側だし、知らなくても不思議はないか。
「毒ですよ。テロに使われる生物兵器です。気を付けたほうがいいですよ」
「へぇ~。そういう設定なんだ。あ、もちろんアクション要素もあるんだよね? 通気口の中を通って敵地に潜入! って憧れちゃうよねぇ」
「いえ、映画の話では無くてですね」
「……どういうこと?」
ああ、頭が痛くなる。だが、テロが起きそうなとこって言ったら、ここくらいしか思いつかないんだよなぁ。
「最近よく使われているらしいんですよ。この辺の地域で。ですので、注意喚起に。私も職場がなくなってしまうのは困りますし」
「そっかー。教えてくれてありがとね。でも、そんなのどうやって防げばいいのさ」
「お待たせしました」
御手洗が能面のような面持ちでグラスを運んできた。中に酒は入っていない。金持ちっていうのは自分で酒を入れたがる生き物なのかねぇ。
「御手洗さーん。知ってる? スタチマコチンって。防ぎようがないんだよー。どうしよっか?」
「そうですね。手荷物検査を強化するくらいしか……」
「そっかー。そうだよね。あ、そうだ。どうせ今日は、お客さん少ないから、いっせい抜き打ち手荷物検査しちゃう? 人員もいっぱい居るし。爆弾なんてないんだから、警備なんかしてても無駄だしね」
そういいながら、秘蔵のボトルを開け、トクトクと酒を注いだ。グラスは二人分。まだ仕事が残っている御手洗は飲まないのだろう。まぁ、仕事が終わっていたとしても飲まないとは思うが。
「爆弾については御手洗さんもご存知だったのですね」
「はい。最初に聞かされた時は驚きましたが、仕方がないのかなと」
言い出したら聞かないしなぁ。この人。共犯にされる身にもなれってんだ。
「よーし、じゃあ御手洗さん、早速手配よろしくー」
「
「でも、なんでお客さん少なくなっちゃたんだろう。爆弾の情報が漏れたとか? ま、いっか。さあ、飲もー。カンパ~イ」
「それ、飲まないほうがいいですよ」
「えっ。なになに、どうしたのー、菊川クーン。もしかしてもったいなくなっちゃったとか? 大丈夫だよー。お酒はいっくらでもあるんだから」
はしゃぐ翔はとりあえず放置する。内心ビビりだからな。しばらくは飲むこともないだろう。
「御手洗さん。毒、入れましたよね?」
「な、なんのことか……」
毒を盛って人を殺すやつを連日見てきたからな。御手洗は同じ顔をしていた。期待と興奮に満ちた、あの顔だ。御手洗の場合は罪悪感というよりも快楽を帯びた瞳でグラスを見ていたが。
もちろん、理由はそれだけじゃあない。スタチマコチンの名前を聞いた時、知っているそぶりを見せていたし、爆弾の件を知っているというのに随分とピリピリしているのだ。これはもう、そういうことだと、疑うほかない。
「またまたぁ。御手洗さんが僕に毒を盛るって、そんなことあるわけないじゃないかー」
相当恨んでるけどな。お前が気付いていないだけで。というか、従業員の殆どがお前のこと嫌いだぞ。仕事もせずに呑んだくれて、思いつきで仕事を増やし、
「さあ、さあ。飲もうよ。はーい、カンパーイ」
と言いつつ、俺が先に飲むのを待ってるんだろ? 臆病なのはいいことだぜ、社長さん。
「待ってください。飲むのは椅子の下を見てからにしましょうか。実はプレゼントを用意しているんです」
「えっ。ウソぉ。確かに、菊川クンから僕と飲みたいだなんて珍しいと思ったんだよね。今日はなんの記念日だったかなあ」
もちろん嘘だ。俺からのプレゼントはない。あるのは御手洗が抱えている秘密。固唾を飲んで見守る御手洗が、お前を殺そうとしている確たる証拠がそこにあるはずだ。
「えぇ? うーん、何にも無いよ?」
「もっとよく探してください。ちゃんとありますから。ね、御手洗さん? 時間が経ってしまってもよくないですし」
「なになに? 御手洗さんも関わってるの? 二人してなんだよ、もー。照れちゃうなあ。生ものならちゃんと冷蔵庫に入れておいてよね。どれどれ、よっこらしょっと……あれ、コレって……?」
悲しいかな。誰もが隠したいものほど意識してしまう。変に意識すればそれだけ他人の意識もそこに向かうと言うのに。嘘を吐く生き物の癖に、嘘に対して致命的な欠点を持つなんて、あまりにも滑稽だ。
さてさて社長は何を見つけたのか。毒の入った瓶でも見つけてくれれば御の字なんだが。
「こんなのがあったんだけど、デジタル時計? にしては全然時間と合ってないんだけど」
ベリベリとテープを剥がした音の後に翔が引っ張り出してきたのは時間を刻む赤い文字。刻一刻とその数を減らす時限爆弾だった。
「はあ……。やっぱり菊川さんに隠し事はできませんね。そうです。私がその爆弾を仕掛けました」
あー、やっぱりか。まあ、そうだよな。ま、よかったじゃねぇか、社長さんよぉ。脅迫文の内容が本当になるなんてな。これで警察に捕まる心配はなくなったわけだ。
「え、嘘だよね? 二人で僕をビックリさせようとしてるんだよね?」
「いいえ。本当です。このホテルのために、死んでください。あなたが死ねば、このホテルは助かるんです」
ようやく御手洗が本気だと翔は気が付いたようで、顔面が蒼白になり、爆弾を持つ手がガタガタと震えた。しかし、一定の頭はあるようで、投げ捨てるようなことはせず、だだっ広い大理石の机の上にゆっくりと爆弾を置いた。
「いやいやいや。そりゃあ、僕が先代から引き継いでから、このホテルの経営は傾き始めたよ? それはわかってるけどさ、でも僕だって頑張ってるんだよ」
「どれの事ですか? 新入社員をすべて顔だけで選んでホールの対応をやらせたことですか? 自分好みにホテルを全館改装したことですか? 経費削減と言って社員をくじ引きでクビにしたことですか?」
「そ、そうだよ。ほら、頑張ってるだろう? 今回だって、この騒ぎで有名になって、復興のためにクラウドファンディングでお金を集めれば」
「ええ、そうですね。あなたにしてはいい案だったと思いますよ。ツメが甘かったですけどね」
「な、何が足りなかったって言うのさ」
「明確な被害と復興のストーリーですよ。脅迫文が届いただけじゃ関心は引けません。経営者の死とその意志を引き継ぐ従業員。諦めずに立ち向かう姿に人々は心を打たれてお金を払う。ほら、あなたの発案でホテルが救われるんですよ」
「そんなの違う! 僕が死んだら意味がないよ! って、菊川くん。どこ行くの!?」
「下手な時間稼ぎは止めてくれませんかね。話なら、後でいくらでもできるでしょう」
「ああ、そっか。そうだよね。君の言う通りだよ。爆弾解除って警察に頼めばいいのかな? ええっと……」
翔が携帯を手に喚き散らしている間に出口へと向かう。ドアノブに手をかけ、あとは音声データを警察に渡すだけ。爆弾が爆発しようがその場に俺がいなければ問題ないだろ。スタチマコチンと爆破テロの件。大多数が被害を受けるのだ。協力金も弾むはず。
しかしドアノブはびくとも動かなかった。ああ、クソが! 自殺志願者がよぉ!
「ああ、ごめん。菊川クン。それ開かないんだ。珍しく君から訪ねてきてくれたからさ、これはもう一緒に飲むまで帰らせないぞーって思ってロックしておいたんだよね。でも安心して。僕の指紋で簡単に開くから」
翔が親指を押し当てるとピピーと音がなり、赤いランプが点灯する。首を傾げてまた親指を押し当てるも結果は変わらずのブザー音。それもそのはずだ。御手洗の方へと振り返った時、やつは嘲笑を浮かべていた。
「そういうことですか」
「えぇ。社長の指紋データは削除してあります。そこのドアを開けられるのは私だけ。自分の部屋の鍵の管理すらもご自分でなさらないから、こういうことになるんですよ」
「だだだだいじょうぶだよ。ね? 菊川クン。爆弾のタイマーだってあと十分以上もある。その間に警察が来て、僕たちを助けてくれるよ。ね、ね?」
「残念ながら無理ですよ、
「私の勝ちですね。大丈夫ですよ、菊川さん。そこまで大きな爆弾ではありませんから、部屋の隅で丸まっていれば命を失うことはないでしょう」
「でも、東雲さんを差し出せっていうんですよね?」
死人が出れば未然に防いだっていう付加価値がなくなる。協力金も減額だ。
「そりゃあ、もちろんですよ。あ、でも社長。安心してください。爆発で殺すなんて酷いことはしませんから。あなたには毒で死んでもらいますよ」
「ど、どうして……」
「爆弾って意外と殺傷能力低いんですよね。部位欠損だけで、死ぬまでには時間がかかるんですよ。それに、最悪生き残っちゃうかも知れないじゃないですか。そうなったら、せっかく集めたお金も治療費とか介護費に使いますよね?」
噛み合わない会話はわざとだ。明らかに楽しんでいる。翔の怯える顔を見るためだけに殺す方法を説明しているのだ。
「き、君も爆発に巻き込まれちゃうよ? 怪我でもしたらどうするの?」
「先ほども言いましたよね? 爆弾の規模は小さいって。私は巻き込まれませんよ」
嘘だ。死んでもいいと思っている。爆発に巻き込まれて死ぬかどうかは五分五分ってところだろうがな。
「そ、そうだ。お客さんは? お客さんを巻き込んじゃったら、復興どころじゃなくなっちゃうよ」
「そこは安心してください。この日のために架空の予約客を入れておきましたから。避難誘導はしやすいはずです。幸い、人員はたくさんいますからね」
「えっと、えっと……。き、菊川クン……」
「仕方ありませんね。ここは私が解体するしかないでしょう。安心してください。これでも爆弾処理には心得があるんです」
もちろん嘘だ。爆弾なんて見るのも初めてだが、こんな状況、ハッタリかまして解除方法を聞き出すしか助かる道はないだろう。
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